風子の修業日誌

四万十川の畔にある、『たたら製鐵・古式鍛造工房くろがね』で
愛知県よりIターンとしてやって来た『風子(ふうし)』の玉鋼作りと鍛冶の修業を中心とした日誌です

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2013年1月1日(火)
海外からのお客様 その3

完成した作品『月川』の銘入り

鍛冶屋体験後の記念撮影
 ホントに更新が遅れてすみません。
昨年の5月の事なのに・・・。
銘切りのあとは、熱処理です。
焼き入れ温度の見分け方を説明した後、順番に水に漬けていきます。
緊張の一瞬!・・・・・ジュ〜〜。

結果は、皆さん無事に熱処理を終えました。
帰る頃には日も暮れて真っ暗になっていましたが、
『とっても緊張したけど、それがとても気持ちよかったです。』(意訳)
と、とても喜んで頂きました。

この後、ジェーミさんとガブリエルさんは、
帰国前にもう一度、包丁を作りに来られるのですが・・・。

その話は、もういいですよね。
 
2012年9月7日(金)
海外からのお客様 その2

火造りとアウトライン削り
カーソルを重ねると画像が変わります

火造った作品と真剣な銘切り
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 またまた、更新が遅れてしまいましたが、「海外からのお客様その2」です。
 前回は、スイスからのお客様に喜んでいただき、『あ〜。久しぶりに英語しゃべって面白かったけど、疲れたな〜。』などと調子に乗っていたら、翌日は普段使っていない脳みそを使ったためオーバーヒートしたのか、1日中頭痛に悩まされてしまいました。

 それから数日後、今度は1日鍛冶体験に3名の申し込みがありました。
そしてやって来たのは、四万十市のALT(外国語指導助手)で日本滞在中のアメリカ人、ジェイミーさんとイギリス人のガブリエルさん、そしてもうお一人は・・・お名前忘れてしまいました。(スミマセン)

 前回のジェントルな雰囲気とは打って変わり、今回はジェイミーさんのアメリカンジョーク(アイムソーリーヒゲソーリー)と、私の親父ギャグ(この木って有名でしょ・・・ポプラ・・ぽぷら・・ポピュラー・・・)が飛び交う賑やかなスタート。
 それでも、火床に火が入ると、みなさん興味津々。
 水打ちの破裂音や、真っ赤に焼けた鉄が延びていくのを「Oh!」「&%$?!」などと言いながら見入っていました。

 その後は、全員がハンティングナイフ型の刃物を希望されたので、ワイワイ言いながら火造りをして貰いました。
 火造りの後は、アウトラインを削って、形を作ります。
 形が出来たところで『銘も入れますか?』と聞いたところ、『メイって何ですか?』と言われ、『自分の作品に名前を入れるんです。私だと風子、Wind childかな?』と言ったら『Cool!カッコイイ!』と盛り上がり?その後はスマートホンの電子辞書でいろんな単語を調べていました。

 そして決まったのが、『月川(Moon River)』と『黒牙(Black Fang)』もうお一人の方は・・・忘れてしまいました。スミマセン。
 慣れない漢字をタガネで切るのですから、日本の方より難しいでしょうが、何とか四苦八苦しながら銘切りも終了。
 長くなったので今回はここまで、次回に続きます。
2012年8月20日(月)
海外からのお客様

笑顔の記念写真
 ずーっと前から書こうと思っていて、今更感がありますが、4月にスイス人のお客様が来られました。
 きっかけは、四万十市の観光案内所の方が、ちょっと不安そうに「見学したいそうなんです。外国の方なのですが・・・対応して頂けますか?」という電話からでした。

 翌日の午後に来訪されたのが、スイスのチューリッヒから来日して、観光旅行中のスイス人らしい紳士的なステファンさん夫妻でした。
 『包丁を実際に打つところを、見せてもらえませんか?』 との御希望でしたので、普段はリクエストで製作したりはしないのですが、特別に打つ事にしました。 
 でも、私だけ働かされるのはシャクですし、せっかく来て見るだけよりは、体験した方が面白いだろうと、向う鎚を打ってもらいました。その後は、少し横座にも入って包丁を打ったり、水打ちの大きな破裂音に驚いたりと楽しんで頂けたようでした。

