2002年12月16日(月)〜12/31(火)までのごはん。
12月31日(火)
大晦日なので、車とバイクを洗います。
と、みんなやはり同じ事を考えておりまして、ガソリンスタンドぎゅうぎゅう。江口も給油のついでに洗おうかと思ったが、スタンドがいっぱいなので諦めた。一応、店員に「車、洗いませんか?」と聞かれた。しかしこれは、大晦日セールストークなのか、本当に江口の車が洗いたいぐらい汚れていたからなのかは分からない。
今日は半日勤務でした。10時に出勤して、12時に解散。何をするかというと大掃除。しかし、江口職場は要領よく、3日ぐらい前からちまちまやっておりまして。つまり、今日出勤しても何もやることがない(正直なことをいうと、半物置になってる事務所を片付けなければ片付けたことにはならないと思うのだが、みんな見て見ぬフリをしている、と思う)。何しに行ったんだろう。あ、ボーナス現物支給じゃ言ってハムもらった。そうか、それを貰いに行ったのだな。
と、年越し準備を人並みにやってる江口ですが。しかし、最近では元旦営業の店も普通になり、寧ろ元旦の方が大売り出しをしている、なのになぜ皆、大晦日に買い出しをするのか。これって絶対、あの雰囲気が好きなんだろうな。だって、大晦日→元旦に普通に仕事のある人の割合って、少なくないはず。なのに、「正月なのに仕事だよー」と嘆くスタンスをとりたがる。これは、「正月なのに仕事」というのをある種自慢したがっているのではないか。だから、その自慢を続けるためにも、正月は盛り上がらなくてはならない。これが、普通の月の変わりだったら何も言えない。寂しい。みんな寂しいのは嫌い。
というわけで正月は楽しい。正月はめでたい。正月はステキ。
これはこういうものだと認めるのも、大人というものだ。子供じみた反抗は、人生をつまらなくするだけだ。
楽しい人生のために、楽しいこととして楽しいもののつもりで提供されていることは素直な心で受け取ろう。
ハッピーニューイヤー。
12月30日(月)
まったくもって、遺伝子とはおそろしいものであるよ。
血のつながりがある者同士は、顔が似ています。DNAの繁殖力には脱帽です。
たぶん江口家のDNAは強力なんだろうなぁ。だって、江口家(父方)の一族、みんな顔が同じだ。江口パパの兄弟、男二人に女一人、みんな同じ顔だ。自分の父親と同じ顔の女って、ものすごく笑える。その他にも、江口父が死んだ長兄の法事に出たとき、他の参列者に「長兄が化けて出てきた」と言われたらしい。
で、この兄弟の子どもたち、つまり江口姉妹とそのいとこ達。似てる。特に、江口姉と従姉、本当にそっくりで、江口が彼女に久しぶりにあったとき「なんで姉ちゃんがここにいるんや?」と思ったぐらいだ。江口はまだM家(母方)側の血族の顔であるが、それでも第三者から見たら、父親似と言われた。いやいや、江口一族を見てごらん、きっと第四者からでも第五者からみても、一発で同族とばれるだろう。
なんでこんな話をしているかというと。
きょう、久しぶりに他へ嫁いでいる江口姉とその息子(江口甥)に会ったワケだ。
この甥っ子、姉ちゃんと同じ顔してんの。
嫁ぎ先の血はどこに混じってる? 江口家の血は薄まらないのか?
