贖罪の時(3) 回-4
少女


 「おじゃましま〜す!!」
 明るい声を出しながら、リナが扉を開け放った。
 ほんの少し、薄暗い部屋だった。部屋の色々な所にかけられているランプは、光の量を半分に絞られている。いやみなほどに豪勢ではない調度品の数々が、その光に照らされてぼんやりと浮かび上がっている。
 その部屋の中央。ゆったりとした、皮製のソファに、人影が見えた。
「あ、あの〜。ここって、ル・アースの部屋って聞いたんですけど〜…」
 見知った顔がどこにもいないので、遠慮がちにリナが声をかけた。その声に、ソファに座っていた人影がゆっくりと振り返った。
 ゆるくウェーブした薄い茶色の髪。ほっそりとした手足が、身にまとった薄い空色のドレスからのぞいている。どこかあどけなさを残したその顔は、まだ14〜5の少女のものだった。
 しかし、はっきりとした顔立ちはわからない。その顔から上半分。つまり、目のあたりを白い布で覆っているのだ。

               

「おい、リナ。この子、目が……」
「うん」
 小さな声で、ささやき交わした。この部屋が、少々暗い、と感じたのはこの子の為だったのだ。できるだけ、やわらかな光で、彼女の瞳に負担をかけないようにという。

「…どちらさまですか?ここは、確かにル・アースの部屋ですけど…・・」
 少女が口を開いた。細く、透き通るような声だ。今は、不安に少しゆれている。深夜に、いきなり知らない人物が扉を開け放ったら、そりゃぁ、普通は驚くだろう。しかも、彼女は目が見えない。相手の姿が見えないという事は、本人にとったら、不安を通りこして恐怖なのである。
 その様子に、リナが慌てて言葉をつむぐ。
「あ、ああ!別に怪しいもんじゃないわよ!!」
「………夜中に押し入る奴がか?ぐ!!」
 ぐりぐり!
「うっさい!!」
  ガウリィの足をぐりぐりと踏みにじりながら、リナは柔らかい声を出した。
「ごめんなさい。約束はしてなかったんだけど、ここにいる"ゼルガディス・グレイワーズ"っていうのに話があるのよ。彼、いる?」
「ゼル…・・ガ・・ディス?」
 少女が、不審に眉を曇らせた。まるで、心当たりが無い、という風に。

 その表情に、二人が部屋を間違えたのか、と思い始めたとき、隣の部屋の扉が開いた。
「ルーシャ。何か音が聞こえたけど、何かあった………あああああああああ!!」
 二人の姿を認めるなり、心配そうな顔を一瞬で驚喜に変えるのは、世界中で一握りしかいない。そう、出てきたのは"ゼルガディス"だった。
「リナさん!ガウリィさん!一体どうしたんですか?こんな時間に?!!」
 うれしそうに、二人に駆け寄る。
「いちいち、そんなに驚かないでよ。何かこっちが照れくさいじゃない」
 本当に、照れくさそうにほほを染めながら、リナが"ゼルガディス"の肩をたたいた。
「すいません・・。えっと、立ったままというのも何ですから、こちらへどうぞ」
 リナに肩をたたかれ、恐縮したように頭を下げた.そして二人を、部屋の中央にあるソファに座らせ、自分はルーシャと呼ばれた少女の横に腰を下ろした。
 ちょうど、向かい合う形になる。
「えっと、グレイワーズ公?こちらの方は?」
 リナが、正面に座っているルーシャを手でさしながら、聞いてみた。"ゼルガディス"が一瞬だけ視線を伏せ、そして、彼女の手を取った。
「私の妹です。名は、ルーシャ・グレイワーズ。1年前、不慮の事故で目が見えなくなってしまいました」
 その言葉に、ルーシャの表情が沈む。二人にとって、その事は思い出したくない事のようだった。
「医者も、高位の神官たちにも治せないそうです」
 ぎゅっと、唇をかみ締めて、悔しそうに"ゼルガディス"がつぶやいた。それは、無力な自分に対しての悔恨であろう。目には悔し涙が浮かんでいる。
 そんな"ゼルガディス"の手を、ルーシャが強く握り締めた。その口元には笑みさえ浮かべて。
「気にしないで。私はこのままでも、平気。目が見えなくったって、生きている事が幸せだと感じられるもの」
 高潔で、透明な微笑。そこには、彼を慰めようという思いと、なによりも"生きている"という事に対する喜びが感じられた。うそも、偽りも含んではいない。その表情はとても14・5歳の少女の顔ではなかった。これまでに、一体何を見てきたというのだろうか?
「……・・ルーシャ」
 "ゼルガディス"が言葉に詰まったように、その白い布に覆われた顔を見つめている。もはや、そこは二人の世界。誰も立ち入る事のできない空気がたゆたっている。

