美しい和菓子 伝統工芸としての菓子木型

日々工房で過ごす内にふと思ったこと、
撮り始めると夢中になる写真など....

工房


コラム 写真集



コラム

2006.12.28迎春ディスプレイ

銀座三越と日本橋三越本店のお正月のウインドーデイスプレーの様子です。木型からガラス作家の平間純子さんが美しいガラスを焼き上げてくれました。
クリスマスのあと1月15日までの短期間の飾りです。

担当の方が、「お店の人たちからも『すてき〜!』の声がわき上がっています。」と、知らせてくれました。

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ディスプレイその1

ディスプレイ全体その2

和菓子のディスプレイ

ガラス作家のヒラマジュンコ氏と一緒にプロフィールを紹介下さる

和菓子のディスプレイ
 

2006.10.16関東

本日は関東ととても近い日でした。

まず朝wasabiさんという雑誌の出版社から電話をいただき正月号に掲載の取材要請でした。「和菓子スタジオへちま」で有名な金塚晴子先生が訪れる高松紀行といった内容で、当工房にもお寄りしたいとの事でした。

そして昼は銀座のMデパートさんからお正月のデイスプレーに紙粘土あるいはガラス細工で鶴亀松竹梅をあしらいたいので、その木型をお願いしますとの注文をいただきました。

そして夕方にはルイ・ヴィトンさんの企画会社から連絡がありまして、先般の恒例の新作コレクションイベントのお土産用の型についての報告がありました。 「型は着きましてもう横浜のほうでバリバリ焼き上げています。」
それをヴィトンさんにも見てもらったところ、「こんな人間がまだいたのか!ぜひお饅頭の箱の中に木型職人のプロフイールも入れて、参加者の方々に見ていただきたい!」と。ついてはデーターを送ってくれたらそれをベースにこちらで経歴書を作って添えたいのだがよろしいか、と。

そして夜、熊谷の大手の製菓会社から先にお送りしておりました木型に対して、礼状がファックスで送られて来ました。

限りなく関東を近く感じた一日でした。


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おなじみのロゴマークを
あしらった型

おなじみのロゴマークをあしらった型
 

2006.10.03あのデザインの...

東京の企画会社から注文をいただきました。

ルイ・ヴィトンさんのイベントで中華饅頭の焼き菓子を作りたいのでその木型をお願いしますということでした。表面にあの花柄のデザインをあしらった型です。たくさんの注文でしたので納期に間に合うか心配しながらお受けしました。


2006.09.29ものづくり出前教室(後日談)

善通寺の先般お邪魔した竜川小学校の皆さんからお便りをいただきました。
とても綺麗なお手紙に感謝しました。

「まおちゃん 彩加ちゃん みかちゃん 雄大くん 佳恵ちゃん えりかちゃん みきちゃん」

綺麗に色も塗れた良い文章を書いてくれました。大切にします、 ありがとうございました。

 

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竜川小学校の
皆さんのお便り

竜川小学校の皆さんのお便り
 

2006.09.23ものづくり出前教室

今日は善通寺の竜川小学校へものづくり出前教室の講師で行って参りました。

一年生と二年生、三年生とそれぞれ一時間ずつで合計で160名の方に聞いていただきました。

大変楽しく学びあうことができました。


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竜川小学校での
出前教室

竜川小学校での出前教室
 

2006.09.03木のぬくもり展

7月から今日まで香川県歴史博物館で木のぬくもり展が開かれました。

たくさんの方がお越しでしたが私の木型も展示していました。実際に子供たちが砂遊び感覚で触れるようにしていたので係りの方に聞くと、約半分の子供たちが木型に砂を入れて遊んでくれたそうです。なかには夏休みの間に五回も来てくれたという方もいらっしゃったそうです。

良い思い出になってくれればいいがと思いました。


2006.07.27ものづくり伝道師

6月29日に県庁にて、ものづくり伝道師の委嘱式 がありました。

去年に続いてものづくり名人ふれあい出前講座の講師を委嘱されたものです。

今期は本格的にスタートということで、授業の時間も24クラスと増え、昨年度はなかった委嘱式も県庁の12階で執り行われましたが、例によってたくさんのプレスの方々もお越しで賑やかでした。

任期は20年の年度末までなのでしっかり務めようと思います。

 

以下、決意表明の詳細です。                   

 

 本日、香川ものづくり伝導師の委嘱を受けた我々は、

「ものづくり名人ふれあい出前講座」の講師として、

各学校からの要請に応えて、その大きな未来と

限りない可能性をもった児童生徒に対して、

修練の技術を説きつつ、ものづくりの喜びと技を磨く事によって

得られる楽しさと、社会とかかわって行く重要性等、

それらを伝えるために精鋭努力することを、ここに決意表明いたします。

平成18年6月29日

 


2005.12.15『七緒』(着物からはじまるライフスタイル誌/プレジデント社さん)