 包丁をを打ち終わり、一緒にお茶を飲みながら、 『満足してもらえたかな?』 と思っていると、 『製品として完成させるところまで見せてもらえませんか?』 とやさしく紳士的にリクエスト。
 英語解説をしながらの鍛冶でちょっと疲れていましたが、『せっかく遠くから来たんだからね』 と、その後アウトアイン削り、熱処理、研ぎ、柄付けと包丁を大急ぎで完成させました。

 作業しながら聞いたところ、スイスでは、もう鍛冶屋はほとんど無いそうで、興味深く一つ一つの行程を見てくれていました。でも、後でステファンさんに 『日本に鍛冶屋は、まだたくさんあるんですか?』と聞かれた時には、『スイスだけでなく、日本もずいぶん少なくなっています。』と答えながら、さっきまで『スイスに鍛冶屋はほとんど無いんだ〜』と感心していた自分が可笑しくなりました。『自分の国も一緒じゃないか』と。

 最後にもう一度お茶を飲んでから、帰る前に包丁を3本買って貰い、私もステファンさんと同じように笑顔になる事が出来ました。
 上の記念写真は、その時のステファンさんの上品な笑顔と私の下品な笑顔です。
 
『あ〜。久しぶりに英語しゃべって面白かったけど、疲れたな〜。』と思っていたら、そのすぐ後にまた海外からのお客様がみえるとは。
 その話は次回・・・・。
2012年3月23日(金)
なさけなくてうれしかった話

ちょっとピンボケ、ボケの花
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らっきょう包丁

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 本日は雨、ひと休みしたときに外に出ると、新芽のふくらんだ木の枝に水滴がたくさん付き、まるで宝石のようにきれいで、慌ててカメラを取り出し、写真を撮ってみました。
 でも、後で見てみるとピントが合っていたのは、水滴の後ろにあったボケの花・・・。
写真って難しいですね。

 難しいつながりで言うと、鍛冶もやっぱり難しいです。
 ここ四万十市のお隣の黒潮町には、らっきょうの産地があり、3年ほど前から、らっきょうの根っこを切る「らっきょう包丁」を作っては、農家の方を一軒一軒飛び込みで営業に行っています。
 でも最初は、らっきょうの包丁はどんな形かよく解らず、師匠と「こんなんどうだ!」「これはどうでしょう?」と何種類も作って、農家さんに見てもらいに行っていました。
 ところが、農家さんへ持ち込んで見てもらうと、「もっと薄い方がいい」「軽うにせんと(軽くしないと)」「形が違う」「幅が広い」など、やっぱりプロの方は、皆さん道具に見識があります。
 毎日、大量のらっきょうを切るのですから、当然良い物と悪い物では仕事の能率、疲れ方が違うのです。

 そうやって、いろいろ親切に教えてもらい、極薄の新作らっきょう包丁を各農家さんに買って頂いたのですが・・・。1年後(昨年)に伺うと、
「あれは、切れんかったよ」と訪ねた農家さんで言われてしまいました。
こちらは真っ青です。
「申し訳ありません、新しく作り直させて下さい!」と農家さんにお願いし、大至急持って帰り、作り直しです。
 確認してみると、薄すぎて焼き入れを失敗していました。そして再度、新しく作り直して、薄刃にあった焼き入れをして、農家さんの所へ納品に行きましたが、あいにくお休みで試して頂くことは出来ず、包丁を預けて、その日は帰りました。
 その直後、師匠が入院し、わずか1週間で急逝されたので、その後、農家さんの所へ行くのがかなり遅れ、次にお訪ねしたのは、らっきょうの収穫時期も終った頃でした。

