土州湧風のコラム

2011年4月2日(土)

工房前の柳
の若葉

黄水仙

ボケの花

四万十の沈下橋と桜
 昨年末ごろから右肩が痛み始めて、仕事はボツボツといった状態であったが、この春先から痛みが強くなり、病院通いを続けていたところ、つい先日、疼きを感じていた部分に筋断裂が炸裂音と共に突発性の激痛を伴ってやって来てしまって、このところ、右手は一切使えない状態となって、服の脱ぎ着も歯磨きも寝返りも出来ず、箸も使えず、字を書くことも出来なくなっていたが、少し痛みが和らいだのか、何とか字を書くことが出来はじめた。
 そんな訳で、現在のところ作品を注文いただいている方には、作品をお渡しすることが出来ず迷惑をかけているが、いずれ鎚が振れるまで回復したら、心をこめて鍛えたいと思っている。
 だが、元のように回復できないのではないかと心配している。ただ、これまで造りためて来た作品が少しはあるので、その内には、肩の痛みも何とかなるだろうとノーテンキに思っている。
 さて、4月に入り四万十も急に春めいて、ウグイスの鳴く声が響き渡るようになった。
 河川敷の柳も若葉を広げて青々として来た。ボケの花も満開、黄水仙の花も咲き誇ってドヤ顔をしている。川岸の道に植えられている桜も満開である。暖かな春風が、一日も早く、東北関東に吹いてほしい。 元気ならば、被災地に飛んでいってお手伝い出来るのに、この痛くて動かせない身がなんともいまいましい・・・・・。
2010年12月8日(水)
紅葉

紅葉

実をつけた万両
 ♪秋の夕陽に照る山紅葉~
 耳慣れた唱歌で、日本人ならば誰もが知っていると言ってもいいだろう。
 この付近の紅葉は秋ではなく冬に入ってから始まる。師走に入ると工房まわりが急に紅葉し、山々は鮮やかな彩りを醸し出す。
 工房は四万十川中流域の山間部にあり、まわりは一面樹木ばかりで随分山奥の感があるが、それほど海抜は高くなく、この付近の紅葉は毎年師走に入ってから急激に始まる。それでも、今年は例年よりやや遅く、師走も中旬に近づいてやっと本格的になったようだ。
 今月も中旬をすぎると、落葉の木々は葉をふるい始めて、山の中が明るくなる。その頃になると今年も又、山の中に入ってドングリを植えたり、間引いたりと、山の手入れもしなくてはならないし、今年の冬もけっこう仕事がたくさんあって忙しそうである。
 それにしても、真っ青な空、色づいた紅葉、はらはらと散る枯れ葉、深緑に真っ白く咲く山茶花、真っ赤な実をつける万両、地を這うように咲く野地菊、どれをとっても初冬の里山のたたずまいは素晴しい。
2010年11月19日(金)
冬に咲く花

野地菊

山茶花
 寒くなって、空気がツンと尖がって来ると、そろそろ周りの山々では、紅葉が始まってくる。気の早い桜葉はもう散ってしまった。センダンやムクの葉ももう残り少なくなったが、その他のナラやクヌギ・桑・エノキ等は色づき始めたばかりで散り始めるのはもう少し先になりそう。
 紅葉が始まり木々も葉が落ち、足元の葉が枯れ始めるとなんとなく周りの景色がわびしく淋しく感じられてくる。
 そんな中にひときわ際立って、寒冬に向かって落ち込み始める気持ちを駆り立ててくれるのが、野地菊と山茶花の真白な花である。
 派手さもなく、清々しく咲くこの花達は、いつの時も心を嬉しくさせてくれた。
 工房の周りにはこの野生の花が毎年咲くのだが、今年は例年に増してたくさんの花を着けて、目と心を楽しませてくれている。
 毎年のことなのだが、自然の恩恵に心から感謝せずにはいられない。
2010年9月23日(木)

工房に咲いた彼岸花

工房で採れた栗と渋皮栗
 暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので、昨日彼岸に入ったかと思うと、南国土佐も朝夕はめっきり涼しくなった。
 彼岸になると栗の実も大きくふくらんでイガが口を開けポトンと落ち出す。
 栗は、栗ご飯、栗キントン、渋皮栗、栗団子、栗羊羹等々、秋の味覚の中でもとりわけ好まれる食材である。
 工房でも毎年栗を材料にした料理をするが、元来めんどうくさい料理を私が好まないことから、そうそう造る訳もなく、たくさん落ちる栗のほとんどは知り合いにお裾分けする。お裾分けした方々からは、お返しに又秋の味覚をいただく。収穫の秋というのはとても楽しいシーズンである。
 楽しいと言えば、この秋には、長年やってきた野外塾の塾生たちと一緒に縄文の土器つくりをする予定である。粘土をこねて形をつくるまでは、それほどワクワクもしないが、焼成する時はワクワクしてとても楽しい。焼成は薪だの炭だのを使ってやるのだが、これが結構難しくてとても楽しい。来月早々に焼成することになっており今から楽しみにしている。
 ところで一昨日から彼岸花が開花を始めた。
ここら付近は山野ばかりで緑と茶色が主体、派手な色なんてものは自然界ではほとんどないところだが、秋の彼岸花だけは特異な存在で、道脇にこれでもかと派手派手な色合いを見せつける。ところがこの派手さが妙に嫌味がなく、ちゃんと周りの自然と調和しているから不思議である。
 遠くから鹿の鳴き声が淋しげに聞こえて来る。
 本当に日本の秋は素晴らしい。
 この春ごろから体調に異変が起こり両肩、両腕、肘、手首、指に至るまで痛みが起こって、思い切って鎚を振ることが出来なかったが、秋風が吹き始めると気分のせいか製作意欲がやおら頭を持ち上げて来て、心なしか、痛みがおさまって来たような気がする。
 そろそろ重い腰を上げて夏にやり残した作品の仕上げをしなくてはと思い始めた。
 その前に栗で美味しい、菓子でも作ってみようか・・・。
 畑に野菜の種もまかなくてはならないし・・・。
 とにかく秋は忙しい、でも体調が気になっている内はノンビリやろうと思っている。
2010年7月8日(木)
中休み