プレジデント社の着物に特化した出版物に『七緒』という本があります。年に三誌ほどの本ですが着物に興味のある女性に大人気の本です。その編集長からの要請で12月15日に取材に来られました。第五号の今回は「着物を着て旅する高松」という内容を含んだ企画だそうです。

旅人としてお越しいただいたのはいま売れっ子のイラストレーター、ミヤケマイさんでした。編集長とカメラマンの三名のクルーでしたが、イサム・ノグチ庭園美術館のあとこちらにお越しでした。最近は取材の方もデジカメ使用が多いのですが今回はすべて6,45のリバーサルフイルムで撮影されていました。先号をいただいたのですがとてもきれいな本でした。

高松紀行文としてうどん屋さん、下駄屋さん、菓子屋さんと、それぞれ訪れたお店で買い物をするという設定ですので当工房でもたくさん木型をお買い求めいただきました。この本を見て訪問された方も同様に買い物をしていただければなによりと存じますが、2月の発売日が今から楽しみです。
 

取材に来られた様子

素敵な女性お二人が取材中

 

2005.12.06つくし幼稚園で菓子作り体験

屋島のつくし幼稚園へ行きました。園児のうち年長さん66名と父兄66名が出席されました。木型の説明のあと全員で菓子作りの体験をしていただきました。その翌日、作ったお干菓子でお茶会をされたそうです。この子らが大きくなっても今日のことを覚えていてくれれば何よりと思いました。
 

菓子作り体験の様子

木型に詰めて、お母さんと一緒に菓子作り体験中

 

2005.11.25あの日から丁度一年

去る平成16年の11月25日に現代の名工の賞を東京の虎ノ門パストラルホテルにて受賞してから一年がたちました。その間に職人としての仕事以外にいろいろな体験をさせて頂きました。

香川県職業技能開発センターの行事で「ものづくり名人ふれあい出前講座」の講師の委嘱を受け、9月26日に高松市立木太小学校にて6年生2クラスで和菓子の木型の話をさせて頂きました。

9月16日の記事にも書きましたが、高松市文化協会主催の「知ってもらおう高松」という市民ゼミナールを工房で開催したり、高松東ロータリークラブ等でも「一筋の道-菓子木型」というタイトルでお話もさせて頂きました。

また志度町の平賀源内顕彰会からの依頼で、江戸時代に作られた「源内焼」を平成の時代に復元しようというプロジェクトに参加させて頂きました。江戸の浮世絵師が作ったと言われる陶芸の押し型の複製にあたりました。

一年経過してこのたび17年度の名工が決まり県内からも一名が選ばれました。これ以降も、後に続く人のためにも精鋭努力して行くつもりでございます。
 

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現代の名工 表彰式
現代の名工授賞式
源内焼の元型

源内焼の元型

 

2005.09.16知ってもらおう高松講座

県外から引っ越してきた人たちに高松の伝統文化や歴史を紹介する、「知ってもらおう高松講座」というセミナーが年に二回、市の教育委員会の主催で実施されています。今回は当工房に依頼があり、親子連れら三十八名の方々が応募され、定刻に全員が参加されました。
 

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大勢の方が来て下さいました

「菓子木型の工房見学と菓子作り体験」というテーマにあわせて、まず、工房での彫刻刀を始め道具の説明と作業工程の説明をしました。その後、隣のショールームにて展示の様々な木型の説明をすると、皆さんその精巧な彫りに驚かれた様子でした。
 

木型ショールームでさまざまな木型を見ていただきました
後半は所を変えて、実際に和三盆糖と木型を使っての菓子作りを体験していただきました。菊や梅をかたどったお菓子が完成するとあちらこちらから「わーすごい」「きれい」と歓声が上がっていました。
 
木型から生まれる美しいお菓子に歓声が上がりました

参加した親子は「高松の文化に触れることができて幸せです。子供にとっても貴重な経験になって良かった」と話されていました。

またこれとは別に、高松市内の小規模作業所あつみという施設の方からも要請がありまして、引き続いて翌日の9月12日に23名程で同じ内容で行いました。

両日ともとても喜ばれて帰られました。翌日施設で焼いたパンをお礼にと持って来られましたが、豊かな表情と輝く瞳に逆にパワーを頂きました。

2004.08.21ワークショップ

8月20日21日の両日に、今春完成のサンポートタワー3階の香川プラザにて県の主催で「菓子木型ワークショップ」が開かれました。県民と観光客の方々に、憩いの空間の提供と香川の県産品を知っていただくことを目的としたイベントですが、その第一弾として菓子木型の出番となりました。

