32年前の夜のこと。そしてこの予選を振りかえって

 32年前。67年、メキシコ大会予選の決勝の相手は南ベトナム。その前の試合で、韓国との死闘を分けた我が全日本は勝てばメキシコ大会出場。この試合、当時大会役員を務めていた私の父(現在引退、サポク名誉会長)は「決勝はTVで見なさい」と私を国立に連れて行ってくれませんでした。当時10才の私は子供心に「今夜は大変な試合だから子供は危ないのだ」と自分なりに納得しておとなしくTVで観戦。試合は

楽勝と思われたがしぶとく粘る相手にてこずり、ようやく杉山(現磐田スーパーバイザー)のあげた1点を守った日本が五輪出場を決定。あれから30年、私は観られなかったあのゲームの再現のつもりで国立へ向かいました。しみじみと当時を思い出した夜でした。

 さて、今回の最終予選の内容は皆さんご覧の通り。確かに相手に恵まれた様な気もしますが、本大会でも活躍してくれると期待させるに十分なゲームばかりでした。今から一年後、どんなティームに変身しているか楽しみにしています。遠くない未来の夢のかけらを存分に魅せてくれた連中に再会を祈ってもう一度拍手しましょう。

 しかし、すべてはこれから始まり、これから試されるのだ、それを考えると予選の感動がどんどん薄れていく。これまでのことをすべて忘れさせるほどの活躍をもう一度お願いします。信じているよ。We elieve!!!!

 団長


☆ゼミ長の一番長い一日

18時30分
 新宿で米国から出張で帰国していた大学時代の友人とのつかの間の再会を祝し杯を交わしていたが、私が五輪最終予選カザフスタン戦の観戦のため、その飲み会はお開きになる。さあ、いよいよ本日のメインイベントだ。昼間、フットサルの練習で痛めた太股も忘れ、自然と足取りも軽く走ってしまう。ちょっと話が弾んだので遅れ気味だ。急がなければ。

18時55分
 代々木門到着。選手紹介が終わってちょうど入場するタイミング。FIFA's ANTHEMが国立に鳴り響いている。間に合った。国歌斉唱はだれなんだろう。気持ちが一気に高ぶる。

 しかし荷物チェックを通過し、チケットを渡さんとした瞬間、最大の悲劇が起こったのである。「お客さま、これでは入場できません」「なに!?」レッズ・チケットホルダーにチケットがないではないか。あるのは10月17日のタイ戦の半券のみ。後は全然使えない、小野チャンカードなどのレッズグッズのみ。肝心のカザフスタン戦のチケットがないのだ。なぜだ?こんなことあっていいのか?何が起こったんだ?

 シミズスポーツのスタッフに頼み込み、自分の座る場所を先に入場している友人に携帯で教えてもらい、サッカー協会に問い合わせたものの、結果は×。チケットがなければだめだとの判断だ。なんてこった!冷たいぞ、サッカー協会!いくら君たちにつぎ込んでいると思っているんだ?しかし向こうの言い分も筋は通っている。あきらめきるしかないのか。途方に暮れつつどこに忘れたか、すがる思いで自宅にTEL。しかし家中探してもないとのつれない返事。ぼーぜん自失。頭まっしろ。あきらめて妻との電話を切った数分後、再び妻からTEL。するとチケット・アルバムのなかにあったという。思い出した。タイ戦のチケットと間違って持っていかないように分けていたのだ。またよりによってなんでこんな日になんでこんなボーンヘッドを。あまりにしょげている私を妻が心配し、チケットをここまで持ってくるというが、生後3カ月の息子がいるからさすがにダメだと言って断る。

 しかし、ここからが大逆転劇。とりあえずダメ元で桜新町まで持っていくというのだ。なにせ試合終了後には高松サポータークラブの方々との初対面が待っている。この約束を反故にしてはいけないとの妻の申し出に納得し、とりあえずチケットを取りに行くことにしたのだ。妻の申し出を受け入れた私は、外苑前駅に向かって走りだした。太股の激痛も忘れて・・・。

19時45分
 どれくらい電車に乗っていたのだろう。電車の中での数分間が、まるで数時間以上に感じられた。そして目的の駅に着くと妻と不安そうな顔をしてきょろきょろとあたりを見回す息子を発見。「こんなことではだめだ。あきらめて一緒に帰ろう」と一瞬頭をよぎるが、このまま妻子の好意を無にする訳にはいかない。つらい思いを断ち切って再び国立に向かう。息子よ、サッカージャンキーの父を許せ。

20時05分
 外苑前駅に到着し、携帯で無事に妻子が自宅に着いたことを確認すると、後は国立へまっしぐら。太股に激痛が走るがそんなことは言っていられない。そして約5分で国立到着。よし間に合った。まだ見られる。さっきほどのシミズスポーツのもぎりのねーちゃんにきっちりとチケットを見せつけ、ダッシュで自席へ。後半開始9分だ。あれ、負けてる?