木々からの木洩れ日
 連休降り続いた雨が上がり、今日は久しぶりに太陽が顔を出した。
 雨が降り続いている内は、あまり暑さを感じなかったが陽が照り出すと、一気に夏らしくなってちょっと動くだけで汗ばんでしまう。
 そんな訳で、今日は日中の暑いうちだけ木蔭でホームページの原稿を書いている。
  この数日、雨がうっとうしかったのか野鳥達もなりをひそめていたが、今日は嬉しそうに森の中からけたたましく声を張り上げてさえずっている。それにしてもあのうるさいホトトギスは鳴いていない。ひと仕事終えてどこかに行ってしまったのだろうか。毎年、梅雨前から『テッペンカケタカテッペンカケタカ』と夜までうるさく鳴く鳥だが、鳴き声が聞こえなくなると、それはそれでなんとなく淋しい気もする。
 うるさいと言えば、つい先程まで工房の中から弟子の振る鎚音がうるさく響いていたが、急に静かになった。こっちの方もひと仕事終えたのだろうか・・・。
 周りが静かになると、原稿を書くリズムまで変って進まなくなった。
 ペンを動かす紙の上に木洩れ日がちらちらと踊ってなんともさわやかな感じがする風が渡る。こずえを見上げると、陽光に透けた木の葉と影で深緑色に重なった葉の裏とがコントラストをかもし出して、そこここにすけた青空が涼しげである。遠くでセミの鳴き声が聞こえていたのが、段々とこちらに近づいて、急に大きなうねりのように鳴き声が大きくなり、又遠ざかって、静かになる。森の中は今が盛りのような風情である。私はかなりのチェーンスモーカーで、こんな天気の日に野外で原稿を書くと、次々と煙草に火をつけてしまう。その煙草代が私の小遣いの中ではかなりのウェイトを占めているのだが、このウェイトが今年の秋からはまたしても重くのしかかて来る。この重圧を考えると、先が思いやられて煙草に火を点ける度に「もう、やめようか・・・」と思ってしまい、ストレス発散のつもりの煙草がストレスの原因になってしまっている。
 つい先日の事、友人と話しこんでいる最中に、不意に友人の口からこんな言葉が出てきた。
「さっきから見ていると、ちょっと煙草の喫みすぎじゃない。まだ元気でいてもらわんと困る。」
「体を気遣ってくれてうれしい気もするが、それよりも何よりも小遣いの方が心配で」
 と言う私に。
「急に止められんなら、中休みにしてみるとか減らすとかしたら・・・・」
 煙草の箱に記されている『喫煙はあなたにとって脳卒中の危険性を高めます。』『ニコチンにより喫煙への依存が生じる』などというJTの忠告などより、ずっとずっと有難い忠告でした。
 丁度梅雨も中休みで清々しい天気で、美味しい空気も流れているのでこの辺りで煙草の中休みでもやってみようかと、思ってみたりしているが、その傍らから次の煙草に火を点けている意志薄弱な自分がいる。でも、やさしげなそよ風の中で喫む煙草は又格別で、風にそよぐ煙草の煙が何やらゆかしい。
 「こんな気持ちは愛煙家でなければ解からないだろうな」と思いながら、たどたどしくペンを動かしている。
 しかし、煙草代を気にしなくてはならなくなった現代が疎ましく感じているのは自分だけだろうか。こんな時代を腹立たしく感じストレスがたまりそうである。
 梅雨のはざまの清々しい1日、今日は人生の中で特別な日になったような気がする。
2010年6月30日(水)
職人気質
 このところ数日降り続いた梅雨の大雨も一休みか、四万十は曇り空とはいえ、時折は薄日が射して気持ちの良い朝となった。
 深い緑の森の中からは野鳥のさえずりが聞こえてくる。工房の前を流れる四万十川は増水して瀬音が響き渡ってくるが、川面全体にケアラシが発生して水面はまったく見えない。このケアラシ、毎年梅雨時や夏場に大雨が降った後に時々見られる美しい景色である。
 今朝はそんな景色に見とれながら、無意識のうちに右腕をさすっている。このところ腕をさするのが癖のようになってしまった。
 なぜかと言うと、私の右腕はこの冬場辺りから、肩、肘、二の腕、手首、手、指にかけて、腕全体に痛みが起こり、鍛冶仕事はかなり苦しい状態になっているのである。
 腕をふるえないと言うのは鍛冶職としては致命的であって、春からこれまで半分も作品を作れないと言うていたらくが続いている。はじめの内は「まあ、そのうち治るだろう」とたかをくくって湿布薬等でごまかして来たが、半年近くになるのにいまだ治らない。それでもひと頃よりは多少痛みが和らいだ感もないではないが、自分で思うにならない腕が疎ましく思えたりする。そのせいか何をしていても、うつらうつらとこの先の作品つくりについて考えてしまう。
 体力的には最早これまでかなと思ったりするが、まだやり残した事はたくさんある。体力も含めて自分の能力が限界に近づいていることも理解しているつもりだが、目的や理想はそれとは関係なく自分の中にあって、その両者のはざまに生じたギャップに右往左往させられていることも解かっていて、尚かつ何とかしたいと思っている自分が滑稽でもある。多分目的に到達する前に自分が挫折することを恐れているのかもしれない。
