「平成14年度
徳島県人権広報ラジオ番組用オリジナル原稿」
すべて桂七福の書き下ろしたものです。
引用・転載などの行為は
『良き方向に…』でのみ認めます(笑)。
≪1≫
児童心理学を専門としている先生(女性)から教えていただいたこと。
「大きくなったら何になる?」と質問をしたら、正直に自分の気持ちを答えるのは、大体、小学校3年生くらいまでなんだそうです。
なぜ、小学校3年生なのか…?
小学校3年生あたりから保護者の「勉強に対する意識」が変わってくるそうで、子供のテストの点数などが気になりはじめる頃らしい。
小さい頃は、「大きくなったらウルトラマンになる!!」とか「お菓子屋さん!!」「おもちゃ屋さん!!」というような答えを聞いても、親はニコニコと笑って「ウンウン」と笑って見守っていたはずなのに、
学校生活や勉強・成績などを意識するにつれて、
「大きくなったら○○(職業名)になる!!」
というのを聞いても笑顔でいられなくなる大人が増えて、
「もっと勉強して違う仕事に就きなさい」
というような言葉を言ってしまう傾向もあるらしい。
それが小学校3年生前後…。
これが何度か繰り返されて、『○○は良くない』というようなイメージを持ってしまって、極論では、自分の気持ちではなく、
親がニコニコしてくれる答えを探して口にしてしまい、知らない間に、それが自分の本心であるかのような錯覚に陥ることも多いそうです。
親や保護者が子供を思うがゆえに出てしまう表現なのかもしれないけど、これは「職業差別じゃないのか?!」と問われても言い訳できない言葉だろう。
間違いなく考えられることは、そういう考え方やイメージを持ってしまった子供達は『職業の上下・偏見』を持ってしまうことになりはしないだろうか?
落語の中の小噺に、
「頑張って勉強しなさい!!勉強せんとお父さんみたいになるよ」
というものもあるけれども、これが現実に
なっている家庭もあるのかもしれない。
知らず知らずのうちに植え付けられてしまう偏見。何とか身近なところから無くしていきたい。
でも、私は息子に「ええか、大きくなっても落語家だけにはなるなよ」と言ってしまいそうな気がする…。
≪2≫
中学校の同級生のグレた原因を聞いて「言葉の怖さ」を思い知った。
中学のときには、ごくごく当たり前の男子生徒だったTくんが、高校に入学するなり態度や服装・行動が一変してしまった。
俗に言う「不良」。
そして、4月の入学後わずか2ヶ月の6月の半ばには中退。中学時代の同級生の間では噂しか耳にしなかった。
「家を飛び出して高知へ行ったらしい」
とか
「いや、高知と違う。大阪や」
「いやいや、岡山らしいで…」
というような、不確かな話しのまま噂は自然と消えてしまった。
そのTくんと22年ぶりに会うことができた。知人の紹介で、たまたま見に行った陶芸の展示会。
「七福さんと同じ中学校の卒業生ですよ」
と紹介されたのがTくんだった。噂で広がった土地とはぜんぜん違う町で陶芸の勉強を重ねているらしい。そして、その時になぜ「不良」になったかを教えてもらった。
それは、Tくんの母親のたった一言が引き金だったらしい。
高校の合格発表の日、帰宅して母親に合格の知らせをすると、
「さぁ、次は大学受験に向けて頑張らなくちゃね」
と言ったらしい。何気ない言葉かもしれない。
親として、気の緩みそうな息子に「引き締めていけよ」という気持ちを込めての言葉
だったと思う。しかし、Tくんはその時に心の中で、「おめでとう ぐらい言えよ!!もう次の受験かよ?!」
と、親に対する反感が一気に出てきたらしい。
それと同時に、心の中に、
「高校って何? 受験って何? 勉強って何?今まで頑張ってきても意味無いことなのか?」
というような疑問と憤りがこみ上げてきたらしい。
言葉とは怖いものだと私も実感する。たった一言が人の人生を動かすこともある。大きな傷を負わせることもある。
でも、救いなのが今現在のTくんは、あの母親の一言に感謝に近いものがあるという。
「あの一言が無ければ、僕は陶芸とも出会ってなかったろうし、
『自分って何なんだろう?』
みたいに自分で自分を見つめて、本当に進みたい方向や、夢中になれるものを探すことは無かったかもしれない。
あの言葉に疑問を持たずに進んでいたら、違う道があったんだろうけど、今はこれで良かったと思っている。
ま、この年でアルバイトで生活してるのはどうかなって思うけどね」
と、笑う。
人にはさまざまな価値観があって、Tくんの考えをそれぞれに判断するだろうけど、私は、Tくんを強いと思う。
だから、私はTくんのことをいろいろなところで話題にし、「言葉には気をつけて欲しい」というメッセージを送りながら、一緒に「言葉で傷ついた時に、ヤケにならず、人として強くなれるきっかけかもしれない、と少しでも、前向きに考えてもらいたい」と話している。
今の若い人にも、同じような苦しみの中にいる人も多いんじゃないかな?
