自分の世話に少し余裕が出来たので猫を飼うことにした。あちこち声をかけていたら4月1日猫がやってきた。エイプリルフールだが本物の猫だ。まだ歩くのさえ下手なトラ模様の女の子で、その夜から生活が猫中心に一変してしまった。初めの2日間は怖がって鳴き続けテレビの下から出てこようとしない。3日目からは一緒に寝てくれるようになったが、こんどは毎日シーツの洗濯に明け暮れねばならなくなった。ちゃんとトイレを覚えてくれるようになるのにおよそ2ヶ月かかった。重ねて、爪を立てて足をよじ登ってくるので傷だらけ、何もかも床に落とすので車椅子が通れなくなってしまうことに困った。怒らないので覚えてくれないのかもしれないが、私の教育方針は「本人の思うがままに」なのだ。私が運良くそういう生活を与えてもらっているので同居人だって同じでなければ不公平というものだろう。
 彼女の名前は「にゃあ」と言う。1ヶ月くらい名前がなかったあいだ、私が鳴き真似をしているうちに覚えてしまったのだ。今日は7月末だから、ちょうど丸4ヶ月の同居生活になった。いや同棲であろうか。今はまったく手がかからないし、つき合いもそれなりに甘く順調である。けれど趣味や好みは彼女とあまり似ていない。私はソーメンが好きだが彼女はソーメンの袋が好きだ。私はインターネットで遊んでいるが彼女はみかんのネットで遊ぶ。ベジタリアンな私だが、あいにく彼女は肉類が好きなので、スーパーに行くと必ず肉類も買うようになった。肉をフライパンに入れて焼き、次に野菜類を入れる。肉の油が野菜にからまってしんなりとしてきたところで彼女の肉を取り出して献上する。そのあとで残ったフライパンの野菜を適当に塩コショウして味付けをする。我が家の野菜炒め調理法である。私は肉汁のからまった以前よりおいしい野菜炒めが食べられるし、彼女はいくらかの野菜片も食べるので栄養のバランスが良い。これを共生関係という。
 最近すこし心配ぎみなことも出てきた。家の中ではけっこう傍若無人に振る舞っている彼女だが、私の姿が見えないところには決して行かなくなったことだ。猫なのだから「わたしにかまわないで。あんたは給料だけ運んでくればいいのよ」的態度があってもいいと思うのだが、外へすら出ようとしない。風呂であれトイレであれついてきてじっと終わるのを待っている。深夜中パソコンをしているときもキーボードの前で横たわって眠り、ときおり薄目をあけて私を確かめる。冷蔵庫へビールでも取りに行こうものなら、さっと膝の上に乗ってくる。このままでは一人で外へも行けない猫になってしまうのではないか。キャットフードのドライは食べないくせに、私が口の中に入れたものなら豆腐でもソーメンでも食べる。今はまだ子供の部類だろうから可愛いで済ませていられるが、彼女がオバさんになったとき、自立できていないべったり彼女に、今のようにニコニコしていられるかちょっと不安だ。まあ、スポイルしたのは誰でもない私自身なのだから、私が責任を取るしかないのだが――。しかしたとえ将来手に余すようなことになったとしても、私は決して他にやったりはしない。
                         ―'97/8―