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    ショートストーリー「ブライナーサの惨劇」

    注1:この話は、PB3「コモン=ラトナ」をモチーフにした、まくすうえるの創作です。
    注2:この話では、「コモン=ラトナ」における設定を一部独自の解釈で判断している箇所があります。関係者の皆さん、怒らないでね。
    注3:こんな文章を創作したのは初めてなんで、あまり突っ込みいれないで生暖かく見守ってください。




    その部屋にいるのは、老人と女性の二人。老人は女性の話に、じっと耳を傾けている。
    「…報告は以上です」
    「そうか、『神の獅子』が『魔犬』を狩ろうというのか…」
    「はい。あと……未確認ですが、『コードΩ(オメガ)』が『獅子』の傍らに出現した、との情報が入っています」
    「ふむ……これぞまさしく悲劇なり、だな。それで、あの男が適任と君は言うのかね?」
    「はい。…どのみち私達には、他の手駒はありません」
    「よろしい、評議会はわしが抑える。お前は至急、あの男をを呼び出すのだ」
    「既に手配済みです。七時間前に眞の辺境で召喚命令を伝達したと、先ほど報告がありました」
    「重要な任務だ。君が直接伝えるのだ」
    「…はい。直ちに出発します」



    眞の地方都市、碧(へき)州の朝は早い。
    碧州はヴァルトデス王国にもほど近く、そのため三方に大きな門を備えた城塞都市である。
    その門の一つ、広道門の門衛は、いつものように夜間閉じていた城門を開け放とうとしていた。
    しかし、普段は人の気配すらまばらなこの時間だが、この朝は違っていた。
    ギ、ギ、ギィ、と軋みながらわずかに開いた門の隙間から、馬が一頭----いや、その背には大きな人影がある----飛び込んできたのだ。
    「うわぁぁあっ!!」
    思わずしりもちをついた門衛が見やると、すでにその姿は朝もやの中に消えていた。

    傭兵互助組合碧州支部、と古風な書体で書かれた看板のかかった屋敷の前で、馬は止まった。いや、馬が倒れて馬上の人物が放り出されたのだ。人影は素早く受身を取って立ち上がる。
    「…痛てぇ」
    長い距離を駆け続けた馬は左前足が折れてしまい、口から血まじりの泡を吹いている。「助からないか…すまん」と人影は呟くと、まだ門を固く閉ざした屋敷に向かい、大声を張り上げた。

    「俺の名はカイ=マクスウェル!!ここの責任者、さっさと出てきやがれっっ!!!!」

    その日、早朝から大声で叩き起こされた住民から、傭兵ギルドに寄せられた苦情は、五十件を越えたという。

         ※     ※     ※     ※     ※     ※     ※     ※

    カイ=マクスウェルは怒っていた。まあ彼の場合、大体いつも機嫌は悪いのだが。
    今回の場合、たまに見回りをするだけでいい、「おいしい仕事」である隊商の警護を引き受けた直後に、傭兵ギルド本部からの緊急召喚命令が届いたのだ。この命令を無視すればギルドからの処分がある以上、嫌でも従うしかなかった。

    (畜生、畜生、畜生、せっかくいい仕事が入ったっつーのに、畜生め!)
    彼がいるのは、会議室であろうか。大きな円卓と、その周りにある二十脚ばかりの椅子。
    そして壁際には木っ端微塵になった椅子の残骸がいくつか。

    (おまけに…ったく、緊急っていうから急いで来たっつーのに、もう三時間も待たされてるじゃねーか!)
    腹立ちまぎれにその辺に転がっている椅子を蹴り飛ばす。
    重厚な造りの椅子がまたひとつ壁に激突し、大音響と共に文字通りバラバラになった。

    それからさらに二時間ほど待たされ、バラバラの椅子がさらにいくつか増えた後、ようやく扉が開いた。
    殺意すら混じった視線を現れた人物に突き刺そうとして…カイの目は点になる。
    「……はぁぁ??エル、何であんたがここにいるんだ?」

    そこに居るのは、一人の若い女性。
    灰色のゆったりとしたローブと眼鏡、抱えた書類の束が学者然とした雰囲気をかもし出している。彼女は微笑むと、子供をあやすかのような優しい声で話しかけてきた。
    「カイ、何度も言っていますが、私の名前はエレニアですよ。わざと間違えないで下さい」
    「んなこと気にするな。それより、なんで運用本部長のあんたがこんな田舎に来てるんだ?」
    「それはもちろん、貴方に用件を伝えに来たに決まってるでしょう?これでも急いだんですよ」
    なぜか得意げに胸を張るエレニア。

    二十台前半という若さでありながら、すでに傭兵ギルドの陰の実力者とも噂される、敏腕の運用本部長。次期評議会議長に実績だけならば最も近いであろう人物。
    彼女に関する様々な噂や逸話が頭を駆け巡る。そんな重要人物がわざわざ眞の辺境に命令伝達に来ている。
    頭をもたげてくる不安感を振り払うように、カイは唸るような声をあげた。
    「……まぁ、いい。で、何だその用件ってのは。いい仕事を棒にふってるんだ、それなりの用件でなければ即刻ギルド抜けるぞ」
    壊されずに残った椅子の一つに座り、足を円卓に投げ出す。なんとも行儀が悪い格好だ。

    「ふふっ、相変わらずですね。そう怒っていると説明しづらくて困ります」
    困るという言葉とは裏腹に、にこやかな笑顔でそう言いながら、エレニアはカイの真向かいの席に着いた。そして、その表情と口調は一変して真剣なものに変わる。
    「では…ブライナーサ王国は、ヴァルトデス王国の相互技術協力の申し出を正式に断ったわ。」
    何か軽口をたたこうとして、エレニアの深刻な表情を見て沈黙するカイ。冗談では済まされない事態であることは、今の一言で十分理解できるからだ。

    カイが何も言い返さないのを確認して、言葉を続けるエレニア。
    「貴方も知っての通り、ブライナーサの『魔導機銃』の力は優れているわ。ブライナーサ王国の技術とヴァルトデス王国の工業力、この二つが合わされば現在の戦争のあり方は大きく変わってしまうでしょうね…極論するならば、ヴァルトデスの全世界統一も夢ではないわ」
    軽く肩をすくめるカイ。「そーなりゃ俺たちゃ失業だな」
    「これまでヴァルトデスがブライナーサへの侵略の意図を見せたことはあったわ。でも、これまでは戦争にはならなかった。これはブライナーサの『魔導機銃』の力を恐れてのことっていうのはあなたにも解るでしょう?」
    「しかし、今回は戦争になる…と。その根拠は?」カイの目がスッと細くなった。

    「現在ヴァルトデスは、演習を名目にして過去にないほどの多くの軍隊をブライナーサの近隣に集結させているわ。この部隊を探りに行った私達の密偵のうち幾人かは捕らえられ、残念ながら処刑された……推測ですけど、高度な機密の元で動いている可能性が高いわね。あと、これは牽制でしょうけど、ブライナーサの同盟国近辺にも軍を多数派遣しているの。ただの軍事的圧力にしては…ずいぶんやりすぎだと思いませんか?」
    カイの目の鋭さが増す。それを見て、エレニアはちょっと微笑んで別の情報を出した。
    「ただし、妙な点もいくつかあるわ。ブライナーサ攻撃の主力と考えられるのは、『あの』第十八軍団なのよ」

    その言葉に、一瞬あっけにとられ、なぜかゲラゲラと笑い始めるカイ。
    「『あの』第十八軍団?ルナ化装備は無いうえに士気も規律も最低クラス、素行不良兵士の廃棄先の『あの』?」
    そして、極めつけはあの指揮官。あいつに今度会ったらぶっ飛ばしてやりてえもんだ、とカイは密かに思った。

    「そう、『あの』第十八軍団。まさかとは思うけど、ブライナーサの手を借りて厄介者を一掃したいのかしらとすら思ったわ。でもね、情報ではダニウス軍団長がちゃんと出陣してるの。…おかしくありません?」
    「絶対なんか裏があるな。あの無能で臆病で品性下劣な油蛙野郎なら仮病でも使って逃げるはずだ」と応じるカイ。
    「…貴方もかなり口が悪いですね…まぁ、彼の場合はその評価に十分値する人物ですけど」
    「アレが乗り気ってことは、少なくともアレにとっては十分な勝算があるってことだが…まーた何も考えてないんじゃねーのか?」
    顔を見合わせて思わず苦笑いする。二人ともダニウス軍団長には相当嫌な目に遭っているのだ。

    「話を元に戻しましょう。いずれにしろ、両国の間での戦闘が起きる可能性が出てきました。この緊急事態において、わが傭兵ギルドの最高評議会は、ある決定を下したの。わかる?」
    「…ブライナーサへの支援、か?ま、必要ないと思うがな」
    「いい読みね、カイ。でもちょっと惜しいわ……これが命令書よ」
    エレニアは立ち上がってカイの元に来ると、厳重に封印が施された封書を手渡す。
    乱暴に封を破って命令書を読み始めるカイ。その命令書には、こう書かれていた。


     特類機密等記載文書(取扱厳重)
       発 傭兵ギルド最高評議会
       宛 登録番号4740-6392(クラスA傭兵認定番号685)カイ=マクスウェル殿