朝10時からのスタートで、最初は木型に普通の上白糖をつめてひっくり返して形を見ていただくと言う、簡単な遊びから木型の楽しさや作業方法を知っていただく事にしました。
次に実際に和三盆糖を使ってのお干菓子作りに移りました。大勢の共同作業で、美しい花のデザインのお干菓子が沢山台の上に並びました。
最後はいよいよ木型の彫刻体験となりましたが、なにぶん一から彫るのは難しすぎるので、あらかじめこちらで細長い木に直径3センチ深さ8ミリ程の円形を彫り込んだ物を用意しておいて、各自のイニシャル等を一字だけ彫刻刀で彫ってもらう事にしました。好奇心旺盛な方ばかりで全員が果敢に挑戦されました。彫りあがった木型に各自和三盆等を詰めてお菓子を完成させました。
やがて最初に作った花々のお干菓子と共に、悪戦苦闘しながら自分で作ったそのお干菓子もあわせてトレーに入れてお持ち帰りになられる様は、本当に美しかったです。
何人かの子供さんから今彫ったばかりのその木型をせがまれ、予定外ながらつい差し上げてしまいました。

途中、真鍋知事にもお立ち寄り頂きまして、大変思い出に残るイベントでした。

クリックで拡大表示します→真鍋知事も来て下さいました

2004.06.12東京からのお客様

先日から要請を受けていた季刊誌の取材の人たちが、約束の午後3時ちょうどに工房に到着されました。

女性ライター2名と男性カメラマン2名の計4名のクルーでしたが、重い機材も気にせずに、新幹線でお越しいただいた、バリバリのヤングばかりでした。カメラはこのところの例にもれず、デジカメを使用されていましたが、木型の撮影もしっかりしていただき、機材ともに素晴らしいスタッフだと思いました。

2時間程の短い取材でしたが、皆今日はおうどんを食べてから高松で一泊し、明日は丸亀へ移動して、町並み撮影と猪熊美術館など回って帰られると言うことでした。タクシーで帰られるのを見送りながら、思い出の取材旅行になるようにと願いました。

20〜50歳の女性向けの「いろは」(http://www1.odn.ne.jp/~cek75520/)と言う本ですが、記事とともに特にどのような写真になるか楽しみです。
◇次巻は9月発行予定です。

2004.04.04サンポート・香川プラザ

県民待望の30階建てのサンポートがだんだんと全貌を現してきた。今日からその内のシンボルタワーの3Fにある香川プラザもオープンになる。ここには香川の主な物産と工芸品が並べられる。菓子木型も置いてくれる事になったので感謝しつつ7個搬入していた。

エレベーターで3階に上がり左手スミに木工品のコーナーがある。上手くディスプレーされることを祈りつつ搬入を済ませていたが今日行ってみるとプロの手にかかったのであろう、綺麗に並べられていたので嬉しかった。


クリックで拡大表示します→

2004.02.21-22栗林公園での実演

10時から公園の中央の県商工奨励館という会場で木型を並べて実演を行った。
土日は伝統工芸品の実演がありますと観光パンフレットにも謳われている。
その行事に参加させていただいたのであるが、この間にすっかりこの公園のとりこになった。身近にこんな公園があるのは大変幸せなことだ。でもこのような用事がでもないと、なかなか来ないのが実情である。今からは考えを変えて多いに利用しようと思った。

肝心の実演であるが工房と違って照明が暗くて、又たたみに座っての仕事となるので不自由を極めた。であるからほとんどお客さんとの会話に終始した。来られていたのは四国以外でも関東、九州と多彩であった。

「どちらからですか」と話しかけ、返事を待ってすぐに「おうどんは食べられましたか?」と水を向けると話はどんどん盛り上がった。今香川県民の特権のようになっているのがうどん談義である。

お陰で少々の売り上げにも繋がった楽しい数日だった。

クリックで拡大表示します→美しい栗林公園

2003.12.30修学旅行

 12月19日、東京から見学者が来られた。早稲田実業高校という、高校野球とかまた王監督の母校としても有名な高校である。

 修学旅行はグループによってコースを決めるそうだが、内6名が「香川の和菓子の研究」というテーマを決められた。お菓子のことならまず木型からと当工房をリストアップなされ、夏頃から学校を通しての要請が有ったが、最初の電話から始まって実行は全て生徒たちの手で行われた。

 前日から高松に入り約束の10時かっきりにおいでたが、学制服もりりしく利発そうな生徒ばかりだった。一時間余りの滞在だったが、相当準備もされていたのは質問の内容でわかった。こちらとしても遠いところをこられたので、可能な限り説明をさせていただいた。

 こちらだと電車の駅から来られる事はまずないのだけれど、都会からこられる方は駅を基準に動かれる。交通事情が違うのだとひしひしと思った。

 11時過ぎに、又来た駅から次の訪問先のお菓子屋さんに向かわれた。いつまでも、すこしでも心に残ってくれればいいと思いつつ見送った。


2003.12.10サンメッセ・かがわ地場産フェスティバル

いつもは1月に行われるイベントがことしは12月に変更となった。

ブースの飾りに苦心した。例年はお正月の雰囲気でよかったけど今年は季節が違うのでクリスマス風にしてみた。でも和菓子の型にどうかとは思ったけど仕方がなかった。

今年も二日間で2万人以上の人が来てくれて盛況だった。

クリックで拡大表示します→地場産フェスティバルの展示

2003.10.11干菓子と木型のコラボレーション

東京新橋の駅前にある香川県と愛媛県のアンテナショップ・せとうち旬彩館に、県の要請で4日間行ってきた。

イベントのタイトルは「菓子木型を使って和菓子つくりを体験しよう」といったものだった。会場はすぐ側に銀座通りがある凄く良い場所で驚いた。女性を中心に沢山の人が体験をしてくれた。

