もう3年が過ぎてしまったのですね、早いものです。

 朝6時起床、7時朝食、12時昼食、17時夕食、21時消灯。後は何もない。繰り返される人生消化のための日常。50メートル四方の、擁護という名の安全な壁の中の生活は、がんじがらめの規則に則った放置そのもの。長い長い24時間。館内を切り裂く罵声、怒声、号泣。各4人部屋に備えられている1台ずつのテレビ。個人の所有は許されてはいない。そのテレビの電源を入れてよいのは昼食後から14時までと、夕食後から21時まで。しかしチャンネルの選択に関するトラブルは事実上不関与。食事は全員そろってからの15分間。出される食事以外のものを口にしてはいけない。もちろん出前あるいはカップ麺などは御法度。20数日ごとに巡ってくる同じ献立の冷えたご飯と冷えたおかず。冬などまるでわざわざ冷蔵庫に入れておいたよう。昨夜の残り物のような形の無くなったすき焼き。表面が乾いて反っている竹輪とコンニャクのおでん。健康のためにと塩抜きされたシジミの味噌汁はご馳走の部類。油抜きされていないラーメンが食べたい。9時から放送される映画が観たい。ヘッドホーンからではない音楽が聴きたい。せめて…せめて人の目がない時間が持ちたい。あれがしたい、これが欲しいと、まるで子供のよう。けれど叶えられない欲求は、次第に体内に蓄積されていく。いつしか得体のしれない圧迫感、重圧感といったものに悩まされるようになる。じっとしていられず、わっとわめきたくなる衝動、逆に、襲ってくる脱力感、倦怠感。30代半ばに強要された余生のような日々の呻吟。まだ夢があるから、まだ希望を捨てられないでいるからゆえの苦しみ。失って初めて身にしみた自由という宝物。

 身ひとつっきりの何もない人生。

 けれど、何もない拘束下で思いっきり四肢を伸ばせるこの開放感。何でもないあたりまえのことができるこの幸せ。「幸せだァー!」と空に向かって声を出さずにいられないこの至福感。春も終わりだというのに、まるでかたきにように食べ続けた湯豆腐。深夜放送を部屋いっぱいに流しながら迎えた朝日。夜となく昼となく徘徊した周囲の道路。この五管に触れるすべての事象が喜びの対象。そしてその度に発した「幸せ!」

 私は、今、もちろん幸せです。この家に救い出された当初の感激は、今でも少しも失われてはおりません。私の未来に、たぶん劇的なことが待っていることもないでしょう。けれど私は、一度失ったものを取り返し、以前よりずっと人生を楽しむことができるようになったと感じています。人より優れた何ものも持ってはいないけれど、日々を楽しみながら、ゆっくりと年老いてゆくゆとりを得ることができたように思えます。四季を堪能するゆとり、小さな子供と話をすると無性にその子が愛おしくなってしまうゆとり、夜毎窓辺を通る猫に挨拶をするゆとり。その度に、何故か私は嬉しくなってしまいます。そして、今ではすっかり口癖になってしまった言葉をもらします。「幸せ」と――。