2021年6月のごはん。

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6月 その6

 わたくし、こう見えて職場では「パソコンに詳しい人」扱いになってるのですよ。excelで作った月次集計表の月が変わったときに日付欄の曜日をちまちまイチから入力し直してるけど、パソコンに詳しい人扱いなのですよ。いやほんと、アレもうちょっと簡単にできると思うんやけど。
 さて、そんな江口ですが、いまの部署に単身配属になってから、「わしが病欠とかしたときに、部署の仕事を誰も知らん」状況を懸念して、ヒマがあればちまちま業務マニュアルを作成しているのです。何度も言うが、これってパートのわしの仕事じゃない。仕事じゃないが、ともかく、作ってるのですよ、で、そのマニュアル作成に必要な作業として、いろんな伝票類の現物をスキャンしてPDFファイルに落とし込んでいるのですが。
 このPDFの加工の仕方が分からん。
 自宅のパソコンだったら、適当な加工ツールでもDLしてあれこれやるんだろうけど、職場のパソコンで操作履歴をぜんぶ本社に紐付けされてるような状況でそうもいかず、しかたないので今は、excel立ち上げ→スクリーンショットで取り込み→ペイントで加工、ってやってる。
 コレ、絶対もっと簡単な方法があるはずなんだろうけど、分からないのでこの数ヶ月、ずっとこのままでやってる。今後も、解決する気配もない。どうしよっかな。 

6月 その5

 娘ちゃんが、市のスポーツ少年団に入団した。言うてええか、血ィ吐きそう。
 学校から、チラシが時々配られるのですよ。我が家は両親そろってインドアなので、育ち盛りの子供たちはこれでいいのか、と思ってはおる。なので、チラシが渡される度に「あんたらもスポーツ、やってみないか?」と声かけはする。で、「興味ない」って返事されて終わる、これが常だったのですよ。
 それがどうしたわけか、娘ちゃん、今回に限って「やってみたい」って言い出して。
 こっちから声をかけた以上、「やりたい」って返答を無下にするわけにはいかぬ。
 でも、正直言わせてくれ。
 こんな、ママサポ前提のサークル、関わりたくねぇー。
 娘ちゃんがスポーツに関わるのはよい、よけいな出費が増えるのはよくはないがよい、勉強時間が減るのはよくはないがよい、その辺は我慢できるんだ。
 サークル運営がママサポ前提なのが、胃がじくじくする。
 とりあえず見学だけ、で行かせてみて。見学なのにチームメイトと同じ練習メニューがっつりやらされて、「しんどい」って言うかな、って思ったけど、「続けたい」って言い出したので続けることに。
 限界超えないようにがんばる。 

6月 その4
 

 なんとなしに、「子供のためのおやつ」的な本を買ったのですよ、四六時中市販菓子ばっかり食べさせてるので、まあなんかローカロリーなもののレシピでも載ってないかなあ、と思って。単に「低カロリーのお菓子」なレシピ本はいくらでもあるんだけど、こっちの欲しい情報は、ティータイムのおとものお菓子じゃなくて、発育のための食事情報なもんでね。ま、買った本は参考になった。
 参考になったが、まあなんというか、「市販菓子は毒」「食品添加物が」「その食材が大切な子供を蝕む」論が、んもうむにゃむにゃ。
 言いたいことは分かるけどさあ、じゃあなんだ、その論に従ったら、子供は一生砂糖の味を知らないのかな、と思うと、それはそれで偏ってるよなあ、と。
 本が提唱するおすすめのおやつ、ってんで、水で溶いただけの小麦粉生地にヒジキやらオカラやらを混ぜ込んだものを焼いたのを食べさせてるが、言うてええか、水で溶いただけの小麦粉を焼いたものって、堅くてマズいぞ。砂糖の効果って、生地を柔らかく保ったり、しっとりさせたりいろいろある、そんな美味を一生知らずにひたすら堅くてマズいものだけを食べて過ごすのかな、と。
 とは言うが、「砂糖を食べられなくて可哀想」というのは、「大麻でラリれなくて可哀想」と同義になるのではないか、という疑問も同時に生じる。
 常習性がある、健康被害もある、それを「こんなイイものを知らないなんて可哀想」と言ってしまっていいのか。
 ま、わしは堕落サイドの人間なんで、そんな修験僧みたいな生き方はハナからしておりませんので、これにてドロン。
 あ、サツマイモ蒸かしたのとか、トウモロコシ蒸かしたのとかって、子供めっちゃ喜ぶ。

