贖罪の時(3) 回-2
身体


  ゆっくりと瞳を開けると、見慣れない天井が視界に飛びこんできた。
 夢のせいでかいた汗が気持ち悪い。
 横に視線をめぐらせると、隣のベッドでフィリアとヴァルがいっしょになって眠っている。
 ぼんやりとしていて、考えがまとまらない。
 手を頭に持っていくと、何かが手に触れた。濡らされた布だ。
 ゆっくりと、記憶が浮上してくる。
 ―フィリアの店。
 ―ゼロス
 ―夢と枷
 そして
「アメリア!!」
 叫んで、身を起こす。
 途端に眩暈が襲ってきて、再びベッドの上に倒れこんだ。長い間眠ったままだったので起立性の低血圧を起こしたのだろう。
 大きく息を吸い込んで、今度はゆっくりと身を起こす。ほんの少し痛む頭を押さえて、血圧が落ち着くまで座ったままでいると。
「ゼルガディスさん!気がついたんですか?!」
 見れば分かることを聞いてくるのはフィリアだ。どうも、彼の叫び声で目がさめたらし
い。
 ベッドから跳ね起きると、ゼルガディスの額に手を当てた。その途端、喜びの表情が再び曇る。
「まだ。熱が高いままですね。もう少し休まないと・・」
 そう言って、ゼルガディスを横たえようと肩に手をかけた。が、その腕をゼルガディスに掴まれた。瞳には、はっきりとした拒絶の色がたゆたっている。
「ゼルガディスさん・…?」
「何日経った?」
「え?」
 いきなり問われて、返答に詰まる。
「俺が倒れてから何日が経っている?」
 いらいらした口調でゼルガディスが再び尋ねた。腕を握る手に力がこもる。
「えっと。今は、あなたが倒れて3日目の夜中ですね」
「三日・…」
 フィリアの腕を離してゼルガディスが呟いた。
 そして、おもむろに立ち上がると、汗にぬれた服を着替え始める。
「ゼ、ゼルガディスさん?何してるんですか?もう少し休まないと・!!熱があるんですよ!!」
「心配無い。別に気分が悪い訳じゃない。単に体温が高いだけだ」
「それがだめなんじゃないですかぁぁぁぁぁぁ!!」
 フィリアの叫びを無視して、上着を脱ぎ捨てる。
「ちょ、ちょっと、ゼルガディスさん!!」
「時間が無い。このまま街を出る」
 部屋の隅においてあった袋から、替えの服を引っ張り出す。
「時間は大丈夫です!私が飛びますから!!だから、もう少し休んでください!そんな熱で旅なんかしたら死んじゃいますよ?!」
 すがるようなフィリアにゼルガディスははじめて向かい合った。その瞳を覗き込む。
「フィリア…」
「は。はい?」
 いつもより、ドアップでゼルガディスの顔を見ることになり、かなりどきどきしながら返事をする。少々声が上ずってしまったのはしょうがない。
(こうしてみると、本当にきれいな人ね)
 混乱のためか、はたまた本心からか。感心と、嫉妬が混ざったような感想が頭を駆け巡る。
 ぼんやりと、そんなことを思っていると、ゼルガディスの耳に心地よい、低い声が聞こえた。ただ、その内容を理解するのには、時間がかかってしまったが。
「そんなに俺の着替えが見たいのか?」
「……………・は?」
「下も着替えたいんだが、いつまでもそこにいるつもりなのか?」
「…………へ?」
「竜族がのぞきに興味があるとはな」
「・・………な!!」
「今度ゼロスにあったら教えてやろう」
「……・・で、出て行かせていただきます!!!!」
 うなじまで真っ赤になりながら、フィリアが扉の向こうに消えた。

 その様子がおかしくて、そしてこっちこそが、今彼の生きている世界なのだと、実感できて嬉しくて、くすくすと笑ってしまう。
 ああ、あれはただの夢だったのだ。
 ここ何日かの熱のせいで見た、ただの悪夢なのだ。
 思い出したくないこと。けれど忘れられない過去の出来事。
 紅に染まった自分の手。
 あまりにも穢れすぎていて、自分でもどうしたらいいのか分からない。
 自分の、犯してきた罪の数々…。忘れることなどできはしない。
 このとき、彼は夢に引きずられかけていたのかもしれない。
 発作的な、自傷衝動がつきあがってくる。

 ぎゅっと、拳を固めたとき、隣のベッドで小さな影が動いた。
「……・ゼルにぃ?」
 寝ぼけ眼をこすりながら、ヴァルが呟いた。その瞳が、徐々に見開かれていく。そして、ベッドを飛び降りると、ひしィっとゼルガディスにしがみついた。
「ゼルにぃ、ゼルにぃ」
 彼の足に顔を押し付けながら、何度も名を呼ぶ。小さな彼にとって、三日も人が意識を失っているというのは、十分不安をあおることだったのだろう。それでも、健気にこらえてきたに違いない。
 そっと、ヴァルを抱き上げて、優しく抱きしめる。ヴァルがさらに強くしがみついてきた。
 それが、彼を現実に引きとめる。


zelgadis
by絹糸様 
忘れてはいけない
全ての理由を
今ここにいる自分自身を
夢に見たことは過去の現実
今するべきは
唯一つ 

  
 小さな命。再び生きる努力をするヴァルガーヴ。
「大丈夫。良く我慢したな。偉かったぞ」
 優しく抱きしめて、そっとその体を下ろした。ヴァルの顔が誇りに明るく輝いている。誉められたことが嬉しいのだろう。そして、きょろきょろと周りを見渡す。
「フィリアは?」
「外にいる。傍にいてやれ」
「うん」
 その姿が扉の向こうに消えるのを確認してから、ゼルガディスはベッドの端に腰を下ろした。

