身体障害者等級表による等級「1級」。赤手帳(身体障害者手帳)にそう記されています。
 等級表とは、身体障害者福祉法施行規則にある傷害程度等級表のことです。その等級表によって、私たち頸損者には「1級」が与えられているわけです。つまり頸損は最も重度な傷害の一つとみなされているといえます。
 傷害等級は重度なほど、医療費の自己負担の免除、国や地方自治体の福祉サービス(ホームヘルパーの派遣や住宅の改造資金の貸付など)の保護がうけられるしくみになっています。けれども私たちは、その「1級」なるものの恩恵に十分に浴しているといえるでしょうか。よく比較されることですが、脊髄損傷者は一括して「1級」とされているわけですから、車椅子のまま自力で階段を上がり下り出来るほどの脊椎損傷者と、数センチの段差すら上がることの出来ない、いや、車椅子をこぐことすらできない頸椎損傷者が、同じ扱いをされている障害者等級なるものの基準にはやはり矛盾を感じずにはいられません。
 たしかに私たちは、医療費の心配をすることなく病院に行くことはできます。が、その代価として支払っているともいえる、社会的環境の未熟さから受ける平素の生活の不自由さを思えば、とても最上級の「1級」に浴しているとは言い難いものがあります。福祉の不充実さ、イコール、低レベルの「1級」ということなのかもしれません。
 そもそも障害者等級などという制度自体必要なのでしょうか。自力歩行できなければ「1級」という十把ひとからげの等級基準。だからあなたはこれこれの福祉が受けられるという与えてやる式の発想。私たち頸椎損傷者同士でさえ、運動能力には天と地ほどの違いがあって、同じ土俵に立たされる矛盾を感じてしまうというのに、大まかな等級を基にした現行の福祉のあり方にはやはり問題があると言わざるをえません。
 私たちが日々必要としている福祉とは、障害者等級から得られる「サービスをうける権利」などではなく、個々の傷害によって微妙に違う生活上の不便さの理解と、それをおぎなってくれるきめ細かなサービスのはずです。
 いっそ全廃してもらって、新たな福祉の在り方を考えてもらった方がよいのかもしれません。医学の進歩で救命率が大幅に上がっている現在、今のまま手をこまねいていれば、等級による矛盾はますます顕著になっていくでしょう。
 もし運営上、障害者等級の制度が必要であるのでしたら、病名や傷名によった等級分けなどではなく、日常の生活能力を評価の基準にした等級分けにしてもらいたいものです。その評価分けには問題も多く手もかかるでしょうが、昨今のリハビリテーションの確立と普及がそれを可能にしていると思うのですがどうでしょう。
 一個の人間として、社会生活を営んでいく上でのハンディキャップを補ってくれる福祉。それには町の環境も変わらないと実現は不可能でしょうが、同時に私たちも、それを漫然と待っているだけではなく、もっと町に出てゆき、社会の一員であることをデモンストレーションする必要があるようです。