自分が今、何にムカツイテいて、どうしたいのかを少し冷静に考えてもらいたい。
これは、Tくんからのメッセージです。
≪3≫
子供と一緒に某ファーストフードで昼食を済ませた後、店外に設置の『キッズプレイ』コーナーで遊ぶことになった。
大きなプラスチック製のジャングルジムと滑り台が1台になった遊具と、ボールが一杯に入った小部屋。
入り口に、
『保護者の皆様へ 靴は脱いで遊ぶようにして下さい。ケガの原因や他のお子様の衣類を汚す可能性があります』
と看板がある。
遊具エリアは人工芝が敷き詰められていている。 私と息子がソコヘ行くと、すでに5人の子供たちが遊んでいた。男の子3人と女の子2人。3〜7才の子供たちのようだ。子供たちの様子を少し離れたベンチに腰掛けて他の保護者が見守っている。
10分ほどしてお母さんに連れられた女の子がやって来た。女の子は小学1年生くらい。遊びだした女の子は靴のままエリアに入っている。『お母さん気付かんかったか?』なんて思っていると、その女の子が母親の所に来て、
「みんなお靴脱いどるよ。私も靴脱ぐ!!」
と言っている。
『これでお母さんも気がつくやろ』そう思っていたけど、お母さんの口からは、
「脱がんでいい。脱いだら足が汚れるから靴履いたままで遊びなさい」
その瞬間、他のお母さん方が同時に顔を上げた。けど、こういう時に文句を言う人は少ないね。
でも私の悪い癖で、つい、
「そら、脱がなアカンだろ?!」
とツッコミのように言ってしまった。
自分の過ちに気がついて、
「ココはみんな靴を脱いで遊んでますから、お嬢さんも脱がせてあげたほうがいいんじゃないですか?」
と自分の言葉を訂正した。
するとそのお母さんは、私をにらみながら、
「関係ないでしょ?!」
と言う。この言葉に少しキレながらも、
「関係無いこと無いと思いますよ。他のお子さんの服を汚してしまうかも知れませんからね。
だから、みんな靴を脱いで遊んでるんですから…」
と私は出来る限り穏便に言った。しかし、こういう母親には通じない。
「チッ!!」
と舌打ちしたかと思うと、
「○○ちゃん!変なおっちゃんがおるから帰ろ?!」
と捨て台詞を残して娘さんの手を引きずるように帰って行った…。
親の教育が先や!