 しかしその後はみなさんご存じの通り、「ゼミ長、待ってたよ」と私の到着を待っていたかのような怒濤の大逆転劇。しかも私の席の目の前で。おいしいところはしっかりと見ることができました。そして試合後は無事、高松サポータークラブの皆さんと初対面。団長、東京支部長、そして藤田さん、本当にお世話になりました。今度はもっと熱くサッカーを語りましょう!

教 訓

サッカーを見るときはチケットを忘れないように。あたりまえか。

 ゼミ長・桑原


11月 6日 日本3vs1カザフ and 横浜FCvsデンソー by NORIKO

 カザフ戦、勝って本当によかったです。(ならんだ甲斐があったというもんです。)1点とられたときは、どうしたものかと心配しましたが、同点になったときには、負ける気がしませんでした。欲を言えば、タカに1点とってほしかったかな。(あのシユートは惜しかった・・・。)

 前半は緊張していたのか、DF陣がバラバラだったように感じました。俊輔がずいぶん後ろまで下がってきていたし・・・。途中で、遠藤と酒井くんを交替したのはよかったと思います。(個人的に酒井くんのプレーが好きというのもありますが・・・。)明神もボランチにはいったほうが、生き生きしていたし。

 後半、福田と本山を交替したも正解だったと思います。(もとやん、はりきってましたね。)でも、もとやんはドリブルで切り込むとき、右にいつもいきますよね?これは、周りのサポも感じているようです。「課題」ということで・・・。

 やっばりMVPは、俊輔以外にはいないでしょう。どこかの新聞(?)にありました「中田がかすんだ」と。あのFKでは、そりゃあかすむでしょう。俊輔、万歳!!

 シドニーに応援には行けませんが、ぜひとも頑張ってほしいです。

 さて、今日は横・国へ初めて足を運びました。JFLの横浜FCvsデンソー戦に行ってきました。ほとんどメンバーがわからず、知っているのは監督のリツテイーぐらい。渡辺一平や、真中幹夫ぐらいもなんとか・・・。

 試合のほうは、デンソーに先制され(ありゃ?)、それもきれいな(?)スルーパスをとおされてのゴール。すぐに横浜は、増田の右からのセンタリングをキーパーがはじき、こぼれ球に有馬が反応、同点に。そのあと、ベナルテイエリア内でハンドの反則があり、デンソーは10人に。小野が落ち着いて決め、2−1で折り返しました。

 後半、今度は横浜がペナルテイエリア内で反則。PKを決められ同点に。(ありゃ、ありゃ。)終わり近くにようやく3点目を、途中出場の松田が決めなんとか勝利。

 初めて横浜の試合を見たので前から応援している友達に「いつも、こう?」と聞いたところ「いつも、こう。」とのご回答。点も取るけど取られることも多いらしい。確かに点を取られすぎ。横浜がボールを支配している感じはするものの、けっこうパスミスが目立ちました。左からの攻撃が多く、右サイドで増田がいつも孤立してました。

 今日の試合を見て、私の独断と偏見で選ぶ「今が買い」の選手は、小野 信義(おの しんぎ)です。(名前がレツズの小野ちゃんに似ているからではありません、念のため。)今日の試合ではあまり動いてなくて、気分にムラがあってと、プレーも雑なんですが素質はありそうな感じでした。(かなり生意気に解説してみました。)これからに期待!!

 それと、渡辺一平のヘデイングはすごかった・・・。中沢なんてかわいいもんです。また、見に行きたいです。

 ただいま、ACミランvsベネチアの試合が終了。3−0でミランの勝利です。なっちゃんは後半途中から出場したようです。ベネチアは監督がかわり、今日から再出発ですが、アウエーのミラン戦ということもあり勝てませんでした。頑張れベネチア、頑張れなっちゃん!!