     貴君に傭兵ギルド最高評議会の名において、以下の通り命令する。
      一. 貴君は早晩発生することが予想される、ヴァルトデス王国とブライナーサ王国間の
        戦闘において、ブライナーサ王国を支援すること。
      一. 万一、ブライナーサ王国がヴァルトデス王国に『魔導機銃』の技術供与を行うと
        決定した場合、あるいは貴君が上記の判断に至った場合、貴君の判断で『魔導機銃』
        の技術的資料・製作機材・人員等の破壊および隠蔽を行うこと。
      一. 上記の目的を達成するため、貴君に在ブライナーサ王国ギルド所属傭兵の統合指揮権
         を付与する。
      一. 上記目的を達成した場合、貴君への報酬は傭兵ギルド規則に則って支払われる。
      一. この命令書は貴君が内容を確認した時点で効力を発する。命令を拒否する場合、
        貴君は傭兵ギルド規則第五章「依頼内容の機密保持」の各条項に基づき、しかるべき
        対応を取られることとなる。
      一. この命令書は内容確認後、速やかに処分すること。

                    貴君に戦神の加護と勝利があらんことを。
                                                          以上

                        傭兵ギルド最高評議会 議長 ヘルツォーク=フォン=ヴィンテン


    「文書保存番号無しの機密命令、か……エル、内容は知ってるのか?」
    「…その命令書は私が起草したものですから…。この命令を知るのは、最高評議会のうちの数人と私、そして貴方だけよ」
    幾度目かの沈黙。そして、カイは口の中の苦い物を飲み込んで、一言呻いた。
    「………わかったよ、了解した」
    「ヴァルトデスの牽制のせいで、A級以上の傭兵でいますぐ身動きが取れる者は貴方しかいないのよ。なんとしても、いかなる犠牲を払っても、ヴァルトデスに『魔導機銃』の技術を渡してはならないの」
    エレニアが唇をかんでうつむく。

    しばらくして、彼女は視線を上げると、二通の書状を取り出した。
    「これがブライナーサ王国への書状よ。あなたを傭兵ギルドの代表として派遣すると書いてあるわ。それからこっちが、傭兵達への臨時指揮権付託命令書。評議会の名において、カイ=マクスウェルの指揮に従うようにという命令書よ」

    頷いて受け取った後、必要事項を確認していく。
    「エル、現在ブライナーサ王国にいる傭兵ギルドの戦力は?」
    「現在ギルドが把握しているのは、傭兵団『ルノアール戦士団』が約五百五十、同じく『黒十字隊』が約三百、あと『第三の月』が百。他は傭兵団に所属しないフリーランスが若干名いると思うわ。合計で千人ってところね」
    「ルノアール戦士団か。ローゼンは良く知っているよ…親父の代から世話になっててな。今のギルドでは精鋭といっていい戦力だし、まずは安心だな。で、情報部での戦闘開始予測はどうなってる?」
    「三日以内の可能性が一割、一週間以内の可能性がプラスで三割、一ヶ月以内でプラス三割ってところね。このまま何も起きない可能性も指摘されているわ」
    「ま、確率なんてアテにはならんものだし、さっさと出発する事にするさ。何か嫌な予感がするんだ」

    カイは、席を立って壁にかけられた蝋燭の所へ歩いていく。
    「何もおきないかもしれないし、あっさりヴァルトデスが負けてくれる可能性も十分あるわ。ゆっくり旧交を温めていらっしゃい」
    何も問題はないと言うように微笑むエレニアをよそに、カイは命令書を火にかざす。
    「……そうできたらいいな」
    燃える命令書の炎の色が流血の色を連想させて、カイは思わず顔をしかめた。



    およそ二十四時間後、ブライナーサ王国の王都、ブライナーサシティ。
    「そりゃあんた、我らがブライナーサが勝つに決まってるじゃないか!!ヴァルトデスの連中なんかわが国の魔導機銃でばったばったとなぎ倒しちまうに決まってる!」
    そう熱弁をふるう髭面の酒場の親父に、ああそうだな、と適当に相槌をうちながら、カイはこっそり溜息をついた。酒場は前祝いのつもりなのだろうか、席はそこそこ埋まっている。

    「お前さん、傭兵なんだろ?惜しかったなぁ!つい今朝方、国王陛下と王女様じきじきにヴァルトデスの連中を叩き出しに出陣なされたところだ、あっはっはっ!!」
    「…そいつは確かに残念だな、王女様は美人だって話だし、一目見ておきたかったな」
    「おうよ、確かにこの世の人とは思えないほどお美しい方だぞ!さらに御自ら魔道機銃を操り、近衛騎士団を率いられていらっしゃる!王女様こそわが国の最高の宝だ!」
    既に日も傾き、夕方も近くなっている。これから追いかけても戦闘は終っているだろう。カイは再び溜息をつく。
    「まぁ、そう落ち込むなよ傭兵さんよ!もうじき陛下も王女様も凱旋されるし、仕官はそれからすればいいじゃねぇか!」
    「凱旋されたら俺の出番ねーじゃん…まぁその方がいいんだがな」
    「わっはっはっはっはっは!!、そりゃそうに違いないや!悪いが今回はこの酒に免じて仕事にあぶれてくれ!!わはは!」
    親父の大声はいい加減癇に障っていたが、文句を言う筋合いもない以上、苦々しい思いのまま酒をあおるカイだった。

    酒瓶を三本ほど転がしたころ、表で誰かが号令を掛ける声を聞いたような気がした。
    「親父、表が騒がしいみたいだが?」
    「ああ、このままだと今夜は野営かもしれんし、ぼちぼち補給隊が出発するんじゃないのか?」
    「詳しいんだな、親父」
    「あたぼうよ、俺も昔は兵士だったのさ。足がこんなになるまではな」
    そうやってズボンを軽く引き上げた親父の左足は、膝から先が義足だった。
    「そうだったのか。なら、補給隊に頼み込んで一緒に行ってみるとするかな…親父、ここに置くぜ」
    硬貨を何枚かカウンターに放り投げる。
    「まいどありっ!!おまえさんに武運がありますよう!」
    親父の陽気な声に左手を挙げて応えながら、店を出た。

    「なに…?」
    裏通りの酒場から出て、大通りに踏み出したカイが目にしたのは、輸送隊ではなく、なぜか王城のほうへ向かう人々だった。いずれも大きな荷物を抱え、子供を背負う者もいる。
    急速に心を食い荒らしていく不安感。頭の片隅で警報が鳴りはじめる。
    「おい、何があったんだ?」人々を誘導する警備兵と思しき男性に声をかける。
    「俺も良くわからん。突然『市民は王城に避難するように』って通達が出たんだ!」
    「避難だと?軍はどうしたんだ?」横から別の警備兵が答える。
    「何でも、ヴァルトデスの連中が多すぎるから、念のために急いで避難しろってさっきから近衛騎士団が呼びかけている!」

    (………まずくないか、それって)と、思わず口の中で呟く。
    (近衛騎士団はそもそも王族の警護に当たるのが本来の任務。それが率先して避難の呼びかけをしているだと?
     守るべき王族はどこにいる?既に王城に戻っているのか、もしかしたら……)
    不吉すぎる想像を無理やり終らせて、カイは街の外へ向かって歩き出した。

         ※     ※     ※     ※     ※     ※     ※     ※

    およそ十分後。
    ブライナーサシティのはずれ、外界と王都とを仕切る城門の前にカイの姿はあった。
    実際のところ、ブライナーサシティはそれほど大きな都市ではない。市街地をくるむように堀と城壁があり、さらにその中にもう一重の堀と城壁に護られた王城があるという、城塞都市の構造だ。
    つい先ほどまで行商人達が露天を開き、子供達が遊びまわっていた街角は、今はひっそりと静まり返って…いない。武装した兵士があわただしく行き来し、門を破られないようにバリケードを築いている。
    その脇を通って兵士が三々五々、門の外から帰ってきては応急手当を受けている。
    「なんだってんだ………これじゃあ、まるで………」負け戦じゃねぇか、という不吉すぎる言葉は喉の奥に飲み込む。

    日は既に暮れようとしている。赤々と篝火がたかれ、帰還する兵の道しるべとなっていた。
    たまりかねて、手近な兵士に声をかけようと歩き出した時、誰かの叫び声。『ルノアール戦士団が帰ってきたぞ!!』
    思わず、カイは門に向かって駆け出した。彼らならば、戦況をきちんと説明してくれるかもしれないと期待して。

    その光景を見た瞬間、カイはその場に釘付けになった。
    傭兵ギルド最強と讃えられたこともある彼らは、見るも無残に打ちのめされ、傷つき、疲れ果てている。
    その数、わずか百名たらず。そして、彼らの中心に置かれた急造の担架の上に横たわっている男………

    「ローゼン!!!」
    思わず上げた大声に、男の周辺の傭兵達が振り向いた。その中から黒髪の青年が歩み寄ってくる。
    「カイ殿、どうしてここに?」
    「もちろん仕事だ、ラーベナルト。まぁ、出遅れちまったんだが…それより、ローゼンの容態は?」
    黒髪の男は一瞬動揺した表情を見せたが、「団長は…まずはこちらにおいで下さい」と案内する。
    近づいたカイは、言葉を失った。右側頭部に鈍器か何かで殴られたらしい陥没があり、右目は血の海の中で形をとどめていない。即死しなかったのが不思議なほどの絶望的な重傷だ。

