贖罪の時 序章1
プロローグ  始まりのつぶやき




「死ぬまでに、孫の花嫁姿が見てみたいのう…」
 その一言がすべての始まりだった。

 セイルーン王国の現国王は、病が重く寝たきりになっている。その状態のままで、結構長く持っているのだが、やはり、弱気になってきているらしい。
 或る日、ポツリと呟いた。呟いただけならそこで終わっていたかも知れないのだが、運悪く(良く?)一人の側近がそれを聞いてしまった。
 かれはそれを、王国の会議において発言した。
 発言をしているうちに熱が入り、拳を振るわせ、つばを飛ばしながらまくし立てる。
「国王陛下とて人の親。いいえ、人の祖父。孫の幸せな姿を見てみたいと願うのは自然な事ではないでしょうか。しかしながら、グレイシア様は何処とも知れぬ空のした。そこで!アメリア様に一刻も早くご婚約をお願いし、仮にでもよろしいですから、花嫁衣裳をまとっていただけないでしょうか!?」
 最後に、片足をいすの上に置き、片手を腰に、もう片方でびしぃ!とフィリオネル王子に指を突きつける。
「し、しかしのぅ。アメリアの気持ちも考えてやらんとのう」
 側近の剣幕にやや逃げ腰になりつつ、フィリオネル王子が反論する。が、あまりにも弱すぎた。それも、仕方がない。
 彼は娘二人にはとても甘く、特に結婚問題については本人の希望をなるべく叶えてやりたいと、重臣達の持ってくる見合い話をことごとく断っていたのだ。しかし、その結果、姉の方は万年行方不明。妹も行く先はわかっていても半年ほどは気楽に帰ってこない時がある。
 さすがに、これには重臣達が悩んだ。王家の義務。つまりその子孫を残すことが彼らのひとつの義務なのだが、“これでは永遠に嫁の貰い手がないのではないか?”と、いう不安が頭をもたげてくる。
 それでも、いままではフィリオネル王子と、その弟殿下が何とか宥めすかしてきたのだが、それも限界に近かった。近年、相次いで王位継承者が亡くなっていたのも悪かった。
「何をおっしゃいますか、殿下!これは国王の望みでもあるのですよ!!この際アメリア様には、少し我慢していただいて、われらの持ってくる見合い話のどれかを受けていただきます!!!」
「し、しかし、アメリアの幸せは・・…」
 さらに反論しようとしたフィリオネル王子の手を、両手でぐわしっと掴むと、興奮で荒くなった鼻息を吹きかけながら、側近が叫ぶ。
「何を心配なさるのですか、殿下?!由緒正しい王家に嫁がれて、不幸になるはずなどありません!!お任せください!!選りすぐりの物を選んでまいります!!!」
 一気にまくし立てると、両手をぱっと離し、その他の重臣を引き連れて足早に部屋を出ていった。
 後には、やや呆然としたフィリオネル王子が、娘にどう伝えようかと頭を悩ませていた。


 数日後……・
 セイルーンの王宮の奥にある王族の私室の一つ。
 豪華だが、華美過ぎない家具に囲まれて一人の少女が空を見上げていた。
 清楚な白いドレスは、小柄な彼女の可憐さを引き立てている。肩より少し短めの漆黒の髪、活発に動く大きな瞳。もうすぐ17歳の誕生日を迎えるアメリアだ。
 いま、彼女はそのかわいらしい顔を憂鬱げにひそめ、晴れ渡った空を見上げていた。
「ゼルガディスさん、今ごろはどこにいるのかなぁ。もう、元に戻る方法見つけられたのかしら?」
 小さく呟いて、首を振る。彼と別れてもうすぐ一年になる。その間、気がつけば彼のことを考えていた。
「だめよ、アメリア!ゼルガディスさんだってがんばっているんだから!」
 がばっと顔を上げ、両手を握り締めて叫んだ。
 だだだだだっ、と窓に走りより勢い良く開ける。初春の少し冷たい風がアメリアの顔をなでて通りすぎて行く。眼下に広がるセイルーンの町並みを見て、大きく、そしてゆっくりと息を吸う。少し落ち込んでいた気分も一緒に吐き出すように、またゆっくりと息を吐き出す。
 そしておもむろに窓枠に上ると、両手を腰に当て、思いっきり叫んだ。
「そうよ!私の使命は正義を守ること!!今だ魔族の脅威が消えず、リナさんもガウリィさんも、……ゼルガディスさんもいない今、この都の正義を守るのは私しかいないわ!!皆さん!遠くの夜空から見守っていてください。このアメリア=ウィル=テスラ=セイルーンが命をかけてこの世界を守って見せます!!!」
 …・・改めておくと、彼らの誰もお空の星になどなってはいないが、彼女は気にも止めていない。きっと、そのほうが演出効果があったのだろう。
             