○○ちゃんが真直に育ったらいいけど…。それに、他のお母さん方も知らん顔。
『なんでそんな顔できるん?私の行為ってしてはいけないことなん?現代社会では、イラン事しぃなんかな?』
≪4≫
ある行政機関主催のイベントで講演講師として招かれた。会場には200人の聴衆。テーマは『人権』について。
午前中は小学生の作文発表。午後から私の講演と20分の休憩をはさんで参加者同士のセミナーが行われる。
70分の講演の後、控え室で着替えたりタバコ吸ったりしているところへ、
「七福さん、同級生っていう方がいらっしゃってますけど、お部屋にお通ししても構いませんか?」
とスタッフの方が尋ねてきたので、
「どーぞ、どーぞ」
と答えた。
入ってきたのは男性。顔を見てもピンとこなかったが、名前を聞いて思い出した。確かに中学時代の同級生で、名前は『Y』。いろいろと話すと、現在は中学生の女の子の父親で、自治会の青少年健全育成の会で役員をしているらしい。次のセミナーにも参加するらしく10分ほど話してYは、
「同級生を七福さんって呼ぶのも変な感じやけど、頑張れよ、応援してるからな」
と言葉を残して部屋を出て行った。
気にいらん!!
何が『応援してる』じゃ!!
中学時代に、私の家庭のことを、
「アイツのお母んは売春婦や。夜な夜な町で男引っ掛けて金儲けしよる」
と変な噂を広めたのはお前やろ!!
中学卒業して初めての同窓会で、私が落語家になって2年目の時に参加したら、
「お前が落語家?!あーあー、まともに働かれへんからやな?」
とか、
「七福〜?!お前、体肥えてるから、桂ブクブクや!!」
てなこと言うてたのとちゃうんか?!
ようノコノコと顔出せたなぁ…?お前が健全育成の役員?!やっぱりYでも娘がカワイイか…。
控え室で、少しでも過去を悔やむような言葉や表情を見る事ができたらこんな嫌味を思うことも無いんだけどね…。
Yの様に人を傷つける言葉を発した人は、その事を簡単に忘れる。しかし、傷つけられた立場の人は、相当しつこく覚えている…。
これが人権問題の中心にあったりする。
人権問題についての講演を偉そうに語る私も、嫌味ないやらしい心は間違いなくある。
自分を戒めながらも、腹立つ感情は抑えられない…。反省…。
≪5≫
この話は、誤解が生じないよう地名は記さず書きます。
ある被差別地域(同和問題の差別を受けてしまっている地域)の青年会の人とお会いした。その男性は私に、
「青年会といっても、私は37ですけどね」
と笑った。
この方が青年会として活動を始めたのが、今から15年前の22歳の時。就職先で部落差別の問題での嫌な経験をきっかけに、部落差別開放の活動を始めた。
最初の1歩として、実家の畑の一角に小さなプレハブ小屋を建てようと計画。同じ思いの仲間も集まって4人で活動がスタート。プレハブができたら、事務所のように活用したい。土地に残っている伝統芸能、歌、昔話を集めたい。被差別地域としての苦しい歴史もまっすぐに受け止めて、歴史は歴史として資料を集めたい。思いはドンドン広がったらしいけど、大きな問題も発生した。
プレハブの前に掲げようとした1枚の看板。
その看板には、
『部落差別開放運動○○(その土地の通称名)青年会』
と書いてある。
この1枚の看板が土地の人々の意見を大きく2つに分けた。
「がんばれ!!」と応援してくれる意見と「そんな看板を出したら、ここが被差別地域である事を知らしめてしまう。現在、知らない人にまでもわざと教えるような看板を付けた建物は不要だ」という意見。
そこで、青年会の人は地域の人全員に了解してもらえるように、1軒1軒訪ねては説明と説得を繰り返した。
『みんなが了解してくれるまでは柱1本立てない』
と毎日近所の人達を説得して周り、積極的に立ち向かっていくべきだと訴え続けた。
そして、15年。
今年の10月に8畳のプレハブが1軒完成。看板も掲げられた。
この話を聞いて私が、「おめでとう」と言うと彼は、
「でもね、この15年間に反対していたお年寄りが6人亡くなっているんですよ。この人には『うん』って言ってもらえてないんです。
それが心残りで…」
と、そう話してくれた。
こんなに頑張っている人がいるのに、なぜ人は差別・偏見を繰り返すんだろうか?