6月 その3

 春琴抄はなし、つづき。
 しばらく前に、「パクリとオマージュの境界はどこだ」という話題を見かけまして。まあ、このテーマは永久的に語られるものだろうから、しばらく前とかそれ以前にもどっかで語られているだろうけれど。
 目的と手段が入れ替わったら、それはパクリなんだろうな、という意見にひとまず落ち着いた。
 二人だけの耽美な世界を表現する目的のために、二人して失明する道を選ぶという手段を用いたのが原作として。
 二人して失明することで耽美な世界を描いたつもりになったら、それはパクリだ。
 失明させる展開を使わずとも二人のねちっこい世界を描いたなら、それはリスペクトだし。
 谷崎演出と分かる上で針で目を突かせたらオマージュで、オリジナル演出と言い張って突いたらやっぱりパクリだ。
 と、偉そうなことを言うてみたりしておます。

6月 その2

 そういや、『春琴抄』(谷崎潤一郎)を読みましてん。『バーナード嬢曰く。』(施川ユウキ)で、「改行も句読点もなくページぎっしりに文字が」とあって、それだけで興味を持った。春琴抄薄いよなあ、と思って手に取ったら、仰るとおりのぎっしり文字。そして肝心の本文は本全体の半分で、残り半分は解説なのだが、その解説も負けず劣らず改行も句読点もない文字ぎっしり。あれか、本体がアレだから自分も許されると思ったのか西村孝次。
 さて、内容も全く知らずに読んで、面白く読んだのですが、それよりも気になったことが。
 あれ、『牡丹と薔薇』って、これのパクリだったんか、と。
 まず牡丹と薔薇を説明せねばならぬ。2004年にフジテレビ系列で放映されてた連続昼ドラ。まー、なんつーか、濃いぃ内容で、わしも何をトチ狂ったのか、毎度毎度追いかけてはレビューしていた。未だに思う、あのときのわしは正気じゃなかった。描きたかったであろうテーマは、「過酷な運命に翻弄される姉妹の愛憎」であったのだろうが、翻弄されたのは視聴者だったというね。
 で、このドラマの最後は、妹が何でか失明して、それを姉が「わたしが面倒を見るわ」と言って二人きりで別荘に引きこもり、そこで姉も自分で目を針で突いて故意に失明させて、二人きりの世界に浸ってドゥワ〜、でしてん。リアルタイムで見たときの感想は「なんでやねん」だった。そしてコレがパクリであったと知った今、ほんまにあの時わしはどうかしてた、と己の当時をしみじみと思い返すのである。
 この話、つづく。

6月 その1

 なーんか、今年は夏がなかなか来ませんねえ。いまだに半袖の服を着るのをためらう。衣替えをする頃になると、夫が「ながせ(梅雨)の時分に急に冷え込む」という理由でなかなか長袖をしまおうとしないが、わしは生まれて46年、そんな経験を全くしたことがないので、「暑い」と思ったら即、服を入れ替えるのだが、今年は難儀している。こういう時のために、薄手のカーディガンでもあればいいんだろうが、過去に経験が無いので当然準備も出来てない。5月ぐらいになると、汗だくだくでアイスコーヒーの仕込みに余念がない、そんなカンジなのに、いまだホットコーヒー。なーんか、妙な気候。しかし地球46億年の歴史のなかで、気温が1度2度なんてのは誤差と呼ぶのもはばかられるほど小さい違いなのかと思うと気が遠くなるな。しかしながら地球上の生き物はこの1度2度でおおいに影響を受けてしまうんだから、なんとちっぽけなことよ。
 壮大な話をしているが、要するに今晩は冷やいなあ、ということで。
 ひや。









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