自立について 

ツリフネソウ

〜自己紹介をかね、さる紙面インタビューより転載〜


・ 障害を持ってから今までを簡単に話してください

 たまたま高知に遊びに来たんですね。で、なぜかこの土地が気に入ってしまって、そのまま気分は長逗留って感じで居着いてしまっていたんです。喰いつなぎみたいないい加減な仕事をしながら、アパートまで借りてだらだら生活していたんですけど、その当時の仲間と泥酔して帰ったとき、さらに飲みながら朝まで遊んでたんですね。それで悪ふざけが過ぎてベランダから落っこちてしまったという情けない理由で傷害者の仲間入りしたんです(1980年)。頸椎損傷という傷害を受け入れて、精神的にも安定したころは、高知に親類縁者がいるわけじゃないし実家へ帰ろうかとも思ったんですけど、実家は老いた母一人なんですね。で結局、残りの生涯を県内で終えようと障害者施設に入所することにしたんです。ところが行ってびっくり。その施設の生活のしづらさといったら僕にはとても耐え難いものだったんです。で、今度は他へ移ることばかり考えました。でもなかなか見つからなくてね、7年間そこで辛い思いをしました。今は最良の生活です。運良くここのケア付き住宅へ移入させてもらってからはね。

・自立しようと決めた動機は何ですか

 一言で言えば、それまで入所していた障害者施設の、非人間的環境からの脱却ということでしょうか。おそれずに言わせてもらえば、そこでは入所者は家畜並でしたから。がんじがらめの規則で縛っているくせに、柵内では放牧にも似た放置なんです。プライバシーなんていう上等なものはもちろん皆無でしたね。介護にも心がなかったなぁ。介護を受ける度に傷ついてましたね。寮母に悪意があるというわけではないんですよ。環境がそうさせてしまっていたんだと思うんですけど、寮母の何気ない一言に棘があったり、「してやっている」的態度があからさまに見て取れるんですよ。施設というところは閉塞された密室社会ですから、外からは見えにくいでしょう。既得権者の力学というやつが良識を越えても、本人たちは気づかないという側面もあったとは思うんですけどね。で、とにかく逃げだしたいと強く願うようになって行ったんです。当時はまだ若かったから未来をあきらめてなかったですしね(笑)。いろいろ探しましたよ。市営住宅とか県外の施設とかね。でも無かった。それで、ちょっと無茶苦茶な発想かもしれないけど、普通のアパートで一人で住めないものかと奮起したわけです。そのためならたとえ一日24時間、すべてが自分の身の世話で終わってもいいと思うほどでした、当時は。

・ ここでの暮らしを始める時にした工夫とかはありますか

 それはいっぱいあります。日常生活がそれまでは全介助でしたから、それを一つ一つ、介護を受けない生活をするにはどうしたらいいか、他の人の例を知らなかったので、自分で考えて障害者施設にいる時から練習を始めました。このケア付き住宅への入居は自立が前提でしたし、いざ入居日が決まってからの数ヶ月は、自立へ向けてリハビリ病院に入院しました。頸損っていっても一人一人違うでしょう、けっこう試行錯誤しましたね。先進国アメリカの本を参考にしたり、担当の作業療法士と相談したりしながら見つけだして行ったんです。それに、このケア付き住宅のオーナーの理念の素晴らしさも大いに助けになりました。というのは建築前の図面だけの段階から、入居予定の部屋を、入居者の使い勝手の良いように入居者自身の手で設計させてもらえたからです。僕の場合、特にトイレは助かりました。車椅子にあわせたトイレの高低はもちろん、手すりの位置、便器の型をも指定させてもらえたのでクリアできたようなものです。

・施設にいた時と変わったことを教えてください

 何もかもです。一変しました。取り戻したと言った方が正しいかな。受傷前までは当然と思っていたことが全部禁止されていましたからね。出来ることといったら本を読むことぐらいですから毎日が暇で暇で。出来ないことの一つ一つはみな、笑っちゃうほど些細なことなんですよ。朝寝坊をする、散歩に出る、買い物をする、テレビを観ながら食事をする、好きな時間に好きなものを食べる、ヘッドホーンからでない音楽を聞く、9時になっても明かりを消さなくていい、寝なくていい、などなどです。今はやることがいっぱいあって時間が足りないくらいですけど。けれどなにより、精神的にゆとりが出来たのが一番ですね。

・ 趣味と仕事のことを聞かせてください

 趣味はパソコンと音楽がメインです。音楽は何でも聴きますが、今はクラブハウス物とバロックという両極に凝ってます(笑)。パソコンでは、今はちょうど仕事に区切りがついたのでホームページ作りに時間を浪費しているところです。仕事は、精神を鍛え直さないと続かないとつくづく思い知りましたね。20年近く障害者をやってきたので、知らないうちにスポイルされていたようなんです。今年の頭から半年ほど、パソコンを使ったパートタイムのようなことをしたんですけど、なぜかだんだん心身に倦怠を覚えるようになっていって最後のころには契約を支えるのが精一杯でした。目に見える自立の最高峰が仕事だとすると、分水嶺の向こう側には同じだけの自立するんだという頑強な精神力が必要なんだと思いましたね。これからは、無理せずぼちぼちと、おこずかい稼ぎ程度からなまった根性を鍛え直していくつもりです。

・ 今困っていることは

 さほど無いんですが、しいて言えば外出のときでしょうか。今は、移動のほとんどはタクシーを使ってるんですけど料金、高いですからね。また、移動先からさらにその先へちょっと移動なんていう時は乗りにくいですよ。その度に友達に乗せていってくれとはいえませんしね。

