6 藍について

1) 藍染に使う藍について
  藍染の原料は、「すくも」と呼ばれるもので、タデ科植物の「タデアイ」から作られます。 しかし、「すくも」にするには、多くの作業工程(発酵)を必要とします。
 生葉で、染めを楽しむこともできます。生葉染めの原理を説明すると、タデアイの葉の部分にインジカン(無色)の物質が含まれています。この物質は、葉っぱを細かく切ったりミキサーにかけて粉砕すると水に溶けだしインドキシル(無色)という物質になります。インドキシルは、タンパク質(つめや絹)には吸着され、水・空気(酸素)と結合することによりインジゴ(紺色・青色)に変わります。つめや絹の布を藍色に染めることができます。
  「すくも」作りは、タデアイの葉を夏場収穫し乾燥させます。そして、乾燥葉藍を9月下旬頃から水をかけ、堆肥のように発酵させ繊維質を分解し、タデアイの成分であるインジゴを凝縮させます。土または腐葉土のようになったものが「すくも」であります。


2)徳島の藍について

 徳島(阿波の国)における阿波藍の起源は不明であるが、鎌倉時代に紺屋職が存在し「藍役」があった。阿波藩(蜂須賀)開藩にあたって紺屋役銭を徴税されていたということから、早くから栽培がされていたのであろうと考えられます。
 吉野川下流域は肥沃な土地であり水の便もよく、藍栽培には適した地域であったといえます。そして、阿波藩の政策により、江戸時代阿波藍は生産量をのばし、全国に藍玉(すくもを練り固めてこぶし大にしたもの)として染料を供給しました。その後明治の時代になり生産量をのばし明治36年には最高の生産規模となりました。
 しかしその後、化学染料の発明で急激に生産が減少してしまいました。明治36年の作付け量は15,000ヘクタールであったものが、明治40年は、7,542ヘクタール、昭和元年502ヘクタール、昭和40年4ヘクタールまで減少しました。
 近年、昭和50年頃から郷土の伝統ある産業としての見直しや伝統工芸品、自然の手作り作品としての注目と人気を受けて藍栽培の面積も増加をしてきました。昭和50年10ヘクタール、昭和60年21ヘクタール、平成3年22ヘクタールと生産面積が20ヘクタール台に回復してきています。