観戦記特別編 ゼミ長・桑原のワールドツアー!



大国の末日 マイスター・シャーレ

2000年5月20日(土) 雨のち晴れ
バイエルン・ミュンヘンVSヴェルダー・ブレーメン
ミュンヘン、オリンピア・スタディオン 観衆68,000人

 マイスターシャーレ。それはドイツのブンデス・リーガ王者にのみ贈られる栄誉あるプレートである。1年間34節の長丁場に渡り争われるブンデスリーガも1節を残すだけとなり、この栄光の座に着く権利を得ているクラブは2つ、バイヤー・レヴァークーゼン(以下、レヴァークーゼン)とバイエルン・ミュンヘン(以下、バイエルン)に絞られていた。33節終了時点の順位は以下のとおりで、レヴァークーゼンは負けなければ優勝、バイエルンは最終戦に勝ってもレヴァークーゼンが負けなければダメという厳しい条件であった(Pts.=勝ち点、Diff.=得失点差)。最終戦の対戦カードはレヴァークーゼンはアウェイで10位(33節終了段階、以下同様)のウンテルハッヒングと、バイエルンはホームで7位のヴェルダー・ブレーメンとの一戦を残している。組み合わせ、条件的には、一見するとレヴァークーゼン有利に見える。しかし優勝のかかったゲームをアウェイで、しかもウンテルハッヒングは同じ州のクラブであり、ミュンヘンとは目と鼻の先の場所にある。波乱の展開を予感させるに十分ではないか。
Pts. Diff.
1. レヴァークーゼン 73 +40
2. バイエルン・ミュンヘン 70 +43

 そもそもこのブンデス・リーガという名前、日本語に訳すと「連邦リーグ」となる。ドイツという国は、昔から今の形の国があったわけではなく、小国が乱立した期間が長かった。現在のゲルマン民族の国としてドイツが成立したのもさほど昔のことではなく、その統一後も各地方の権力が維持されたため、現在まで地方分権が強い国として特色付けられている。そのため、サッカーにおいても州・地域間の対抗意識が色濃く反映されていると言えよう。ちなみにバイエルン・ミュンヘンのバイエルンとはドイツ南部のバイエルン(ドイツ語でババーリア)州という地名、ミュンヘンも都市名という二重の地名。もう一方のバイヤー・レヴァークーゼンは、ドイツ北西部の工業地帯であるルール地方の中規模都市であるレヴァークーゼンをホームとし、巨大薬品会社のバイエル(英語読みにするとバイヤー)が所有するクラブで、近年その豊富な資金力で着実に実力をアップさせていた。

 ことの始まりは前日の5月19日に遡る。18日夕方にミュンヘン入りしたものの、アポイントがキャンセルされていたため、週末を含む4日間を休暇にあてることに。しかし、肝心のバイエルン・ミュンヘンVSヴェルダー・ブレーメンのチケットは、バイエルンの公式HPではとっくの昔にソールド・アウトだった。最後の望みの綱と、中心街のファンショップにいったものの「もうないよ」と暖簾に腕押し。あきらめ半分で観光がてらオリンピア・スタディオンに行くことにする。一通り観光を終え、念のためにスタジアムのチケット売り場に行ってみる。するといかにもダフ屋風の親父が、「チケット買うならここの席が一番だよ」とスタジアムの図を指差しながら言い寄って来る。ダフ屋のお世話になりたくはないので適当に返事をし、窓口に向かうとに行くと、おばあちゃんぐらいの人が、「明日のフスバールのチケットかい?どの席がいい?」「へっ、あるの?」見ると14〜5枚の束があり、ここが一番だとスタジアムの中央あたりのエリアを指差しながら、さっきの親父と同じことを言うではないか。「金額は当日券扱いなので12%アップの56マルク(約2,800円、額面は50マルク)だよ」と言う。「ここはいい席だ」とおばさんもしつこいくらいに言うので、言うがままに購入する。しかし、チケットを見ると半券をもぎるための切取線がない。そのため、これは本物なのだろうかとその日一晩中疑心暗鬼するはめに。まあいい、だまされたと思って明日もう一度あそこに行ってみよう。

 バイエルンのホームスタジアムであるオリンピア・スタディオンは、ミュンヘンの中央駅を意味するHauptbahnhof(ホープトバーンホフ)から行く場合、地下鉄U2で北へ5つ目のSheidplatz(シェイドプラッツ)で地下鉄U3に乗り換え、北に2つ目のその名もズバリOlympia-zentrum(オリンピア・ゼントラム)駅で下車し、オリンピック公園を12〜3分も歩けば到着する。もともとはミュンヘン・オリンピック用に建設された陸上競技施設併用の巨大スタジアムだったが、その後メインスタンド側にテント形式の透明な屋根がつけ、現在に至っている。ブンデスリーガでは、ミュンヘンにホームとするバイエルンと1860ミュンヘンの人気2クラブがホームスタジアムとしている。これまでイングランドで見てきたフットボールスタジアムに比べると、残念ながらそっけない印象か。

 スタジアムに向かう途中でダフ屋風の男達が声をかけているが、そのチケットは私の持っているものと同じタイプで、ようやく観戦できることを確信する。それは、途中のスポーツショップで急遽購入したレプリカシャツがやっと安心して着られた瞬間でもある。前日観光できたときのオリンピック公園の印象はただっぴろいところだなとしか思わなかったが、今日はフットボール観戦に訪れた人、人、人でごった返している。ただイングランドと違うのは、スタジアムの横にテントやオープンカフェ風の即席ビアガーデンがたくさんあることだ。さすがはビールの都・ミュンヘンである。だが、そういった誘惑には目もくれずスタジアムへ向かう。長い行列に並んだ後、かなりきついボディチェック(痛いぐらいに触られる)を受け、やっとスタジアムの入り口へ。ここでチケットのなぞが判明。昨日偶然行ったピアノコンサートでもそうだったのだが、ドイツではチケットは入場の際にその一部を破るのだ。確かに合理的ではあるが、記念のチケットが少々台無しだ。中に入るとまたもやビール・スタンドがある。今度はその誘惑に誘われるがまま購入し、一気に飲み干して席に向かう。購入した席は、バックスタンド中央のやや後方で、全体の良く見渡せる私好みのいい席だ。タイトルのかかった重要な一戦だけに、当然ながら周りはすでにヒートアップ気味。程なく選手が入場してその興奮は頂点に。いよいよ世紀の一戦の幕が切って落とされた。

 スタジアムの熱狂に押されてバイエルンが開始早々から攻め込み、そのままゴールに結びつける。前半2分、右からあげたセンターリングをヤンカーが難なくヘッドで押し込み、バイエルンが先制。スタジアムは熱狂に包まれる。ブンデス・リーガでホーム側がゴールした場合、その後のパフォーマンスが見ものだ。アナウンサーが、「前半2分、先制点を挙げたのは、刈るステーン・・・」とまで言うと、観客が一斉に「ヤンカー!」と叫ぶ。アナウンサーが「ダンケ・シェン(ご協力ありがとう)」と言うと、観客も「ビッテ!(どういたしまして)」と掛け合う。この一体感がたまらない。そしてその興奮が収まらない前半12分、フランス代表のリザラスからのセンタリングをパウロ・セルジオがヘディングでシュート、ポストの跳ね返りをまたもヤンカーが押し込む。続く前半16分、サリハミビッチの右サイド突破からショルにつなぎ、最後はパウロ・セルジオがゴーリーをあざ笑うかのようにヒールで流し込む。「ダンケ・シェン!」「ビッテ!」の掛け合いが三度スタジアムに響く。もはや勝負あり、である。