生まれたときは、そりゃあ「パパにそっくりね」とか「やっぱり男の子の顔してるね」とか言われたが。ちがう。性別を越えた、江口家顔だ。パパの血、入る余地無し。
てことは、あれか。江口家遺伝子のほうが優性遺伝なのか? だからいつまでも薄まることなく特徴を表面化させ続けているのか? じゃあM家寄りの江口は劣性チーム? いやん。
12月29日(日)
家族全員が仕事をしていると『苦の餅』とか『一夜飾り』とか言ってられなくて、今年の仕事納めをしてからようやく迎春の準備ができるわけで。今日より、江口ママンが連休に入ります。猛ダッシュで正月の用意です。江口が手伝おうにも、江口はまだまだ仕事です。ママンは明日、餅をつきます。江口の手伝いはありません。一人でやるつもりらしいです、「一人でこやこややる」と言ってました。
で、「こやこや」って何や。
という事情があって。いまの江口家、「こやこや」が流行語。意味はわからない。言葉は生き物、誰かの魂を通過した言葉が、いつまで生き残るんだ。でも「こやこや」って、やっぱり何や。
こないだ特番やってたので思い出したが。樹木希林がNHKでやっている、10分ぐらいの番組『大希林』が実は好きだ。もう3ヶ月ぐらいやってるんだろうか、時間が時間だけに、うっかりするとすぐ見落とすので、まともに見たのは数えるほどだが、けっこう面白い。どんな言葉でも乗っている『大希林』という辞書を刳りながら、日本語についていろいろ知っていこう、という番組。お勧めです。
江口、NHK好きだなぁ。
12月28日(土)
天空の城ラピュタ。城とまでは行きませんが、普通の住居が並んでいます。
というわけで、ラピュタまで営業に行ってきました。
どういえばいいんでしょう。感想は、「こんなとこにも人間が住めるんだ」だった。土のあるところに人間が住む、これは感情が自然に受け入れられる状況で、でも空中に人間が住む、というのはなかなか受け入れられない。空中に地面があり、家を建てている。犬が飼われていたりする、バイクも走る。この不自然さ。しかも、家は縦にいくらでも伸びている。階段状に建て増しされて、つまり初期の家は階段の内側に埋もれていて、昼なのに暗い。空中なのに地下みたい。そして最上階は誰もいなくて荒れている。いや、もしかしたら手長ロボットがいるかもしれないが。足元のタイルも剥がれそうで、少し間違うと床を踏み抜いて地上に堕ちてしまいそうだ。飛行石片手に破壊の呪文を唱えると、きっとこの町は分解する。
本当に、空中庭園は人類の夢なんだろうか。
人類の夢は、『空高く開放的な空間での快適な生活』であって、『空中に住むこと』では無いはずだ。これは他の問題でも同じ事で。目的と手段を見誤ってはいけない、と。
しかし、あの空中街、かなり魅力的だ。良い面も悪い面も両方ともが。
12月27日(金)
写真の現像が出来ない。
10月に、岡山の友人のところへ遊びに行った。その時、使い捨てカメラを2個買った。1個は使い切って、翌日には現像に出したのだが、もう1個が全部使い切れず、まだ現像に出せていなかった。
その後、とくに面白いイベントもなく、写真も撮ることが無く、月下美人の花やら、寂れた観光地やら、買ったばかりのジャケット姿の江口やら、愚にも付かないものを撮影し続けて、3日前ぐらいにようやく24枚全部撮り終わった。
あとは現像にだせばいいだけ。なのに。
いかんねん。江口、現像代¥480でプリント代¥0の所を知ってるから、これ以上の金がかかるところでやりたくないねん。
ちゃんとした写真屋で頼めば、30分仕上がりだがプリント代1枚¥20とかする(なので、現像料と合わせて¥1000越えたりする)。近所のスーパーでやれば、翌日仕上がりでその上¥800ぐらい。いかんねん、やっぱり¥480のところでやらないと、ものすごく悔しいねん。
だがこの金額でやっているところは、営業時間中には江口が行けないんだよね。江口が出勤する前にはまだ開いていなくて、帰ってくる頃には閉まってる。どうしようよ。早くしないと年越すよ。
というわけで、今日も鞄の中にはカメラが入ってる。本気で困っている。早く現像して見たいのに。
12月26日(木)
僕の作ったクリスマスケーキで、二人で一緒に大きくなろう。
江口もいつまでも、最近彼氏が出来たばかりの友人の初デートを邪魔したり、公園へ行って出歯亀ったあげくにクリームパイ投げつけたりしたり、『笑っていいとも』のクリスマス特大号を年に一度の楽しみにしたりせずに、人並みにクリスマスを味わっても罰はあたらないだろうと、年頃の若い男(仮名Mくん)と1日遅れのパーティをしてきました。気が付けば毎年同じ面子です。