自分で作った和菓子を高瀬のお茶と一緒に食べていただいて、お土産にも持って帰ってもらった。充実した日々だった。

久しぶりの東京なので実演の前後に、赤坂の虎屋の「お菓子と源氏物語展」とか、かっぱ橋商店街の菓子道具の現状を覗いたり、情報を堪能する事ができた。又時々来たいと思った。

クリックで拡大表示します→せとうち旬彩館のショーウィンドウ
2003.08.29日本列島

 不思議な一週間だった。

 最初月曜日に北海道と水戸から注文が来た。その後火曜日に横浜と広島から、そして翌日大阪から2件来て、木曜日になんと博多からも頂いた。
 そして金曜日にまさかの仙台のお菓子さんから注文があった。

 日本列島北から南、ちょうど海老に串を指した状態で連なった。そしてそれを受ける当方が四国である。

 こんなこともあるのかと思った一週間でした。


2003.08.24茶道と子供たち

 今日は10時から生涯学習センター学び館で、小学生にお茶を教えようとの会がありました。高松市の中条文化財団の中条さんが主催で、夏休み中、4回の予定で行われました。

 第1回目にお茶の歴史の説明から始まって、3回目にお茶のお菓子が出てきます。そこで菓子木型職人の私が説明をするようにと仰せつかりました。子供たちの相手をするのは、近くの小学校の見学を受けたり、各イベント会場でよく相手をしているので慣れております。30分ほどの時間を言われていたのでその範囲でお話をしました。
 その後、和菓子の三友堂の息子さんのご指導で、子供達にお菓子を実際に作らせ、それを中条先生の立てるお茶と共にいただいてお開きとなりました。

 子供の心には結構印象が残ったのではないかと思います。このような地味な活動こそがお茶の伝統を守るための一助になるのですから、また次回も協力させていただこうと、認識を新たにいたしました。

2003.08.18お寺さん

 最近私の知らない人からの注文が多い。それはお寺さんからである。

 お供物といわれる、檀家さんとかお参いりした人に配られるお菓子であるが、それが従来使っておられるのは相当昔の型で現在では大きすぎるという悩みを持っておられる。そのような方々がテレビ等のメディアーでこちらを知って来られるのであるが、それぞれの会派の紋章を指示して頂いてそれに従って製作に掛かる。
 お寺さんの手からお菓子屋さんに回される木型であるが、品物が神仏にかかわる物だけに彫刻等に込める力に思わず霊気が宿ります。

 それにしても、電話の向こうの住職さんの奥さんの声は上品な人ばかりで驚かされます。

2003.06.06作品とのご対面!

 02年の年末に、高松の茶道発展の礎の役割を担っている高名なお茶の先生から、お客さんをご紹介頂いた。その方は、茶懐石時の料理を主に引き受けられている板前さんだった。永楽亭という名の彼の店は丸亀市の住宅地にある。
 外から見ると看板もなく、モニュメントの石と木が黒で統一された建物の前にあるだけのシックな店であるが、中に入ると一転鄭重なつくりで、無量庵という本格的なお茶室にもなっている。庭の景色を楽しみながら京懐石料理を頂くと言う、趣あふれた店である。

 そこで料理の最後に出す干菓子には独創的な物を作りたい、ということで相談を頂いた。帆掛け舟の中に「楽」と言うロゴマークをベースにしたデザインが決まった。意気込みがよく分かったので、充分にそれに答えるべく丁寧に彫り上げて納品した。

 そしてほぼ半年が過ぎ、5月になって坂出の友人から食事のお誘いが掛かった。
「面白い所があるから御案内します。」
4人が合流して着いた所はなんとその店だった。
 そこで着物姿の女将さんにはじめてお会いした。なるほど若くて魅力的な、ご主人が伴侶と選ぶべき人だと納得した。
 料理は一品一品素晴らしいもので、こだわりの備品と気配りとが相まって気持ちも華やいだ。

 いよいよ最後の段になって、お抹茶と共にあの型で打ったお干菓子が出てきた。実はこのようなシチュエーションでの作品との対面はめったに無い事。内心ははらはらで食べることなど出来なくて、そっと包んでポケットに入れた。持ち帰ってそっと見るまで、「楽」の字はこぼれずに躍っていた。

2003.04.30「とっておきミュージアム」
KSBスーパーJチャンネル/
瀬戸内海放送さん

レポーターの三木英津子さんとディレクター、カメラ、音声さんの4人のクルーでお越しいただきました。 これまでテレビもたびたびお越しになっていただいているので、こちらとしてはなんとか今までに無いような内容になればとの思いで協力体制でいましたが、なかなか被写体からは新鮮味が出せそうにありませんでした。