「なんかさぁ、恋人同士って言われても納得できそうなんだけど」
「確かに。でも、目が見えない妹だと、どうしても過保護になるんじゃない?」
「そうかもなぁ」
「……・・でもねぇ」
「あの〜、リナさん、ガウリィさん?」
『うおわぁぁぁぁぁぁ!!!』
 ソファの後ろで、ぼそぼそと言っていた所に、いきなり背後から声をかけられて、二人が思いっきり飛びのいた。
 視線の先には、二人のリアクションに呆然としている"ゼルガディス"がいる。
「おのれはぁぁぁぁぁ!!いきなり声をかけるなって、言ってるでしょうがぁぁぁぁぁ!!」
 ぐわし!!と、"ゼルガディス"の胸倉をつかみ、乱暴にゆする。
「あああぁぁぁあああぁ!!すいませぇぇん!!今度からは、気をつけますぅぅぅぅ!!」
 乱暴に揺さぶられ、目に涙をためつつ、"ゼルガディス"が謝った。本人、あまり悪い事をしたわけではないのに、責められている事にはきづいていない。純朴培養の見本のような人物だ。
「よろしい」
 リナが、ぱ、と手を離すと、"ゼルガディス"が脱力したように、その場にしゃがみこんだ。どうやら、目を回してしまったようだ。 < >
「おい、リナぁ。いじめるなよぉ」
 すぱしぃぃぃぃぃ!!
「誰がいじめとるかぁぁぁ!!」
 スリッパで、ガウリィの頭をはたく。
 そのとき、ソファの上から笑い声が響いてきた。ルーシャが、こらえきれなくなったように、身を震わせて笑っているのだ。

 なんとなく、恥ずかしい気がして、リナは改めてソファに座りなおした。
「あはは!!恥ずかしいところ見ら…・・じゃなくて、聞かれちゃったね」
「いいえ。とってもお元気なんですね。彼が言っていたとおりの方達だわ」
 クスクスと、口元を押さえながら微笑をこぼす。つられて、リナも笑顔をつくった。やさしい、やさしい笑顔なのだ、彼女の笑みは。
 そうしているうちに、いつのまにか、復活したガウリィと"ゼルガディス"も改めてソファに座った。
「ところで、リナさん、ガウリイさん。何かご用があったんじゃないんですか?」
 小首を傾げてたずねる"ゼルガディス"の言葉に、、リナがはっとした。忘れていたのだ。
「そうそう、いや、特に用事って言うわけでもないんだけどね!アメリアがおいしいお酒くれたんで、一緒にどうかなぁ、って思ったのよ。ほら、ガウリィ!!」
「……・ん?あ、ああ」
 小脇をつつかれて、ガウリィが慌てて担いできた袋を下ろした。
 中から出てくるのは、・・見事なほどに酒ばっかりだった。ワイン、ウィスキー、ウォッカ、老酒、ジン、リキュールにブランデー。ありとあらゆる種の、それも一級品ばかり。その量に、"ゼルガディス"は唖然としている。
「で、どれ飲みたい?い〜や、面倒だから全部あけちゃぇ!!」
「お〜!!いっちゃえ!いっちゃえ!!」
 なぜか飲む前からハイテンションの二人。
 慌てたように、"ゼルガディス"が両手を振った。その手に、無理やりグラスをねじ込む。
「ちょ、ちょっと、待ってください!!お気持ちはうれしいんですが、私はまだ、明日のパーティが…!!」
「何よ〜!私の酒が飲めないっての!」
 既に、からみグセが出ているリナ。
「そうだぞ。リナの言う事聞かないと、後でどんな事になっても知らんぞ」
 ガウリィの、実感のこもった説得(脅迫?)に、"ゼルガディス"が折れた。
「……飲ませていただきます……」
 目の端に涙を浮かべて、そっとグラスを差し出す青年。
 目の前には、満足そうに微笑むリナがいた。隣のガウリィはなぜか気の毒そうな視線を彼に送っている。

「じゃぁ、私は先に休ませていただきますね」
「ルーシャ〜〜〜〜〜〜〜〜」
 恨めしそうな声を無視して、ルーシャが隣室に、そそくさと逃げてしまった。
「さぁ!!妹の許しも出た事だし!!」
「いつ出たんですか!!そんなもの!」
「きにしな〜い!ささ、飲んで、飲んで」
 グラスに、なみなみとブランデーを注ぐ。しかし、彼はただでは転ばなかった。
「これはリナさんたちがもらったお酒でしょう?私だけで飲んでしまっては、気が引けます。一緒にのみましょう!!」
 そう言うと、リナとガウリィのグラスを用意し、なみなみとブランデーを注いだ。
 二人とも、もともと、酒は嫌いなほうではない。しかも、目の前にあるのは超一級品だ。ごくり、とつばを飲み込むと顔を見合わせた。
「どうせなら、つまみも用意しましょう!」
 それが決めてだった。
 
 その夜、三人は仲良く酒を飲み、ほぼ同時につぶれてしまった。
 結局、「"ゼルガディス"を酔わせて、本音を聞きだそう!作戦」は、失敗に終わったのだ。

 翌朝、迎えにきたアメリアの白い視線と、二日酔いに二人は一日中ベッドを抜けられなかった。
 
 ちなみに、"ゼルガディス"のほうは、ルーシャの冷たい視線と二日酔いに悩まされつつ、ジャベルに見合いパーティに引っ張り出されていた。彼にとっては、とんだ一日だっただろう。


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