お互いにそれぞれ料理を用意して持ち込む。江口からは、ミートソースとチーズをフィリングに、バターたっぷりのパイ生地で包んだミートパイと、豚肉を唐揚げにして、素揚げした野菜と一緒に付け込んだマリネ。Mくんからは、恒例のポテトサラダ・卵黄増量タイプと、焼き付けた鶏肉と野菜とトマトをビネガーで煮込んだ『チキンの狩人風』と、4時間かけて作ったチョコレートのブッシュ・ト・ノエル。それから、乾杯用のスパークリングワインと、食中酒数品。
さあ、肉と乳製品と卵と油と糖分とアルコールがみっちり詰まった、この一食分のカロリーはいくらでしょうか。
しかもMくんは、江口が寝ているのに口をこじ開けて、ケーキを食べさせようとフォークをねじ込んでくる(誇張表現なし)。その上、ビールまで出してくる。『成型時に余った』という、ケーキのビスキュイ部分を出してきて、それをツマミに勧められる。夜中の3時なのに。
君の作ったクリスマスケーキで、江口は確実に大きくなるよ。
12月25日(水)
死後の世界とか、あんなのは嘘だと思う。だって、どうがんばっても、人間を含め全ての生き物は、有機物のカタマリでしかなくて、それ以上でも以下でもない。だから魂も無い。魂が極楽浄土へいくとかなんとか、そんな帰還ルートはどこにも用意されてない、きっと。
何をいきなりこんな話かというと。ふと、自分の父親が死んだときのことを思い出して。
普通に火葬場に持っていって、普通に焼いて、普通に翌日御骨拾いに行ったのね。で、そこで見たのは、灰に埋もれた燃えた骸骨。
死んでどんな葬儀をやろうと、肉体って全部現世に残っちまうんだよね。当たり前のことなんだけど。一通り葬儀をしても、死後の世界と遺体は繋がらない。焼却炉から出てきたものは、『人間としての活動を終えたもの』でしかなかったわけだ。
で、あれからだいぶ時間も経って、冷静にその時の状況を思い出せるようになって。
あの御骨拾いの時に言いようの無かった感情を、今なら言える。「おつかれさま」だ。
現世での生活を一通り終えて、役目も済んだので無事燃やせました、お疲れさま、だ。
つまり、こおゆう感情から、「じゃああとはごゆっくりお休み下さい」で死後の世界って概念が出てきたんだな。
だから宗教って、死後の世界を語るんだ。極楽浄土に行くために、現世で善く生きろと勧める。ああなるほど、こおゆうことだったんだな。
12月24日(火)
コンビニに行ったら、店員が、ヤンキー面した頭悪そうなトウの立った女だった。あまり期待せずにレジを打ってもらったら、外見からは予想できない誠実な対応で、思わず向き直ってしまった。ちくしょう、可愛いじゃないか。朝からいい思いをさせてもらったよ、メリークリスマス。
というわけで、今日はクリスマス・イブです。近所のスーパーでケーキを買って帰ります。で、ついでだから、仕事に使う菊の花を一緒に買う。片手にケーキ、片手に菊。今日のテーマは『未亡人のクリスマス』に決める。
ラジオを聴きながら。1日に何回も『ラスト・クリスマス』やら『恋人はサンタクロース』やら『クリスマス・イブ』やら『クリスマスなんて大嫌い』やら聞かされる。飽きる。ラジオって、リクエスト曲をかけるけど、他のリスナーだって飽きてるだろうに。本当にリクエストに基づいているのか疑問になってきた。
なんでクリスマス当日より、イブの方が盛り上がるのか検証する。それは『24日』という数字ではないのだろうか。詳しく言うと長くなるので端折るが、例えば数字0〜9を色で塗ってみるとする。実際調べてないので分からないが、予想として、奇数が寒色で、偶数が暖色で塗られるのではないか。だから、暖色のイメージで固まる12−24という数字の並びが好印象を与えているのではないか、という仮説。これ、あながち間違いじゃないと思うんだが。誰か立証してくれないかなぁ。
以上、クリスマス話題いろいろでした。どんなにあがいても、今日はどんなネタもクリスマスに関連させてしまう。たぶん、一億二千万総日本人、同じ現象と思う。
日本人が一致団結する日。それがクリスマス。あと正月も。日本人を動かすなら、12月後半が狙い目だな。
12月23日(月) 天皇誕生日
寝ます。
いや、この数日、ちょっとした睡眠不足で。で、今日こそは早く寝ようと思ったんだが、結局年賀状書くのにものすごく手間取ってる。じつはまだ終わってもない。でも瞼が痛いので寝る。
12月22日(日)
ラブラブ全開な小説のようなものを書いている。他人のために。キーボードをグーで叩きたくなった。
こないだ言ってたアクセス解析を外しました。