そこへピンポーン!まさに地獄に仏。山口県からのお客さんでした。下関のとある菓子屋さんが木型の注文に来られました。長州の郷土にちなんだお菓子の型の製作依頼でした。カメラを回していたのでそのままインタビューに入っていただきましたが、抜群に価値ある面白いしゃべりでした。

それもそのはず、医師から家業の老舗の菓子屋さんを継承されて、今は山口県菓子工業組合の理事長も務める方です。ごく自然にスタッフとカメラの前で打ち合わせを完了した型をこれから構想から入って製作します。彫りあがった頃またスタッフで経過撮影に来られるそうです。

それを用いて焼き上げたお菓子を、放映日にあわせて下関からKSB局まで贈っていただき、それを視聴者プレゼントにするというすごい様相になりました。ディレクターさんも力はいっていました。

いつものマンネリ化を吹き飛ばすような面白い内容になる事を期待しております。

2003.03.20『四国へんろみちを往く』vol.12
「ドコモからのお知らせ」NTTドコモさん

去る1月23日、NTTドコモさんから取材要請の電話があった。毎月送られてくる明細書に入っている「ドコモからのおしらせ」というリーフレットを担当している方だった。
「巻頭の見開きで(四国へんろみちを往く)というコーナーを連載していますが、来る3月21日号で根香寺から屋島寺の間を取り上げます。その中で菓子木型も紹介させて頂きたいですが。」
との事だった。無論異存は無く、協力の旨を伝えた。

2日後、カメラマンも含めて3人のメンバーでお越し頂いた。最近顕著なことだが、デジカメを使用するカメラマンが増えてきた。おかげでその場で画像を見せてもらう事が出来るので、出たとこ勝負の掲載日当日の怖さが無くなった。色々とこちらが話す事をメモされ、作業中の写真もたくさん撮られていた。
「本文に掲載される写真は2枚ですが、別途ドコモ四国のホームページにも掲載します。」
との話だった。リーフの配布地区は四国全域で発行部数は95万部とお聞きした。HPを覗くと、四国4県で150万人の利用者がいるとのことで、その差は複数機契約とか家族契約でそうなるのかと思った。

その後2月13日に最終構成されたゲラのFAXが入った。左端には参道を歩くお遍路さんの姿があり、右端には屋島名物のイイダコおでんが写っていた。その真ん中に菓子木型と共に私の写真が、まるで厳つい職人が仁王様でも彫っているかのような風で写っていた。《辛抱が肝心》との見出しがあり、200字程の説明文も書かれていた。その下に高松のマップも描かれていて、札所と共に我が家の場所も正確に記載されていた。

八十八ヵ所巡りをする人にも携帯は必需品だろうと思われるが、もしこのマップを見て一人でもお遍路さんが工房を訪ねて来てくれたら、その時は精一杯お接待の気持ちでお迎えしようと考えた。

★ NTTドコモ四国さんホームページ ★
http://www.docomo-shikoku.co.jp/

☆ ドコモからのお知らせのページはこちら (3月21日号はこちら)
上記ページで最新号が見られます。
「バックナンバー」をクリックすると過去の分も見られます。

2002.10.05コンマ1つ

 7〜8年程前、世を挙げて景気が良かった頃、友人家族と揃ってハワイに行った。友人もそのころはバリバリ儲けていた。ウエッジウッドかロイヤルコペンハーゲンの食器を買うつもりで財布を膨らませて行った。

 ホノルルの中心街に日本のダイエーさんがオーナーの凄いショッピングモールが有った。その四階の店頭でお目当ての物を見つけた。全体に素晴らしい飾りを施した5〜60センチほどの磁器がショーウィンドウに左右に間隔をおき、凛として飾られていた。

 価格はドル表示でコンマやら0やらが一杯付いているので、正確を期して店員さんに聞いた。
「幾らですか?」
「ハイ12万8000円です」
すぐに値段の交渉が始まり
「12万円ジャストだったら買います」
と言った。でも、敵もさるもの、いくら言っても聞き入れては貰えなかった。

 あきらめてホテルに帰ってに来たが、友人の奥さんは
「あれは素晴らしい仕事をしている。値打ちがある!絶対安い!欲しい!」
買う気で来た手前もあって諦めきれずに、
「もう値引きはあきらめた、明日は買うぞ!」
と決め、開店時間間もないその店に再度行った。13万円を小分けにして。

 ところがその日は前日の店員さんは休暇で、そこにはいなかった。仕方が無いので違う人に
「すみません、これ頂きます。下さい!」
「有難うございました。」
最敬礼をしてくれた。

 「それではお客さんこのウエッジウッドですね。」
はいと言いながらほくそえんだ。
「いい買物が出来た。」
「それでは日本円で丁度128万円です。」
「えっっ!嘘でしょ、間違いでしょ、12万8000円でしょう。」
「いえ!違います。これ見て下さい。点がここにあるでしょう。」
「でも昨日!?」
そうこうしていると店長も傍に来てくれた。 でも誰が何度見ても変わらない。