    「ローゼンがこんな傷を負うとは……一体、何があった!」
    ラーベナルトに激しく詰め寄るカイ。彼は何も言わず、うつむく。怒りに任せて、その胸倉を掴もうと腕を伸ばした時。
    「…そこのでかいの、五月蝿い…ぞ」
    という、小さく弱弱しい声にカイの動きが止まる。周りの傭兵を突き飛ばしながら駆け寄り、男の手を掴んだ。

    「おいローゼン、俺がわかるか?」
    「…ああ、カイ………ここで……逢えるとは……」
    「いいから、しゃべるな。すぐ城で手当てして貰うからな、もう少しの辛抱だ」
    それが気休めの言葉に過ぎないと分かってはいたが、話しかけずにはいられない。
    「……お前……頼みたい……こと………」
    突然息苦しさを覚えた。まるで自分が死につつあるかのような喪失感。
    「…なんだ?言ってみろ」
    心が急速に冷えていく。
    「俺が………くたばった………く、首と手足、切り離せ…」
    「おい、どういうことだ?」
    「こいつら………頼む…すこ…、眠ら………て……」
    掴んだ手の力が抜けていく。体温が下がっていく。
    「………あばよ、ローゼン」
    開いたままの左目を手で閉じ、この世からどこかへ旅立っていった魂のために、短い祈りを捧げる。

    「カイ殿、おさがり下さい」
    その声に振り向くと、周辺にいたラーベナルトを含む全ての傭兵が抜剣している。
    「団長の最期の命令を果たさせて頂きます」
    「なんだと…どういうことだ?」
    しばしの間、傭兵達との間でにらみ合いになる。
    ややあって、「カイ殿、今はそれどころでは…」と言いかけたラーベナルトの顔が恐怖に歪み、次の瞬間、猛烈な寒気を背中に感じたカイは前方に身を投げ出した。
    ゴオッという音が背後で聞こえる。どうやら猛烈な一撃がからぶったらしい。
    カイは勢い余って目の前の傭兵達に突っ込む。悲鳴、うめき声。二人ほど下敷きにしたまま振り返ったカイは、信じられない光景を目にした。

    「………ローゼン………」
    先ほど息を引き取ったはずの、ローゼンが立ち上がっている。右目のあったところからは新たな血が流れ出し、頭蓋からは脳がはみ出している。どう考えても生きているはずがない。
    ……そして、彼の左手首から先がへしゃげている。どうも左手での一撃   それも、人の限界をはるかに超えた力による   がかわされ、地面を殴りつけたらしい。

    「ラーベナルト」
    「はい」
    「これが、答えか?」
    「……はい」
    「…俺が片をつける、下がれ」
    カイは、ゆっくりと剣を抜いた。

    「ローゼンであったモノ」が動く。カイに向かって一直線に殴りかかってくる。
    カイは素早く剣を振るった。左脇から右肩へ、左肩から右脇へ、最後に両膝。
    「ローゼンであったモノ」が、まるで爆発したかのような血しぶきをあげる。
    ほぼ一瞬で、その身体は首、両手、両足を失っていた。

         ※     ※     ※     ※     ※     ※     ※     ※

    夜までに帰還した傭兵は、『ルノアール戦士団』百二名、『黒十字隊』三十一名、『第三の月』二十五名、その他四名、合計百六十二名。
    そして、ブライナーサ王国軍の総戦力六千のうち、帰還した者は約三割に過ぎず、ブライナーサ王も未帰還となった。
    ………しかし、この事実は市民には秘密とされた。



    カイは王城に戻ると主だった傭兵を集めた。まずはエレニアからもらった書類を示す。
    「俺はカイ=マクスウェル。ギルド代表としてここに来た。以後、指揮を預からせてもらう」
    全員が頷くのを待って、言葉を継ぐ。
    「……話を改めて聞こうか。いったい戦場で何がおきたんだ?」

    黒髪の男、『ルノアール戦士団』副団長のラーベナルトがまず口を開いた。
    「………はい。戦況は当初、圧倒的優勢でした。ヴァルトデス軍は、ブライナーサ軍の魔導機銃陣に向かって波状突撃を敢行してきましたが、魔導機銃陣の前には全く相手になりませんでした」

    ちょっとそれは違うかもしれない、と横から声がする。声をあげたのは赤い巻き髪が印象的な、『第三の月』団長のエルザ=カーツメイズだ。
    「ヴァルトデス兵のあれは、自殺と大差ないわ。あたしが思うに、薬物か精神操作系の魔術が影響していた可能性があるわね。あと、あの後に起きたことを考えると、極論だけど『意図的に死者を作った』と考えてもおかしくない…」
    「確かにそういう見方もありますね、エルザ殿。クローゼス殿はいかがですか?」

    『黒十字団』の団長、クローゼスもうなずく。「エルザ殿に同意する。しかしそれは今詮索しても詮無きことだ」
    一息置いてラーベナルトが説明を続ける。
    「いずれにせよ、ヴァルトデス軍は壊滅状態に陥りました。エルザ殿の指摘の通り、逃げ出さないのが不思議な程の惨敗です。しかし、我々がとどめをさすべく前進を開始してまもなく、黒い霧が戦場にたちこめたのです」

    カイが眉をひそめて聞き返す。「黒い霧?」
    「はい。魔術の可能性を警戒しましたが、我々には影響が無かったので前進を続けました。しかし、程なくして…」
    ラーベナルトが言葉に詰まる。
    「死んだはずのものが起き上がり、襲い掛かってきた…か」カイが言葉を継ぐ。
    「…はい。それと時を同じくして、後方の本陣に奇襲があったようです。後退するようにと指示がありましたが、その時には我々もブライナーサ軍も、死者の群れに包囲されかかっており、逃げるだけで精一杯でした」
    苦渋に満ちた表情でラーベナルトが語り終える。

    会議は自然と死者が襲ってきた原因を追究するものとなっていた。
    「エルザ殿は魔術知識に詳しいと聞くが、あの死者達は何者かわかるか?」とクローゼスが質問する。
    「…死霊術の技に死者を操るというものがあるわ。でも普通の術師ならば、せいぜい数体から数十体が限度。複雑な運動は無理があるわ。それにあの死者に倒された者も襲い掛かってきたけど、操る死者をどんどん増やしていくなんて術は聞いた事はないわね。死霊術はその性格上使い手は少ないし、その中で数千の死者を操る実力を持つ者なんて…」
    会議の席に沈黙が下りる。

    ややあって、エルザが再び口を開いた。
    「あの死体達は………操られたのではなくて自律行動していたのかもしれない。死を撒き散らすように命令されて………でも、そんなことできる人がいるはず……あっ!!」
    「どうしたエルザ、何か思い出したか?」突然大声を上げた彼女にカイが問いかける。
    「一人だけ………それが可能であろう者が、いるわ………『コードΩ』………タクァ・ザ・ランディゴ………」
    その後の沈黙は、全員死に絶えたかのような重苦しいものになった。

    『コードΩ』。それは傭兵ギルドの『禁忌指定対象者』。
    契約内容に反さない限り、あらゆる雇い主の命令に従うのが本分の傭兵。しかし傭兵でも唯一、命令に対して拒否ができる場合がある。それが、「『コードΩ』が関わっている命令」である。
    それは、傭兵が関わってはいけない存在。冒険者ギルドに比べて人数は多いものの実力的には格下の傭兵ギルドにとって、『コードΩ』に関わることは組織の壊滅すら招きかねない災厄そのものなのだ。

    「………」無言のまま、カイが席をたつ。「カイ殿、これから…どうされるのですか?」と黒髪の青年が問いかけた。
    歴戦の勇士であるこの男の声が、震えている。それが、カイが抑えていた感情を爆発させた。

    「どうもこうもあるかっ!!このままここで戦うに決まってんだろーが!そもそも『コードΩ』が確実に関わっている確証があるのか?それともお前ら…仲間を失い、あんな目にあわされながら、このまま泣きながらお家に逃げ帰るつもりか!」
    話しかけたラーベナルトが、その怒りの激しさに硬直する。
    「この臆病者どもが……それでもお前ら傭兵か? 逃げたいなら、さっさとここから消えろ。そして二度と傭兵を名乗るな!!」
    抜き身の剣のようなカイの視線が、出席者一人一人を串刺しにする。沈黙する者、屈辱に身を震わせる者、そしてうつむく者。
    「…ちょっと雇い主と打ち合わせしてくる。明日にゃここは戦場だ。部隊の再編と戦闘準備をしておくように。」
    そう言い捨てて、カイはその場を立ち去った。

         ※     ※     ※     ※     ※     ※     ※     ※

    「………いったい、どういう事かな?」
    目の前の男を睨みつける。表情だけでこの男を殺せるものなら、殺してやりたいと思いながら。

    「俺も年を食ったのかな、ちゃんと聞き取れなかったところがあるらしい。もう一度言ってみてくれませんかね、宰相閣下」
    軽口とは裏腹に、カイの目は完全にすわっている。しかし、宰相と呼ばれた男は動じない。
    「傭兵ギルドからの援助の申し出には心より感謝する。しかし、我がブライナーサの防衛は我々のみで結構だ。よって貴君らとの契約は解除としたい。これは王女殿下のご意向である」