         
 アメリアが空に向かって正義の味方の笑い方の練習をしていると、遠慮がちなノックの音が聞こえてきた。
「ほぇ?どなたですか?」
 窓枠から降りて、扉に近づきながらたずねると、これまた遠慮がちなフィリオネル王子の声が聞こえてきた。
「……あー、アメリア?ちょっと話しておきたいことがあるんじゃが…。い、いや、忙しいと言うなら別に良いんじゃが!」
「……??別に忙しくなどありませんよ。どうぞ、入ってください」
 いつも豪胆な父の、気弱な様子に驚きながらアメリアが言った。
 しかし、なかなか入ってくる気配がない。仕方なく扉に近づき自ら扉を開ける。そこには、なんともいえない困った顔をした父が佇んでいた。
「とーさん?何かあったんですか?とりあえず中に入ってください」
「う、うむ…・」
 いかにも気まずそうにフィリオネル王子が部屋に入り、置いてあった椅子にゆっくりと座る。そしてそのまま彫像のように動かなくなった。まるで時間を稼いでいるようだとアメリアは思った。
 いつも即断・即決・即実行のフィリオネル王子らしくない。彼の顔には珍しく苦悩の様子が見て取れる。額には脂汗まで滲んでいる。
「とーさん、何があったんですか?私にできることなら何でも言ってください!!正義のために、このアメリア=ウィル=テスラ=セイルーンが全力を持ってお手伝いさせていただきます!!!」
 いつのまにか、再び窓枠に上ったアメリアが遥かな空をびしぃっ、と指差しながら叫んだ。そして「とう!」という掛け声と共に、部屋に向かって後方二回宙返り+ひねりをしながら飛ぶ。しかし、やっぱり着地に失敗して『げしゃっ』という鈍い音と共に顔から地面に激突した。

「あはは、また失敗しちゃいました」
 顔から落ち、なおかつ妙な音がしたのにむくりと起き上がると、頭をかきながら照れくさそうに笑った。
 そんな娘のようすを、慈愛にあふれる親の顔で見つめていたフィリオネル王子の表情が、何かを決心したように引き締まった。
 そして、座り込んでいるアメリアのそばに片膝をつきしっかりとその体を引き寄せる。
「とーさん???」
「……・アメリア、不甲斐ない父を許しておくれ」
「とーさん、一体なんのこと…・・?」
 フィリオネル王子は疑問と不安に少し震えている娘の体を少し引き離し、その両肩を優しく掴むと、その大きな瞳をじっとのぞきこむ。
「アメリア。セイルーンの現国王であるわしの父、つまりお前の祖父が長い間伏せているのは知っているな?」
「はい、お爺様とは数回しかお会いしていませんけど、とてもやさしくしていただきました」
「うむ……・」
 少しだけ、迷いの色がフィリオネル王子の瞳に浮かんだ。だが、それを押し切るように押し絞るような声を出した。
「……実はな、父が“死ぬ前に一度で言いから孫の花嫁姿を見てみたい”といったらしいのだ。しかし、今現在、グレイシアは行方不明。残る孫はお前しかいない。そして、今まで結婚問題を口にしていた重臣の一人がその父の言葉を聞いたらしくて、『これは国王の意思である』といって、おぬしに婚約者を立て、仮にでも結婚の誓いをさせようと言うんじゃ。わしもできる限り反論したのじゃが、最近のこともあって、都中のものが王位継承者について不安を抱いているらしい」
 アメリアがゆっくりと頷く。
 近年の王位継承者争いですでに二人が帰らぬ人となり、叔父も王位継承権を放棄した。そうすると、継承権の第二位にグレイシア、三位にはアメリアが繰り上がってくる。
 ここで、現国王が亡くなってしまっても、次にはフィリオネル王子がいるから心配はない。しかし、その次は?万年放浪の長女。いつまでも正義ごっこにかぶれている次女。王家の血は彼女達の代で途絶えてしまうのではないか?
 そういった不安が小さいながらも広がっていると言う噂をアメリア自身も聞いたことがある(正義ごっこかぶれ呼ばわりした相手は、その場でアメリアに悪とみなされ成敗された)。