 「へーーっ。」
「どうしたのですか。お客さん!お客さん!お客さーん!」

「一日遅かった!」

 

2002.06.11ヴィトン・カッター

 今から10年程前に娘とシンガポールに行った。短大卒業旅行時期によりによって父親と行くと言う事でかなり抵抗されたが、結局
「お父さんと行くと思うからいやなのやから、お財布と行くのだと思えばええやろ!」
とゆう友人のアドバイスに納得して、行ってくれる事になった。

 飛行機に乗り、当然のように窓際に娘が座り、しばらく飛んだ後
「お父さん、あの島はどこやっ?」
と聞くから
「オーあれはおまえ沖縄ジャー」
と答える。
とその直後にスチュワーデスの機内放送が始まった。
「皆様当機は只今台湾上空を通過中でございます。」
その瞬間に父親の威厳は無くなった。

  シンガポールのホテルに着き、部屋に入った瞬間娘が目をむき騒ぎ出した。旅行社の係りの人が、苗字が一緒で名前が男女だから勝手に夫婦と思い込み、ダブルベットの部屋を用意していたのだった。騒ぎを聞き、すぐに添乗員が飛んで来た。
「すみません、明日は部屋を変えますから、今夜だけお嬢さん辛抱してね!」
「おとうさんやお風呂で寝ーよ!すかんのやけん。」
 またまた騒ぎを聞きつけたホテルマンが、急ぎツインの部屋を用意してくれた。
「これでええやろ?」
「うん。」

 そこで次の日にショッピングに出かけ、旅行かばんともう一個小さい男性用セカンドバックを買った。そのヴィトンのセカンドバックはその後10年間何かと携行して、ある意味、身体の一部のようになっていた。
 耐久性は驚くほどだった。一生いけるのではないかと思っていた。


 そのバックを昨年12月の忘年会で落としてしまった。
 近くの料理屋でその会はあったので、孫ベーを乗せる為の赤ちゃん用のサドルがついた自転車で出かけた。
 気持ちよく飲んで散会となり、帰り際にその自転車の荷物籠にバックを放り込んだ。と思っていたのだが、夜の事、又飲んでいたので実際は荷物籠とくっついてセットされている赤ちゃん用のサドルの中に放り込んだのだった。

 周囲四方がすっぽり囲まれているように見えるが、実際は足を出すスペースがぎりぎりバックが零れ落ちる程度の隙間として開いていた。
 バウンドした弾みに滑ったのだろうが、その時の雑踏の騒音で零れ落ちた音は耳に入らなかった。気が付いて探したが結局見つからなかった。


 それからバックの無い生活が始まった。

 どうにも手持ち無沙汰で仕方が無い。それとあまり長い期間持たない生活が続くと、又持ちなれない状態になり、置忘れする可能性が発生するので、同じ物を買う事に決めた。
 高松の三越デパートに隣接した所にヴィトンの専門店がある。そこへ家族に買いに行ってもらった。やがて電話の先で、
「あの前のと同じ20センチ程の大きさのバックはすでに製造中止になってもう無いそうや」
と言う。
「現行は23センチ程で幅も厚みもすべて大きいよ。」
「前のと同じ品物は出来ないのか」
と聞いてもらうと、
「オーダーも受け承りますが料金は丁度倍で12万円ほどかかります。」
との返事。

 客層が高いから係の人としては当たり前のリアクション。こちらはそのレベルとは全く違う。
 もたもた言うのが死ぬほどつらい性格だから
「ええわっ!その大きいので良いよ。」
と返事した。
 かくして二代目が我が家に来る事になった。

 値上がり直前だったのでほぼ税込み6万円程だった。思えば中に入っていた車のリモコンキーの修復にも二個で4万円程かかっている。少々の現金と合わせたらずいぶんな落し物だったなーと考えながらバックをしげしげと見た。

 大きいっ。

 少しでも余分な大きさの物を嫌う私には耐えられない大きさ。手提げのグリップも前のより長い。耐えられない、このグリップでもなくなれば少しは小さく感じるかと思った。

 次の日に思い余ってカッターでギリギリ切った。
 きれいなヴィトンの紋様を見ながら
「このグリップだけでも高くついているのだろうな」
と思った。

 それでもぶくぶくとしまりが無い。到底好きになれない。
 益々嫌いになった。

 そうこうしている時、さるデパートで、ヴィトンばかりの中古品フェアーの宣伝が出た。家族がまた見に行った。

 電話が鳴った。
「あるあるあるっ、あの小さいバックが出ている。38000円で!かなり使っているがきれいに磨いている。」

 そんな報告を聞くと脳みそが波打った。


 その話を友人にすると彼が裏技を教えてくれた。
 その買ったばかりのバックを入質してそのまま流せば良い。そのお金で小さいのを買えばいいと。

 でも私のバックには手提げのグリップが無い。売れないでしょ。付属の説明書も全部新品なのに、悔しい。
 せめてこれを買う前にこのフェアーがあったら良かった。
 この日までグリップを切らなければよかった。そう思うと落としたことから廃番になった事までが恨めしく思われた。