    意識が一瞬真っ白になり、次の瞬間真っ赤に染まった。
    「ふざけんじゃねぇ!!俺達は遊びで来てんじゃねぇんだっ!!」
    カイの頭の中からは、相手がブライナーサ王国の宰相であるという事実は消え去っている。今にも掴みかかりそうな勢いだ。
    その剣幕に衛兵が間に割って入ろうとするが、宰相は制止した。

    「…傭兵隊についての報告は聞いている。傭兵隊がその身を盾にしてくれたからこそ、我がブライナーサ軍の全滅は免れた。傭兵隊の奮戦には深く感謝している」
    「んなことは、どうでもいいんだっ!」
    「いずれにせよ、王女殿下のご意向を覆すことはできん」

    「………っ!!」歯ぎしりしながらカイは宰相を睨みつける。まだ視界の角にローゼンの死に顔がちらついて消えない。
    「…少し席をはずしてくれんか?」宰相が、息を飲んで成り行きを見守っていた部下たちに人払いを命じる。「しかし…」「大丈夫だ」というやり取りの末、宰相の執務室にはカイと宰相の二人きりになった。

    「カイ、と言ったな。見たところ若いがいくつだ?」
    「十六だ」
    そう、実はカイは史上最年少の十五歳にしてクラスAに達した、傭兵ギルドの中では一番の出世頭なのである。
    後日、最凶と呼ばれた少年が、十三歳にしてクラスSの地位に上りつめるが、それはまた別の話。

    「君はまだ若い。言葉の裏と言うものを理解できていない………この契約解除の意味が、解らんのか?」
    「………もったいぶらずに真の意味があるなら、さっさと言うのが礼儀ってもんじゃねーのか」
    「ふっ、なかなか言うな。………ヴァルトデスがなぜ我がブライナーサ王国に侵攻して来たか、わかるかね?」
    なんだか傭兵ギルドで受ける講習みたいになってきたな、と思いつつ答える。
    「魔導機銃の技術の奪取。それ以外には無いだろうな」
    「その通りだ。連中は我々の持つ魔導機銃の技術を欲している。しかし、当然ながら我々は渡す気は無い……そもそも渡すことができない」
    「………できない?」
    「そうだ。できないのだ。………我が王国独自の魔導機銃の技術のほとんどは、国王陛下が自ら考案されたもので、陛下の記憶のうちにしか存在しない」
    宰相の表情は動かない。しかし、その目は苦悩に満ちていた。

    「ってことは………この闘いの意味はとっくに無くなってるじゃないか………」
    彼らが一番知りたかった技術は、彼等自身が消し去ってしまったという、あまりに馬鹿馬鹿しい事実。
    「その通りだ。しかし、それを連中に説明してどうなる?何かが存在しない事を証明するのは、存在証明よりはるかに難しい」
    「………ああ、そうだな」
    「証明が出来たとしても、連中は認めることは無いだろう。ならば、我々は戦い抜くしかない。さもなくば、死だ。……だが、諸君はここにいる必要はない。この茶番劇と化した戦争に付き合う義務は、諸君には無い」
    「…ヴァルトデスの技術力を侮ってはだめだ。仮にブライナーサの民が死に絶えたとしても、残された物から技術を導き出すことは可能だろう」
    「その通りだ。だが、それについても王女殿下はお考えだ。貴君が傭兵ギルドより受けている指令は十分果たされるはずだ」
    「なっ……!」
    「やはりな。この時期に傭兵ギルドが「壊し屋」「生還者」の異名を取る男を派遣してくる。その意図は少し考えれば十分推測できる」

    両手を広げて降参のポーズをとるカイ。
    「やれやれ、すっかりお見通しか………察しの通り、俺の任務の一つは、ブライナーサの敗北時における魔導機銃の技術消去だ」
    「心配無用だ。我々は勝機を失ったとは考えていない。万が一の事態についても十分考えはある」
    「………わかった。ここは宰相閣下に従おう。ただし、わが傭兵隊は逃げはしない。あくまで近隣同盟諸国に援軍要請に行くとさせてもらう」
    「それはもとより頼むつもりだったぞ。最後の任務と心得て、しっかりやり遂げてもらいたい」

         ※     ※     ※     ※     ※     ※     ※     ※

    それからさらに十分後。
    「宰相より預かった書状は四通。ルノアール戦士団に二通、黒十字隊と第三の月に各一通を任せる。落伍者が出ても構わん、とにかく急いで書状を届けろ。フリーランスの者には行動の自由を認める。彼らが希望するなら連れて行ってくれ…以上。なお、三十分以内に出発しろ」
    ラーベナルトが首をかしげる。「カイ殿はどうされるのですか?」
    「ああ、俺はここに残ってこの戦いの結末を見届ける。城からは出ろと言われてるから、市街地か街の外に潜伏するつもりだ」
    「危険だぞ。死ぬつもりか?」とクローゼス。「あんた、馬鹿だね」とエルザ。
    「それが俺の仕事だからな。…まぁ見てな、俺の二つ名は伊達じゃないってことがわかるから」とさらりと受け流すカイ。

    ややあって、ラーベナルトが口を開いた。
    「志願者を募りましょう。カイ殿といえどもサポートは必要です」
    「…好きにしろ。そんな物好きいるんならぜひお目にかかりたいよ」

    志願者は六十人を越え、カイがその中から十人を選抜するはめとなった。選抜したメンバーに向かってカイがぼやく。
    「………お前らの物好きにはとことん呆れたよ………だいたいラーベナルト、お前がルノアール戦士団をまとめなくてどーするよ」
    「ルノアール戦士団は解散です。だれも団長の地位など、継げませんよ」
    「それにエルザ、人を馬鹿呼ばわりしておいて、自分も同じ事やってどーすんだ」
    「馬鹿はお互い様。傭兵隊の隊長なんて仕事、そろそろ飽きてたから渡りに船だったってこと」
    「ったく、どいつもこいつも………まぁいい、出発しよう」苦笑しながら、カイは出発を命じた。



    「くっくっくっくく………」男が笑っている。肥満体の体を揺らし、ちょび髭を蓄えた口元はだらしなく緩み、涎が垂れている。その目には、もはや知性は感じられない。
    「くっくっく………あの城はワシのもの………ワシのもの……」
    先ほどから、同じ言葉を何かに憑かれたかのように繰り返している。それを聞いているはずの参謀達の姿は見当たらない。………いや、一人だけいる。男の背後に立つ、黒い影。
    「そのとおりじゃ、ダニウス将軍。おぬしは最強の軍を手に入れたのじゃ。あの城を踏み潰すには十分な量のな」
    「そうとも、ワシはあの城を踏み潰すのじゃ………前進しろ!!!」
    その声と共に、第十八軍団の残兵と死者達の群は前進を開始した。



    「始まったようだな」
    カイ達がいるのは、ブライナーサシティから東に少し離れたところにある小高い丘の上だ。時刻はすでに夜半を過ぎた。視線の先にはブライナーサの王城。かがり火が天を焦がす勢いで燃え上がり、切れ切れに喊声が聞こえてくる。
    「カイ殿、持ちこたえられるでしょうか?」
    「さぁな。でも宰相は自信ありげだったぜ?街は既に占領されたようだが、確かにあの城壁や門の規模からすると、簡単には陥ちんだろ」

    精神体を飛ばして城の様子を偵察しているエルザが、意識を通じて情報を送ってくる。『死者達が………城を襲っている………』
    「………なんとも効率の良い城攻めだな。死者は休むことは無く、補給の必要も無く、おまけに人の限界を無視した力を持つ。まぁ外道のダニウスならではのやり口だ」
    カイの軽口も精彩に欠ける。死者の中にはかつての仲間もいることを考えると、その行為のおぞましさに吐き気がする。

    『……数は数え切れないね………あ、本陣………第十八軍団の軍団長旗が見えるよ。ざっと千はいるね……ん、……何?あの黒ローブ………う、ぐあぁぁがあぁぁあああぎぇあ?!!!』
    突然、エルザの意識が引き裂かれるような悲鳴を上げる。『がえああがああぁぁあぁっぎぃああっ!!』
    「エルザ、術を中止しろ!!」数人がエルザの元に駆け寄るが、もう遅かった。

    『ぇくぁ………』痙攣するエルザ。白目をむき、耳や鼻から血を流し、既に呼吸は止まっている。
    「………やられた……攻性の迎撃結界か、畜生!」バキッバキッという音と共にカイの傍らの大樹が大きく揺れる。思わず殴りつけたのだ。

    「…生ける死者として復活するかもしれん、処理しろ。それからすぐにここから移動するぞ!」
    一斉に動き出す傭兵達。と、響き渡る轟音に、その動きが止まった。
    あれほど堅固だったはずの王城の城壁が、見るも無残に崩れ落ちていく。かなり離れていても、はっきり分かるほどの巨大な爆発だ。
    「少なくとも戦術級規模の爆発系破壊魔術です…誰がこんな威力の魔術を…」
    魔術師ギルドにも在籍しているという、マリクという名の傭兵の一人が、驚きを隠せない声をあげた。その間にも城壁はみるみるうちに崩壊していく。

    「これはもう、駄目かもしれんな………お前ら、すぐにここから離れろ。俺は最後の仕事に行ってくる」カイは、王城の方へ歩き出した。
    「カイ殿、お待ち下さい!!もうあそこには戻れません!」とラーベナルトがその前に立ちはだかる。
    「いいからどけ。俺の仕事を邪魔するな」
    「我々も一緒に行きます!!」食い下がるラーベナルト。
    「お前らがいたら、いちいち気になって全力が出せねーんだよ」
    「ですが………」