「しかし、とーさん!好きでもない人と仮にとはいえ誓いなんか立てたくありません!!まして、巫女である私が神に嘘をつくなんて!!!」
 大きな瞳が見る見るうちに潤んでくる。
「…・そんなの、……そんなの正義じゃありません…」
 しゃくりあげながら、小さく呟いたアメリアの体をフィリオネル王子は優しく抱きしめた。そして、幼い頃にしたように、娘の黒髪を優しくなでる。
「…国民の不安はすなわち国の不安でもある。王家に対する不信は魔族の介入をたやすくするじゃろう。しかしな、アメリア。わしにはそなたの幸せが一番の望みだ。しばらくどこかに身を潜めておくという手もある。しばらくすれば、この話もなかったことにもなるかもしれん……。だから・・…」
 髪をなでるその手から、父の愛と王族たるゆえの苦悩が伝わってくる。娘を隠せばその非はフィリオネルに集中するだろう。しかしながら、彼は父としての感情を捨てきれずにこの結論を出したに違いない。
 やさしい父の言葉を聞きながら、アメリアはさっきの父の顔を思い出していた。憔悴して、目の下に隈さえつくっていた。恐らく、何とか重臣達を説得しようと駆け回っていたのだろう。父にはいつもの覇気がなかった。
 その想いに、アメリアは胸が熱くなった。父は誰よりも自分の幸せを考えていてくれる。< >  そして、心の優しいアメリアにはそんな父を置いて、どこかに隠れることなどできなかった。
 フィリオネルから体を離すと、両目を拳でごしごしぬぐい、すっくと立ちあがった。赤くなった顔に無理に笑顔を作る。
「…いいんです。気にしないでください。王族たるもの国民の要望に答えるのは自明の理。私なんかの婚約でそれが叶えられるのなら、喜んでそういたしましょう」
「しかしな、アメリア……」
「とーさん。大丈夫ですよ。何もお見合いで結婚したからって不幸になるとは限りません。そのほうが幸せなのかもしれないじゃないですか。それに、私が身を隠せば、国の人達が更に不安になるでしょう?」
 にっこり微笑んだその顔は、誰が見ても無理をしていた。フィリオネルが痛々しそうにアメリアを見つめている。
「……それでお見合いの相手って、誰なんですか?やっぱり先に知っておいたほうが良いですよね」
 そんなフィリオネルを下からのぞき込む様にアメリアが尋ねてきた。父を心配させないよう精一杯気を張っている娘に、彼はもう一つ辛い事実を打ち明けなければならなかった。

「ん、ああ、・・。それがのぅ。どうも募集をしたとたん大量の返事が着たようで、一人に絞り込むことができなかったようなんじゃ。そこで、何とか絞り込んだ二十人の候補を招いて五日間かけて、大見合いパーティを開くようなんじゃ」
「だ、大見合いパーティ?」
「うむ、その二十人の若者達と、アメリアと、各国の婚約待ちの姫君達を招待して、せっかくだから各国の親善も兼ねて行うと言う企画がさっき通ってしまったんじゃ」
「そ、そんなアバウトな・・…」
 アメリアの顔があきれたように引きつっている。そんな娘にフィリオネルが照れくさそうに頬を掻いて見せた。
「……そのぅ、なんじゃ。候補が大勢いたほうがアメリアも気に入った相手が見つかるのではないかと、思うたそうなんじゃが・・…。
 その様子に、アメリアはふと気がついた。
 では、重臣達は故意に二十人もの候補を残したのだ。せめて、最低のラインで彼女に選択権が残るように。少しでも幸せな結婚を用意するために。
 “自分はこんなにも愛されている”そう痛感した。そして、それゆえに彼女はその見合い話を断れなかった。例え、心が別の人を求めていても・・…。
「とりあえず、パーティは七日後じゃ。それまでにドレスなんかを整えるようにしておこう」
 そういうと、フィリオネル王子は思い足取りで部屋を出ていった。

 扉がしまると、アメリアの心は光の届かない深海に沈んだかのように、重く、暗くなった。
 王族などと言う地位は捨て去っても、あの人とともに歩んでいきたかった。その望みをもはや過去形で思っている自分に気づき、その頬に大粒の涙が零れ落ちた。その涙をぬぐうこともなく、アメリアはその場にくずおれた。
 近くに誰の気配もないことを感じて、恐らくは父が人払いをしたのだろう、アメリアは子供のように泣きじゃくった。
 何度も、何度も、好きな人の名を呼んで。けれど、その声はきっと彼には届かない。だからこそ彼女は泣けるのだった。彼女が泣いていることを知れば、彼はきっと来てしまう。不器用な優しさを持っているあの人は、照れながらも自分のために来てくれる。
 彼に迷惑をかけたくなかった。彼は今、自分のすべてをかけて旅をしているのだから。しかし……
「会いたい…会いたいです、ゼルガディスさん……」
 静かなセイルーンの奥に、彼女の嗚咽が小さく響いていた。
 ameria 
 by絹糸様 
 綺麗な籠の 
綺麗な鳥が鳴いている 
人を喜ばせるために鳴いている
 本当は 
ここから出してと
 泣いている

  





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