「どうだったかな?」とちょっと不安になりながら訪ねると、
らっきょうの仕事場の前で、農家の方が遠くから私を見つけ
「ちょっと、ちょっと包丁屋さん!!」とこちらへ向かって、大きく手を挙げて手を振っておられます。
「えっ!またダメか?!」胃が縮まってしまいましたが、恐る恐る訪ねると、
「この間、置いていってくれた包丁、カミソリみたいに切れるじゃない。みんな欲しくてずっと来るの待ってたんだよ!何してたのよ。」
「・・・・・・!」よかった〜。「ありがとうございます!」
その農家さんでは、パートの皆さんからたくさん注文をいただいたうえに
「近所の人にも教えとくからね。」と言っていただきました。
「やっと人の役に立つ物が出来たな〜。」と思いながら、一人になった工房へ帰途につきました。
でも師匠なら当然「そんなの当たり前だ!大体、はじめの時に切れん包丁を作ること自体がおかしい!馬鹿か!」
と言われてるでしょう。その通りです。

 そして今年は、有り難いことに、昨年1本試しに買っていただいた農家の方が「去年の包丁はよく切れるし、他のより研ぐ回数が少なくて済む。今年はたくさん作って持って行きなよ。」とわざわざ工房まで注文に来ていただきました。

 師匠も許してくれるかな。
2012年3月19日(月)
1日鍛冶屋体験

初めての共同作業?そして真剣な銘切り作業
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大鎚を振るのは大変なんです
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 当工房には、1日鍛冶屋体験コースがあるのですが
 今年に入って3件続いて、「結婚記念に新婦さんへのプレゼント」として新郎さんが、包丁を作りに来られました。
 以前はあまり見られなかったのに、最近はやさしい男性が多いのかな?
 ところで包丁作りですが、せっかくの記念の品なので、体験では画像の後ろに写っている機械は使わず、すべて手作業で行います。お友達が一緒に来ているときは、お友達に向う鎚をお願いして、お二人で完成させてもらいます。(お友達は、ビデオや写真を撮りながらですので大変そうでしたが・・・)
 先日来られた方は「お嫁さんより先に、俺が共同作業をしていいのか?」なんて冗談を言いながら大鎚を振っていただきました。
 実際の作業は4.5sの鎚を振るのですから、連続で振ると息が上がってしまいますが、友達同士、冗談を言いながら楽しそうにやっているのを、私はちょっとうらやましく思いながら横で見ています。
 そして、包丁が打ち上がったら、ご自分で銘を入れてもらいます。新婦さんの名前だったり、名字だったりお好みで、でもやり直しがきかないので、皆さん真剣そのもの、とってもいい顔をされていて
『こんなところを、新婦さんに見てもらえたらな〜。』なんていつも思ってしまいます。
 銘を入れ終ったら、入魂の焼き入れ作業に入ります。焼き入れは失敗すると、割れてしまうこともあり、瞬間の動作を求められる特に重要で難しい行程です。
 真っ暗闇の中、熱い炎と対峙する姿は、新婦さんが見たら惚れ直すこと請け合いですが、それはさておき、焼けた鉄が水の中で急冷され、立ちのぼる湯気の中で、かつての鋼材は利器「包丁」へと生まれ変わります。
 そして、新たな家庭の一助となれば、こんな幸せな包丁もないでしょう。

私も、いつかはまだ見ぬ自分の新婦に作ってあげたいものです。うらやましい!
 