    カイはその時、さらに何かを言いつのるラーベナルトの顔が、妙に青白いことに気がついた。はっとして城を見やる。城を中心に、急速に青白い光が膨れ上がっていく………。
    「あいつら………まさか、自爆する気か!」カイの顔色が変わる。「退避しろ!!総員対シン、対物全力防御、急げ!!」
    しかし、次の瞬間、城を包み隠すほどに巨大に膨れ上がった青白い光が弾ける。そして、目を閉じても瞼を貫通するようなまばゆい光が、城を、街を、そしてカイ達を飲み込んだ。



    「………」
    体中がギシギシ悲鳴を上げている。
    「………」
    とりあえずは動けるようだ。ただ、まだ視界がよくきかない。全身の治癒能力を少しづつ、有機付与術で強化していく。
    「………くっ」
    さらにしばらくして、なんとか身を起こす。とたんに軽いめまいを感じて頭をおさえた。すでに空は白み始めている。
    「おい、誰か生きてるか?」
    返事はない。かわりにいくつかのうめき声が返答となった。
    その辺に転がっている岩(元は城壁を構成していたものであろう)に腰掛けて、街のほうを眺める。
    「まさかとは思ったが、本当にやるとはな………」

    ブライナーサシティは、完全に破壊されていた。
    城があったあたりを中心に巨大な穴ができている。ヴァルトデス軍の姿は影も形もない。そして、街の外周の城壁までもが吹き飛び、その一部はカイのいる丘まで飛ばされている。

    「………これはひどい」
    ようやく起き上がったのはラーベナルトだ。土埃と泥にまみれている。おそらく自分もそうなんだろうとぼんやりと思う。
    「生き残ったのは何人だ?」
    「まずは少し休ませてください………」と言いながらもよろよろと確認に向かうラーベナルト。
    ………結局爆発から生き残ったのはカイを含めて五人だった。いずれも爆発でずたぼろになっている。
    「俺はちょっと偵察してくる。お前らは何か異常を感じたら即刻逃げろ」
    そう言い残し、カイはかつてブライナーサシティがあった場所へ向かった。

         ※     ※     ※     ※     ※     ※     ※     ※

    昨日まではここに街があり、城があり、生活する人々がいたとは信じがたいほど、破壊されつくした都市。町並みは完全に吹き飛び、ただの広い荒野と化していた。
    カイは城の跡にできた、巨大な穴を見下ろす。かなり深い。その表面は超高温に灼かれたのだろうか。黒ずみ、ガラスのような光沢を見せていた。そこかしこに、元は何だったかもわからないような金属の塊や、建物の一部と思われる石材が転がっている。

    「無駄足だったか………」立ち去ろうと振り返った時。何か紅いものが視界の隅に入った。
    「ん?」足場に気をつけながら近づくと、それが半ば土砂に埋もれた人の桃色の髪であることがわかる。
    「生きてるはずが…いや、もしかしたら」カイは急いで掘り出しにかかった。

    埋もれていたのは、カイと同じくらいの年の人間(髪の長さと服装からすると女性だろう)だった。
    土にまみれ、ぼろぼろに壊れた鎧はブライナーサ王国の近衛騎士団のものだ。傍らには彼女のものだろうか、魔導機銃が落ちている。
    顔色は蒼白、呼吸は途切れ途切れで浅く、脈もほとんど感じられない。
    「もうちょっとだけ持ちこたえろよ………っと」カイは彼女の額に手を当てた。有機付与術で彼女の回復力を手助けしようというのだ。彼女の体力がすでに尽きていれば、効果はないかもしれない。しかし回復する可能性はある。
    カイも先ほどの全力防御と回復での消耗が激しいが、目の前でむざむざと死なせるわけにはいかない。

    「………あ」少女が目を覚ました頃には、夜は完全に明け、昼も近い時間になっていた。目覚めた少女が目の前の男に気づき、恐怖と覚悟の表情がその顔に浮かんだ瞬間、カイの右手の指が彼女の口の中に滑り込み、同時にきつくかみ締められた。
    カイは痛みをこらえながら、彼女を刺激しないようにゆっくりと話し掛けた。

    「舌を噛む前に落ち着いて聞け。俺は傭兵ギルド所属Aクラス傭兵、カイ=マクスウェル。ブライナーサ王国に雇われてた傭兵だ。つまり形式上俺はお前さんの部下ってことになる。俺は援軍要請の任務で城を離れたが、爆発に気づいて様子を見に戻ってきた。んで、お前さんが倒れてるのを見つけた。ここまではわかるか?」
    かすかにうなずく少女。
    「別にお前さんをヴァルトデスに売り渡しはしない。そもそも連中も吹っ飛んじまったようだしな………俺は、ここで何があったのかが知りたいんだ」
    無言のままゆっくりと、彼女は口を開いた。カイは指を引っ張り出して………うめきながら手を押さえる。「痛ててて……さっきまで死にかけてた人間の力じゃねーぞ…」

    しかし、彼女は既にカイを見ていない。クレーターを見つめたまま、声もなく涙を流していた。
    カイはそれ以上話すのをやめる。一瞬にして家族を、仲間を、国をも失った彼女の気持ちは、魔震の発生した三年前に、自分も味わっていたからだ。

    「………感謝しなければ、ならないのでしょうね」
    いつまでも続くかと思うほどの沈黙の後、彼女は静かな声でポツリとつぶやいた。
    「………何があったか、聞かせてもらってもいいか?」
    「私は………」言いかけて、声を詰まらせる。何を言ったらいいのかわからないのだろう。カイはじっと待った。
    「私は、……王女………付きの近衛騎士でした。あの時、城壁が崩れてからのことははっきりとは覚えていませんが………王女自ら、城にあった固定式大型魔道機銃の動力を暴走させて、自爆したのです………『ブライナーサの民は、生ける屍となって互いに争うことは望まない』と」

    万一のときにも案はあると語っていた宰相のことをチラッと思い出す。それがこれだったんだろうか、と。
    「………そうか………これからお前さんはどうする?なんだったら適当なところまで逃がしてやるぞ」

    しかし彼女はかぶりをふった。
    「………もう私には、何もありません………このまま……死んではだめですか」
    カイの目に映る彼女の赤い瞳はひたすら虚ろだった。

    あの時、魔震で死んでしまった家族を、仲間達を、ただ見つめるしかなかった自分の目もこうだったのだろうか。
    悲しみを通り越した虚無と絶望。
    そして、あまりにも孤独で、無力な存在である自分が、巨大すぎる世界に押し潰されてしまいそうになる、あの感覚。

    「………そんなに死にたいのか?」問いかけるカイ。わずかに頷く少女。
    「はぁぁぁぁ」大げさなため息をついて、土埃にまみれた頭を左手でぐしゃぐしゃかき回す。
    「………せっかく助かった命なんだから、精一杯生きてみようって気はないのか?」彼女は答えない。
    「俺はお前さんがどうして助かったのかはわからんが、これはこれで何か意味があると思うんだがなぁ。死ぬなんていつでもできるし、まずはここから離れてゆっくり考えてみたらどうだ」………無言。

    なぜこの少女を死なせたくないのだろう。かつての自分を見ている気がしたからだろうか。カイ自身、気持ちを整理できないまま、説得の言葉を連ねていた。
    「…だいたい死ぬなんてゆーのは一番簡単な結末なんだよ……もう考えなくてすむからな。でもな、それで満足か?腹たたねーのか?ヴァルトデスの連中に………恐らくはランディゴの野郎のせいだが………やり返す気力もないか?」
    ふっと少女の目に力らしきものが戻る。「ランディゴ………?それが私の国の、仇なのですか?」
    「………確証は無いがな。死者をあれだけの数操れるのはタクァ・ザ・ランディゴぐらいだろうと言う話だったぜ」
    「タクァ・ザ・ランディゴ……魔導師連合指名手配のSSS級犯罪者……通称は『惨夢の死霊魔導師』…でしたね」
    少女の蒼白な顔がますます白くなったように思えた。
    「………許せない………私は……私の国の仇を討ちます。絶対に」声を震わせながら厳かに、彼女は誓う。
    (ま、果たせるかどうか分からない復讐に生きるとしても、このまま死ぬよかよっぽどましだよな)と胸をなでおろすカイであった。

         ※     ※     ※     ※     ※     ※     ※     ※

    「きれいな髪なのにもったいねーよなー」とカイが独り言じみた口調で言う。
    少女の手には短刀。そして散らばる桃色の髪。
    出発しようとしたカイを止めて、少女は長い髪を切って地中に埋めると言い出したのだ。それが彼女なりの誓いの立て方なのだろう。
    「そういやお前さんの名前を聞いてなかったな。俺はカイでいい。お前さんは?」
    「………ライアと呼んで下さい」
    「………親御さんの趣味悪いな………そいつは古語で『嘘つき』って意味だぞ………」
    「詳しいんですね………でも私は気に入っているんですよ、私らしくて」かすかに微笑みらしきものを見せるライア。
    「んじゃ、ライア。とりあえずここを離れよう………ま、その鎧はもう役にたたねーだろうし、これでも羽織っておけ」
    耐刃繊維で織られたフードつきマント。無いよりはマシだろう。
    灰色の簡素なマントをはおったライアは、荒野に咲いた一輪の華を思わせた。
    よわよわしく、今にも散ってしまいそうで、でも確かにそこにある生命。