 この意識から開放されるには、自分が理想として思っていることや、目的を縮小したり変換したりするか、何とでもがんばって突っ走りとおすしかないのであろう、これは単純に言えば、「あきらめるかやるか」のどちらかであって、では簡単にあきらめられるのかと言うと、私の場合は悔しさが先に立ちそうで、あきらめられないで「やっぱりやるしかない」という結論になりそうであって、まことに厄介な性分と言わざるを得ない。
 縮小も出来ない、変更も出来ない、かと言ってブッ飛ばしてやることも出来ない自分がそこに居る。まあ結局のところ、ボチボチでもヨタヨタしながらでも歩いて行って、行けるところまで行ってブッ倒れるか・・・・となりそうである。
 人生ボツボツ、仕事もボツボツといった風な人生を歩みたいものである。
 私は、作品つくりを考えている時が一番楽しいし、それが解からなくなったらもっと楽しい。
 しかし、つらつら思うに職人とはとんでもなく厄介な気質を持った生き物である。
2010年6月16日(水)
梅雨の楽しみ方
 雨が来た、やっと梅雨が来たようで、例年よりは少し遅い梅雨である。
 紫陽花(アジサイ)は、開花して1週間程になるが、雨はまだかと待ち望んでいたようで、雨が降り始めると急に元気そうな表情になった。
 私はさほど雨が嫌いではない。こんな日は気持ちが落ち着いて仕事がはかどる。逆にお天気の良い快晴の日は、心が浮いてどこかに遊びに行きたくなったりして、仕事が嫌になることがある。そんな訳でデスクワークを快晴の日に行うのは苦手である。
 今日は1日かけて、注文の包丁やら刀子のデザインに終始した。思考が詰まって窓際の机から戸外に目を移すと、小雨に煙った対岸の山には、中腹までたれ下がった雨雲が薄絹のカーテンのように見える。乳白色の雨雲と、深い緑色の木々が、やわらかに切り替わるコントラストが優し気で心を穏やかにしてくれて、どことなく気が休まる。
 天気予報によると、明日はもっと降るらしいが、さて、明日はどんな仕事を片付けようかと思っている。庭の芝の手入れや、生垣の刈り込み、畑の手入れ等、野外の仕事はあきらめるとして、またデスクワークでもしようか、それとも作品つくりが途中で止まっているので、火造りでもしようかと迷っているが、まあ、明日になれば気の向いた仕事をすればいい、どうせ仕事は山のようにある。工房内の片付け清掃、秋の新作のデザイン、知人の息子さんや友人への手紙、イベント報告書の添削、等々、次から次にいくらでもあるが、いずれにしてもお金にならない仕事ばかりで、工房は相も変わらず貧乏である。
 しかし、畑では野菜がすくすくと育っており、魚や畑にない野菜などは、人様からいただいたりして、何とか食はつながっている。
 先日、当工房へ研修に訪れた漫画原作者の西村さんから料理マンガを何冊もいただいた。仕事の間に間に読み進むと、彼の料理への情熱と力量が伺えて楽しい。主体はフランス料理なのだが、これが随分参考になって、工房で採れる旬の野菜や山菜と、いただき物の貝や魚等を使った素人料理が次々と新メニューとして誕生している。フランス料理風調理をしたことなんてこれまでになく、実際に自分達でそんな風な料理が作れるとも思っていなかったので、実食してみて驚いた。新鮮な味というか、これまでにない味への感覚が生まれて来るのである。自分の中になかった感覚が萌芽して来る楽しさを感じながら、このところ弟子と一緒に料理をしているが、料理の奥の深さに又一段と驚いている。こうした食の展開は貧乏の中にあっても楽しみを味わうことの喜びを発見させてくれた。
 明日も雨なら、西村さんが原作したマンガの中から又一つ何か美味しい料理のヒントを探してみようかとも思っている。
 雨も又いいものである。
2010年5月7日(金)
風薫る5月
 風薫る5月、新緑が目にしみる季節となって工房の雑務が一段落した。
 この春から、宿泊棟の掃き出し窓からわずか1メートル程の所に置いていた、古いたたら炉の送風口に、ヤマガラがせっせと営巣の材料を運び込んでいたが、この所は出入りも少なくなったので、送風口に近づいて中をのぞいてみようとすると、中から「ジャージャー」と言うような低い恐ろしげな声で威嚇してきた。不意の接近者に脅しをかけているようだ。たぶん卵を抱えて頑張っているのに卵ドロボーでも来たのだと思ったのだろう。
 一方、橙の木を見上げると、残しておいた橙の実が食べられて、果皮は半分くらい枝についたままになっている。こんな食べ方をする奴は、ハクビシンだと思ってまわりを散策すると、案にたがわずハクビシンらしい糞があった。ハクビシンは割りと節操のない奴でどこにでも糞をする。
 他にも、生垣の際の落ち葉のたまった場所の所々がドンブリ鉢大に掘られている。これはアナグマがミミズを探して食べた後である。
 そんな、こんなと、鳥も動物もせわし気に動き回る初夏がやって来た。
 さて、私は何を造ろうかと今のところはまだ迷っている。
2010年4月3日(土)
豊かな貧乏
    

