このごろ潮騒が、高く聞こえるようになりました。すだく虫の音も数が増し、夜はすでに毛布を増強して染み入る冷気に応戦しています。秋は、いえ、冬の先兵は、音もなくひたひたと寄せているようです。
 お手紙ありがとう。○△さん、無事に夏を乗り切って、お変わりなくお過ごしの様子、安心しました。
 ワープロで失礼します。
 私の方は少し変化がありました。いえ、自分から求めてそうしたといったほうが、より正確のようです。
 秋が本格化するころになると、私がこの施設に来て、丸2年を迎えます。
 早、2年…。
 このごろ、余りある、消灯後の時間を利用して(眠れないのです。今までですと、FMやCD、テープ、テレビの音だけ、といったもので時間を潰していたのですが…)迷想、妄想などを試みています。
 …俺は、何のために生きているのか、生き続けようとしているのか。
  誰のために生きているのか。
  死ぬとはどういうことか。
  自分と周囲とのかかわりあいは…。
  この ☆☆ さんとの良好な、あるいは険悪的な関係は。
  何故、今、ここにいて、こうしてベッドで横になっているのか。
 大げさな、こんな答えの出ないようなことを頭の中でいじって遊んでいます。ときには暗がりの中でメモしたりもします。
 どうも私は、このごろ仏教の本を好んで読むためかシャカの影響を強く受けてしまったようです。いろいろ頭の中でいじり回した末に、疲れて飽きて、結論を「この世は無情なのだ」というところに持っていき、お茶を濁してしまいます。
 熟語にもなってしまった、四苦八苦。すでにご存じだとは思いますが、生きていること自体がすでに苦なのだ、簡単にいえばそういうような意味と受け取っていますが、私は皮肉にも、健康なときよりも、現在の方が心が安らかなのです。頚椎5、6番、行き場のない施設暮らし、であってもです。
 強いていうならば、悩みのないのが悩み、ひどい苦しみのないのが苦しみ、といったところでしょうか。
 誇張していえば、今現在、私はこの施設で緊張するものがなにもない、ということと関係しているかもしれません。懸念する出来事とてなく、恐れる人や大いに気をつかう人もおらず、自由奔放、思い通りの生活をしています。もちろん入所当時から現在の状態を授かったわけではありませんが、刺激のない生活は私を怠惰にさせ、何か大切なものを削り取られている気がしてなりません。
 人は逆幸(?)から学び成長すると聞きます。
 ふと気付いたとき、私の時間が無為に流れていたことにドキリとします。
 いつのまにか時間のサイクルが長くなってしまっていたのです。何も考えず何時間でもやり過ごすことが出来るようになりました。苦どころかそれを楽しんでさえいたのてす。「あ! もうすぐ2年になるじゃないか」と気付いたとき、何だか分からないけれど焦ってしまったのです。そこで夜の自己問答となったというしだいです。
 私はこの2年、人付き合いをしすぎたようです。自然と私の部屋は人が頻繁に出入りするようになっていました。
 私は、私に残された唯一の財産、私の時間は、私自身のために使おう、と決意したのです。あたりまえのことのように思われるかもしれませんが、よくよく考えてみると周囲に人が居る以上そうもいかないのが現実なのです。
 人が来れば話さなくてはならない。施設の行事があれば顔をださなくてはならない。テレビが付けられれば耳から入ってくる。
 人と付き合うには忍耐と寛容がいります。知り合い、友人、親友、という自分のなかにあるらしき無意識の区別は、その忍耐と寛容を要す度合いが大きいか小さいかの違いにすぎません。両親であれ、双子の片割れであれ、竹馬の友であれ、それが決してゼロになるわけではありません。
 忍耐と寛容に余りある収穫が期待できるのなら人は喜んで努力するでしょう。進んで傷つきもするでしょう。しかし期待が薄い場合、冷たいようだけれど、貝のように堅く口を閉ざすしかありません。少しでも傷つかないために……。冷たく口を閉ざすのも、また勇気と努力を必要とするのですけれど…。
 幸か不幸か、人生80年といわれだした昨今です。私の年令はマラソンでいえばちょうど折り返し点をまわったところです。あと半分もあるじゃないか、と考えたら気が遠くなりそうですが、もし、これからが本番じゃないか、と考えられるとしたならば、もう一度ハチマキを締めなおさなければなりません。折り返し点からだと遅れを取り戻すにはもう遅いかもしれないけれど、まだ間に合うかもしれない。
 私は一人になることを望みました。一人ずつ遠ざかり、拒否し、良い子の役を降り、同室者を私の都合に合わさせ、私は私の希望通り独りになりつつあります。自分の部屋では話すことが少なくなりました。
 言葉を忘れてはいけないので、食事等でホールへ出掛けていったときには、ジョークを言って引っ込んだ気分を発散しています。入所者への罪滅ぼしの意味もあります。
 ちなみに私は双子座です。陰と陽。変わり目は速いのです。ハハ…。
 そんなわけで、私の環境が変わりました。いえ、変わりつつあります。
 そんなにまでして、一人になって何してるの? という声が聞こえてくるようですが、そこで今月の初めから、どんなふうに、何にどれだけ時間を充てたか自分で把握したくてメモしてみました。午前はワープロ、午後は本、を基本にした生活をしてみたのですが、自身で意識していたより時間はまとめて使えないということがわかりました。
 と、ここまで書いた次の日、遅れていた入所者の会《やわらぎ》の役員の改選があり(本当なら4月)なんと私は会長ということになってしまいました。よりにもよって……です。
 世は無情、思い通りにはいかないものですね。

 毎日海を眺めていると、いろいろなことに気付きます。陽の落ちるのが早くなってきたし、位置も変わります。水平線が熱暑でぼやけていたのに、しだいにはっきりする日が多くなりました。鮮やかな青は浅葱色に見せ、輝くレースの縁取りのようだった白波も元気がありません。室内に入る西陽も長くなりました。

   もう秋。  私の心は空き  日常には飽きて
   明らかに来たる秋に
   私は何も期待できないでいる

 すみません。何だか寂しい手紙になってしまいました。それに、自分のことばかり。
秋にお逢いできますね。たのしみにしています。
 寒くなります。お体に気をつけてお過ごしください。
                                     9月5日

 ○△さま


                    ― '86.9 ―