    その日の夜。
    時々はぜる薪の音と、カイの低い声が闇夜に吸い込まれていく。ライアに代わって、カイが何があったかを説明しているのだ。

    「ライアの話は以上だ。………しかし、お前さんあの爆発から良く生き残ったもんだな」
    カイが話しかけるのはマントをはおった少女。マントの大きさをもてあましながら、ライアが答える。
    「そうですね……あ」
    「どうかしましたか?」ラーベナルトが動きの止まったライアに問いかける。
    「………いえ、………父様から頂いたペンダントが壊れていて………」
    彼女が懐から取り出したペンダントは、真っ二つに割れていた。いくつかの宝石が付いているが、これもひとつ残らず割れている。
    「もしかしたら、そのペンダントが守ってくれたのかもしれませんね」
    「そうかもしれません………古い魔法の品と聞いたことがあります」そう呟くと、ライアは再び注意深くペンダントをしまいこむ。

    「さて、これからどうするかですけど………、とにかく国境を越えないとですね」生き残った傭兵達の一人、マリクが口を開いた。
    「だな。街道はヴァルトデス兵がうようよしている可能性があるから、できるだけ街道の脇を抜けて行きたいな」とカイが応じる。
    「そうですね………。ライアさん、あなたはどう考えますか?何か良い間道をご存知ないですか?」とラーベナルト。

    少女はちょっとためらった後、カイを見つめて口を開いた。
    「その前に………カイは………魔道機銃の技術消去の任務を持っていたのでは?」
    不意をつかれたカイが顔をしかめる。「げっ………何でそれ知ってんだ?」
    「私は………ええと………王女の連絡係でしたから」とたどたどしく説明するライア。
    「………まぁ、もう隠しておく必要も無いか。確かに、ブライナーサの敗北時にヴァルトデスへ魔道機銃の技術を渡さないようにするのが俺の役目だった」
    と、苦笑いしながら肩をすくめるカイ。
    「それならば、国境を出る前に一箇所立ち寄っておくべきところがあります。国王陛下と王女が、魔道機銃の開発の際に利用していた秘密の山荘です」
    「うわぁあぁぁ、それは悪い知らせだなおい………聞いちまった以上行くしかねーか」と頭を抱えるカイ。
    「……私もヴァルトデスにあの技術を渡すべきではないと思います。そのためにも、山荘にある資料を処分してしまわないと」

    「わかった。すまんが、もうしばらく付き合ってもらうぞ」と一同を見渡ながらカイが宣言する。
    背の高い銀髪の女性が「了解」と返事をする。彼女は曲刀使いのルシータ。黒十字団で一部隊を率いていた女傑だ。
    「これも試練というものだろう」と言うのはジンムを信仰する神力戦士、ディクス。傍らにはかなり大きなメイスが転がっている。
    「わかりました、カイ殿」これはラーベナルト。
    マリクも「しかたないですね」と頷く。
    ライアは一同を見渡して、「………宜しくお願いします」ぺこり、と軽く頭を下げた。

         ※     ※     ※     ※     ※     ※     ※     ※

    「………これで、全部か?」なにやら疲れきった声で、カイがライアに尋ねる。
    「そのはずです」
    「よし、マリク。全部燃やしてくれ」
    「分かりましたです」
    山と積み上げられた書類や設計図とおぼしき紙束が炎に包まれた。

    山荘までの道のりはそう遠くはなかった。しかし、山荘に放置された書類の山を集めて処分するには丸一日を必要とした。
    「おーし、みんな外に出ろ」
    一同を外に出し、マリクに向かって軽く頷く。頷き返したマリクが、呪紋を描きつつ高らかな声で呪文を詠唱する。そして、石造りの簡素な建物が大音響と共に爆発した。
    「お疲れさん、マリク。ずいぶん手間が省けたよ」珍しく会心の笑顔でマリクに礼を言うカイ。

    確かに、魔術の素養を持つものが居なければ、処分にはもう数日を要したかもしれない。敵中と化したこの地で長期間、同一地にとどまる危険を避けられたのはとてもありがたいことだった。
    「問題ないです。それにしても、僕ならこのくらいの家を壊すのも一苦労ですのに、あの城壁を壊せるほどのあの魔術規模は………桁が違うとしかいえないですね。エルザさんが言っていたように、タクァ・ザ・ランディゴの可能性は十分ありそうです」
    どこかのんびりした口調のせいで、あまり深刻さが感じられないのは気のせいだろうか。

    「まぁな。とりあえず任務は果たした。あとはさっさと逃げるだけ、なんだが………お客さんみたいだな。ライア、その魔道機銃は隠しておけ」
    カイの言葉で一行に緊張が走る。あたりに人影は無いが、強烈な殺気とシンの力が辺りに満ちてきている。
    頷いたライアが魔道機銃をマントの内側に滑り込ませる。そして。

    「……間に合わなかったか……」という声とともに、一行の眼前の空間が「裂けた」。
    歩み出るのは一人の若い、ハンサムな男。黒いローブに身を包み、長くねじくれた杖を携えている。
    その顔を見たマリクが息を呑んだ。「サバス………まさか、お前が黒幕だったのですか?」
    「はぁ?……サバスって誰よ。つか、タクァ・ザ・ランディゴじゃねーのかよ………」とあっけに取られるカイ。
    「この男はサバス=スターダスター。魔術師ギルドから死霊術の秘術を記した本を盗み出し、S級犯罪者手配をされている男です」
    何か言い出そうとしたラーベナルトを、片手を挙げて制し、続ける。
    「…でも、この人はサバスじゃないですね。私には分かりますですよ?」
    「何が言いたいのか良く分からぬが?」一同を代表してディクスが説明を求めた。
    姿形がサバスだと言うのに、なぜサバスじゃないと断言するのだろうか。

    突然、男が大声で笑い始めた。その声が徐々にかすれ、しわがれていく。
    「……よくぞ、見破ったの。ワシの、このタクァ・ザ・ランディゴの精神支配を見抜いたのは、おぬしが初めてじゃ。何の術もなしに、どうやって見破ったのかのぉ」
    笑い終えた男の声は、どこか彼方から聞こえてくるようなな響きの、年月を重ねた老人のものになっていた。

    マリクはサバスに向かって指を立てて、自信ありげな口調で一言。
    「あの悪趣味な蛍光ド紫のローブを着ていないあなたは、『もはやサバスではない』と断言できますです!!」

    …………。

    ……………………。

    ………………………………。


    あまりといえばあまりの理由に、『惨夢の死霊術師』も言葉を失っている。
    「け、蛍光どむらさきって………」こめかみを押さえて何かに耐えるような表情のルシータ。

    カイもそのセンスに呆れながら、剣を抜く。
    「………まぁ誰だっていいさ。でも邪魔する気なら、あんたにはちょっと死んでもらう」
    右手に持つ、シンの込められた剣を無造作に一振りする。男の正面で爆発が起こった。
    「ちっ、こっそり結界張ってやがったか」カイの技の一つである『疾風』が、防御結界に止められたのだ。

    「これこれ、老体をいじめるものではないぞ。まずはこれと遊んでもらおうかのぉ」
    男……タクァ・ザ・ランディゴに精神を支配されたサバス=スターダスターは、余裕たっぷりな態度で杖を掲げた。男の周辺の空間が次々に裂け、裂け目の中から人影が現れる。
    「外道が……」ディクスがうなり声を上げる。それらは、明らかに生命を持っていない死体であった。その数、およそ百。

    「……木偶をいくら集めても役にはたたねーよ」
    カイの声に、動揺はない。精神支配を介在しているとはいえ、『コードΩ』を目前にしながら、薄く笑みすら浮かべている。
    「そりゃそうじゃ。では、こうさせて貰おうかのぉ」男は再び杖を振るいながら、しわがれた声で呪文を唱え始める。

    ばき。べき。じゃりっ。
    ぼぐ。ぴちゃ。ごぷっ。
    ぐじゅ。ぼき。びきっ。
    ごりゅっ。みしっ。じゅがっ。

    そのような音をたてながら、死体達が交じり合い、みるみるうちに別のモノになっていく。間もなく、十足双頭八尾の虎のようであり、あるいは木のようであり、あるいは数十の足を持つ蜘蛛のような三体の異形が姿を現した。
    「さて、これでどうじゃな?」余裕の態度とはこういうものを言うのだろう。男はいつの間にか離れた位置に移動して高みの見物の様子だ。

    「言ったろ、木偶はいくら集めても役にはたたねぇってな」
    カイがディクスにチラッと視線をやる。頷いたディクスが大声で呪を唱え、一行に鎧型結界を施す。そして異形達に向かってカイ、ラーベナルト、ルシータの三人がゆっくりと歩き始めた。
    「蟲と獣は俺がやる。木は二人に任せる」「わかりました」「了解」そのような呟きが交わされた刹那、三人の姿が消えた。

         ※     ※     ※     ※     ※     ※     ※     ※

    数多くの人の腕や足が「枝」のように「幹」から突き出た木のような姿の異形。その指先は鋭く尖り、近づく者を串刺しにしようとざわめいている。
    そこに、小さな盾と片手剣を携えたラーベナルト、曲刀一本を片手に下げたルシータが常人には見えないほどの速度で突っ込んでいく。と、二人が異形の直前で左右に分かれて跳んだ。一瞬遅れて、飛来したいくつもの炎塊が異形に突き刺さり、爆発する。