2012年1月5日(木)
新年を向かえ

四万十川と白い山

試作品(カーソルを重ねると画像が変ります)
 新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
 皆様、新年を無事迎えられたでしょうか。
 私は大晦日の午前中に薪運びと管理棟の掃除を終え、午後からは、先日お伝えした試作刀子の鞘を完成させようと、ストーブの前に座ったのですが、座ったとたんに急に頭がズキズキと痛くなってきて、「???あれ?なんだろう、ちょっと横になるか」と思い、一旦家へ帰り(工房から家まで100メートルぐらい)横になったんですが、それからますます痛みがひどくなってきて、胸や胃もムカムカして来て、七転八倒は大袈裟ですが、ウンウン唸っているうちに日が暮れて、そのまま寝入ってしまいました。
 気が付いたら元日の朝になっていて、あまり幸先のいいスタートではありませんでした。
 それでも、翌日からは体調も元に戻り、写真の通り試作品の刀子の鞘もなんとか完成させました。どうでしょうか?自分では気に入ってますが・・・。
 その後は刀子の火造りや削りをし、4日には雪の降る中、東京から大工さんのご家族が見学に来られたんですが、外は結構な雪で、せっかくなら暖かそうな1日鍛冶体験をと言っていただき、お父さんと子供さん3人の包丁とナイフを計4本を打つことになりました。
 小学生と中学生の子供たちは、4.5kgの大鎚を持ち上げるだけで大変そうでしたが、がんばって向う鎚を振り、横座に入ると、真剣な眼差しで真っ赤に焼けた鉄と格闘していました。でも、水打ちの水蒸気爆発には『パチン!バチン!!』という大きな音がすると流石にびっくり、ちょっと腰が引けてしまっていましたが。最初は大人の人でも同じで『オオッツ!』ってビックリするモノなんですよね。
 一方、お父さんは初めてにもかかわらず、普段から仕事で鎚を振るだけあって、芯を捉えた打ち方をされていて、それに甘えて即席インストラクターになってもらい、向う鎚も振ってもらいました。
 おかげで、外は雪で銀世界でしたが、工房の中は熱気に包まれ(大袈裟かな)時が経つのも忘れて火床の前に立ち、日が暮れて暗くなる頃には、4本の立派な作品が出来上がっていました。
 お蔭様で工房くろがねは、にぎやかにお正月を迎えることが出来ました。ありがとうございました。
2011年12月29日(木)
近況

工房の朝

鞘の製作中
 ご無沙汰しています。
 年末を迎え、工房の木々の葉もすっかり落ち、朝は霜で真っ白になった芝生を踏みしめて工房へ向かいます。
 先月は、刀匠の方の依頼でたたらの操業、研修生の方が自作したたたら炉での初操業、当工房では珍しい女性の1日鍛冶体験など忙しくしていましたが、今月は中旬から時間が取れるように(ヒマに)なり、後回しになっていた薪割りや作品製作をしています。
 今回は今までと違うものでもと、赤樫で柄を作り、鎚目を入れた銅の口金を付け、刀身は薄刃、型は和風にして全体に小型にし、女性(大和撫子)が卓上刀に使っていただいても似合うようなイメージで製作を始めました。
 今は鞘を朴の木で作っているところです。
 しかし、初めて作るものは、なかなか時間が掛かりますし、作ってみると『女性にはちょっと柄が太いかな』とか『もう少し柄が長い方が使い良かったのでは』などと悩みながら進めています。
 さて、完成はいつになることやら・・・・。
2011年10月15日(土)
師匠のメモ
 今日、師匠の本を開いたらこんな師匠の書いたメモが出てきた。
  じっと見る。

物造りは面白い
 材料造りはもっと面白い
自分で造った材料で
 物造りをしたらもっともっと面白い。

人をきずつけてはいけない
 なぜならきずついた人が痛いから
人の心をきずつけてはいけない
 なぜなら心がきずついたら
  その痛さは
   とても言い表せないくらい痛いから
でも本当に痛いのは人をきずつけた人
 それはずっと先にわかる

人をきずつける人より
 きずつけられた人の方が
ずっとずっとえらい
 人をいじめる人より 
  いじめられる人の方が
   ずっとずっとえらい
でも もっとえらい人は
 人をきずつける人や
  人をいじめる人を
   可愛そうな人と思える人だ

もう駄目だと思ったとき
 苦しいと思ったとき
  つらいと思った時
   行き詰ってしまった時
そこは終わりではない
 これからな何かが始まろうとしている時だ

人生は前と後ろしかないのじゃない
 グルッとみわたせば
  何かが見えるはず
そこが新しい出発点
 生きる道なんて無数にある
君のオリジナルな生き方で行けばいいんだ
2010年4月3日(土)
雨後の筍

大収穫!