 ただ、この試合は勝つだけではなんの意味もない。肝心のレヴァークーゼンの戦況が気になるところ。ところがこれもドイツではリアルタイムで全てのスタジアムに伝わるのだ。試合中にもかかわらず、突然「ピンポーン」と巨大な音が鳴り響くと、他会場で得点が入ったことを意味する。電光掲示板に全観衆が注目すると「Unterhaching 1ー0 Leverkusen」と表示され、スタジアムの興奮は最高潮に(ちなみに後で確認したところ、レヴァークーゼンのオウンゴールだったと判明)。このまま行けば軌跡の逆転優勝だ。会場に「ハッヒング!ハッヒング!」と対戦相手のウンターハッヒングを応援する声がこだまする。その後前半40分、マルコ・ボデの得点によりブレーメンが1点を返し、前半が終了する。

 後半になると、今度はブレーメンが反攻に出るが、GKカーンを中心にし、途中から4バックから3バックにシステム変更するゲーム巧者ぶりを見せ、付け入る隙を与えない。そしてスタジアムの観衆、バイエルンの選手が待ちに待った朗報がスタジアムに鳴り響く。「Unterhaching 2ー0 Leverkusen」。場内が騒然となり、選手も試合そっちのけでガッツポーズし、観衆にもっと騒げと煽り立てる。それにしてもバイエルンのMFエフェンベルグのテクニックは見事だ。かつて、1994年米国W杯でサポーターに向かって中指を立てるという醜態をさらし、W杯途中でドイツに強制送還されたという逸話を持ち、「悪童」の名を欲しいままにしているが(今も素行はあまり変わらないらしい)、ことバイエルンでは攻撃の中心として縦横無尽の活躍である。終盤になるとブレーメンが疲れたのか、バイエルンがボールを支配し、主審にホィッスルを鳴らすよう急かしているかのようだ。

 そして観衆の興奮が試合終了とともにピークになる。レヴァークーゼンはそのまま0−2で敗退したため、バイエルンの逆転優勝だ。抱き合う選手、監督、スタッフ達。感極まった観衆も多い。スタジアムにQueenの「We are the champion」が流れ、選手がウィニング・ランをし、観衆と喜びを分かち合う姿は見ているこちらもすがすがしい気分になる。私はマイスターシャーレ授与の前、混雑を避けるために地下鉄の駅に向かう。ここから後はミュンヘン市民のフェスト(お祭り)だ。通りすがりの観光客は立ち去るとしよう。事実途中で夕食のために立ち寄った市庁舎広場には、早くも歌を歌うサポーターが選手の到着を今か今かと待ち構えている。ここもあと1時間もすればフェストになるだろう。合言葉は「ハッヒング!ハッヒング!」のようだ。

 1999年7月から2000年5月まで、途中1ヶ月のウィンターブレークを挟み約10ヶ月に渡る長いシーズンがこうして幕を閉じた。そして欧州各国は、6月からのEURO2000へ向かいひた走ることになる。そしてそれが終わり短い夏休みを終えると、もう
2000/2001シーズン、2002年W杯予選がスタートする。果てしなく続くフットボールの歴史の一瞬に、私は今立ち会っている。


2000年5月13日(日)午後4時キックオフ 晴れ トッテナム・ホットスパーVSサンダーランド

 「もうやめようかな。」珍しく弱気の虫が疼き出す。「もうあれ以上のものは見られない、きっと。」「いや、もう二度と来られないかもしれない。」渡英してはや18日。その間に、チェルシーのスタンフォード・ブリッジ、マンチェスター・ユナイテッドのオールド・トラフォード、アーセナルのハイバリー、そしてウェンブリー。人気クラブと憧れのスタジアムでの熱戦を観戦する機会に恵まれ、どれもがはずれのない好ゲーム。オールド・トラフォードでは、優勝杯を掲げてのシャンパンファイトまで見てしまった。本業との時間の戦いで疲れているのも事実である。それに渡米前、スパーズのホームスタジアムのあるホワイト・ハート・レインはちょっと気をつけたほうがいいと友人に忠告されていたのも二の足を踏んでいた理由になる。今更トラブルにも巻き込まれたくないし、やめようか。

 しかし、その迷いを吹っ切らせたのは私の長年の「憧憬」であった。かつて、グレン・ホドル、ポール・ガスコインなどの中盤のテクニシャンを擁したイングランドらしからぬフットボール・スタイル。そしてガリー・リネカー、ユルゲン・クリンスマンといった名だたるストライカー。そして現在の元フランス代表のダビド・ジノーラと元イングランド代表のダレン・アンダートン。そうそうたる顔ぶれだ。現在の順位は13位と低迷していたが、今年はけが人が多くてベストメンバーが組めていない。最後ぐらい全員そろった姿が見られるかもしれない。そう思うとじっとしていられなくなった。行くしかない。

 トッテナム・ホットスパーズ(以下、スパーズ)のホームグランドであるホワイト・ハート・レーン・スタジアムは、地下鉄セントラルライン等のリバプール・ストリート駅でBritRailに乗り換え、または地下鉄ビクトリア・ラインのセヴン・シスターズ駅でBritRailに乗り換え、その名もずばりWhite Hart Lane駅で下車し、徒歩3分。やはりどちらかといえば下町といった風情で、スタジアム前のパブではもう酔っ払い集団が気勢を上げている。かなり危険な香りのする雰囲気だ。アウトサイダーが無防備に触れるとやけどをしそうな感じ。こんな緊張感は渡英後初めてだ。やっぱり噂は本当か。でもよく周りを見ていると酔っ払っている人の中には、女性の数も多い。親子連れが多いなど年齢層も幅広く、女性も多いのだ。

 スタジアムに入り、さて自分の席はどこか探そうとすると、必ず係員がさっと寄ってきて場所を教えてくれる。やはり私のような外国人は目立つようだが、それでも手馴れている。「君の席はこの列の中のほうだよ。」見るともう手前のほうはたくさんの人が座っている。しまったどうしようと思った瞬間、いっせいに立ち上がり前を通そうとする。日本なら「すみません」と言わないと譲ってくれない場合が多いのにこの差はなんだろう。ちょっと感動。場所は前から11列目でコーナーポストのすぐ近く。相変わらずピッチが見やすい。そして座ってスタジアムを改めて見直してみると、外から見ると古いなというのが正直な印象だったが、中に入ってみると実に美しい。