本日の成果
工房くろがねは貧乏である。
 なぜなら、千年以上も昔に見捨てられたであろう古(いにしえ)の技術ばかり追いかけて、非生産的な方向へ視点を定めているからに他ならない。
 そんな訳だから当然、日常の「衣・食・住」についても、つましい生活をしなければならないのだが、これがいちがいに貧しいものなのかと言うと、まんざらそうでもない。
 春になると山菜が出始める。2月も終わり頃になると、様々な山菜が芽を出し葉を広げてくれるので、山菜天ぷらだの、山菜雑炊だのと旬の味が楽しめる。中でも1番の山菜はタラの芽である。こいつはなんと言っても天ぷらが最高で、塩を一寸だけパラパラと降りかけて熱いうちに食すと、ホコホコとした食感とかすかな春の香りがする。
 今日、2度目のタラ芽の収穫をした我々は、先日食べたばかりなので、知人達にお裾分けするつもりでバケツに山盛り3杯の収穫をした。たかだかタラの芽だが不思議なもので物がたくさんあると、なんとなく心は豊かになるものである。
2010年4月1日
コーヒータイム

工房の薪ストーブ

野菜の芽

 梅の花や、菜の花が咲いて、蓮華の花が咲いて、つつじが咲いて、桜も咲いて、花梨(カリン)が咲き始めてやっと春らしく暖かくなって来た。
 この春は変な春で、お彼岸を過ぎても冬のようなお天気が続いて、ストーブの薪の調達を休む事が出来なくて、例年の春よりひと仕事多いかなって感じで、4月に入ってしまった。
 今日は4月馬鹿の日、四万十は春である。やや暖かではあるが、肌寒くやっぱり今日も薪ストーブに火を入れた。
 私は薪ストーブの中でチロチロと燃える炎を見るのが好きである。この火を見ながらコーヒーをすするのは格別で、コーヒータイムが大好きである。
 そんな訳で今日は夕方までに3度もコーヒータイムをとってしまった。
 明日は暖かな日になるだろうか。畑の野菜は芽を出して暖かな日を待ちこがれている。

2010年3月13日(土)
春が来た

橙と果汁と砂糖菓子
先日、彼岸前の寒の戻りで寒さに震えたかと思ったら、今日はもう春、ウグイスの鳴く声に心までウキウキとして来るから不思議である。
しかし、春が来ると嬉しくなる反面、多忙になる。畑の種まきやら種芋の植え付けやら山菜取りやら、なんだかだと余計な仕事が次々と出来てくる。
昨日は、工房周りの昔代々(橙)が熟して酸っぱさが減り始めたので、急ぎ果汁を絞ることとした。昼前から絞り始めて、40~50個の橙を絞るのに2時間程の時を要したが、10?程の酢をゲットすることが出来た。これだけあれば知り合いにプレゼントしても1年分使うことが出来る程余る。この酢で寿司やらカツオのタタキ等を作ると、とても美味しいので、工房では毎年この橙の酢を絞ることにしている。
橙は果汁を絞ると分厚い外皮が残るが、これで何か作れないかと今回は砂糖菓子を作ってみた。細切りにした分厚い外皮は、じっくり煮込んで水にさらすと特有の刺激がなくなり程よい香りの菓子になる。2日がかりでじっくりと時間をかけて煮込んだ橙の皮の砂糖菓子は、コーヒーとよく合って、実に美味しかった。
2010年3月4日(木)
春の嵐

山にかかる雲と鳩
 三月に入ると、暖かな日が日増しに増える。この所ずい分と暖かな日が続いて、今朝のラジオのニュースでは桜の開花が例年よりもずっと早くなるようなことを告げていた。
 昨夜から、春の嵐でかなりの大雨になっていた四万十も、今夕には雨が上がって、まわりの山の中腹に雲がかかりとても美しい、空気も温かく湿っていて、息をするのにすがすがしさを感じる。
 一昨日は畑に春野菜の種をまいたのだが、この雨と暖かさですぐに芽を切って双葉が出そうである。
 そろそろ山菜天ぷらの食べ頃で、色々な山菜達が伸びはじめた。春は又秋と違ったおもむきで食欲が出る、山の中の生活は結構楽しみのあるものだ。
2009年12月19日(土)
初雪

紅葉と初雪

鍛錬中の高校生
 今朝は一面の銀世界が拡がって、久々の美しい雪景色に見ほれてしまったが、その一方では寒さに身が縮みあがった。
 四万十に初雪が訪れるのは例年では12月下旬か1月上旬なのだが、この冬は一足早く雪が訪れて来た。いつもなら紅葉も終わり枝だけの木々を白と黒の明暗が彩るわけだが、なんだか晩秋と真冬が一緒に来たようで、慌しい感もある。
 そんな雪の中、地元工業高校の先生と生徒が、当工房との共同研究のため訪れた。静けさの中で寒さに震えていた工房も高校生たちの息吹で急に暖かさを感じる。
 今日は生徒たちだけで玉鋼の鍛錬をすることと相成ったのだが、「どうかな、大丈夫かな、生徒だけで出来るかな。」と言う心配をよそに、彼等は今日一日で、十回の折り返し鍛錬をやってしまった。ほんのこの間中学校を卒業したばかりの高校2年生が横座に立って、3年生が向鎚を振る。二人が息を合わせて懸命に励む様は見ていても気持ちの良いものである。まるで初雪を見るような清々しい気持ちになったことであった。
2009年10月18日(日)
秋風が吹き始めると