今日出会ったこの人の将来の夢を尋ねたら、こう答えてくれた。
「1日も早く看板を下ろしたい」
この言葉の意味は深い…。
「私に何かお手伝いできることは?」
と聞くと、彼は笑って、
「生涯差別をしない七福さんでいつづけて下さい」
と言った。これも深い…。
≪6≫
人権講演で、講演講師として招かれてある中学校へ伺った。
徳島県内の学校じゃないからね。
生徒数は全校合わせて200人弱。約70分の講演を体育館で行った。生徒さん達の聴く姿勢はとてもまっすぐで、話しやすかった。反応も良い。校長先生も終始にこやかで雰囲気がいい。
気持ちよく話し終わって校長室でお茶をよばれていたら、そこにやってきたのが学校の中での人権教育の指導をする女性の先生。
「七福さんはいつからこういう講演を?」
と尋ねてきたので、
「5年ほど前からですね」
とにこやかに答えた。
すると、
「じゃ、5年前から人権講演をご商売にされてるんですね…」
『ご商売…?』ちょっと引っかかったけど、『ま、こだわる事もないか…』そう考えて聞き流すことにした。
しばらく間があって、次にその先生が言った言葉が、
「七福さんの普段の活動は、こういった『どさ周り』が主ですか?」
『どさ周り〜?!』だいぶ引っかかったけど、『我慢・我慢…』。
最後に、
「七福さん、早く正当な落語で有名になって下さい」
これには、かなり引っかかったけど、『無視・無視…』。
私の願いはただ1つ。
「どうぞ、この先生の言葉で生徒が傷つきませんように…」
≪7≫
息子の通う幼稚園での運動会があった。私も出席。グランドの周囲に設置されているテントの中で奥さんと娘も一緒に座った。
座る場所はクラスごとにほぼ決められている。場所取りなどでの競争やトラブルを避けるための配慮。
縦に区切られていて、参加者の誰かが1番前に来れるようになっていて、最前列はほとんどがビデオを構えたお父さん。
私の隣にはカメラとビデオを持ったお母さんが座っていた。どうやらお父さんはお仕事らしい。隣に座っていると言うことは、息子と同じクラスの保護者だろう。
運動会が始まった。
小学校も合同で行われているので、幼稚園児の出番は少ない。午前中の中で4回しか登場しない。待ち時間が長い…。
ふと隣のお母さんを見ると、一心不乱に携帯メールを打ち込んでいる。
『運動会に来てまでも打たなあかんメールって…?』
とも思うけど、いろいろなお母さんがいるしね…。
いよいよ息子の出番。
種目は『かけっこ』。
私もビデオを構えた。すると隣のお母さんが突然立ち上がって、ビデオを構えている私の前に立ちはだかった。
「○○ちゃ〜ん!!がんばって〜!!ママはここよ〜!!」
と大声援。
しかし、そこに立たれると私がビデオ撮影できない。私だけじゃない。反対隣のお父さんも同じ。
「すみません。ちょっと横にズレていただけませんか?ビデオが撮れないものですから…」
と私が言ってみた。心の中では『どけや!!』と思っても言ってはいけない。トラブルの元だし、同級生のお母さんだしね…。
けど、そのお母さんは、
「あぁ?!」
と私を睨み付けながら不満そうに横に動いた。
無事種目が終わった。で、またしばらく待つことになる。その間、またメールを打つ隣のお母さん。
次の種目『子供ダンス』が始まった。
またまた前に立ちはだかるお母さん。ムッとしている私よりも先に、今度は反対隣のお父さんが口を開いた。
「さっきもこちらのお父さんがお願いしましたように、そこに立たれるとビデオ撮影ができないので、すみませんが少し横に…」
という言葉の途中で、そのお母さんは、
「うざ…」
と、小さな声と舌打ちをして横に動いた…。いろいろな親がおる。自分たちの都合と自分の子供のことしか考えられない。子供を思う親の気持ちは同じなんだろうけど、その方向や周りへの配慮は必要だよね…。
≪8≫
