「楽しんだ方が勝ちさ」。これが近頃のわたしの持論である。人の一生はかげろうと大差ないと思えるようになってきたからだ。ある日ふわ〜とこの世に姿をあらわし、子孫を残すべく本能のおもむくままに飛び交い、そして丸一日すらもたず力つきて水面に墜ちていく。たったそれだけのことなのだ。
 かつて、受傷して間もないころ、わたしは病院の敷地から一歩も一人で出られない時期があった。ああなったら、こうなったらと悪いことばかりが脳裏に浮かんで怖かったからである。あるかどうかも分からない明日のために今を我慢するなんて馬鹿げている。なにも刹那的に生きるなんて露ほども思ってやしない。明日はある。夢も目的もしっかりと持っている。けれど、明日のために今日を耐えるなんていうのは、特にこんな身体になっているからこそ余計に馬鹿げていると思えるようになっただけのことである。今のわたしは一人でどんなところへでも行く。つい最近、人家も遠いだだっ広い荒れ地を目にして急遽タクシーを降りたことがある。さすがに草地にまでは入っていけなかったが、それでも道沿いを移動しながら秋の名もない雑草たちを眺め、秋を堪能した。そう、つまらないことではある。しかし、それでわたしは十分楽しいのだからその気まぐれによってたとえ映画が観られなくなっても満足だ。自分で決めたことだからである。その後どうしたかって? ちょっと苦労したけれどタクシーを捕まえることができたし、あまり親切な運転手ではなかったけれど、ともあれ一本遅らせて予定の映画を観ることもできた。そのあと遅くなったので一杯飲み屋に入り、熱燗にサンマでカウンターのおにいちゃんにくだまいてから帰宅した。
 そんなわたしだが、それでもいまだ体験していないものが多々ある。その一つに「列車での旅」というのも含まれている。
 季節は秋の盛りだ。わたしは列車に乗ってどこかに行ってみようと思いたった。今回は第一のステップとして、行ったことのない西方面を日帰りできる所まで行ってみることにした。本当は一人でぶらりと無人駅なんぞに降り立ってその町を徘徊するなんてのが理想だが、さすがにそこまでの勇気はまだない。運良くというか悪いというか、わたしが参加しているインターネットのメーリングリストの主催者が中村の人で、また、折しも東京から中村へ行く同じメーリングリスト仲間がいるという。それじゃあみんなで会いましょうということになって、わたしのぶらり旅は急遽、目的地も乗る列車も自動的に決まってしまうこととなった。おまけに連れが付くことになった。どうせ一人旅ではなくなってしまったのだから、それじゃあせっかく中村に行くのだしと会員の熊井さんに連絡してアッシー君をしてもらうことになった。すっかり当初の冒険旅行ではなくなってしまったが、それでも当日まで何の情報も得ないように切符も買わず、事前に駅に電話をかけることもしなかった。
 当日、わたしはまったく無知のまま、時刻表で調べた列車に乗るべくタクシーで向かった。駅でいきなり小さなトラブルに遭った。タクシーから降ろされた場所がロータリー内の車道で、そこから目の前の駅構内に行くには高い段差があって、たとえ介助者がいてもとても上がれそうもなかった。どこでどう時間を取られるか分からないので、いくぶん余裕をもって駅には来たのだが、それでも少し焦った。結局いったん道路まで戻り段差のないところから歩道を通って構内に入った。
 次は切符だ。列車は満員で買えないのではないだろうか、買えても座れないのではないだろうかと少し心配した。まあ、そんな心配を楽しむために出てきたのだ。どうにかなるさ、である。切符は買えた。座席指定がなかった分、安くなって得した気分になった。
 さて、駅弁の楽しみの一つだ。駅弁を買おうとキオスクに向かったが、ふと途中で気が変わって改札口に行き、駅員に「車椅子なんだけど」と、どう扱ってくれるのかの説明を聞こうと声をかけた。駅員はこちらが拍子抜けするほど慣れたもんだった。列車名を聞き、時計を見て、別の駅員に声をかけ「そこでお待ちください、いま係りの者が来ますから」とわたしに言いながら駅員はもう入場する客の切符をチェックする本業に戻っていった。そこで待てと言われても、え、駅弁をまだ……。わたしはかまわずキオスクに向かった。しかしキオスクの店内に入る前に後ろから声をかけられてしまった。ニコニコと笑顔のやさしいおじさん駅員である。気のいいわたしは「駅弁を買うまで待て」とは言えなかった。しかたなく駅弁ショッピングの楽しみを捨てて、連れの者に買ってきてもらうことにし、わたしだけ先に改札口を抜けた。【教訓1】一人で乗るときはまず先に駅弁を買え、である。