紅葉した葉桜

葉桜の下から
 この秋は栗の収穫をして、栗鹿子をつくったり栗キントン、栗羊羹、渋皮栗と次々に栗菓子つくりに忙しく、その間に研修だの作品つくりだの極めて多忙な日々が続いた。栗が終わると裏山に自生しているミョウガの収穫をし、知人に配ったり自家用の料理に使ったりして、やっとミョウガからも解放された。それでも冷凍庫の中にはほぼ1年中使えそうな程ストックがある。
 そんなやこんなで、今年の秋もバタバタの日々を過して、気がつくと彼岸花も終って葉桜も紅葉し、工房周りの木々達も葉をふるい始めている。
 工房付近の山には野生の鹿がたくさん生息していて、毎年この季節になると鹿の鳴き声が山の中から聞こえて来るが、この声は悲しくなるほどに寂しげな響きで生き物達の力強い夏の営みの終わりを告げているような気がして来る。
 さて、夏も終わり涼しい秋風が吹き始めると、旅をするのにはとてもいい季節となり、弟子の風子は九州に向かって観光もかねて、のんびりと、砂鉄(磁鉄鉱)探しの旅に出ている。これまで国内は北海道から九州まで、又国外は主な鉄鉱床のものをたたらで吹いて来たが、いずれも様々に違った表情を持った作品となる。今度の旅ではどんな表情を見せる砂鉄を風子が持ち帰るのか楽しみにしている。もし、試験操業で良い鉧が吹けたならば、現在注文を受けている上古の剣の材料として刀鍛冶の手にゆだねてみたいとも思っているが、はてさて、どんな砂鉄を持ち帰るのであろうか。
 この秋はまだ随分仕事が残っている。夏に建てた物置に棚を取り付けたり、工房の炊事場にも棚をつけなくてはならないし、地元の工業高校へたたら操業の手伝いに出掛けたり、自前のたたらもまだ2回吹かなくてはならないし、他にも、工房内の片付けやら物置の片付けやらと雑用も多い。冬場に入るまでには全部やってしまいたいと思っているがどうなることやら・・・・。
『まあどの道、少々頑張ったところですぐに終わるものでもないし、優先順にボチボチやって行こうか。』などと年寄りじみた考え方をし始めたこの頃である。
2009年9月7日(月)
山童の嫁入り

 先日、山童を求めていただいたお客様から以下のようなメールが届いた。

 山童中 手元に届きました。
 いやあ、すごいもんです。
 最初はおっとろしくて、柄から刃を引きずり出せませんでした。
 しかも鬼の爪のようなでっかいチキリにもびっくり。
 やっと刃をだしてみると、ぎらっととこっちを睨み返す感じ。
 使えずに3日放置。意を決して自己流の研ぎをかけました。
 すると殺気のようなものが消え、やさしい表情になり、木に刃をかけることができるようになりました。
 作者である師匠からは、折角の山童の息吹を止めおって!と叱られそうです。
 どうぞご寛恕ください。
 山童そのものの重みで、力いれずとも、しゅっと音を立てながら木肌を削っていきます。
 参りました。
 相棒として手元に置き、人生が尽きるその日まで、大切に使っていく決意です。
 すばらしい作品ありがとうございました。
 お体に留意されて、師匠、林さま、通い弟子さん、ますますご活躍をご祈念申し上げます。
 かさねて御礼申し上げます。

この文章から私は以前、民俗学を研究する近藤先生からお聞きした「婚姻における白装束は、『どんな色にも染まります』と言うものではなく、あれは死出の旅へ赴く白衣であった。娘としての自分は一度死に、そして嫁として再び生まれ変わると言う深い意味のこめられたものである。」
と言う言葉を思い出した。
 この度のメールを読み、まさに「作り手から使い手の元に赴く作品は嫁入りと同じようなものだと感じたことであった。
 私の作品「山童」は、誰の手に届けられるか解らず作ることの方が多いが、使い手の元に届くまでは、それは単に私の作品でしかない。だが一度使い手によって砥がれ使われ始めた時点から、それはもう私の手から離れて、使い手のたましいが吹き込まれ再生し、新たに成長する道具として生まれ変わるのである。
 出来上がった時は荒々しく節くれだったような山童だが、こうした使い手の元に嫁ぐことが出来、育てられる作品は幸せ物だとつくづく感じた。と同時に、誰の元に届いても恥ずかしくのない作品を造らなければと強く心に念じたことであった。

2009年8月1日(土)
盛夏の鍛錬

宿毛工業高校との鍛錬実験

工房にある山栗の木

 7月31日、やっと梅雨が明けた。例年と比べると長い梅雨だったが、夏場に炎をかかえて仕事をしている私達にとっては、比較的涼しい雨の日はそれ程にうっとおしさを感じないし、むしろ雨の日のほうが仕事に集中出来たりする。
 今日の午前中は陽がさしてこれは暑いと感じたが、午後3時をまわると陽もかげり、風が涼しくなって来た。それでも戸外ではセミ時雨が『ジュワジュワ』と騒がしい。ついこの間まで鳴いていたウグイスも声をひそめたか、時折小さな声が聞こえるが大方はセミの鳴く声だけで、深い緑色の樹木の葉は風に吹かれて涼しげに波打っている。
 今年の夏は、例年と違って玉虫がよく目に付く、仕事に疲れて戸外に目をやると必ずと言っていい程、玉虫の垂直飛行が見られる。とりわけてまわりの樹相が変わった訳でもないのだが、何か彼等に都合の良い事でもあったのだろうか・・・。
 さて、この夏は昨年に引き続いて、地元工業高校との共同研究で、玉鋼の折り返し鍛錬に於ける使用燃料の違いで出来た材料の成分がどう変化するかについて、分析のための実験鍛錬をやっているが、夏場の折り返し鍛錬はとにかく暑い。次週の月曜日、火曜日も炎をかかえての実験であるが体力が続くかどうかちょっと心配である。
 エッ、高校生のことかって、違う違う還暦を過ぎた私自身のことである。元気な高校生を見ていると、あの頃に戻れたらと思うことしきり。