大鍋で湯がく

塩漬け中
 春になると、修業は急激に多忙になります。
 普段、師匠から教えられる技術を学ぶだけでもいい加減忙しくて、いつも後に残してしまうのですが、春になって暖かくなると橙の汁を絞ったり、山菜を採ったり、工房の脇のタラの収穫やら、畑の収穫やら、とにかく仕事が急激に増えます。
 今日は先日降った雨の後、急に温かくなったために、筍が一気に頭を持ち上げて伸び出してました。これも収穫して湯がき、塩漬けにして保存しなければならないのです。
 朝一番から筍を掘り、ついで大鍋で湯がき、塩漬けが終わったときは午後になっていました。
 僕は、仕事の手際が遅いので筍の皮をむいても師匠の3倍は時間がかかります。子供の時から体験と言えるような活動をほとんどしておらず、この工房に来てからもやることはどれも初体験のことが多いのです。
 そんな修業の中に時折り、技術面でも何でもあっと言う間に憶えてしまって成長する、まるで雨後の筍のような人物と出会うことがあります。
 僕は以前「なかなか地表に芽を出さない、寒の頃の筍のようだ」と師匠に言われたことがあるが、確かにそうかもしれない。
後から来た者に追い越されないよう、雨後の筍を目指そうと思っているのですが、ハテ、僕の春はいつ来るのでしょうか?
(花嫁募集中)
2010年3月11日(木)
別離寒

雪で白くなった山と黄金マサキ・ベニカナメモチ
 3月10日、朝から寒さが厳しく午後から四万十は雪が降りました。 
 3月には入ってからはずっとぽかぽか陽気の暖かな日が続いてこのまま春になれば良いけど、きっとまた寒い日が来るんだろうなと思って思っていました。
 つい先日、師匠が『彼岸までに彼岸の別離寒と言って必ずもう一度寒い日が来る』と言っていたのですが本当になりました。暖かくなって少し気が抜けていたのかこの寒さは身にしみました。
 翌日11日の朝工房付近の山は雪をかぶって、工房の庭にある黄金マサキは黄色に、ベニカナメモチは真っ赤に若葉を広げているのに、その向こうの山は雪で白く、南国土佐では珍しく美しい景色でした。
 昼過ぎににはやや気温も上がり、日向は暖かで、これから先はやっと春も本格的になりそうです。
2010年3月3日(水)
四万十川に春が来た
 卸し金の炎
折返し鍛錬中の研修生
 
 河川敷の柳が芽吹き、先日まで裸だった木が青々としてきました。
 さて、2月下旬は2人の研修生が、玉鋼の卸し金と、折り返し鍛錬を勉強して帰りました。研修中は2月下旬にしてはとんでもなく暖かな日の連続で、研修生も寒いと思って厚着していた服を1枚脱ぎ、2枚脱ぎと薄着になってしまい、それでも火床の前では汗ばむ程でした。
 研修が終わると師匠はすぐに鎧甲冑師から急ぎの注文が入っていた鎧の部品の卸し金、鍛錬、火造り、ヤスリ仕上げと、この数日仕事に気合が入っていましたが、3月に入って注文の仕事を終えると、又仕事以外のことばっかり考え始めて、天気が下る前にダイダイの汁(寿し酢にしたり、ドレッシングに使います。)を搾ろうだの、いただいたレモンがたくさんあるのでシロップ漬けにしようだの言い始めました。弟子の私の方は仕事が遅いので、やるべき仕事がまだまだ山積みです。師匠のペースについて行けません。でもそんなことはどこ吹く風で師匠は、「林、次はあれやろう、その次はこれやろう」と仕事をいっぱい作ります。
 嗚呼、いつになったら仕事に追いつけられるのだろう、いつも終われてばっかりの日々です。
2009年4月9日(木)
薪割り

薪割りの途中

今日割った薪

 久々に暖かさが舞い戻って、四万十も汗ばむほどの暖かさになりました。
 今日は陽気に誘われて、薪割りを始めましたが暖かさを超えて暑いと思うほどで、こんな仕事は少し寒いくらいの日がよかったかなと思いましたが、始めてしまったら仕方がないのでやってしまいました。
 夕方、割った薪を、薪置き場に積み込むとそれなりに到達感があり良いものです。薪割りでいいのは何よりもきれいに一発で割れたときのスカッとした気分。天気はいいし鳥の声につつまれて、ストレスは風に乗って飛んでいってしまいました。