 そして私から見て右手のアウェイサイドにはサンダーランドのサポーターがすでに気勢を上げている。勢いは完全に彼らが上回っていた。確かにサンダーランドは今年プレミアシップに昇格して現在8位とここ数年でベストの成績。しかもFWのケヴィン・フィリップスは30ゴールをあげ、得点王をほぼ手中にしており、盛り上がらないはずがない。すると負け時とスパーズ・サポーターも応戦し始めた。スタジアムにこだまする声、声、声。3万人が一斉に歌うとこうなるのか。耳鳴りがしそうだ。そして選手が入場するとその興奮が最高潮に。これだ、私が求めていた雰囲気は。でも今日でもう英国を出なければならず、もう見られないのかと思うとなぜか涙が。見に来て本当によかった・・・。

 そしてお目当てのジノーラも登場。やはりスパーズサポーターにも一番人気らしく、「ジノーラ!」と各々が声をかけている。実に絵になる男だ。そしてそのプレースタイルも実に優雅である。最近Jにはこういう選手いないんじゃないかな?ボールを持つだけで回りの動きがぴたっと止まってしまう。DFとの一対一の駆け引きに周りの選手も引き込まれている。

 試合は前半11分、アームストロングへのファウルがペナルティキックとなり、ダレン・アンダートンが冷静に決めてスパーズが先制するが、サンダーランドも20分、負け時とスルーパスからマキンがゴールに流し込んで同点に追いつき、前半は終了する。後半に入るとジノーラ、アンダートンを中心に完全に中盤を支配したスパーズが主導権を握る。そして73分、今年ケガに苦しみつづけたシェウッドがコーナーキックからヘッドで後ろに流したボールを蹴りこみスパーズが勝ち越す。圧巻は83分、自陣奥でボールを奪ったカーがドリブルで独走した後、GKソレンセンの頭上をあざ笑うかのようにループで抜き、3点目を上げたのだ。その瞬間のスタジアムの熱狂はものすごかった。今年一年今ひとつだったけど、最後にやってくれたとばかりにお祭り騒ぎが始まる。ボールをDFでまわし始めると、普通はそれにあわせて「Oooi!」と声をかけるのだが、その日は「Shooot! Shooot!」と声をかけ、みんなで笑っている。終了間際にこともあろうかジノーラに肘鉄を食らわし退場(Sent-off)となったラエには全員が手を振って出て行けと追い出す。実に見事なのだ。私の隣には60歳ぐらいの女性が見ていたのだが、DFキャンベルのいいプレーには「ソル、いいわよ」とホメ言葉をかけ、つまらないミスには「何考えてんのよ、この××××」と罵声をかけていた。日本のサポーターはここまでなれるだろうか?

 試合は大団円のうちに終了し、1999/2000プレミアシップ最終戦は最高の形で終了することになった。帰りには多少の渋滞を予想したのだがこれもまた見事に裏切られた。試合終了後ちょうどいい時間に駅に臨時列車が到着し、あっという間にサポーターを飲み込んで去ってしまった。実に手際よい。試合前にはあれほど迷っていたのに、今ではあの白いレプリカが欲しくてたまらない。残念ながら在英中には購入できなかったが、是非探そうと思う。そしてまたあのスタジアムのあの席に、もう一度行きたいものだ。

 イングランド・フットボールの素晴らしさにあなたも一度触れてみませんか?


母国の深遠 Part8 フットボールの聖地

2000年5月13日(土) 午後3時 曇り
FA Umbro Trophy Final at Wembley Stadium
Kittering VS Kingstonian
Attendance 20,034

 ロンドンでのハードな1週間を終え、もう次の月曜日にはドイツに旅立たなければならない。「母国」でやり残したことはないだろうか?
 ・スタンフォード・ブリッジ(チェルシー2−0リバプール)
 ・オールド・トラフォード(マンチェスター・ユナイテッド3−1トッテナム・ホットスパー)
 ・ハイバリー(アーセナル3−3シェフィールド・ウェンズディ)
 ・ホワイト・ハート・レーン(トッテナム・ホットスパー−サンダーランド 5月14日観戦予定)

 フットボールを愛するものならジェラシーを感じずにはいられないはずのスタジアム、対戦カードと内容。しかも全ての座席が究極ともいえる観戦場所。すでにもう見なければならないものは、全て見てしまったとの錯覚すら覚えてしてしまう。いや、母国はそんなに浅くはない。この期間でも見られなかった試合は数知れず。例えば、マンチェスター・シティVSブラックバーン・ローバースもそう。スコティッシュも見のがしてしまった。スケジュール上は行くつもりだった試合があんな世紀の一戦になるとは。是非また訪れ、生のフットボールを観戦したい国である。

 しかし、今回どうしても行かなければならないと思っていた所がある。そう、あのウェンブリー・スタジアムである。フットボールを愛するものなら誰もが一度は憧れる「聖地」である。我等が日本代表も、カズ、井原が全盛期にここでイングランドと対戦するという身に余る光栄を受けたことがある(ちなみに井原がゴールしたが1−2で逆転負け)。是非そこに行ってみたい。しかも今年のFA杯(5月20日)終了後、2006年W杯誘致に向け改修される予定だという。あの美しい二つの塔を持つ外観も変わるらしい。これは是非見なければ。

 実は、我が蹴鞠ゼミ(HP見てね!日本一のフットボールサイトを目指します)の屈指の蹴球狂であり、Webmasterである村野ゼミ員は、ここのスタジアム観戦ツアーに参加し、「God Save The Queen」の曲に乗ってまるでイングランド代表選手のようにピッチに駆け上がり、ロイヤルボックス前で優勝カップを掲げ、見知らぬ同行者にその写真を撮らせたことのあるつわもの。これを超えるのは難しいとしても、なんとか試合をみることはできないものか。

 これが観戦できてしまうからさすがは「母国」。私の名づけたタイトルも生きるというものである。デイリー・テレグラム紙(英プレミアシップのスポンサー)を始めとする新聞各社のフットボールに関する報道は、おそらく日本のスポーツ新聞のプロ野球の扱い以上といっても過言ではない。そのスポーツ編をチェックしていると、Fixture(試合日程)の欄が毎日必ずあり、ありとあらゆるカテゴリーでのフットボールの試合日程を紹介しているのだ。何気に今朝は、「FA Umbro Trophy Final atWembley Stadium Kickoff 3PM」とある。キッタリングもキングストニアンもどちらも知らない(おそらく、プレミア、イングランド1、2、3部のさらに下のFootball Conferenceのクラブであり、そのカップ戦ファイナルのはず)が、聖地で試合が見られるのなら行ってみる価値があるはずだ。迷った挙句キックオフ1時間前にホテルを出発する。

 Wembley Stadiumに公共機関を利用して行くには、ブリットレイル、地下鉄と主に2つの方法がある。私は今回ブリットレイルを利用したが、至極簡単。ベイカールー・ラインのマリルボーン(Marylebone)駅でブリットレイルに乗り換え、最初の駅がその名もウェンブリー・スタジアム駅である。途中、駅に到着する直前に進行方向に向かって右側にスタジアムが見えるので迷いようがない。徒歩で3分もかからないところに駅があり、ビックマッチのときには臨時便も増発するようである。また地下鉄メトロポリタン線のウェンブリー・パーク駅も、地下道を出ればスタジアムの目の前。誰がこんなに機能的なことを考えたのかと感心すらしてしまう。