 そんなある日、ある会に行くと私のすぐ横に座った今度議員選挙に出る、と言う人がなんとその思い出の小さいほうのバックを持っていた。
「うっ!」
両の目が飛び出るのを二本の指で押し込んだ。

 そして偶然にも前に座っていた作曲家の人が大きいほうを持っていた。
「うわーっ。グーゼン!」
無論両方ともグリップはついている。

私はバックは持たずに行っておりました。

 

2001.12.21番販ってなーに
「昼あがりどまんなか」関西テレビさん

在阪の関西テレビ「カンテレ」の土曜日のお昼の番組に「昼あがりどまんなか」という番組があります。そのディレクターから去る二月の末に出演要請がありました。大阪には菓子屋さんの得意が沢山ありますので、宣伝宣伝と快く取材を了承致しました。
そして放送価値云々についての査定も含めて下調べに来られました。ディレクター等お二人が来られ、その方達は一週間高松に張り付いておられました。先乗りしての関連取材のためでした。

ロケ前日からは八名編成で来られました。越前屋俵太さんと言うタレントさんもインタビュアーとして来られました。まず近所の犬へのインタビューから入られました。
犬は吠えるわ子供は泣いて家の中に隠れるわで大変な行列で来られましたが、こちらにはアポ無し来訪という前提で来られました。ものすごいいでたちで大きい筆をしょったろうて来られた時はおおいに驚かされました。
そして工房に入られ、巧みな芸で私をさんざん笑い物にしてくれました。それがまた憎めないのです。私も自ずと肩の力が抜けました。
最後に大きな紙に「木型一代」としたためられ、取材を終えて大きく手を振って大阪に向かって帰られました。延べで一五泊くらいなされました。すごい経費です。私みたいなこんな人間のために。

その番組は三月一七日に関西地方、兵庫から滋賀と福井の境までのエリヤで放映されました。視聴率×人口で言うと二〇〇万人くらいがテレビをかけていた事になります。真剣に見たのと視聴率は随分違うと思いますが....。でも凄いことです。

つい先日山口県の友人から電話を頂きました。「テレビに写っておりますよ」 関西テレビで再放送があるっと言うのは聞いておりましたが、エリヤ外の山口県では絶体映る筈がないのです。でも現実に映っていると言うのです。
その後関テレの担当のディレクターに聞きました。
ご存じですか?
いや知りません。
こんな事はあるのですか?
はいあるんです。

三日後に広島ホームテレビから別の番組の収録で来られたディレクターに聞いた。その答えは、番組を出来ぐあいによって、良いと思えばその番組を著昨権ごと売買するのだそうです。
売りにかけるとそれをまた審査の上で買う局があるのだそうです。私のも売りに掛けられてそれが山口県で流れていた次第です。全国どこでいつ流れるかはその局の都合によるので解らないのだそうです。
そのディレクターが申されました。「せめて作った我々にだけでも知らせてくれればうれしいのだけれど一切ないんだなー、教えてくれよ」と。

業界用語に属する「番販」と言う言葉を覚えた一日でした。

2001.12.21技の人広島ホームテレビさん

先日テレビ取材を受けました。広島ホームテレビ制作の、シリーズ「技の人」という番組です。十日ほど前に取材依頼の電話を頂き宣伝になるだろうとの思いから協力させて頂きますとの返事を致しました。そして予定を突き合わせ12月五日の取材日が決まりました。
撮影には五人のクルーで来られました。皆さん前日から高松に入り導入部の情景描写の絵を屋島山上とか数カ所でロケをして国際ホテルに泊まられたそうです。

スタッフの内訳はチーフディレクターと女性のサブとカメラマン。そして照明さんと音声さんの五人です。挨拶の後、機材を組み立ててすぐに家の周りの風景を撮りました。そして工房にて打ち合わせをして、早速本題の撮影に入りました。
一番の眼目は修練の様が聴視者に伝わる技を見せて欲しいとの事でした。材料の木材の倉庫から始まり一通り制作過程を実演しました。木型が彫刻刀の当てる角度によって手の中でグルグル回る所は特にカメラ向きのシーンですのでそこもたっぷり時間をさいて撮っていただきました。
こちらももう何度かテレビの取材は受ているので見せ所は解っています。でも過去に他社が撮ったビデオを以前は説明の為見ていただいていたのですが、もう見ていただくことは致しません。どうしても似通った構成になってしまうのです。やはりその都度オリジナルなものを作っていただきたいから。

最後に20分ほどインタビューを受けました。言葉は詰まるし、方言は丸出しでしたがどのように編集していただけるか祈るような気持ちです。いつもは長時間掛けて、時には何日も掛けて撮る場合もありますが、今回は非常に早く四時間余りで撮ってしまいました。
遅めの昼食を近所のうどん屋さんに案内した時、時計を見るとまだ三時前でした。その後広島に向かって帰られました。