「なぜ『いじめ』が見つけられないのか?」
ということの1つのパターンを教えてもらった。
中学生のときに いじめ を受けたという20代後半の男性の体験からお話を聞くことができた。
「例えば、クラスでプロレスごっこと称してのパターンはね…」
という言葉で話は始まった。
教室でほかのみんなもいる中で、普通に「プロレスごっこ」が始まる。技を掛けられる人物はいつも決まっている。
その1人(仮にZ)に対して、相手は4人が1組になっていれば、その「いじめ隠し作戦」は出来るという。
それぞれの役割分担がある。
A:技を仕掛けてくる人物 B:レフェリー役 C・D:廊下での見張り役
教室の前後の入り口付近で、廊下に出たC・Dが「先生の行き来」を見張る。教室の中ではAがZにプロレスの技をかける。そして、Bが教室の中からC・Dの様子をうかがっている。そこへ先生が廊下を通りかかったとしても、C・Dは大きな声で
「先生が来た!!」などとは言わない。『ドアを2・3度叩く』というような決まった合図が送られる。
その様子をうかがっていたBがAに合図があったことを伝える。
でも、そのプロレスごっこが急にストップすることは無く、技は掛けられたまま ごっこ
は続行されている。教室の横を通る先生が教室の中を見たときにもA・Bは平然と先生に顔を向ける。
そしてその時に、Zに対してこう囁く、
「おい、先生に向かって笑え!!」
と…。
Zは、どんなに痛くて辛くても仕返しや倍返しを恐れて先生に向かって笑顔を見せる。それを見た先生は、技を掛けてる者も、掛けられている者も笑顔であることから、
「あんまり無茶するなよ」
みたいな言葉を残して通りすぎていく。何事も無い日常生活の遊びの1シーンになってしまう。
これが1番基本的な隠し方法らしい。これを見抜くのも相当難しいと思うし、この中から解決法を見出すのも難しい。
ただ、こういうことが毎日どこかで繰り返されている現実も確かにある。隠す方法もどんどん巧妙になっているらしい。
そしてこの話を教えてくれた男性は私にこういう言葉を付け加えてくれた。
「いじめを受ける者が弱者で、いじめる側の者が強いと、いうような考え方を持ってる親って多いと思いませんか?
たとえば『いじめられるより、逆にいじめる位の元気が欲しい』みたいに子供に言う親ってまだまだ多いでしょ?
本当の強さの意味を親が知らないとね…。
同じ植付けを行うんだったら『いじめることはダサい』みたいに言ってもらいたいね」
この男性は、自分の体験を様々な媒体を通して話しながら、『いじめ』について今でも戦っている。
≪9≫
私が人から問われて、ちょっと最近気になっていることがある。
分かりにくい表現ですけど…。男性で、すでに結婚している人で、一緒に生活している女性のことを人に紹介する時、どういう言葉を使いますか?
妻?嫁?奥さん?家内?
妻という言葉の由来は、「つま(端)」から出た語。妻問い婚の時代、女の家の端(ツマ)に妻屋(ツマヤ)を建てて、夫がそこに通った事から「端の人」の意でいったとされる。
嫁は、会意兼形声で「女+音符家」で、他家にとついでいく女性のこと。また『婦』と書いて『よめ』と読むこともあって、「女+帚(ほうきを持つさま)」で、掃除などの家庭の仕事をする女性を表す。
奥さんは1番ポピュラーな表現だけど、『奥』という表現にこだわってしまえば『表・前じゃない』と思えないことも無い。でも、古語辞典などには「貴人の妻。夫人。身分の高い人が自分の妻をよぶ時に使う」という解説もされていたりする。
家内…。これは字のまま「家の内」。「男が外で女が中」と言っているようにも思えてくる。
極端には、今でも「愚妻」なんて言う人もいますよね。辞書で「愚妻」を引くと、『おろかな妻の意で自分の妻を謙遜(ケンソン)して言う語。荊妻(ケイサイ)』などと記されているが、ちょっと耳に障る言葉だよね?