 スタジアムに着いたものの、チケットの入手方法がわからずスタジアムの周りをうろうろ。途中Tatooを体中に入れ、明らかに酩酊状態直前の集団にすれ違う。さすがはイングランド、めちゃくちゃ恐ろしい。多少弱気になっているとインフォメーションセンターがあったので思い切って聞いてみる。笑顔で「Hi!」と話しかける、実にさわやかな印象を与える翁である。ここで仮に恵(めぐみ)と名づけさせてもらう。長くつらいビジネストリップだ。ゼミ長レポートにもたまには遊びが必要である。
 恵「いやー、ようこそ若いの。どうかしたかね?」
 私「今日の観戦チケットって買えますか?」
 恵「もちろんだよ。君はどっちのサイドを応援するの?」
 私「できれば中立で」
 恵「じゃ「J」という入口にいって直接8ポンド払いなさい」
 えっ、Box Officeがもうないの?確かに試合開始は始まっているけど。周りを見ると、すでに設備の撤収を始めているところもある。さすがはウェンブリー、手際がよい。指示どおりにJ入口に行くと、最悪なことに若い酔っ払い大集団に巻き込まれてしまう。向こうはこっちを「なんでJapがいるんだ」って興味津々で見ているが、無駄な喧嘩をしない方がよいことは、昨年のキリンカップで体験済。無視して待っていると、係員が気を利かせてくれて、「君はこちらへどうぞ」と声をかけてくれる。団体だと席の割振りが難しいがひとりならなんてことはないらしい。刺すような視線を無視してとっとと中へ。私もずいぶんと大人になったものだ、喧嘩しないなんて(キリンカップの詳細をご存知ない方はまた後日、ご存知の方は思い出して笑ってください)。

 買ったチケットを見てみるとちゃんと指定席だ。これで8ポンド(1400円)は安い。しかもいわゆるメインスタンド。でも対戦カードがカードだからな〜。ところが、この勝手な思い込みがとんだ勘違いだと気が付くのに時間はかからなかった。なんだこの異様な観衆の多さと盛り上がりは?私がおろおろと自分の席を探そうとすると、妙齢の黒人の老人が笑顔で歩み寄り、チケットをさっと見るとどんどん前のほうに私を連れていく。実に手際よい。笑顔で「楽しんできなさい」と送り込む、そのホスピタリティたるや見事である。よく見てみると、確かにバックスタンドはがらがら、というか係員しかいない。ところがメインスタンドは、ロイヤルボックスを中心に左右に両クラブのサポーターがぎっしりと座っている。しかも、彼らも「サポーター」しているのだ。選手の名前ももちろん連呼しているし、レプリカをそろえ、マフラーをして応援している。そしてさすがはイングランド人、フットボールの見方は知り尽くしている。どちらもアマチュアのクラブのはずなのに。フランスカップ・ファイナルに進出し、惜しくも準優勝に終わったカレーというクラブが話題になったが、あの盛り上がりはフロックではなく、国は違えど欧州ではフットボールの根付き
方が半端じゃないのだ。

 私が座ったのはどちらかといえばキングストニアン(おそらくキングストンにホームがあるのだろう)・サイドで、ブラジル・カラーそのまんまのユニフォームのくせに、そこはイングランドのクラブ、ポーンとロングボールを前線に入れ、競った後のルーズボールを奪って怒涛のように攻め立てる古典的なフットボールを見せる不思議なクラブだった。方やキッタリングは、赤と黒のユニフォームでACミランというよりはコンサドーレというかんじ。こちらは丁寧にパスをつないぐスタイル。日本人ならキッタリングが好きだろうなと思う。会場の応援もキッタリングが優勢か。

 試合を支配していたのはキッタリングだったが、先制はキングストニアン。カウンターによる単純なもの。前半はそのまま終了し、ハーフタイムへ。イングランドではハーフタイムに必ずピッチでイベントをやる。プレミアでは地域の方を招いて表彰したり、記念撮影をしたりする(理由は誕生日、退職、結婚などなんでもいいのだ)。今日は両クラブのユース、いやもっと小さい年代のチームのPK戦だった。考えてみればプロでもないのにそういうチーム、持っているのである。おそろしい。周りのおっさんもキングストニアンが勝って大盛り上がりしている。

 後半が開始すると、一気にキッタリングが攻め立てる。開始直後のコーナーキックから同点に追いつき、その数分後にはPKを獲得し難なく逆転。反対サイドのサポーターは大騒ぎである。ところが、ここからがおもしろくなる。あれほど能無しの、まるで韓国のようなロングボール&サイドからのセンタリングだったスタイルが俄然攻めに出た瞬間豹変し、かつてのブラジルのようなドリブルを中心に攻め立てるスペクタクルあふれるスタイルに変貌するのだ。そしてそれが実って後半30分ごろ、ゴール前の混戦から押し込んで同点に追いつくと、数分後には相手GKのミスをついて逆転。3−2となる。残りの数分は、もうキングストニアンの独壇場。パスでまわしてDFラインをずたずたにしたかと思えば、ドリブルでどんどん攻め込んでいく。前半とは立場が両チームぜんぜん違うのである。もっと驚いたのが、スタンドの観衆だ。確かに決勝とはいえ、こんなアマチュアクラブの対戦に2万人もの観衆が日本で集まるだろうか?しかもそれぞれがグッズなど臨戦対戦万全でサポーター間で丁々発止やりあっている。警察こそいないが、ウェンブリーの百戦錬磨のスタッフが対応している。観衆はたしかに超満員ではなく、戦略も技術もないアマチュアだったが、ウェンブリー観戦にふさわしい熱戦だった。なんて運がいいんだろう。

 本当は終了前に席を立ち、混雑を避けるために早々に帰るつもりだったが、試合内容のあまりの面白さにそれすらできない。そして試合終了のホイッスル。自分がサポートするクラブが優勝するとこんな感じなのかと思いたくなるような歓喜の渦。抱き合う観客。手を振る選手。とても幸せな光景だ。なんとうらやましい。でも、この後は地元の人達のものだと席を立ち、帰ろうとすると先ほど席を案内してくれた妙齢の黒人がウィンクをして微笑みかけ、「ナイスゲームでよかったね」と言う。思わず私も親指を立て、笑顔で返す。

 約束事のように人が見事にはけて生き、観戦していたもの達が列車の中で今日の試合について熱く語っている。惜しむべきはマッチディプログラムを入手できなかったことか。それでもウェンブリー、ナイスゲーム、素顔のイングランド人を見ることができた私は至福ものである。


母国の深遠 Part7 アーセ ン・ベンゲルの幸福 by ゼミ長・桑原

2000年5月9日(火) 19:45 晴れ
アーセナルVSシェフィールド・ウェンズディ(ハイバリー・スタジアム)

 このフットボール観戦は、某HPのウェブマスターであるM氏と、その知人で、アーセナルのスポンサー関連の方のご好意により実現した「前代未聞」の身に余る経験であり、両氏にはこの場をお借りして心からお礼を申し上げたい。