2009年1月5日(月)
初仕事

 新年あけましておめでとうございます。
 工房くろがねでは、新年2日よりお客様を迎え、包丁造りに励んでいたところ、師匠の古い知り合いの方が訪ねて来られました。
 ところが、その方の口から、私にとってとんでもない一言が飛び出してしまったのです。
「いつもくろがねのホームページ楽しみに見ています。でも、昨年の12月からトップページの画面が真っ白で何も出てこないですね、目次をクリックすると出てくるけどね。」
 あ!あ!あ!トップページが見られなくなっていたのは師匠に内緒にしていたのに、万事休す!「うわー」頭の中で早鐘が鳴っている。それもかなりの大きな音だ。しかし私の得意技で、何食わぬ顔をしてそのまま会話を続けていると、師匠はその事には何も触れずにその会話は終わってしまった。
 しかし、正月4日になって、師匠が突然言い放った。
「おい、林君がお店をやっていて、そのお店の看板の大半が真っ白になって消えていたら、直せないからと言って、ずっと放っておくかね。人様はそれを見て、どんな風に思うだろうね。」
 先日は気付かないような顔をしてたけど、やっぱりちゃんと聞いていたんだ。小さくなって、縮こまっている私に師匠は、
「今年の最優先順位の仕事は、トップページを元に戻すこと。今からすぐに取り掛かれ。」
 昨年12月初旬にホームページを更新していて、アップロードがうまくいかないので、容量不足だと思い、一度全部データーを消し、再度、アップロードし直したところ、どういう訳かトップページの右のウインドウだけが表示されず、日頃の勉強不足がたたってどうやっても直せず、そのまま年を越してしまったのだ。

師「どこが解らんのか言ってみろ。」
私「トップページが表示されなくなって、どうやっても直らないんです。」
師「それはコンピューターの性質上、トップページが向こうに無いか、あっても呼び出せなくなっているんじゃないか?よく考えたか?」
私「はぁー」

 この後、師のアドバイスがヒントになって、やってみるとうまく元に戻った。
 うちの師匠はパソコンは一切いじらないのに良くわかるもんだと感心したことであった。そんなこんなで何とか元通りになりました。
 当ホームページを見てくださっている皆様にはご迷惑をおかけして、誠に申し訳ございませんでした。今年からは、このような事にならないよう頑張りますので、本年もよろしくお願いいたします。

2008年12月29日(月)
修業

 新年も間近にせまり、この付近は秋の草花も冬枯れて、もの寂しい景色に変わるが、そんな中でひときわ目を引くのが純白の山茶花の花である。
 早いもので私が修業に入って9年目となるが、もう8回もこの花を見たことになる。私がこの工房に修業に入った頃は、農業による田舎暮らしを目指していて、工学や理系の知識はまったく無く,さりとて文系の知識を持って、鍛冶やたたら製鐵についての文化や技術的な背景を知っていたわけでもない。
 そんな風に訳の分からないままで修業を始めて、もう9年目に入る。
 振り返ってみるとこの8年間、自分の習得したものが何であったか、どれ程のものであったかが分からない。いつまでやっても師に近づいていない自分がここにいる。
 師匠に「いつになったら師匠に追いつけるんでしょうかね?」とたずねると
師はこう答えた
「お前も進化してるんだろうけど、俺も進化を続けているんだから無理だねぇ、俺が動けなくなったときに追い越すチャンスが来るんだろうね。まあ、もうそんなに先のことじゃないから、今のうちに少しでも近付いておいた方がいいんじゃないか?」
 なんて言ってくれるけど、若い頃からラグビーやら剣道やらで体を鍛えてきた師匠は、少々のことではくたばりそうもない。
反対に私の方が先にくたばってしまって「俺の修業はなんだったんだ」と言うことになるんじゃないだろうか。「今に見ていろ師匠が元気なうちに追いついてやる」なんて言っていると、師匠に鼻で笑われそうだが、そんな傍らで師匠は古い袋竹刀を修理して遊んでいる。

この人いつ進化をしてるんだろう??