 日本サッカーを語るにあたって、過去はもう振り返りたくはないのですが、6日の日は私なりに感動していました。

 あれは忘れもしない1987年10月26日、舞台も同じ(私が観戦した席も同じくらいのところでした。)国立競技場。引き分けでソウルオリンピックに出場できるという試合にやぶれ、試合途中から降り出した雨に傘もささずに立ちつくし呆然としていました。すると私達目黒区のサッカー仲間(その試合には出場できなかったが、目黒5中出身の宮内聡氏が代表入りしていたので、総勢50人くらいで応援していた。)と一緒に応援してくれていた見ず知らずの少年が、目を真っ赤にして私に握手を求めてきながら言いました。「いっつもこうなんだよー!」彼の手を握り私は言いました。「いつか、いつか日本のサッカーが変わる日がくるよ。」二人は肩を抱き合い涙をながして別れました。

 あれから12年。KAZUがあらわれ、ラモスが帰化し、Jリーグができ、W杯にも出場しました。(ドーハにてサッカーの神様から試練も受けましたが・・・)しかし、これでいいのか、なにか足りないのではないか、日本のスタイルというものはいつになったらできるのだ。と自問していました。まだ答えが出たわけではありません。でも何か少し、ほんの少し「おやっ?」と思い始めているのは私だけではないはずです。

 カザフ戦が始まる前、「プレッシャーに押されて自分達のサッカーができないのではないか。1−1で引き分けだろう。」と予想していました。しかし結果は・・・。試合終了時、隣で観戦していた団長にいいました。「こいつら、いっつもこうなんだよ!いっつも俺の予想を裏切りやがる!」

 東京支部長


 11月6日は私にとって忘れられない日となりました。サッカー選手としては誰もがあこがれる地。そうサッカーの聖地、国立。とうとう行く事ができました。不思議な事にスタジアムのなかでいると純粋な気持ちでいるなと感じました。それは多分私だけではなく、周りの人すべてもそうであったと思います。国立、いやサッカーとはそういうものなのでしょう。

 試合自体は今までの五輪代表を見ていた限り心配はなかったので決行冷静に観戦できました。これがA代表だとそうではなかったかな・・・?

 内容も申し分無く”勉強”になりました。そして”ファイト”も沸きました。そして文句なしに出場を決めてくれて”感謝”したいです。そして多くの仲間とその場を共に分かち合えたことを非常に幸せに感じた日でした。

 これからもサッカーと長く付き合っていきたいですねー。

 Nobutada Takioka


11月 7日 日本3vs1カザフスタン(国立) by Fujita

 まず、この日のために前夜から徹夜で列んでいただいた岩瀬さんとお友達の方、池山さん、荒井さんに感謝します。

 先日対で行われた「タイvsカザフ」を見て、楽に勝てる相手ではない、激しい試合を覚悟して国立に行った。国立は早くから日本サポーターで埋め尽くされた。私の見るところカザフサポは10数名。サポーターの数では圧勝。だが、試合はそうではなかった。

 前半戦のキックオフ。直後に「アレ?」と。みんな動きが固い。この試合で決めなきゃというプレッシャーなのか(この世代にそれはないと思うが)。特にDF中沢からのボールがことごとく敵へのパスとなってしまいハラハラドキドキ。おまけに白いスパイクなので、それが目立ってしまってブーイングを浴びる場面もあった。そんな日本代表に対し、カザフがFKから先制した。その後も日本の動きは悪くやばい雰囲気。

 ハーフタイムのトルシエの建て直しに期待した。トルシエはその期待に応えてくれた。後半投入した、本山が度々ドリブル突破からチャンスを作る。日本はペースを取り戻し、”いつもの日本”に。そして、後半25分に中田からの絶妙なセンターリングを平瀬が決めて同点に(前半、シュートを打たない平瀬にサポーターからブーイングが起きていたが・・)。その後も攻め続ける日本は、平瀬が中村からのパスをトラップ&シュートで2点目をゲット。そして・・・高原が倒されて得たゴール正面のFKを、中村がゴール右上にビューティフルゴールを決めた。

 シドニーオリンピック出場決定を告げる笛の音! 前半はNGだが、後半は見応えのある最高の出来だった。シドニーも行きたい!