 さて、その「前代未聞」の体験とは・・・(今回はちと長編)。

 私は試合観戦当日、ハードな内容のミーティングを午前中に済ませた後、指定された場所にてチケットを受け取り、その足で球技場に向かうことになった。そのチケットの指定席はロイヤルボックス。同封されたレターを見ると、「ウェルカムドリンク、ディナーをご用意してお待ちしております」と書いてある。うむむ・・・。これは私にとっては未知なる体験。しかもホームであるアーセナルの監督は、今日本で話題のアーセン・ベンゲル氏。状況はおもしろすぎ、である。

 今シーズンのアーセナルは、サポーターにとっては若干失望の混じる結果となっている。欧州チャンピオンズリーグ(以下CL)は、まさかの1次リーグ敗退。イングランド・プレミアシップでは、優勝したマンチェスター・ユナイテッドに大きく引き離され、一時はチャンピオンズリーグの出場権獲得圏内の3位獲得も疑問視される内容だった。一時は、ベンゲルのアーセナル解任→日本代表就任なるあまりに幼稚で身勝手ななシナリオがサッカー協会で描かれていたという(サッカー協会内の人物の見解として事実あったこと)。ところが、きっちりと立て直すところがベンゲルたる所以で、UEFA杯ではファイナルに進出し(5月17日、コペンハーゲンにてトルコのガラタサライと対戦)、プレミアシップでは2位を決定付け、CLの出場権まで確保してしまった。また昨年、現在レアル・マドリッドへごたごたの末に放出してしまったニコラ・アネルカ(こいつの話は相当面白いのでまた後日調査の上、レポートする)の抜けた穴を、同じフランス人のFWティエリ・アンリでなんなく埋めてしまったのだ。

 一方のシェフィールド・ウェンズディ(以下、ウェンズディ)は、ヨークシャー地方南部の名門クラブで、プレミアシップの常連だが、今季は開幕から不振にあえぎ、この試合の結果如何ではとうとうイングランド1部リーグへの降格が決定するという極度の不振に陥っていた。ちなみにイングランドではトップリーグの正式名称は、カーリングFAプレミアシップといい、ビール会社のカーリングが冠スポンサーになっている。その下部リーグとしてネイションワイド(Nationwide)ディビジョン1、2、3と合計4部でプロリーグが構成されているのだが、このネイションワイドというのも実は銀行の名前で、冠スポンサーだと判明。

 この試合は、敗戦はもちろんドローでも降格が決定してしまい、強豪アーセナルに圧勝することのみがかすかなプレミア残留への望みをつなぐことになるのだ。モチベーションの上ではウェンズディ、実力的にはアーセナル。試合前の私の予想では3−1でアーセナルの勝ち。誰が考えても妥当な予想なはずである。

 アーセナルは、ロンドンの地下鉄ピカデリーラインの文字通りアーセナルという駅(発音的には「オーセノゥ」が近いか?)を下車、改札を右に2分も歩けばスタジアムが見えてくるという絶好の立地。他にも同じくピカデリーライン、ビクトリアライン、ブリットレイル(旧国鉄)のフィンズバリー駅も近くにあり、試合終了後の観衆のはけ具合の良さが予想される。

 途中、アーセナ・ルサポーターが群れる中を、ウェンズディ・サポーターが割り込んできた。すわ乱闘かと思いきや、これが笑わせる。サポーターがよく歌う「Go West」を替え歌し、「Go down, we are going to. Go down, we are going to...」要するに下部リーグに落ちていく自らを嘲笑しているのだ。それを聞いたアーセナルのレプリカを着た妙齢の女性が「おお、可哀想に」と涙を流すふりをすれば、彼らも「ありがとう。だから今日は負けてね」とかましている。地下鉄の駅のホームでのひととき、である。

 指定された入口に着き、どきどきしながらドアを開ける。どんなところなんだろう?私は勝手にスタジアムに向かってテーブルが並び、試合が見られながら食事を取るものだと思っていた。ところが、中には10人ほどが歓談している。どうも全員が旧知の仲という感じで、まるでパーティ。私はどうも場違いな印象だ。また全員20代か?といった印象で若い。リーダー格の黒人の若者が話しかけてくる。見た目はジョージ・ウェアそっくり。いや、最初は本当になんでジョージ・ウェアがここにいるんだと本気で思った。だから都合上ここでは仮にウェア君とでも命名しておこう。ウェア「ようこそ、どちらからお越しですか。スーツを脱がれては?」私「ありがとう。日本からビジネスで来ています。スポンサーさんのご招待に
あずかったのです」ウェア「へー、で、お仕事はどのような・・・・」うむむ、全員金持ちのボン(大阪弁でどら息子)という感じ。耐えられない。ただでさえ、仕事でディスカッションして疲労困憊しているのに。他のメンバーからも好奇の目で見られ、少々萎えてしまう。「頼むから早くフットボールを見せてくれよ・・・」そこでは、円卓を2つ用意してあり、ウェイトレスが2名常駐している。が、かといって接客態度は×。全員が知り合いなので「だれて」いるのだろう。出された食事もそこそこに済ませ、ピッチに目をやる。確かに全体は見渡せる感じだ。テラス席が外についており、そこから高みの見物としゃれ込む訳である。なるほど、VIPを招待するにはもってこいの環境であるには間違いない。ただ、私はその待遇には満足できなかった。理由は簡単である。これまでイングランドに渡ってきてフットボールの観戦した場所が、荒ぶるフットボール・ジャンキー達と「戦って」きたためである。何か物足りない印象は拭えない。まあ、いい。試合が始まるまでだ。テーブルをいの一番に立ち上がり、最前列に陣取る。観戦体勢は万端に整った。

 アーセナルは一週間後のUEFA杯決勝に標準を置いているためか、それともCL出場権を確保したためか、デニス・ベルカンプ、エマニュエル・プティ、トニー・アダムスといった主力を温存する余裕を見せている。試合は、そのためかどちらかというとウェンズディ・ペース。やはり降格という事態は避けたいのだろう。明らかに稚拙な戦術、技術ながらファイティング・スピリットにあふれている。しかし前半35分、ティエリ・アンリのシュートがポストを叩いた跳ね返りを、DFのディクソンが押し込んでアーセナルが先制する。一気に意気消沈するウェンズディ・イレブンとサポーター。前半はそのまま終了してしまう。

 席に戻るとウェア君が話し掛けてきた。私が渡英してからいろんな試合を見たという話をして気になっていたのだろう。ウェア「どうですか?試合の印象は」私「うーん、まあまあなんじゃない?」一応アーセナルを応援するスタイルを取っているが、心の中ではウェンズディを応援している自分に気がついた。こんな気取った奴等の目を覚ましてやってくれよと。

 ところが、その願いが通じてしまうのだ。後半11分、途中交代したシボンがコーナーキックをヘディングでゴールし、同点に追いつく。彼のファーストタッチで、である。なんだよ、おもしろくなってきたじゃんかと思っていると、その得点後見事なまでにDFラインを攻め崩し、後半17分、25分にデ・ビルデ、クィンと立て続けにウェンズディが加点していく。残り20分で1−3でアーセナルが負けている。誰がそんなことを予想しただろう。ウェンズディサポーターは大騒ぎし、アーセナルサポーターが怒り心頭でスタジアムが騒然となってきた。

 しかし、ここからアーセナルがもう反撃に出る。さすがにホーム最終戦である。ここで負けては一大事である。後半から出場してきたベルカンプ、カヌ、アンリを中心に圧倒的に攻め込んできた。さあ、今度はアーセナルを応援している自分がいる。さあ、見せてくれ!