2009年5月30日(土)
四万十式ウナギ包丁

ウナギ捌包丁

丹波栗の花
 工房の敷地内にある宿泊棟の脇に、大きな丹波栗の木が2本ある。この木が夏は葉を茂らせて木陰をつくり、南東向きにある宿泊棟の窓辺から入ってくる風はとても涼しい。
 この丹波栗、梅雨前頃が花時で、今年も樹冠に薄黄緑色の花をいっぱいにつけてたくさんの虫達を呼んでいる。この分だと秋にはたわわに実をつけそうだが、実が熟した頃には、お猿さん軍団がやって来ることだろう。
 さて、先日から注文のウナギ包丁を造っている。この包丁がどんな感じで使われるのかは感覚的には理解できるのだが、自分では使ったことがない。私の母方の祖父は家大工の棟梁をしていたが、大工をやめて四万十川の川漁師になった人である。少年期には母に連れられてよく祖父の家に遊びに行き、祖父がウナギをさばいているのを見たものだが、その折の包丁は小さな和包丁で土佐で言う「舟行」という形の包丁を小型にしたものである。祖父の家は河口から程近い汽水域にあって、この付近には現在でもまだ専業の川漁師がいる。この付近一帯の川漁師が使うウナギ包丁は現在でも、昔祖父の使っていたものと同じものばかりであり、現在私もその形のものでウナギをさばいている。
 ところが、この度注文が来たウナギ包丁は切出し型のものである。以前に河口から15km程の中流域の方から注文を受けた時もこの切出し型であった。私はこの包丁をつくりながら、同じ四万十川流域でウナギさばき用に使われる包丁の形が大きく異なるのはどうしてか、流域のどこを境に形が別れるのか、また、その異なった形状の包丁を使う人達の文化に何等かの違いを見い出せるのだろうかと、思いが膨らんで来た。この夏は調査をしてみたい。
 他聞、道具の違いは、文化のルーツの違いを教えてくれそうな気がする。
2009年4月29日(水)
続、肥後守

メイヤーさんへ送った『山童』

 先だって、フランスのメイヤーさんから、肥後守型ナイフ、『山童』初期モデルと現在製作している山童の注文が入った。
 現在製作している山童は、1年を通じて時間があればコツコツと続けて造っているので、火造るのにさほど気持ちを集中することもないが、初期モデルはもう10年程前に造ったもので、数える程しか造っておらず、その姿のイメージが薄らいで来ており、火造り時にはやや戸惑いが出て初めてこれを造った時のような緊張感が湧いて来て、身体が硬くなっているのが自分でも感じられるほどであった。
 初期モデルと同様の形を打ち終えた後で、つくづく眺めながら初心に戻れたようになっていた。
 火造りをしている間中、傍らでじっと観察していた弟子の林君に、
「林君は修業を始めて何年になるのかねぇ。」
「もう9年です、今年の秋に10年目に入ります。」
「そうか、じゃあ9年目と言うことでこの山童初期モデルを9本作ってみたらどうかねぇ」
「師匠のデザインなのに造ってもいいんですか。」
「ウン、やってみたらいいんじゃないか」
「はい、やってみます。」
そんな訳で、林信哉こと風子が緊張しまくって、山童初期モデル造りに取り掛かる準備を始めた。仕上がるのが楽しみである。

2009年3月20日(金)
肥後守

満開の草いちごの花               肥後守タイプ『山童』

 私が道具の中で一番好きな刃物は肥後守タイプの物である。
 「どんな形の物でも自分で自由に作って使えるのに、なぜ安っぽい感じのするものを使っているのか?」とよく人様から聞かれるが、好きか嫌いかについては人それぞれだから「自分の好きな物は唯、好き」と言うだけであまり理屈をこねないことにしている。
 好き嫌いは別にしても、確かにこの形のナイフは一見、安っぽく見えるが、これを作る鍛冶職にとっては、結構奥の深いところがあり、いい加減な気持ちではいい物は出来ない。一方、使い手にとってもこれの良し悪しを解る人にとっては、その品物を見極める目を養うに、それ相当の経験と技術を必要としたであろう事は作り手の側から見れば良く解る。
 私も元は使い手であったが、現在は作り手になってしまって、このタイプの物に「山童」と自分勝手に名付けたものを作っている。これを現在の形にまでもって行くにはそれなりの試行錯誤が続いた。この「山童」を作り始めてほぼ10年の時がたったのだが、その頃を振り返ると、様々なデザインが残像となって幾つも脳裏に散らばっている。今更それらを拾い集めて新たに作ってみようとも思わない、だからと言って新しい「山童」を作る気がない訳ではない。もう何年も新しいデザインに挑んではいるのだが、どうしても今の形を越えられないでいる。
 そんなものだから発展しないのであるが、進歩のない自分に半ばあきれ返っている。
 今日はお彼岸、クサイチゴの花が満開になった。弟子の林君は北九州に砂鉄の調査に出かけている。仕事もあらかた片付いたので原稿を書きながら、「新作の山童をデザインしようかな」などと考えている。

2009年3月14日(土)
続、復元

 先だって、鎧の部品造りが済んですぐ後に、又しても鎧修復のための部品製作依頼があった、今度は鎧脇腹の最終仕上げに使用する部品との事である。
 前回同様、依頼の部品見本に手紙が添えられており、見本と同一に仕上げまでやってくれとのことである。
 私ごとき者がそこまで出来るのかやや不安はあったが、大至急とのことでもあり引き受けてしまった。これで又々、数日の工房ごもりが始まった、それでも先の時に材料は鍛錬が済ませてあるので、それ程あわてる必要もない。
 腰をすえて火造りに入ると、やっぱり面白さが心の中で沸々として、のめり込んでしまう。
 火造りの精度は、ノギスの精度で出さなくてはならない。緊張がみなぎって仕事中普段のように鼻唄が出ない自分に気付く。火造りを終え、仕上げに向けてのヤスリ作業、砥ぎ作業では緊張感もまた格別のものがあり、仕上がった時点では前回にも増して、強く到達感を味わうことが出来た。
 この歳になって、又一つ技を得たような気がする。それと言うのも、私ごときの軽輩に、文化財修復と言う仕事の一端をさせてくれたことによるものだが、まあよくぞ私ごとき者を選んで下さったことと思うにつけ、頭の下がる思いがしたことであった。