翌日の六日にスタッフの方から教えていただいていた同じ枠の放送を見ました。その日は勝山の硯職人の方が出ておられましたが、構成もナレーションも音楽もすばらしい出来映えでした。こんな感じで作っていただければ良いなと思いました。

瀬戸内圏五県が放送枠で月に一本か二本の割合で同じメンバーで制作するそうです。

放映日は来月一月十日の木曜日です。瀬戸内海放送の、KSBスーパーJチャンネルの内、18時20分頃から10分間程だそうです。なお広島、愛媛、山口県に関しては一足早く十二月二十五日に流れる予定です。もし時間があれば是非見てください。

一分一滴

 讃岐といえばうどんですね。

 全国平均の三倍は消費してと言うだけあって、関わる業者も多く地場産業の優等生と言われています。こだわった麺とだし創りに精を出す事が経営者に委ねられた義務です。作り手と食べ手の気持ちが、そしてまた感性的な物が合致したときに最高の味が味わえます。

 私 最近「一分一滴」 という言葉を自分で感じて時々使っております。

 粉と水と塩に留意し、打ち上げ刻んだ麺を大鍋で湯がき、流水にさらしてどんぶりに入れたとき、この時が最高に美味しい時です。艶があって頃合いの塩加減の中にゴムのような弾力性があれば最高です。

 最も麺に対してうるさい方々の食べ方は、生醤油うどんです。出来立てのうどんの上に大根スリとユズとゴマを乗せて醤油をかけます。そのかけ方に少々要領があるのです。大根の上から掛けて下のうどんにわずかに届く所で止めて、うどんと大根すりをからませて一気にすするのです。その後も醤油の一滴一滴に配慮して最後までうどんが黒くならないように甘みを残して食べきれれば麺喰いとして合格です。本当の麺許皆伝です。

 温かいのと冷たいのがありますがどんの味を芯から楽しもうと思えば絶対に冷やです。醤油うどんとかぶっかけうどんとかざるうどんがそうです。そして上に載せるトッピングの天ぷらとか肉とかきつねの味を楽しもうと思えば温かいのがお薦めです。どうしてもお湯で温めた時点に麺がふやけるので、本当の変骨の麺食いは冬でも冷やを注文します。

 出す方は一分のうちに食べていただきたい。10分も経ったものはどんなに良い物でもだめになる。
繁盛店では行列が出来て、釜から上がるのを客が待っている最高の状態になるので好循環が起こります。「醤油うどん」と注文すると「冷やですか暖かいのですか?」などと馬鹿なことは聞かれたくない。客に迎合せずに「醤油は冷やしかありません」とくらい言って欲しい。

 以上の外に、なんと言ってもだしにお金をかけるのが肝要な事です。麺はタイミングさえ良ければまずおいしいのです。人間の若さと同じです。だしは人で言えば培った教養です。だしに手を抜けばやがて客足は離れます。麺とだしが良くって営業時間は短かめで、従業員教育も良くできてるお店、こんな所が概ね良い店です。
 でも最近は新参のお店がチェーン化して、24時間営業で大通りに大型店をどんどん出しています。あまりこだわりもないけれど、このような蘊蓄を傾ける人も少ないし、また事実大方のお客はそれで満足しています。

 良い店は場所も解りずらいし、夜はとっくに閉まっている。他県から来た人は見つけようがない。これが讃岐うどんなのかと思って帰られるのは少し悲しい。

 一分一滴に沿ったお店、お任せください、私がご案内申し上げます。

玉藻城

 こちらでは「ほっこ」という言葉は馬鹿という意味ですね。他方では北興運送何々とか北港海運という名前がありますがこちらでは絶対に使いませんね。ほっこ ほっこ くそぼっこ。そんなふうに日常的に使います。

 語源は諸説有りますがその一つにこんなのがあります。

 高松のお城は玉藻城といって海に面した所に有ります。城作りに普通北に水の掃ける口は付けないのだそうですがこのお城だけには北に口があるのです。よそからきた人がこんな北口をつけてなんというばかなことをしたのか、北口とは馬鹿な事を、というのを地元の人が聞き北口(ほっこう)は馬鹿だ、ほっこうはばかだと言う事でほっこは馬鹿な事となったそうです。

 お城の話にこんな話も有ります。海水を引きこんで城壁を敵方から守るお堀としておりますが、その頃はお堀の中に鯛を放流していました。松平のお殿様が「まさかの時の飲用水にこの堀を真水にしたら」と言う事になりました。そこで毎日大きなひしゃくに一杯ずつ海水を掻き出して井戸水を入れて、また次の日も入れ替えて毎日毎日少しずつ入れ替えていきました。するとやがて反対の声が上がりました。そんな事をしたらせっかくの池の鯛が死んでしまうではないかと。でもそれは唯の固定観念で、池の鯛は死ななかったのです。段々と変化する環境に順応してゆき、全くの真水になってしまっても元気でぴんぴんしていました。

 あきらめずに挑戦していけば思わぬ結果がひき出せる、というお話のようです。


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