 すると後半33分、途中交代で出場したシルビーニョが見事なロングシュートを叩き込み、一気に火がつく。とどめはティエリ・アンリである。彼は前の試合までに出場した7試合連続で10ゴールをあげ、ちょっとした話題になっているのだ、彼はベンゲルによって「化けた」と。そのアンリも後半34分、見事なテクニックでミドルシュートを叩き込み同点に追いついてしまう。なんとエキサイティングなゲームなんだろう。

 試合はそのまま3−3のドローで終了し、大団円のうちにアーセナルのホーム最終戦は終了。ウェンズディは降格が決定してしまった。ただ印象的なのがJリーグのときのような悲壮さがなかったことである。というのも前の2試合でともに0−3で大敗し、すでに絶望的な雰囲気になっていたのもあるが、むしろ「あーあ、とうとう降格しちゃったよ」というイメージ。また来年昇格できるように応援しようと前向きに捕らえていた。

 試合終了後ドリンクが振舞われ、今年最後の歓談が始まっていたが、部外者の私は早々に失礼をさせてもらった。翌日の仕事が朝早いというのもあったが、試合内容に満足してもうお腹がいっぱいだったからだ。

 予想通りスムーズに人が流れていき、地下鉄では座ることすらできた(空席もあり!)。途中乗換の駅でマッチディ・プログラムを読んでいると、興味津々といった面持ちで一人の中年が話し掛けてきた。見た目はかつてのドイツ代表フェラーという感じだったのでここでは仮にフェラー君とでも名づけよう。フェラー「で、スコアは?」私「(にやりと笑って)3−3」フェラー「3−3!?(やおら乗り気になって)誰が得点したの?」私「ディクソン、シルビーニョ、アンリ。降格が決まったけどウェンズディは戦ってたよ」フェラー「そうか。3−3か。お前、いい試合見たな。3−3だとよ・・・・」信じられないのか、一人ぶつぶつ言いながらフェラーは違う方面の電車に乗っていった。

 今日本では、アーセン・ベンゲルが日本代表監督に就任するかどうかで話題になっているらしい。ここで予言、いや断言させてもらおう。今、アーセナルの監督を辞めるほど彼は愚かではない。これだけ監督という職業に専念できる「フットボールの都」の住人の座を投げ捨て、はるか東洋の異国の、しかも劣悪な環境の代表監督になるなんてカード、彼が切るはずがない。それだけ、アーセナルの監督でプレミアシップ、CL制覇を狙うことは魅力的なのである。ましてやその目標を今年達成できなかったのだ。また仮に来年達成したとしても、それで満足するはずもない。当然連覇という偉業を目標に据えるはずである。

 いったいどこの誰だ?ベンゲルは日本代表の監督に来てくれるに違いないなんて白日夢を見ているサッカー協会の奴は?


母国の深遠 Part6 Old Trafford by ゼミ長・桑原

2000年5月6日(土) 11:30 晴れ
マンチェスター・ユナイテッドVSトッテナム・ホットスパー マンチェスター・オールドトラフォード

 日本のJリーグとほぼ時期を同じくする1992年より装いも新たにスタートしたイングランド・プレミアシップ。1999-2000シーズンもクライマックスを迎え、すでにマンチェスター・ユナイテッド(以後、ユナイテッド)の優勝が決定しているが、この8シーズン中に実に6回目の優勝だというから驚かせられる。ちなみに残りの2回は、現在1部リーグ落ちしているブラックバーン・ローバースとベンゲル率いるアーセナルのみ。その地位は、エリック・カントナ、ペーター・シュマイケルといった名選手より引き継がれる栄誉あるものであり、現在名実ともに世界No.1の「ビッククラブ」であるといえる。

 この試合は、オールドトラフォードでの今季最終戦であり、試合終了後には優勝セレモニーが予定されており、ユナイテッドにとっては言わば「祝宴」である。方や対戦相手のトッテナム・ホットスパー(以後スパーズ)は、ユナイテッドに負けず劣らずの名門であるはずなのだが。ここ数年は低迷を余儀なくされている。今年も今節開始時点で10位で、優勝、チャンピオンズリーグはおろかUEFAカップ出場権獲得もおぼつかない。かつては、ご存知ガリー・リネカーやポール・ガスコイングレン・ホドル、ユルゲン・クリンスマンといった名選手を輩出してきたクラブである。現在もダレン・アンダートンやダビド・ジノーラといった人気選手もいるのだ。ぜひ復活してほしいところである。

 試合会場であるオールドトラフォードは、マンチェスター・ピカデリー駅よりメトロリンク(路面電車)に乗り、4つめのその名もずばりオールドトラフォード駅で降り徒歩5分。周りにはクリケットクラブもあり、純粋な地域スポーツクラブからスタートしたと思われる背景が手にとるようにわかる。また、スタジアム前にはモスビー卿の名を冠した道もあり、フットボールフリークの心を揺さぶるに十分な雰囲気である。現在メガストアは新たに建設中で、仮の店(とはいっても巨大な店)がスタジアム前にあり、中を物色しようとするが、あまりに混雑がひどいので、グッズ購入はあきらめ、スタジアムの周りを一周する。すると、スタジアムの南東の壁に古ぼけた時計がある。かの有名な「ミュンヘンの悲劇」の瞬間を刻んだまま時計がとまっているのである。あの悲劇を風化させてはいけないとするクラブの伝統の奥深さに感銘を受ける。その時計の前にはレプリカを着た老人二人組が,フットボール談義に花を咲かせている。やはり歴史の深さあってのことであろう。

 スタジアムをぐるっと一周するが、さほど巨大な施設だという印象を受けない。むしろ東京の国立競技場よりも小さい印象。これはサッカーのピッチの周りにすぐに観戦スペースを作っているため、無駄なスペースがないからだ。

 スタジアムに入ろう。イングランドのスタジアムは鉄格子の檻のような入口を一人ずつ入場していくシステムだ。やはりスタジアムでの暴力行為を考慮してか、チケットの「もぎり」も日本のシミズスポーツのアルバイトのおねーさんではなく、屈強な男性が鉄格子と防弾ガラス窓の向こうから受け取ってちぎってくれる。

 スタジアムは素晴らしいの一言である。ピッチから近い座席、フットボールを知り尽くしたものが作った施設であることが良くわかる。また私の場所がいい。前から10列目、ほぼコーナーポストの真横である。改めてエージェントに感謝する次第だ。

 いよいよ選手が入場してくる。しかも私の目の前だ。動画を撮影したのでまた公開したいところだが、そのときの雰囲気たるや饒舌を極めるのだ。これから日本に帰ってJを見るのかと思うとつらくなってしまう。明らかに別格の雰囲気。フットボールフリークの望む全てがここにある。