11.6シドニー五輪予選観戦記 by 内原

 10月30日(土) 藤田さんから『日本VSカザフスタン戦』のチケットが届く。藤田さんにお礼のメールを送る。
 そして航空券の予約をする。私は9月に立山・黒部アルペンルートを旅した。そのときに買った那覇−羽田の週末回数券の残りが2枚ある。その2枚を使う。行きの11月5日の那覇発羽田行きのANA92便の普通席がとれた。しかし、帰りの11月7日の席が取れない。希望のANA87便が満席になっている。機種がB767-300型(普通席260席、スーパーシート12席)であるためか、混み合っているようだ。
 それだけではない、肝心の宿泊が混み合っているのだ。11月5・6日の東京都内のホテルは一部を除いてどこもほぼ満室。シドニー五輪サッカー予選の観戦客に加え、5・6日に東京ドームでアメリカのプロバスケットボール・NBAの試合が行われるせいだろうか。私がサッカー観戦でよく利用する品川プリンスホテルも、本館のシングルルームは1015室のすべてが埋まっている。また、新館も満室。インターネットの全日空のホームページでホテルの空室状況をチェックする。新宿・池袋のホテルも満室だ。
11月1日(月) 私の職場(印刷業)は6月から10月は毎週土・日曜が休みになる完全週休2日制だが、11月からは毎月第1・第3土曜日も出勤しなければならない。しかし、11月6日(土)は幸いにも職員レクがあり、1日休めることができると思っていた。しかし、当日の朝礼で当日は午前中は仕事といわれた。年休を取ることにしよう。
 しかし、前の週から、新聞社の子会社が主催する高校入試模試の編集で忙しかった。3時間の残業になった。
11月2日(火) この日、全日空のホームページでホテルの空室状況をチェックすると、新宿プリンスホテルのシングルに空きが出るという情報を受ける。しかし、品川プリンスの本館は相変わらず満室の状態。
 品川プリンスの本館シングルは1泊朝食込みで10,700円(朝食・サービス料込み、税別。以下同じ。)。新宿プリンスのシングルは14,000円。宿泊費を抑えるため、5日に出発して2泊3日の予定を、6日の朝に出発して1泊2日に変更を余儀なくされる。
 プッシュホンサービスセンターへ電話し、帰りの便の空席状況を確認した。7日のANA87便の普通席に2席、スーパーシートに7席の空席が出た。インターネットでこの便のスーパーシートを予約する。
11月3日(水) 全日空のワンモアサービスデスクに電話。5日のANA92便を6日のANA80便に変更するとともに、新宿プリンスホテルのシングルを1室予約する。11月4日(木) 高校入試模試の編集が忙しくなる。問題用紙、付加問題(沖縄尚学高校など難関校対策のための問題)、解答用紙に加え、試験終了後に配布される解答集の原稿も入ってくる。職場に休暇届を出していたが、上司から高校入試模試の対応のために年休を変更してほしいという要請が出た。ピンチ到来である。5日に校正戻りが来ることが予想されるからだ。今、私は副鼻腔炎を患っているため、週に1回耳鼻科に通院している。5日の午後に2時間早退して耳鼻科に行き、6日1日休みということで届けを出していた。これを5日の午前に2時間休みを取って耳鼻科に行き、6日はどうしても出勤してほしいということだったが、私はどうしても予定通り年休を取らせてほしいと譲らなかった。航空券の予約もすでに取っている上、回数航空券の有効期限も11月19日に迫っているからだ。この時点まで、東京に行くということは隠していたが、とうとう明らかにせざるを得なかった。このため、夜10時まで4時間の残業となる。 この日早朝、全日空のホームページでホテルの空室状況をチェックすると、品川プリンスホテルの新館シングルに空きが出るという情報を受ける。早速電話で、新宿プリンスホテルのシングルを品川プリンスの新館シングルに変更する旨を伝える。品川プリンスの新館シングルの料金は新宿プリンスと同じ14,000円、本館より割高だ。11月5日(金) 予定通り午後3:30で仕事を切り上げ、耳鼻科へ行く。通常なら土曜日に行っているがサッカー観戦のため1日繰り上げて行くことになる。
 