2008年12月19日(金)
続、嗚呼恐るべし団塊の世代
 四万十は抜けるような青空、今日は比較的風も穏やかで、工房の栗の葉が、静かに舞い落ちて、木の下は一面落ち葉で埋もれてしまった。
 午後、久々にこの夏工房で研修を受けた木熊さんが、愛媛のおいしいミカンを土産に訪ねて来てくれた。以前、「恐るべし団塊の世代」という表題で紹介した方である。
 その後、自宅に「あっ」と言う間に鍛冶場を設け、鍛接、火造り、と研鑽を重ねていそうである。 
 今日は、つい先日注文を受けて造ったという、真鯛の活絞め用の道具や、薄刃の出刃を持参して師匠に見せていた。いずれも磯で使う道具と言うことで中茎の部分にはステンレスを溶接して海水での腐食に耐えるよう工夫がなされていた。
 私は先日から、数日間かけて造った竹細工用の小鉈数丁を、ことごとく失敗してしまって、落胆の極みに陥っていたことから、わずか半年も修業をしていない木熊さんの腕の進歩を目の前にして強いショックを受けた。
 師匠曰く、「林君よ君は大丈夫か?まあ頑張るしかないか?」
 夕方まで薪ストーブの脇で、木熊さんと色々なお話をしていた師匠がこう言った。「前にも言ったけど、我々の育った団塊の世代には時々こうした突出した人がいる。物の無い時代に育ったことが人間を大きく成長させたんだろうね。君の世代は大丈夫かね?そろそろ世代交代の時期が近づいて来ているのだが、先が思いやられるね。」と・・・。
 昨日、師匠は私が失敗し続けている竹割り鉈を、「ちょっと見てろ」と言って、チョイチョイと、火造りから、焼入れまでやってのけた。私がやった内容と比べて、それ程違った事をしているようにも見えないし、手順も同じように見えた。ただ一つだけ違うところは、いとも簡単そうにアッという間にやってしまうところだけである。その後、「君の失敗の原因はこうなのではないか」と、冶金学的な説明を付け加えてくれたのだが、私にはどうもうまく飲み込めないようで、今一度、始めから作り方について、考え直さなければならないと考えている。
 一人前になる日はいつ来るのだろうか。
 それにしても、木熊さんといい、うちの師匠といい、団塊の世代を生きて来た人達はすばらしくもあり、恐ろしくもある。
2008年7月26日(土)
金敷の矢造り

 四万十は潤いの雨、朝から暑い日だったが昼前から降り始めた夕立が結構激しく降ってくれたおかげで、工房に入ってくる風が涼しくなった。
 今日は朝から鍛造機の金敷を固定する矢を火造りしていた。200キロ超の重量を持つ大型の金敷で、、矢も2本を必要とす

る。昨夕師匠が片方の矢を造っており、残りの片方を今日私が火造った。師匠が昨日火造った時は30分も掛かっていないのに、私が火造ると鋼材がうまく伸びてくれない。目的の寸法になかなか定まらず、大汗をかいてしまった。
 師曰く、「矢だからと言って馬鹿にしてはいかんぞ20分の1ミリ程度には精度を出せ!」と厳しい。心の中では「金バシでつかんで鎚で叩いて、20分の1ミリが出せるかクソー!」と雄叫びを上げた。でも、ノギスが手元に置けれていると「クソー!」だけでは済まされない。「チクショーやるっきゃないか」そう思いつつも、気を集中すると何とか20分の1ミリ精度で作ることができた。やっぱり師匠の言うとおり、人間は手は素晴しい。
 これってひょっとして手前ミソ?
 とにかく、一雨降って涼しい、心が潤うような夏の1日だった。

           

2008年7月18日(金)
夏のひと時

 梅雨が明けると夏真っ盛り、工房くろがねは四万十の山間にあるとはいえ、日中、工房内は35℃を超えることがある。
 先日師匠から、「暑い日の日中は休んで、修業は早朝や夕方涼しくなってからやってよし」と言われた。
 そんなわけで数日前から暑さに厳しい日中は身体を休ませている。しかし、気にかかるのは修業の遅れであって、そうそうノンビリしてもいられないのだ。
 今日は「息子が釣って来たから」と、師匠がクロダイと川エビを沢山持ってきてくれた。実は師匠は、たたら師とは別に釣具屋をやっており、その道でも釣り師としては結構名を轟かせていた過去があって、息子さんもやっぱり血筋なのだろうか、釣り名人で、昨日もクロダイをルアーで30尾近く釣ったそうである。
 ちなみに、私は狩猟本能はゼロ、まったく興味すらない。
 今日は持って来てくれた食材で、お昼は師匠手作りのクロダイの刺身と、川エビの天ぷらをたっぷり食べさせてもらってお腹一杯になり、通い弟子の栄太君と私は修業の遅れが気になりながらも、午後のひと時をノンビリと過ごしてしまった。板の間でごろりと横になると、木陰を抜けてくる風が涼しくて、四万十の夏は最高に気持ちよく、近くでウグイスの声が涼しげに聞こえた。