    「さすがですー、特に打ち合わせしたわけでもないですのに」とマリク。タイミングをあわせて炎の魔術を放ったのだ。
    「いや、あなた私を殺す気だったでしょう!」冷や汗をにじませながらラーベナルトがぼやく。
    その腕は文字通り押し寄せてくる「枝」を絶え間なくさばき、斬り払っている。
    「いやいや誤解ですよー、仲間にそんなことするわけないです」そう弁解しながらも、マリクの指先は新しい魔術のために呪紋を刻み続ける。
    「大して効いてないじゃない、ちっとは役に立ってみせなさいよ!」と、こちらはルシータ。
    確かに、見た目の派手さの割には、何本かの「枝」が焼け焦げているに過ぎず、それも再生しつつある。
    「おっかしーですねぇ、その辺の巨人族なら丸焼きなんですよー…っと、ちょっと離れてくださいですー」とマリクが前線に立つ二人に声をかけた。

    飛びのいた二人の後を追うように、「枝」がばしばしっ、という音を立てて地面を叩きつけていく。そこに「よいしょ、です」と、なんとも間の抜けた声とともに発動する、マリクの魔術。
    「木」の動きが止まり、その「幹」と「枝」の半分以上がごっそりと消失した。
    間髪いれず響き渡る、「闇渡る刃よ!!!」、「氷雪の舞!!」の声。
    ラーベナルトの剣が、残った「枝」をことごとく断ち切り、ルシータが手にする強烈な冷気を纏った氷の刃が「幹」を氷漬けにする。それを、無言のまま突進してきたディクスがメイスで粉々に打ち砕いた。


    「マリク殿、あの魔術は一体何ですか?」
    「いやぁ、思い切って亜空間の強制接続をやってみたですよ。暴走してこの一帯があっちの世界に放り込まれなくて良かったです」
    「…あ…あんたって奴は、底なしの馬鹿かぁっっ!!!」ついにルシータが爆発した。

    「あの、カイの援護は?」少し心配そうにカイの方を見るライア。
    「いや、大丈夫でしょう。むしろ下手に支援したら後で怒りますからね、カイ殿の場合は」
    弁解するマリクと、その胸倉を掴んで吊るし上げているルシータをよそに、ラーベナルトの口調はあくまで穏やかだった。

         ※     ※     ※     ※     ※     ※     ※     ※

    カイは飽きはじめていた。
    相手は異形二体。手数の差は圧倒的とはいえ、その攻撃は単調そのものだ。巧みに回避し、受け流し、カウンターを叩き込む。それを繰り返すだけでみるみるうちに形勢はカイの方に傾いていく。
    すでに蜘蛛のような「蟲」の脚は半分近く斬り飛ばし、「獣」の足も四本斬り落としていた。しかし、切り落とされた箇所を徐々に再生してくる異形達を、正直もてあまし始めていた。

    (うっとーしい…、期待はずれもいいとこだな)
    そう思いながら、少し力を込めて後ろに跳んで間合いを取る。しかし、その後を追いかけるように「獣」が突っ込んでくる。
    「あっ!」ライアが思わずマントの下の魔道機銃を取り出そうとするが、間に合わない。

    だが、カイのいた場所から迸った雷光が異形に突き刺さり、「獣」が爆発と共に吹き飛んだ。
    「『雷』でしょうか?いや…威力もスピードも段違いですね」初めて見る技に、ラーベナルトが絶句する。
    それはカイが得意とする、剣に大量のシンを注ぎ込み対象に叩きつける技、「雷(いかずち)」に似ているが異なる技。
    バックステップの反動を利用して前方に突進し、「雷」の威力をさらに高めた「遠雷(えんらい)」である。
    一瞬にして巨体のほとんどを粉々に吹き飛ばされた異形は、再生を開始することなく地に崩れおちていく。

    「遠雷」の勢いのまま、「蟲」へ突進するカイ。器用に立ち上がり、数え切れない数の足でカイを迎え撃とうとする「蟲」。
    その間合いの直前でまたカイの姿が消えた。いや、消えたのではなく上に跳んだのだ。カイの倍ほどもある「蟲」の背丈を遥かに超える跳躍だ。
    背後に回られた「蟲」が向き直ろうと身じろぎするが、もう遅すぎた。「うらぁああぁっ!!」カイの気合の声と共に「蟲」の足が、胴が、見る見るうちに斬り刻まれていく。
    ほんの数秒で、数十の足を残らず叩き斬られた「蟲」はなすすべもなく転がり、そこに容赦なく炸裂した「雷」によりあっけなく粉砕された。

    「さすが『破壊者』との異名を持つことはありますですねー」と、つい今までルシータに胸倉を掴まれていたはずのマリクが感嘆の声を上げる。その後ろでは、ルシータが空を掴む自分の腕を信じられないという表情で見つめていた。

    「さて、残るは……」と、ラーベナルトが呟く。厳しい表情だ。
    「なかなかやるのぉ、大した強化もしてないとはいえ、屍獣に勝つとは。封印された秘儀とはいえ、所詮この男にできる程度の児戯に過ぎぬか」
    男……タクァ・ザ・ランディゴに支配されたサバスはそれほど意に介したふうもなく呟くと、手にした杖でトン、と地面を突く。

    「別にお前が誰でもいいが、これ以上邪魔立てするなら本当に死んでもらう」
    カイが右手に剣をぶら下げ、面倒くさそうな口調で警告しながら、ゆっくりと間合いを詰めていく。
    「笑止。…ワシが頼まれたのは魔道機銃の資料の回収だけじゃったが」
    もう一度、トン、と杖で地面を突く。
    「おぬしらが資料を処分してしもうたゆえに、ワシの名に傷がついてしもうた」

    カイは黙って……いや、その口元がかすかに動いている。
    『我が左手に久遠なる者…我が右手に荒ぶる者…』
    「残る『資料』は……、そこの小娘じゃの」
    ライアがびくっと身を震わせ、魔道機銃を構える。そして即座にカイを除く全員がライアをカバーする位置につく。
    カイは表情もかえず、ゆっくりと男に向かって歩き続ける。
    『共に来たりて…わが敵を……』チラッとラーベナルトと視線を交わし、頷いたラーベナルトがディクスに何ごとかを囁きかけた。

    「では、頂戴しようかのぉ」老人の声でそう呟いた男が三度、トン、と杖で地面を突く。
    次の瞬間。
    『砕けぇっっっ!!!!!』カイが自らの声を武器とした技「頸声」を発動し、生じた衝撃波の後ろを追いかけるように駆け出す。
    「戦神、ジンムよ!」ディクスが『力ある言葉』と共に外の音を遮断する結界を構築する。
    ライアの足元に、虚無を思わせる暗闇が、ず、と広がる。
    「我らに万能の翼を!!」マリクが仲間達に浮遊結界を張り、上空に避難させる。
    すべてが同時に行われた。

    ゴォオオォッという凄まじい音と共に衝撃波が男の周りの結界に激突し、もうもうと土煙をたてる。
    「ふん、小賢しいの」結界の中で一人つぶやく男。
    精神を支配しているこの体は、あまりにも自分の能力を生かせない。自我と野心は肥大しきってているが身体的にも精神的にも能力が低いこの男は、戦うには非常に厄介な枷となっている。
    さらにその強烈な自我のため、精神支配に力を継続的に割かねばならず、もしかすると本来の実力の三割も出せていないかもしれない。
    しかし、土煙の中を向かってくる戦士の姿は感知できる。少女を捕捉するために開いた異界への門を閉じつつ、無謀な戦士をこの世から消し去るための魔術を結界の中で構成し始める男。
    あの戦士に結界を突破することは出来ないだろうし、そもそもたどり着く前に魔術で跡形もなくなるであろう。

    しかし知覚していたはずの戦士の姿がぶれ、次の瞬間、凄まじい衝撃と共にすべての感覚が断絶した。

    「………笑わせるな」ぼそりとカイが呟く。
    その左手は清浄な光を放ち、その右手はあまりにも禍々しいカタチをしていた。
    カイの異能力、『神の左手 悪魔の右手』。倍以上に筋肉が膨れ上がり脈動する右手には、青白い雷光を纏い半ば砕けた剣。

    『雷』の亜種である『雷神』を発動しつつ、結界の同一箇所にほぼ同時に十数撃に及ぶ多重飽和攻撃。男が展開していた防御結界を、自らの剣と共に砕き、白銀色に光る左手が結界に生じた隙間から、男を思い切り殴りつけたのだ。
    結界を維持できずに吹き飛ぶ男の背後に回りこむと、左手でいびつな形に歪んだその頭蓋をわしづかみにし、背中に砕けた剣の残りを突きこむ。
    悲鳴をあげることもできず、男は痙攣しながらおびただしい量の血を吐いた。もはや、死は免れないだろう。しかし……
    「ライアっ!お前の仇だ、くれてやる!」
    カイは男を右手に持ち替えながらそう叫ぶと、ライアのいる方角に全力で投げとばした。