2009年3月9日(月)
癒し

 昨夜は一晩中しとしとと小雨が降って、なんとなくうすら寒い夜であったが、夜が明けてウグイスの声で目覚めると、雨は上がって、対岸の山々は中腹から頂にかけてモヤがかかり、窓越しに見える景色がとても美しく、誘われるように戸外に出ると、屋内の空気よりも外のほうが暖かく感じられた。今朝のウグイスの声がなんとなく張りのある声に変わっているのはそのせいかもしれない。心なしか目の前の柳の葉も急にひろがったかのように見えて、まだ陽も射さずうす曇であるにもかかわらず青々としている。
 昨日、一門全員で仕事を休み、「戦国時代の鉄」と題する自治体主催の講演と実演を後学のために勉強に行ってきた。丸々一日をかけての勉強であったが、これといって得るものもなく特に実演の場ではパンフレットには「戦国時代の鉄器造り」と題されてあったが、釘一本を火造っただけで、我々にとっては「どこが何が戦国時代なの?」と思ってしまうようなそんな実演シーンであって、その日は暮れて工房に帰りついた我々は、なんとなく暗い気持ちで床についた。
 そんな気分も今朝の景色とウグイスの声がどこかに消し去ってくれて今日一日、又気分よく働けそうである。
 この地には、どうも人の心を癒してくれるものがあるようだ。

2009年3月8日(日)
復元
 昨夏、現在では希少な存在となってしまった匠、鎧甲冑師の先生が当工房の門をたたかれた。
 勿論、鎧甲冑の製作や復元のための来訪であった。
 その折、当然のことであるが、古代の鉄について私の識る事柄については出来得る限り伝えたつもりではある。
 つい先日のこと、先生から鎧の部品の見本に手紙がそえられて届いた。製作依頼である。即断で引き受けた。以来数日工房にこもり、“鍛錬”、“火造り”と作業を進めた。
 普段やっている鍛冶作業は、比較的大きなものが多く、小さいというものでも、小包丁や切出し小刀程度のもので、今回のような小さなものを鉧を使って火造ることは稀である。それでも何とか仕上がった時は久し振りに到達感を味わうことが出来た。今ではもう文化財と言う形でしか残っていない先人の足跡をたどり、古き時代の匠が向き合った仕事を垣間見ることで、至福の時を過ごすことが出来た。
 一仕事終えた後の一服の煙草が久々にすこぶるうまく感じたことであった。
2009年2月22日(日)
新作
鑢目の刀子を試作
竹炭によるたたら操業で作った鉧

新作の切出小刀(鑢目両刃)

 私のように鍛冶にたずさわる者が、“物”をつくるには、まずその用途、そして使用目的にその物の物性が十分備わっているかを考え、形状を決定することが第一歩となる。
 私の造る物の大半は刃物である。なぜ刃物なのかと言うと、元来が刃物、それも道具としての刃物が好きであったことから始まっている。その上で、折れず、曲がらず、欠けず、つぶれず硬いけれども研ぎやすいなどと言う、およそ鉄の物性からしてまったく相反する性質を求められる“物つくり”の世界にも結構面白みを感じているからである。
 私の日常は主に、古代における製鉄技術と鍛冶技術の研究、又、その技術を学ぼうとする人達の研修指導であるが、これだけでは弟子と二人が食っていくには到底足りない。そこで暇なときには作品造りをして何とかやっている。
 ところがこの作品造り、私の心にかなりうるおいを与えてくれる。と言うのは、古代の生産技術を探るのは、そのほとんどが出口の見えない事柄ばかりで、研究のほうは毎日が行き詰まりの連続であり、そんな折の息抜きには作品造りが結構な癒やしになるのである。ところがここに落とし穴があって、作品造りも同じものをいくつか造り続けると、これはこれでまたしても苦痛を感じるようになってしまう。そんな時は古代技術の分野に舞い戻って、ああだのこうだのと想いをめぐらす訳である。
 こんな風に鍛冶職をしたり、古代技術の研究者になったりと往ったり来たりをすることで、お金にもならず、愚にもつかないような研究が続けられるのであろう。
 ちなみに昨年の研究成果を一つ紹介してみよう。
 昨年、以前開発した一時間で竹炭が焼ける高速製炭窯を使って竹炭をつくり、これを熱源としてたたらを吹き、鉧の歩どまり率がどう変化するのかを探ってみた。結果、従来の松炭を使用する操業と比較してその歩どまり率はほとんど変わらないこと、又、竹炭でも十分なたたら操業が可能であることを確認した。
 この事は、現在、松枯れ病で枯渇しつつある松材の代替燃料として竹が使える事と、現在では用途もなくなって邪魔者扱いされる困り者の竹が、有効かつ多量に活用出来る、と言う事の両者を同時進行で開発した。
 一方でこの竹炭による鉧の加工技術の新たな方法もおまけで見つけ出すことが出来た。
 今年は、新たに開発した竹炭による技法を使って何かを一つ作ってみたいと思っている。
 随分横道にそれてしまったが本題に戻ろう。
 “鍛冶職の造る物”についてどうしても避けて通れないことがもう一つある。それは造形の美しさである。まず姿形、鉄味と肌、焼き刃等であるがこれが一番難しい、物造りもこの辺りまで来ると、一般的な鍛冶技術を飛び越えて、作り手の感性が強く要求されることとなる。こうなると私ごときの感性ではハードルが高すぎて、生涯をかけても到達出来そうにないような気がして来る。
 そんな風に思いながらもこの冬、両刃の小刀を一つ鍛えてみた、材料は現代鋼であるが、私自身はそれなりに気に入っている一作である。但し、三日も眺めていればここはああしたいあそこはこうしたいと思ったりして、結局又次の一作に取りかかりたくなるのだろうに・・・・。
 まことに困った性分で、我ながらあきれている。