・ 自立について聞かせてください。

 僕の場合ですけど、僕は頸損6番寄りの、5,6番です。一応身の回りのことは自分で出来ています。でも、たとえば料理を作るとしますね。手がこんなふうで物をつかめないから人の何倍も時間がかかるわけです。それでもなんで自分で作っているかと言うと、大げさな物言いに聞こえるかもしれませんけど、それが僕の生き方なんですよね。それが私の生きる道 by puffy 。古いね、どうも(笑)。
僕に残された時間も、もうそろそろ横道にそれて遊んでいられるほど多くはないはずなんです。その貴重な時間の多くを割いてまで料理とか掃除とかに使っていいものか、もっと他にやることがあるだろう、効率を考えろ、とかって思わなくもないんです。でもね、うまく言えないんですけど、一個の大人として、社会人として、出来るうちは自分でやるべきだと、さほどの根拠もないんですけど勝手にそう決めているんです。
数年前、僕もとうとう、働いていた年月より人の世話になっている年数の方が長くなってしまったんですね。社会にお返しできることって今のところ僕には人に手数を煩わさないってことぐらいしか見当たらないもんでね、情けないけど。
で、この目に見える自立の方、ADL、自分流マニュアル作りはけっこう大変でした。続けるのはもっと大変です。かなり強い意志が必要です。僕の場合ですけど、運良く極悪の障害者施設に居たもんで(笑)その反発心が起爆剤になり叱咤激励になりましたけどね。
障害者施設って、料理も洗濯も風呂もトイレも全部代行してくれるんですよ。考え方を変えればとっても楽ちんな所ではあるんです。お時間ですと起こされてね、車椅子に乗せてもらえば朝食が待っているんですから。でも何で僕が、気が変になるほどまで嫌がったのかというと、プライバシーとかの問題は横に置いとくとして、その最たる理由は「自分の人生だ、他人に決められてたまるか」ということだったんです。実はこれ後になって分かったことなんですけどね(笑)。でもね、これが自立というものの神髄だと思うんです。
ま、ともかくこれ以上寮母の手を借りたくない、嫌な思いをしたくない、自分のことが自分で出来るようになりたいという一心で始めたことだったんです。それでも途中何度か挫折しかかりました。寮母の嘲笑とか白眼視とかは反発に繋げやすいんで孤独にさえ勝てればいいんですけど、難しかったのは、以外と思われるかもしれないんですけど自分自身への誘惑に勝つことでした。
突然ですけど、「立ってる者は親でも使え」っていうのがありますよね(笑)。寝ころがってテレビを観ていたがつまらない内容なのでチャンネルを変えようと思い立った。そこへ親が通りがかった。誰しも「そこのリモコン取って」と気軽に頼むでしょう。うるさい親なら小言の一つくらいは言うかもしれませんけど、まあ大抵は取ってくれるはずです。
自立というのは、この「そこのリモコン取って」という障害者特権を自ら外すことなんですね。今は第二次大戦の真っ最中なんだからとか、俺の周りには誰も居ないんだとか自分に言い聞かせながら、ひょいと気軽に他人を使ってしまう誘惑と戦いながら練習したもんです。今はすっかり慣れて手を抜くところは抜くし、ほとんどのことが苦にならないで出来るようになってはいますけどね、こつが分かりませんでしたから当時は。
もちろん今だって自立出来ているなんて思ってやいませんよ。身の回りのことが自分で出来る=自立、ではありませんからね。もしそうだったら親離れ子離れが出来ないでいる親子や、何とはなしに東京の大学に入って親のすねをかじりつつ一人暮らしをしてはいるけれど・・なんていう人もみんな、健常者というだけで自立出来ている人ってことになってしまうでしょ。身の回りのことは全部介助を受けて、余った時間を有意義に過ごすとはっきり割り切った障害者の人がいますけど、その人の方がずっと自立できていると思いますよ。
要は心の持ちようをどこに置くかなんだと思うんです。自立って、文字通り、自分で立つ、自力で立つ、ということであって、自分の道は自分で拓き、自分の足で歩いて行く、ということだと思うんです。もちろん、立ち止まろうと寝っころがったままでいようと自由なんですね。ただし、付けは自分で支払うのが大前提です。他人に依存しない強い心を持つことが肝要なんですね。
日本って横並び社会でしょ。常に人より出過ぎないよう横の人に習って生きるっていう悲しい術が染み込んでいるように思えてしかたないんですけど、そのためかどうか枠から外れた僕からは、みんな自分の人生なのにどこか人に習って決めてしまっているふしが見受けられてしかたないんですね。それも選択だって言われるとそれまでですけど、健常者でも自立出来てる人って案外少ないんじゃぁないのかなぁ、なんてね。一人になるってそんなに怖いことなんでしょうかね。パソコンの中なんかでも、みんな人を求めているんだなぁってのが見てとれますけど、それって意識下のただ漠然とした孤独や不安を癒やされたいと願ってのことなんじゃないのかなぁなんて思ったりしてます。
少なくとも障害者が真の自立を獲得するには、まず当たり前になっている、権利とさえ思いこんでいる、その他者への依存を完全否定するところから始めるくらいでないと難しいように思いますね。なぜって、日本では、寝ていれば三食が天井から降ってくるシステムが出来上がっていますからね。規制緩和を渋っている官僚と同じ理由です。人間って本来孤独なものだと思うんですよ。しかもいずれはたったの一人で死んで行かなくちゃならない。だれも一緒に行ってはくれないんです。その事実さえはっきり自分の中で認めてしまえば無用な甘えや依存心なんてなくなるし、もう半分は自立出来たも同然だと思うんですけどね、傷害の有無を問わずね。