11月6日(土) 那覇空港午前8:35発のANA80便で羽田空港へ。羽田着後、台場経由東京シティエアターミナル行きのバスに乗り、台場へ。台場のフジテレビのキャラクターショップに行き、開催中のワールドカップバレーボールのマスコットキャラクター“バボちゃん”のファンシーグッズを買う。忙しい中年休を取ったのに配慮するため、同僚に土産を買う。 その後、都バスで東京駅へ。東京駅ビル(大丸)の地下1階にあるパスタ屋へ行き、スパゲティを食べる。 午後2時過ぎ、品川プリンスホテルでチェックイン。本館がシングルルームのみに対して新館はツインルーム主体。そのため新館のシングルルームはツインルームのシングルユースとなる。鍵もカードキーとなっている。冷蔵庫にはビールなどの飲み物はない。1階のコンビニエンスショップで買うことになっている。
 早速テレビをつけ、1チャンネルにチャンネルを合わせる。『土曜スタジオパーク』をちらっと見る。元サッカー選手の宮沢ミッチェルさんを迎えてのスポーツ中継特集で、スポーツアナウンサーの仕事ぶりなどが取り上げられていた。 その番組が行われていた渋谷のNHKスタジオパークへ行く。『土曜スタジオパーク』はすでに終了しており、セットも片づけられていた。スタジオパークを見学後、売店へ向かう。おめあてはNHK衛星放送のマスコットキャラクターのどーも君のグッズだが、そのどーも君のグッズが、売り切れだった。売店の人に話を聞いたら、前回入荷したときには1人1種類につき1点という個数制限をしたにもかかわらず、入荷と同時に売り切れ、次回入荷は11月30日頃の予定、その上、入荷数未定のため予約の受付できないという。弱ったとばかりに、NHKを後にする。どーも君は超人気商品で、クリスマスシーズン最大の売り物になりそうで、製造元のバンダイでは、増産を急いでいるというのだが………。 東京の夕暮れは早く、この時期になると午後5時前には日が暮れる。23階建てのNHK放送センター界隈の夕暮れはきれいだった。
 原宿駅から山手線で新宿へ。新宿のローソンで弁当を買い、中央総武線で国立競技場へ。国立競技場周辺ではダフ屋もいたが、ダフ屋を振り切り競技場の入り口へ。バックスタンド中段の席で、弁当を食べながら夜7時のキックオフを待つ。すでに、ゴール裏のA自由席のスタンドでは、日本代表チームのユニホームのレプリカを着たサポーターの合唱で盛り上がっていた。
 キックオフを前に、国歌の独唱が行われた。特に君が代は稲垣潤一さんが独唱、彼に合わせ、サポーターが斉唱した。
 午後7時過ぎ、いよいよキックオフ。前半は私の席の目の前はカザフスタンのゴールになっていた。目の前で、カザフスタンに先制された。あのときは、危ない思いをしていた。
 後半は私の席の目の前は日本のゴールとなる。私の目の前で高原選手が同点・逆転のゴールを決めたときには、スタンドは騒然としていた。中村俊輔選手が試合を決める直接フリーキックからの3点目のゴールを決めたときには、スタンドは最高潮に達していた。
 このゴールが決まった直後に試合終了のホイッスルが吹かれた後、国立競技場は大きな歓喜に包まれていた。2大会連続のオリンピック出場が決まり、それも、初めて日本で決めた歴史的な瞬間を、私は現場で味わったのだった。試合終了後、A自由席のスタンドでは、「シドニー シドニー みんなで行こうよ シドニーへ」という歌も歌われた。また、スタンド下の売店では、U-22日本代表五輪出場決定記念Tシャツが税込3000円で売られていたが、瞬く間に完売となった。
11月7日(日) 午前7時、ホテルのバイキング形式レストランで朝食。日曜日で遅く起きる人が多い上、当日は満室になっていることから、混雑を避けるため早い時間に行く。その後、ホテルのプールでひと泳ぎ。
 午前9時半、品川のホテルを後にし、渋谷の東急ハンズでショッピング。その後、半蔵門線で日本武道館へ。日本武道館周辺の木はそろそろ色づいていきそうな気配だった。
 九段下から都営新宿線・浅草線・京浜急行線を乗り継ぎ、羽田空港へ、そして午後3:05発のANA87便で那覇空港へ。この便は北海道からの帰りの団体旅行客を中心に新千歳空港発の便からの乗り継ぎ客が多かったために満席。機内ではイヤホンで音楽を聴きながら、スポーツ新聞のサッカー記事に目を通して昨日の試合の余韻に浸っていた。あの試合で3点目のゴールを決め、最優秀選手に選ばれた中村俊輔選手は、2日前におじいさんが亡くなった中での試合で、お葬式にも出られない状況にあった。そんななか、試合でいいところを見せて本当によかったと、涙でインタビューに答えていたという。この日の試合はもとより、シドニー五輪での活躍が、おじいさんへの最高の供養になるのだ。がんばれ、俊輔。また、この試合をテレビで放送していたフジテレビの長坂哲夫アナウンサーは、シドニー五輪出場が決まった瞬間「シドニーへ行ってらっしゃい!」と叫んだという。
 午後5:50那覇空港着。夕暮れの空をバックにした着陸の瞬間だった。 最後に、チケットを譲ってくださった藤田さんにお礼を申し上げるとともに、日本五輪代表チームのシドニー五輪での活躍を期待し、今回の観戦記を終わらせていただく。