2009年1月31日(土)
鍛冶職 1

 私が鉄味に強く惹かれはじめたのは少年の頃であった。
 ランドセルを背負って通学する道すがら、鍛冶屋の前を通ると、中から響いてくる鎚音に誘われて、火事場に足を踏み入れたのが始まりであった。
 以来、鉄に対して強い魅力を感じながらこの歳まで付き合ってきた。「よくもまあ、飽きもせず長い間付き合って来られたものよ」と自分でも感心する。
 しかし、このところ歳のせいか、そろそろ体力の衰えを感じ始め、ひと頃のような手早い仕事が出来なくなって来た。かと言って作ったものの質が下がったかと言うとそうでもなく、気持ちはまだまだ上を目指している。
 まあ、元来がヘボなものだから、これまでも仕上がったものを眺めていると、数日後にはその作品に納得出来なくなって、「もっと良いものを」と思ってしまう。そんなことを普段繰り返しているからであろう。
 2日程降り続けた雨が上がり、今日は暖かな日が射し、野鳥達も気分がいいのか群れて騒いでいる。
 鳥達が気分がいい日は、人間も気分がいい、弟子の林君も黙々と仕事に精出している。
 こんな日は私も気が乗るのか、1日中火床に向かって作品つくりをした。

 今年は、気の向くままに、思いつきのように作品つくりをしようかなあと考えている。
 まあ歳を考えればどれほども仕事はこなせまいが、出来た作品はまた紹介しようと思っている。

2009年1月23日(金)
工房は冬

工房に植えた桜の芽も膨らんで来た

冬の四万十川、右岸に工房があります


 今日は風も無く穏やかな日和、薪ストーブの煙がまっすぐ昇っている。
 私達の工房は山間にあり、冬の日の出は遅い。東側の対岸からせり上がった山際に太陽が顔を出すのはほぼ八時頃、朝霧の深い日などは、朝九時をまわってもまだ陽は射さない。
 この頃、工房周りもすっかり冬枯れて、葉をふるい落とした木々達は淋しそうである。
 今日は久しぶりに裏手の山へ雑木の手入れに入った。
 一昨年から、はびこって周りの木を枯らし始めたカギカズラを退治していたが、切り残していたカギカズラがこの夏、勢いを取り戻してドングリの木を覆ってしまい、ドングリが枯れそうになっている。再度退治に鉈を腰に、山に行った。一歩雑木の林の中に入ると、縦横に道が出来ている。鹿や猪などがつけたケモノ道で、おかげで歩きやすい。しかし木々は、鹿に樹皮を削られたり、枝葉を食べられたりして、相当にダメージを受けている。その上、猪が鼻づらで山肌を掘り返したりした所もあったりして、野生のパワーに驚かされる。
 まあ、この山は元来スギやヒノキの植林になった周辺の山の中に、雑木の山を残して、生き物が生活しやすいようにと、仲間達と一緒になって取り組んだところだから、野生動物がたくさん棲んでいて当たり前ではあるのだが、それにしても彼等のパワーは凄まじい、この凄まじさは、彼等の生息数に対して、山中のエサが不足していることの証であろう。 
 この先もこの山は、彼等にとって生活の場となるのであろうが、これしきの規模の雑木の山では、エサ不足は必至であろうに・・・・。
 そんなことを考えながら汗を流したが、やっぱり冬の里山である。一休みすると暖かな日と言えどもすぐに汗が引いて寒さが身にしみる。

 午後は、暗くなるまで新しい作品の製作を手掛けたのだが、どうも今一つ納得のいく物にならない。
 春までにはいくつかの新作を造りたいと思っているが、間に合うだろうか、春はもうすぐそこなのに・・・・・。
 山中の雑木の芽は確実に膨らんでいた。

2009年1月18日(日)
N田氏来訪

研修で作った道具

 今年は元旦から雪が降り、以降冷え込みが強い日が続いて、朝のうちはバリバリに凍てついた地面と真っ白の霜が、工房周りの生き物達をその場に貼り付けているかのようであったが、昨日は久しぶりのドピーカンで、温かな日和であった。
 打って変わって今朝は一帯が霧につつまれて、9時頃には霧のような雨が降り始めた。それ程寒くないものの、やっぱり陽の射さない日はそれなりに寒い。それでも昼前には雨も上がって薄日が射し、周囲の山々は墨絵のような景色。先程まで降っていた雨が、落葉して丸裸になった木の枝先にガラスの粒のような水滴となって、たくさんぶら下って美しい。戸外は無風で景色の変化も無く、まるで時が止まっているかのような音の無い静かな世界が広がっている。
 この正月が明けて9日から、昨日17日までは、毎年研修に見えられる関東のN田さんが、今年から自分の工房でたたら吹きを始めると言うことで、たたら吹き製鉄に関する装置やら道具つくりの研修にやって来られた。
 これまで鍛冶研修やたたら製鉄研修を重ねて来られた彼が、独り立ちの時期に突入したのをうれしく思ったことであった。
 8日間の研修で、必要な道具をすべてこしらえ終えたのは、帰途につく前日の夕刻であった。今回製作したものは、一つ一つすべてが違う形状をしており、ワンパターンの技術では出来ない物ばかりの為、それなりに悪戦苦闘の連続であったろうに、弱音を吐かず彼はやり遂げた。粘り強い人である。
 そんな彼は、たたら吹きに必要な装置やら、道具類一式を持ち帰るために、関東から一人軽トラでやって来たのだが、正月以来続いていた冷え込みで、帰途の道路凍結を心配していた。しかし、そんな心配はどこ吹く風で、帰途についた昨日は上天気、本日も雨とはいえ比較的温かい天気で安心している。
 ずっと上流にある集落からサイレンが聞こえてきた。静かなお天気の日は遠くの畑で作業をしている人達の声でさえ聞こえて来るが、サイレンの音はまた格別に大きな音で聞こえる。正午を告げるサイレンだが、N田さんはもう無事に関東に到着する頃であろう。
 彼は現在、自前の工房を自力で建設中だが、夏までには全て完成させて、たたら吹きを実施する予定だとか。成功を祈るばかりである。



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