    これは本当の仇ではない。これはただの操り人形。哀れにも利用された者のなれの果て。そう思いながらも、害意を、殺意を抑え切れない。
    なすすべもなく飛んでくる男に、半ば反射的に照準を定め、集中する。
    「…………っ!」
    銃口が青白く光る。視界が滲む。
    「              !!」
    ほとばしる激情のままに、意味などない何かを叫びながら、少女は巨大な魔力の奔流を解き放った。

         ※     ※     ※     ※     ※     ※     ※     ※

    「いやぁ、見事にバラバラですー」
    なんとものんきな声は、マリクのものだ。
    「証拠と一緒に魔導師連合に報告したら賞金が出るんですが……あ、指発見です」
    しゃがみこんで地面から何かを拾い上げ、どこからともなく取り出した小瓶の中に入れる。
    「んー。これでよし、です。皆さん、どこかの街に到着したら、分け前があるんで魔導師連合に一緒に来てくださいですー」

    「……カイ」
    「…ん、あ?」思うように動かない右手を休めるために寝転がっていたカイが、声のするほうへ首を傾ける。
    「感謝します」
    「ああ、あれか。まぁ、一応仇だからな」
    「しかし、彼は……あ、ええと………まるで、舞うように闘うのですね、カイは」
    「……面白いことを言うもんだな。そーゆーことを言う奴は初めてだよ」
    「そうなのですか?雅な舞のように鮮やかな闘いぶりでした」
    「そっか、ありがとよ……まぁ、もう少し休ませてくれ」



    「……ふむ」
    蝋燭の光が、一つの魔方陣を照らしている。そしてその光は一人の老人も照らしていた。
    「ちとやり過ぎたかのぉ……術に耐えかねて精神崩壊してしもうたか?」

    たかだか『精神支配』『死の卵』『虚空の門』『流星召喚』『屍獣合成』程度で壊れてしまうような低脳だとは…まぁ、よい。
    あのサバスとかいう男がもたらした禁断の書は、『屍獣』以外にもいくつかの興味深い知識を提供してくれた。
    しばらくの間は、時間潰しが出来るだろう。
    「…しかし、あの小娘を捕まえられなかったのは少々残念じゃの…」
    そう呟くと、老人はいずこへか消えていった。



    「もう大丈夫でしょう。この森を抜けてしまえば眞国になりますから」
    ラーベナルトの説明に、壮年の男性は安堵の表情を浮かべる。
    「やれやれ、おかげさまで命拾いしましたわい。あなた方に出会わなければ、今頃どうなっていたやら…」

    『コードΩ』こと、タクァ・ザ・ランディゴを名乗る男との戦いから三日。一行の人数は二百人に達していた。
    ヴァルトデスの侵攻やブライナーサシティの自爆を免れた地方の村の住人が他国に避難するため、通りがかったカイ達に護衛を依頼したのだ。
    そして、たまたまブライナーサを旅していた旅人や隊商、生き残りの兵士や傭兵を吸収して、一大キャラバンとなっていった。

    キャラバンが巨大化するにつれて、カイ達はほとんど不眠不休で警護することになった。
    ヴァルトデス王国の兵や、生ける屍と化した者が襲ってきたからである。
    疲労のピークはとっくに通り越している。しかし、もうすぐ眞だ。
    国境近くにある、眞の砦の姿がはっきりと見えてきた。
    もう少ししたらラーベナルトとディクス、そして村の長が砦に先行して事情を説明する予定になっている。

    「……カイ」
    後ろから小さく声がした。振り返ると、フードを深く被った小柄な人影。
    「ああ、ライアか。もうすぐ眞だぞ」
    「そうですか…」少し沈黙して、言葉を続ける。「…私はここで別行動をとろうと思います」
    「…そいつはまた、どーゆー風の吹き回しだ?」
    「……私は……ブライナーサシティの唯一の生き残りです。万一それが知られると、あなた方にもいろいろよくないと思いますから」

    嘘だな。彼女は何か嘘をついている。と、カイはなぜかそう確信した。しかし、口をついて出たのは別の言葉だった。
    「真の仇を取ろうってことか」
    こくん、と頷く少女。フードで半ば隠れたその赤い瞳には、揺るがぬ意志が感じられる。
    「私は、祖国の廃墟で誓いました。我が祖国を破滅に追いやった者を赦さない、と。護るべき民の避難がほぼ完了した今、私は護れなかった民の為に立てた誓いを守りたいと思います」
    「……なら、好きにすりゃいいさ。ま、今度は簡単に死のうとするなよ」
    「はい……カイも壮健で」
    そして、彼女は去っていった。

    「あら、あれはライアじゃないの?」
    後ろから声をかけてきたのはルシータだ。振り返ると、マリク、ディクス、そしてラーベナルトの姿もある。
    長く苦難に満ちた旅を終え、さすがに安堵と喜びを隠せない様子の四人とは違い、カイの表情は厳しいものだった。
    「ちょうどいい…これまでご苦労だった。なんとかやってこれたのも、お前ら『四人』のおかげだ」
    「……『四人』ですか?」マリクが首をかしげる。
    「ああ、『四人』だ。……あえて、言っておこうか。『五人目』はいない。いいな?」
    ディクスがゆっくりと口を開く。「…なぜだ?」
    「彼女は王城内の唯一の生き残りで、なおかつ魔導機銃の機密技術を知る者だ。存在が知れると我々の身も危うくなる」
    その言葉に込められた事情の深刻さを感じたのか、沈黙する四人。

    重苦しい雰囲気を振り払うように、カイはにやりと笑う。
    「そーいや、あと一仕事残ってるんだ。報告書の提出、手伝ってくれるよな?」
    ラーベナルトが苦笑いしながら応えた。
    「カイ殿に任せておいたら何年掛かるかわかりませんからね。お手伝いしますよ」



    「…報告書、読んだわ」
    「そうか」
    「本当にありがとう、カイ。あなたの今回の功績は、評議会でも非常に高く評価されているわ」
    「あぁ、そうかい」
    「あなたにはA+クラスへの昇格と、Sクラスへの昇格試験の一部免除が認められるはずよ。おめでとう、カイ」
    「そいつはどーも」
    「…そうそう、あなた達『六人』が救った村の住民達から、特別の恩賞をと陳情が届いているわ」
    「………」
    「…何か、言うことはない?」
    「何にも」
    「そう…なら、いいわ。あなた達『五人』には、特例として後日『Master Of War』表彰が送られるはずよ」
    「そうか……すまんな、エル」
    「………」
    「いや、すまん。忘れてくれ……それにしても疲れた。もう帰っていいか?」
    「ええ、どうぞ。おやすみなさい、カイ」

    だんだん小さくなっていく男の足音。一人きりの執務室。
    呟きは、誰にも聞こえずに消えていった。
    「……謝るべきなのは私よ、カイ……」



    そして、時は流れ。
    およそ十年後。

    ラトナの街の一角に建つ酒場、『月に踊る天使亭』。日はすでに高く上っている。
    穏やかな光が差し込む店で、椅子にもたれ掛かり眠る男がいた。その前には何本もの空の酒瓶や、山積みの皿。

    『はぁっっ!』

    外から、なにやら威勢のいい声が響いてきた。女性の声だ。
    大きく伸びをして、男は椅子から立ち上がり、窓の外を眺める。

    『せいっ!やっ!』
    窓の外では、青い服の少女が片刃の剣を振り回している。
    剣術の型をなぞっているのだろう、流れるような身のこなしは紛れもなく彼女が一流の剣士であることを示している。その近くでは、燃えるような赤髪の青年が黙々と筋力トレーニングを行っている。男に気づくと、軽く会釈した。

    青年の挨拶に軽く手を挙げて応え、しばらくの間、二人の様子を眺めていた男の背に、明るい澄んだ声が響く。
    「あ、いらっしゃいませー」
    振り返ると、そこにはゆったりとした白い服をまとい、白い布を顔に巻いた人物。その傍らには、少年とも少女とも見分けがつかない中性的な容姿の子供がいる。

    「…珍しいな、雪(セツ)。この店にお客さんとは」
    「あ、カイさん、おはようございますー」
    少年(少女かもしれない)が、にこにこと微笑んで、男にぺこりと頭を下げる。

    「そう言えば、こちらの方とは初対面でしたっけ?ミスティさんです」と、雪はにこにこしながらその白づくめの人物を紹介した。
    「……初めまして、ミスティック=フェイスレスと申します」布の間からわずかに見えるのは、赤い瞳。そして静かな女性の声。
    「…カイ=マクスウェルだ。カイでいい」妙な既視感にとまどいながら、男は簡潔に名乗った。
    「こちらもミスティで結構です…では」と、白服の女性は軽く頭を下げる。
    「あ、図書室で魔導ネットワークを使われるんでしたっけ。こちらにどうぞー」
    と、ミスティと雪は去っていく。

    「………どっかで会ったよーな………」
    いや、あれだけ特徴的な格好の人にあっていたら、忘れるはずがない。
    「ミスティック=フェイスレス、『神秘の顔無し』…凄腕の連盟未所属冒険者…だったな」
    噂だけ聞いて、もう会った気になっていたのかもしれない。
    そう結論づけると、カイはひとつ大きく伸びをして、店を出て行った。(終)


    あとがき
    えー、非常に恥ずかしいですが、とりあえず完成しましたので。
    ちなみに今回一番悩んだのは脇役キャラの名前です。ほとんどの脇役は一度から数度の名前変更を行ってたりして。