 どうやらわたしを介助する駅員はニコニコおじさん一人らしかった。乗車ホームは線路の向こうだ。どうやって陸橋の階段を上げるのか見当もつかなかったが、車椅子を押すニコニコおじさんが向かっている方向を知ってすぐに合点した。ニコニコおじさんはホームの先端に向かっているのだった。ホームの先端は緩やかなスロープになっていた。近年はどの駅もそんな改造がなされているのだろうか。スロープを下り、線路を渡り、またスロープを上がると、そこは向こう側の島ホームという具合だ。なるほど。高知が始発の特急列車はすでに入っている。しかし出発時刻までにはまだかなり間があった。これなら駅弁ウオッチング出来たのにとブツブツ。乗車予定の列車前まで来たところで連れと合流し、ニコニコおじさんがいなくなったと思ったらすぐに戻ってきて、どこに置いてあったのか鉄製の短い梯子に似た短冊状のものを手にしていた。それを二つに分解したところで合点した。それ専用に作ったのだろう、列車とホームの段差にいとも簡単にスロープが出来上がった。うん、JRは頑張っている。が、しかしだった。無事列車内に入ったものの座席間の通路は狭く車椅子は通れなかった。どこからともなくもう一人駅員が来て二人でわたしを抱え「どの席がいいですか」と訪ね、どこでもいいと言うと「じゃあ左側が海が見えるのでいいですよ」と一番後ろの席に座らせた。細かな座り具合にもちゃんと対応してくれた。うん、よしよしJRはガンバだ。けれど、もしわたしが列車の中程に座ると言ったらどのように対応していただろうかと、後になってちょっと興味がでた。よし帰りに言ってみよう。と言うのも、そこが始発なら時間にも余裕があるだろうが、途中下車となると停車時間内に乗り降りさせなければならないだろうからだ。座席指定ということもある。列車はどんな状態で入ってくるか分からない。たとえば帰省ラッシュ、まあ、そこまで極端な例をもちださなくとも、通路に荷物や人がいたら時間内にうまく対処できるのだろうか。
 列車が動き出した。およそ20年ぶりのワクワク感触だ。さっそく手をすり、舌なめずりをして駅弁をひろげた。なんとも貧弱な駅弁だった。連れに苦情を言うと「だって一番安かったんだもん。だったら言って取りかえてきなよ」と言う。ふ〜む。しかたなく箸をつけた。【教訓2】大切な駅弁は自分の目で選べ、である。
 ところが駅弁をなかなか口に持っていくことが出来なくなってしまった。ちょうど良い腰の座りに位置にしていたはずだったのだが、いざ列車が走り出し、スピードが上がってきたら、列車の揺れに身体を取られて、転げ落ちないよう手で突っ張っているしかなくなってしまったのだ。突っ張りながら、なるほど、これが振り子列車かと妙に納得してしまった。カーブを曲がるときなど、まるでジェットコースターに乗っているようだった。連れに腰の位置を前方へずらしてもらおうと思ったとき、さすがだ、天才はひらめいた。背もたれを後ろに倒せばよいのだ。一人旅だったら面倒なことになっていただろう。さっそく直してもらった。おあずけ状態だった駅弁がやっと食べられるようになった。駅弁は以外とうまかった。ふ〜む。【教訓3】女は外身、駅弁は中身で決まる、である。
 車窓は、山、山、山、ときどき寒村、のくり返しだった。特急ではあるが単線のためだろう、ちっぽけな山あいの駅で対抗列車を待つこともあった。そんな無人駅の向こう側には、紅く染まった山肌、刈り終えた棚田、点在する民家、たわわの柿の実、といった懐かしい風景があった。いいなあ、としみじみした。列車旅ならではの感慨だろう。しみじみしていると、車掌が切符を確認しにきて「乗車券が半額になるので下車駅で払い戻しができるようにしておきましょう」と言う。しかも連れの分もらしい。わたしはそんなことすら知らなかったのだ。なんだか得をしたようで列車旅の浮かれ気分がさらに上乗せになった。しかしこの世は常に栄枯衰盛諸行無常、塞翁が馬に単勝一本である。座席に座って1時間あまり、尻が文句を言いはじめたのだ。杞憂していたことが始まったのである。わたしの尻は、たとえそれが車であろうとソファーであろうと、わたしの車椅子のクッション以外受け付けないのである。わがままな尻が痛い痛いと文句を言いはじめ、それはしだいに阿鼻叫喚へと変わっていく。わたしはがまんしなさいと連れに頻繁に足の位置を変えてもらったが、中村駅に着く頃には脂汗を浮かせた好色おやじ顔になっていたはずだった。
 中村駅に列車が停まると駅員が待っていてくれた。高知駅から連絡が入っているからだろう、ドアが開くなり入ってきて、わたしを抱え上げ車中で車椅子に乗せてくれた。列車から降りるとき、高知駅で使われていたものと同じ鉄製の簡易スロープが敷かれてあった。もしかしたらJRの主要駅すべてに配置されているのかもしれないとうれしくなった。総じてJRの対応はよかった。これなら一人でも乗れるという確信を得た。
 中村駅では大挙してわたしを待ちかまえていてくれた。メールフレンドと実際に会うというのは何度体験しても摩訶不思議なことだ。一度も会ったことがないのに相手のたいていのことは知ったつもりでいるからだ。その家族構成から職種や性格、出来事、悩みや喜びといった移ろいを日々やりとりしているからである。けれど会ったことはないのである。そんなメールフレンドが中村駅に集まっていてくれた。いくらかの気恥ずかしさと期待を秘めて対面した。もちろんすぐにうちとけた。
 熊井夫妻の案内で、希望の四万十川沿いをはしってもらった。四万十川の水量は少なかったが、落ち鮎ねらいの釣り人がそこかしこで竿をのばしていた。それらを包み込む秋の大地がとてものどかでリラックスした。念願の沈下橋を渡った。中村のうまい寿司を食べ、あたふたと再び車中の人になったが、わたしに何の気がかりもなかった。