解析してみて初めて知った事実色々。毎日十数カウントある江口サイト。その来訪者のうち3割が江口、4割が某友人、残り3割で見知らぬ方を含む他の人、だった。なので、回っているカウント数の7割が、たった二人の人間で動かされたものだと知ってしまった。世の中には知らなくていいことがいっぱいある。てゆうか、某友人。なんで管理人の江口よりもいっぱい来ているか。
という事情も、解析を外した理由のひとつなのだが。実はこれよりも、もっと問題があって、そのせいで外すはめになったのだが。
江口はHPファイルの管理を、FrontpageExpressでやっている。で、解析システムを導入するためには、ファイルの中に指定されたタグを書き足さなくてはいけない。そしてそれには注意事項があって、『<head>〜</head>のなかに入れて下さい、<body>よりあとに入れると、全体のレイアウトが崩れます』(なんのことかよく分からない人は、ツールバーにある『表示』→『ソース』を開いてみて下さい。いろいろ出てきます)。なので当然、その指示の通りに入れる。でも翌日。その出来上がったファイルをもう一度Frontpageでひらくと、解析タグがheadの外に出ていってしまっている。おかげで背景画像が出てこない。何度直しても、一旦ファイルを閉じると元に戻る。ここしばらく、何度か背景が真っ白だったときがあった、理由はこれです。
というめんどくささのせいで、さようならアクセス解析。君のことは忘れない。
12月21日(土)
TEAM猫十字社の、コミックのあとがき漫画にあった、『難産の末にネームが完成して、あとはペン入れだけだ』という状態で、スタッフ達にこう言って檄を飛ばすくだりがある。
「さあ皆の衆。あとは単なる肉体労働! 書いて書いて書きまくれ!!」
なんか好きだ、これが。
みなさんはバーチャルペットをご存じですか? 古くはたまごっち。最近では携帯電話の待ち受け画面で動くやつなんかもあります。仮想現実の中で飼われている愛玩動物。それがバーチャルペット。
今、江口はバーチャルペットを飼っています。犬です。犬種はわかりませんが、ラブラドールとか、コッカースパニエルとか、あんな感じ。漠然としているので、雑種かもしれない。けっこう大きい。色は白か、うす茶色、もしくはそのミックス。名前は『ふう』。本名は『フランベルジュ』、略してふう。時々、『ふうスケ』とか呼んじゃうので混乱される。けっこうおばか。お手とか待てとか、犬基本芸程度はなんとかこなせる。いつか、フリスビーをキャッチできるようにはさせたいです。
で、どこで飼っているかというと。
それは江口の脳内。脳内ペット、フランベルジュ。
犬飼いたいなぁ。
12月20日(金)
ジッタリン・ジンの『プレゼント』なんだけど。曲が出た当初から言われていたことだが、彼氏のプレゼント、センス無ぇ。今日、久しぶりに聞いて気づいたこと。彼氏のプレゼント、統一感無ぇ。ひょっとして全部別人なのか? キリンが逆立ちしたピアスも、ヘップバーンの写真集も、アメリカ生まれのピーコートも、全部別々の人間から贈られたのか。そして過去彼ぜんぶ、他に彼女がいたのか。そう解釈すると、なんて悲しい歌なんだろう。
と、どうでもいいネタにどうでもいい茶々を入れたところで、今日の本題。
江口車に搭載してあるMDプレイヤーがボケました。ずっと、データの読みとりが出来たり出来なかったりしていて、ヘッドクリーニングしても戻らず、そしてとうとう、中に入れたMDが出てこなくなるという症状まで起こりました(ほじ出したけど)。なので、最近の車内音は、AMラジオです。職場ではFM、営業車の中では再びAM。まさか人生ここまで終わったところで、こんなにラジオに関わる人生が始まるとは思わなかった。しかしラジオトークって、まったりしてるよなぁ。あんまり眠気を覚ますものではない。騙されるな、みんな。
12月19日(木)
香川県に生まれ育って27年。ごめんなさい、今日の今日まで、坂出市と高松市が隣接しているって知りませんでした。やー。国分寺町が挟まっているのは、一部分だけだったんだね。というわけで、近いうちに王越(地名)経由で高松攻めだー。
最近は忙しさもあってあまり出ていないが、江口の休日の過ごし方はドライブだ。近場の公園などをうらうらする。ちなみに昨日の休みは、雲辺寺ロープウェイ乗り場まで昇ってきた。乗り場までだ、ロープウェイには乗ってない。すばらしく閑散としていた。天気が悪かったのもあるが、うらぶれ倍増。ああ、江口の幼き頃の思いでの中にある、あのぎゅうぎゅうゴンドラはどこへ。
そんなわけだから、最近地図を見るのが好きだ。山の中や海沿いを通っている道を見つけると走りたくなる。緑色で塗られている部分を見ると、攻めたくなる。仕事中に坂出市をうろうろしていると、番の州(地名)方面の公園の多さにココロトキメク。いつか全部制覇。全部制覇。