 キックオフ直後から、ユナイテッドがボールを支配し、スパーズを襲う。そしてわずか開始4分、コーナーキックからのボールを頭で流し込んでソールシャールが決め、ユナイテッドが先制する。その後もユナイテッドが圧倒的に攻め、スパーズはなすすべがない印象だ。しかし、これで終わらないから面白い。前半19分、簡単なパス交換からあげたアーリークロスを頭であわせてアームストロングが決め、スパーズが同点に追いつく。

 しかし実力の差は歴然としていた。前半33分、ベッカムが見事なミドルシュートを決めて、ユナイテッドが勝ち越す。スタジアムではエリック・カントナもこの試合を観戦していたが、このゴールには感心していたようだ。そして立て続けに前半35分、中盤でのルーズボールを持ち込んだシェリンガムがゴールに叩き込み、3−1となる。もうオールドトラフォードはお祭り騒ぎ。会場が歓喜に包まれ、ウェーブが巻き起こる。しかし横にいた初老の男性が叫ぶ。「みんな、フットボールの試合を見ようぜ」。そのとおりだ。ここはイングランド。試合展開に関係なく騒ぐなんて無粋なことはすべきではない。前半は3−1で終了し、スタンディングオベーションで選手を迎える。

 後半はこういう展開のときはよくある退屈なもの。ゴールに結びつきそうにない展開がただ淡々と過ぎていく。ただ、時折見せるギッグスの鋭利なドリブルやベッカムの正確なクロスは見事だ。また前半で退いたがヤープ・スタムのディフェンスは存在感が圧巻で一見の価値がある。シェリンガムのポストプレーもぜひ日本の選手にお手本にしてほしいものだった。

 試合はそのまま3−1で終了し、いったん選手は控室に戻るが、観客は誰一人として帰ろうとしない。それはそうだ。ホーム最終戦をチャンピオンチームとともに祝うためだ。会場には舞台がセットされ、花火が打ち上げられる。歓喜の瞬間だ。試合にはケガで出場していなかったキャプテン、ロイ・キーン(以後、キーノ)を先頭に全選手が再登場しスタジアムは再びクライマックスへ。優勝カップをキーノが掲げた瞬間、喜びが爆発する。後は観衆が歓喜の歌を歌い上げ、選手はあわせて踊るだけだ。スタジアムには選手の家族も招待されており、私のすぐそばには元スパイスガールのベッカム夫人の姿も。観衆が沸きに沸く。やはり超人気者らしい。

 私はパレードを中座して会場を後にしたが、実にすがすがしい気分だ。理想的なスタジアム、観戦の要領を得た礼儀正しい観衆と素晴らしいプレー。ここは現在フットボールのメッカであると言っても過言ではあるまい。

 今この文章を入力しているルネッサンス・マンチェスターホテルは、マンチェスターの中心街にあるが、今、市民が勝利の凱歌をあげている声がここまで聞こえてくる。今晩は朝まで盛り上がるのだろう。私もご一緒したいところだが、ここは地元の人にその場を譲ることにして、私はホテルで今日のダイジェスト番組を見ることにしよう。後はマンチェスター・シティのプレミア昇格が実現することを願うばかりである。そのときには市民待望のマンチェスター・ダービーがプレミアシップで復活する。そしてその瞬間はすぐそこに迫っている。


母国の深遠 Part5 Old Firm by ゼミ長・桑原

2000年5月3日(水) 曇りのち晴

 今日は朝10時にアポイントメントがあるため、早起きしてエジンバラから北に1時間ほど列車でパース(Perth)という街に向かう。これがまた一苦労だ。何せ地図も時刻表も日本から届いていないため、一つ一つ現地で確認しながら手探りでの行程になるからだ(そもそもパースのことも全く知らない)。頼りになるのは前日、やっとのことで送ってもらったFAXの地図のみ。それでも何とかなるのだから旅も面白いものだ。スコットランドの人々は、表情はやや重いのだが、話すとフレンドリーだし、旅人に実に親切だ。(言葉は何を言っているのか聞き取りづらい。あれは英語じゃないね)

 ディスカッションは成功裏に午前中に終了したので、どこかついでに観光でもしようと思いつく。そうなるとフットボールがらみのものが見たくなるのが人情と言うもの。駅でグラスゴーの地図を購入し、そのままグラスゴー行きの列車に飛び乗る。その他のことは何も知らない。グラスゴーは、スコットランド最大規模の工業都市。そしてフットボール・フリークには忘れてはならないビッククラブが2つある。レンジャースとセルティックである。

1.Ibrox Stadium
 グラスゴー・レンジャースのホームのあるアイブロックスは、グラスゴー・セントラル駅から、在来線(JR中央線をイメージしてください)を2つ移動したPatrik駅で(山手線のような)地下鉄に乗り換え、内回りの2つめの、文字通りIbroxという駅で下車。右に出て2分もすれば、スタジアムが見えてくるという好立地である。近年、欧州のクラブは、スタジアムにクラブグッズを販売するメガショップをオープンしており、地元のサポーターや観光客で賑わっている。レンジャースもご多分に漏れずレプリカ、タオルマフラーから車のマットまでありとあらゆるグッズが販売されているのだ。

 ここで話が脱線するが、グラスゴーへの車中にてビール大量にを飲んだため、トイレに行きたくなった。ところがメガショップにもスタジアムにもトイレがない。係員に聞くと、「地下鉄の駅に行け」というし、駅に行けば「そんなのない」といわれてしまうありさま。困っていると駅員があきれた顔をして言う。「お前、何ぼけっとしているんだ。あそこに行けばいいじゃないか?」指差す方向を見るとその名もずばり「スタジアム」という名のパブがある。中には地元のおっさんが昼間っから酒を飲んでいる。いやだなーと思いつつ、中に入っていくと案の定全員がじろりと一瞥。「a half pint of lager beer, please」さすがに「トイレだけ貸せ」と言う勇気もないので注文すると、店員のすこし肥満気味の女性がにこやかに対応してくれる。一口飲んだ後、トイレに駆け込み、ほっと一息して一気に飲み干す。ここは試合のある日は試合の前後にサポーターであふれ返るのだろう。店内はフットボール一色だ。グラスを戻して「Thank you」というと、カウンターの奥で満面の笑顔で手を振って「See you!」。ちなみに私は、スーツにビジネスバックを抱えた典型的ジャパニーズ・ビジネスマン。こんな私でも受け入れてくれるとは、なんと包容力のある街なんだろう、雰囲気はちょっと悪いけど。

 メガストアに戻りひとしきり物色した後、クラブ関連の本を購入する。この時期はシーズン終了直前なので、イヤーブックやクラブのノンフィクション関係の本が激安なのだ。(ちなみに私が買った二冊の豪華な本が合計5ポンドしない!)スタジアムをぐるりと一周すると妙に警察官が多いのが気になったが、無視して写真を撮り、さて帰ろうとすると、おじさんが、私を呼ぶ。振り返ると
「君、記念にスタジアムをバックに写真を撮ってあげるよ。カメラを貸しなさい」半信半疑に安いほうのカメラを差し出すと、パシャリと一枚撮ってくれて一言「GoodLuck!」今まで海外旅行は何度かしましたが、現地の人から邪心なく写真をとってあげようと
声をかけられたのは初めてのこと。やはりFootball Freakの同志心が通じるってもんだ。グラスゴー・レンジャース、素晴らしい。