          

2008年7月10日(木)
嗚呼恐るべし団塊の世代
私が工房くろがねで修行を始めて今年で8年目になったが、いまだに師匠の技を半分も盗んでいない。
 先だって、通い弟子の栄太君が、金バシ造りに苦心しているのを見て、かつては私もそうだったなぁと思いつつ 「そこの所は、こうやって造ると、うまく行くよ」 なんて、兄弟子らしくアドバイスをしてやったのだが、出来上がった物を師匠に見せると「これでは、掴みにくいだろう、もうちょっと工夫をしてみたらどうかねぇ」と、軽くあしらわれた。
 そんな折、この梅雨明け前に、一人の男性から研修の申し込みが入った。昭和22年生まれの師匠と同じ団塊の世代の方である。
 研修では鍛造を体得して自分で包丁などを造れるようになりたいとのことであった。
 研修初日、いつものように基本の火造りに入ったのだが、どうしたことか基礎技術は午前中だけで、師匠が、「木熊さんは午後からは、金バシを造りましう。私が1回手本を見せますから、そのとうりに火造ってみて下さい。」と、本当に1回だけ、それも短時間で金バシの片方をを一通り火造って見せただけです。私は、「そんな無理でしょう、8年も修業して、いまだにその造り方が、私には飲み込めていないのに、師匠は本当に無茶をする人だ。」と心の中で思ったことでした。
 しかし、当の本人は「やってみましょう」と平気な顔で火造りを始めてしまいました。
 傍らの師匠はと言うと、木熊さんが火造りを始めた後、ほんの数分見ていたが、何を思ったのか、剪定バサミを出して工房脇の植木の手入れを始めたのである。
ー木熊さんも木熊さんだが、師匠も師匠である。ー
 私の方は気になって、彼の側から離れられない。 −大丈夫だろうか、初めて鍛冶をする人に金バシなんか造らせて−
そんな私の心配をよそに、彼は淡々と作業を進めるその進行具合は要をついており、ほぼ見本どうり金バシが造られていく。
 こうして、彼は初日から私の8年間を粉々に打ち砕いてしまったのである。
 次の日、師匠は、2本の金バシを出してきて、「あなたが後日使用する事となるので、この型の物を火造りなさい。」と実技の見本も見せずに彼を突き放してしまった。
 一人突き放された木熊さんは黙々と作業にかかり、午前から、午後に少しかかったが、難しい金バシを見本だけ見て作り上げてしまった。この日はさすがに師匠も驚いた様子でしたが、その後は、「「包丁でも造りますか。」と、さっさと材料を出して来て、小出刃を火造って見せ、「今と同じ要領でやれば出来ます。」とまたもや放り出したのである。その翌日も同様、まさに鬼のような人だと思った事でした。
 しかし、木熊さんはこれ等の課題をすべて難なくこなして涼しい顔で、疲れた様子もありません。
 結局のとこ3日間で、金バシ3丁、包丁1丁、刀子2丁を作って、焼き入れ、焼き戻しまでもやってのけてしまった。
 私が数年かかって体得した技を、彼は何と3日で体得してしまったのです。
 “嗚呼恐るべきは団塊の世代” 師匠が普段からよく言っていた、「俺達の世代には時々とんでもない人がいる。」と言う言葉に納得せざるを得ない3日間でした。
 後日通い弟子の栄太君にその話をすると「そのおじさん何者なの・・・・?」と彼も一様に驚きを隠せない様子でした。
 よし、自分も明日から心を入れ直して頑張ろう。
 工房の外では梅雨明けの明るい空を、深緑の木々とセミの声が、何事もなかったかのように、夏の盛りを告げています。