次に、反対の立場で…。
女性で、すでに結婚している人で、一緒に生活している男性をどう紹介しますか?
夫?主人?旦那さん?うちの人?
どの言葉の意味を調べても、「家の長」とか「中心となるもの」などと掲載されている。女性に用いられる言葉とは意味合いがかなり違うように思える。強引に考えれば「男女差別」がここにもあるような気もしてしまう。
古い言葉で「伴侶」とか「つれあい」という言葉がある。伴侶には、「慰めてくれたり力づけてくれたりするつれ」という意味もあるし、つれあいには、「つれそう相手。配偶者」と記されている。
個人的には、復活させたい言葉かな?
英語の中に、男女問わず使える「ダーリン」という言葉がある。
意味は、「最愛の。いとしい。夫婦間でお互いに相手を呼び合う愛称」とあるけど、それはちょっと恥ずかしい…?
何か日本語で良い表現はないものだろうかと、私も今探している最中です。
≪10≫
私もパソコンを触って、ホームページを開設したり、インターネットショッピングを楽しんだりしている。
他の人が開設しているホームページにもBBSと呼ばれる「掲示板」のコーナーがあって、そのホームページを見た人が感想や意見を書き込んだりできる。私のホームページにも設置している。ありがたい意見や、おもしろい情報などが書き込まれて、ホームページを運営する者と、見に来てくれた人との交流になって楽しい部分が多いんだけれども、時として不愉快な書き込みもある。
誹謗・中傷・個人攻撃などいろいろ…。私のホームページには、私への悪口や変な噂、誹謗・中傷が時々書き込まれる。もちろん匿名の書き込みで。ムカムカすることもあるけれども、私の場合には個人的なホームページなので、私にとっては何を書き込まれても構わない。ただ、見に来てくれる人が不快になるのは困るけど…。
しかし、私の知人で「障害をもつ人達の社会参加をもっと進めていこう」といった活動をしている人がいて、その人も団体のホームページを管理している。その人から話を聞くと、
「うちの掲示板にもひどい書き込みがあるよ。例えばね…」
と、次々と過去の書き込みを教えてくれた。
その1つ1つにものすごく腹が立つ。『どこまで本気や?』『人としての感情が無いのか?』『障害をもつ人が見たらどれほど傷つくか…?』というような感じで私は受け止めてしまう。私のほうが熱くなる。
でも、その人からたしなめられてしまった。
「こういう書き込みをする人も全部が全部悪い人じゃないと思うよ。寂しい人なのかも知れない。
匿名っていうことは、いけない書き込みだっていうことをその人も分かってるんですよ。
匿名性が守られたインターネットの世界でヒドイ発言をする事で自分の存在をアピールしているのかも知れない。
ヒドイ書き込みをしたら、他の人が多いに反応して反論の書き込みをするでしょ?
そうしたら、自分の存在が確かめられるというか…。そうやって自分の気持ちを操作しているのかも知れないけれどね」
私にはこういう考え方はできないかも知れない。私なら、すぐに掲示板を閉鎖してしまうだろう…。
そして、この方は掲示板を続けていく中での喜びも語ってくれた。
「私達のホームページに来てくれた群馬県の小学6年生の匿名の男の子が、
たった1行の書き込みを残してくれた事があってスタッフが感動したんですよ…。その書き込みがこれ…」
と、その時のホームページの掲示板コーナーをプリントアウトして、大切にファイルに綴じた1枚の紙を見せてくれた。
そこには、
『かわいそうと 思う心が かわいそう』
とだけ書かれていた。
「こういうのが嬉しいから掲示板は続けなくちゃいけないんですよ。
この男の子の15文字がどれだけ多くの人を励ますことになるかを考えると、しっかり続けなくちゃと思う」
私も、この男の子のたった1行に深く考えさせられた。