           
 熱があるのだから、辛く無い、と言えば嘘になる。しかし、それほどの高熱にもかかわらず、意識ははっきりしていたし、体を動かす事に支障は無い。
 彼自身、どうして熱があるのかは、まだ分からない。ただ、自分の体に変化が起きていることだけは自覚できている。
 ゆっくりと息を吐き出すと、ポツリと呟いた。
「…・・オーバーヒート、か?・…」

 着替えを済ませて扉をあけると、目の前にフィリアが立っていた。その瞳を、やや不機嫌に染めて。
 彼女の横でヴァルが彼女を、困惑の眼差しで見上げている。
 「待たせたな」
 何事も無かったようにゼルガディスが言うと、フィリアの眉がぴくんっと、跳ね上がった。が、気にせずにさらに言葉を重ねる。
「荷物の準備はできたから、そろそろ出発しようと思う。ここからは歩いていく」
 フィリアの顔に、はっきりと怒りの感情が表れた。
「何言ってるんですか?!そんなに熱があるのに!!私の翼なら十分セイルーンに間に合うんですから、もう少し休んでください!!それとも……」
 ぎゅっと、唇をかみ締めた。
「私のことは信用してくださらないんですか?」
 うつむいて、消え入りそうな声でつぶやいた。
 彼女は、彼のために危険を覚悟でついてきた。それは、彼を仲間だと思ってのことだ。
 けれど、彼は自分のことを仲間と見なしていないんだろうか。ただ、一時旅を共にしただけでは…・・。
 その、台詞にゼルガディスが大きく息をついた。
「…・・そうじゃない。言葉が足りなかったな。フィリア、おまえの竜身は目立つんだ」
「へ?はぁ、まぁ、大きいですからね」
「………いや、そうじゃない。あんな魔力全開の姿でいられると、俺たちが近づいたことがすぐにゼロスにばれるんだ。そうなると、奴の正面から仕掛けなくてはならなくなる。正面から行って、勝てると思うか?」
 唐突に聞かれて、プルプルと首を横に振る。降魔戦争のとき、たった一人で竜族を壊滅にまで追い込んだ魔族ゼロス。まともに行こうが、奇策を練ろうがたやすく勝てるとは思えない。
「まぁ、後ろから行けばそれで勝てる、とはいかないが、せめてアメリアを守る事ぐらいはできるだろう。その可能性を潰したくないんでね。ある程度まで進んだら歩くつもりだったんだ」
「じゃぁ……・・?」
 熱があるというのに、フィリアよりも冷静に物事を考えているゼルガディスに違和感を覚えつつ、フィリアが首を傾げた。
「別に、ついてくるのがいやだというなら…・・」
「言ってません!!」
 少々皮肉げな表情をひらめかせるゼルガディスに、フィリアは叫び返した。
 その様子に、ゼルガディスが小さく笑みをこぼす。
「じゃぁ。これからもよろしく頼むよ」
 自分の荷物を肩にかけ、ゆっくりと階段を降りていく。その背中を追いかけるように、ヴァルもまた階段を駆け下りた。
 その背中を眺めつつ、大きく息を吐いた。
「本当に、素直じゃない人ね」
 それが、彼らしいところであり、やはりくすりと笑みがこぼれた。

 夜中だというのに、宿は簡単に引き払えた。
 何の事は無い。フィリアの大声に泊まっていた客から苦情が殺到したのだ。店主に遠まわしに非難され、恐縮しながら宿代を払うと、逃げるように宿を後にした。
 そして、今はセイルーンに続く道を歩いている。
 頭上には、白銀の満月が輝いている。
 その光に照らされながら、キメラと竜族という奇妙な一行が歩いている。
 ゼルガディスは、肩に袋を担いで、黙々と進んでいる。
 その横を飛び跳ねながらヴァルがついて行っている。夜に外出する事が無かったので、目に見えるものすべてが珍しいのだろう。右に、左にとそれながらついて行っている。
 その様子をほほえましく思いながら、フィリアはゼルガディスの横に並んだ。
「ゼルガディスさん?聞いてもいいですか」
「何だ?」
 顔は前に向けたまま、短く答える。
「ゼロスがなぜアメリアさんを狙っているのか。それが、あなたにどんな関係があるのかは聞きません。ただ、どうやって、アメリアさんを守るおつもりなんですか?相手はあの獣神官なんですよ?」
 ずっと、不安に思っていた事を聞いてみた。
 この機会を逃すと、最後まで教えてもらえないような気がしたからだ。
「私たちの気配は、あの男も知っているでしょう?私が竜にならなくても近づいたらわかるんじゃないかしら?」
 竜身になっていないとはいえ、竜族が二人。さらに、普通の人間よりもキャパシティが大きく、キメラというゼルガディス。
 その気配は、結構ばれるんじゃないかと思うのだ。
 その考えに、ゼルガディスはうなづいて見せた。
「恐らく、あいつもそう思っているんだろう。俺が近づけばわかる、と」
「じゃぁ。忍び寄りなんてことは?」
 恐る恐るたずねてみた。が、ゼルガディスは薄く笑っただけで答えは返さなかった。
 ただ、彼女に向かって一言言っただけ。
「フィリアがいてくれて助かるよ」
 それだけでは何もわからない。
 が、それっきり、彼は口を閉ざし、まっすぐに前だけを見て歩いていくだけだった……。


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