しかし、坂出はなぜあんなに公園が多いんだ。余ってるのか、土地が。余ってるなら江口に少しくれや。
12月18日(水)
年を越すために、車のオイル交換と、カレンダーを貰うためにディーラーへ行く。毎年のことだ。これをやらないと、江口の新年は来ない。で、カレンダーの確実確保のために、事前に電話したら「もうカレンダーは、各営業担当が持っています。お客様の担当は誰でしょうか?」と聞かれたので、素直に江口の最愛ディーラー兄ちゃんの名をあげる。「用意します」の返事。なのでてっきり、今日は会えるのかと、テキトーな格好でいくつもりだったのに着替え直して出発。結果、会えず。なんか今年会ってない気がする。さみしいなぁ。しかも今年のカレンダーは、江口の大嫌いな魚眼レンズ犬だ。無事に年が越せますでしょうか。
というわけで、最近ココロトキメク出会いがない江口。たまにアタリを見かけても、たいてい既婚者だ。
その理由に、今気が付いた。
だって江口、27歳だもんなぁ。江口から見たストライクゾーンからフリーな上玉を見つけるのは、火中の栗を拾うほどに難しい。用法が違っているのは気のせい。
そんな江口にも、再びコンパの誘いが来ています。でも今月末にするのはこらえてくれ。
お気づきでしょうか。昨日から、江口ページにinfoseekのアクセス解析入れてみました。アクセス解析とは何かというと、このサイトを見ている人がどんな人なのかを調べられるシステムのことです。ふつう、みなさんがどこかのサイトを見るときは誰でも必ず、パソコンなどを使い、ブラウザを利用して、いろいろなサーバーを経由して見ています。それが全部分かります。また、その閲覧者が何回訪れたか、前に来たのはいつか、などが分かります。その他にも、どこに張られたリンクから辿ってきたのか、どんな検索ワードで調べて辿り着いたのか、などなど、本当にいろんな事が分かります。と、ここまで書いていて自分でそら恐ろしくなりました。そうか、ただぼーっとサイト見ているだけなのに、ここまでばれてしまうのか。こりゃ、変なサイトに出入りできないな。「見てないよー」なフリしていても、「見に行ったよー」なフリしても、全部バレる。よっぽどアクセス数の多いサイトなら、単なるデータとして収集するには便利なんだろうけど、江口ページのような、身内しか来ていないようなサイトなら、たぶん誰がきているか分かる(サーバー名で、だいたいの居住エリアが分かるので、そこから判断できる)。
‥‥こりゃ、解析外した方がいいかなぁ。知らない方が幸せって事もある。なんか、ただの好奇心のつもりが、イヤな側面見ちゃったよ。とりあえず、2,3日は遊んでみるつもり。
12月16日(月)
なぜジジイはいい年して、女の数を自慢するんだろうか。あまつさえ、未だ現役と言うことを誇示したがるのだろうか。ということを検証してみよう。
男の価値は、ちんこで決まる。男の視点から見ても女の視点から見てもこれは思いっきり明確で。その人物について語るとき、事前にどんな言葉があろうと、その後に続く『ちんこが大きいか小さいか』で意味を全て逆転させる。「俺はでかい」の自覚一つで、彼は自分の全てに自信を持ち、「小さいくせに」の一言で、女は男の全てを罵倒しきれる。余談であるが、江口の聞いた一番の罵倒ゼリフは「人間としての器もチンチンも小さい」。
と、ちんこ一つで人格が左右されることから、男について語るときは、イコールちんこについて語るときになる。すなわち、男はちんこそのものなのだ。ちんこが付いている生き物ではなく、ちんこそのもの。そりゃあ、女の数をアイデンティティにするのも仕方ないだろう。だって、小便出すか女の中にハマっているしか存在価値がないんだから。70年ぐらい生きてきただろうに、人生の行動原理は『自分はちんこである』か。まだ種馬扱いの方がいいよね。だって種馬って、その個体の能力(遺伝子)に存在価値があるんだから。
というわけで。あのジジイは所詮ちんこなんだから、ちんこのセクハラ言動にいちいち腹を立ててはイケナイ、という結論。明日からはもっと大人になろう、江口。
ふと思ったが。じゃあ、女の価値はまんこで決まるのか? って、一昔前ならいざ知らず、今はノーだな。だって『女は子供を産む道具』という認識って、もう時代錯誤もいいところ、と世間一般に広まっているだろうし。生物的に分かりやすい価値を社会的にも個人的にも放棄した時点で、それに代わる価値の獲得が必要になってくる。でも、それの指針がどこにもないので、誰もが手探りで、そして多様化していっている。
なのでジジイ、あんたも早くちんこ以外のものに自分を見いだしなさい。そうしないと、時代から取り残されるよ。もう間に合わないかも知れないけどね。