2.Celtic Park
 セルティックとは「ケルト人の」という意味。文字通りケルト人の多くがサポートしている。米国バスケットボールのチーム、セルティックも同じ意味でその証拠にチームカラーが同じ緑だ。このセルティックとアイルランド人の多くがサポートするレンジャースが対決する年に2回の試合は「オールドファーム(Old Firm)」と呼ばれ、グラスゴーの街を二分して争われる。おそらく世界最大級のダービーマッチである。ここ近年はレンジャースの躍進が目覚しく、セルティックの凋落振りが指摘されているが、ことこのオールドファームに関しては別格で、ほぼ互角の展開で毎年熱い戦いが繰り広げられている。

 セルティックのホームスタジアム、セルティック・パークは、レンジャースとは中央駅を隔てて反対の街の西側にある。先ほど紹介した中央線を西に二つ目の駅、または三つ目の駅(名前は失念)を降り、徒歩で15分くらいで見えてくる。ところがいつまで歩いても入り口が見つからない。今日は試合がないので閉まっているのかあきらめかけたが、もう二度とくることもないかもしれないと、意を決して反対側まで歩いてみる。するとあるではないか、入り口が。どうやらその駅からは徒歩で30分はかかるので、試合当日はバスが出ているらしい。周りは空家が多く、途中の雰囲気はアイブロックスよりもよろしくない。女性にはお勧めできない。

 ただこちらもメガストアがあり、中に入ると子供、赤ちゃん用のレプリカが15ポンド。あまりに激安なので愛息のために一着購入する。残念ながらそれ以外のバーゲンはやっていないようだった。

 やっとのことで目的地を発見し満足して駅に戻るが、この街はちょっと荒廃しているようで、人々と街に活気が感じられない。失業者がやるせない感じで公園でたたずんでいる。労働者の街ゆえ景気が悪くなるととたんに寂れてしまうが、そんな労働者の希望の源が、レンジャースでありセルティックなのだろう。もし来年のチャンピオンズリーグ、またはUEFAカップでこの2クラブを見たら、そんな背景も感じつつ試合を見てもらえれば、なぜそこまで人々が熱狂するのかがわかると思う。彼らは宗教的、民族的な背景を持ちつつ、現状のやるせなさをはらすべく、このクラブに賭けているのだ。

3.意外なオチ
 疲れきってエジンバラのホテルに戻る。今日はチャンピオンズリーグ、レアルマドリッドとバイエルン・ミュンヘンの試合の生放送があるからだ。試合はレアルが支配し、事実アネルカとイエレーミスのオウンゴールにより2−0で勝利。ファイナル進出に王手
をかけた。今年のCLファイナルは「スペインダービー」となりそうだ。試合が終わり、満足しつつ他のチャンネルにまわすと衝撃的な映像が飛び込んでくる。

 F1パイロットのD・クールサードの飛行機事故の話ではない(こちらでは連日トップニュースだが)。なんとあのレンジャースの試合が生中継されているではないか。試合会場はもちろんアイブロック。Fixtureが変更になって今日試合が行われることを朝新聞で見たことを今になって思い出してしまう。スタジアムにあれだけ警官がいたのもうなずける話だ。若干空席もあり、しかも結果は5−1とレンジャースの圧勝ではないか。ただ、仕事をし歩きつかれてサッカー生観戦する体力がなかったのも事実。皆さん、私は重大なミスを犯してしまったのでしょうか?


母国の深遠 Part4 人生の縮図 by ゼミ長・桑原

2000年5月2日 曇り
エジンバラへ向かうブリットレイルの車中にて

 マンチェスター・ユナイテッドの優勝で幕を閉じたイングランド・プレミアだが、これでリーグへの関心が消えうせたわけではない。実はもっと熱い戦いが繰り広げられており、連日メディアをにぎわせている。昇格(Promotion)と降格Relegation)。人生も仕事も長い目で見れば浮き沈みはつきものである。それはフットボールでも同じこと。まさに人生の縮図のようだ。

 日曜日に行われたプレミアシップの2試合は、さながらプレミアシップへの生き残りをかけた地獄からの「大脱走」をかけた戦いだった。降格ラインにいる3クラブ、ウィンブルドン、シェフィールド・ウェンズディ、ブラッドフォードが生き残りをかけて厳しい戦いを繰り広げた。

 特に注目を浴びたのがウィンブルドンとブラッドフォードの直接対決。これが実に、もしサッカーの神様が本当にいるとしたら、気まぐれな正確に違いないと思わせるに十分な展開なのだ。

 この試合の主役は、選手ではなく結果的に副審だった。彼はウィンブルドンの選手がペナルティエリアで偶然犯したハンドに対してファウルをとり、主審にPKを促してしまう。そして簡単にゴールに流し込み、ブラッドフォードが先制する。騒然とする試合会場。しかもこの話には続きがある。ブラッドフォードの選手が、今度は明らかに故意に犯したハンドを見のがしてしまい、その流れで追加点が決まってしまう。落胆したウィンブルドンの選手に反撃する余力は残されず、結果は3−0の大敗。ブラッドフォードは当落ラインから頭ひとつ抜け出すことに成功したのだ。しかも翌日、ウィンブルドンのオルセン監督(元ノルウェー代表監督)が不振の責を取り、辞任を表明するおまけまでついている。もちろん残り2試合での生き残りというカードに賭けているのは言うまでもない。

 もっと悲惨だったのがシェフィールド・ウェンズディだ。相手はチャンピオンズリーグ出場権確保に望みを残すリーズ・ユナイテッド。力の差は歴然としている上に、モチベーションまで劣っていては勝負にならない。これまた3−0での完敗。サポーターの中には、落胆して目頭をおさえる女性、とても見ていられないと試合会場から逃げ出す男性、ショックのあまり呆然と立ち尽くす若者をTVカメラが容赦なく次々と画像をアップにとらえていく。

 圧巻は3点目を挙げたハリー・キューエルだ。彼は今年選手によって選出される2000年ルーキー・オブ・ザ・イヤーに選ばれたのだが、その称号に偽りなし。彼は豪州代表(ひょっとすると五輪にも出場か)ですので、要注目です。(ルックスもいけていますね)

 日本のJリーグでも、自動降格・昇格が昨年から始まりましたが、これはもっと範囲を広げて4クラブくらいがその対象になったほうが面白いですよ。自動降格・昇格だけでなく、入替戦もまぜてやったほうがよい。Jクラブにこの悲哀を味あわせることはフットボール・サポーターとして義務だと思います。J2・JFL間も導入すべきですよ。


母国の深遠 Part3 Another Country by ゼミ長・桑原

 俗に日本でいうイギリスは、全く実態も正式名称でもない日本のみで通用する変な呼び方である。しかもこの国にはサッカーでは、サッカーというスポーツを生み出した聖なる地であるため、一国の中にイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドと4つの協会が存在している。これはラグビーでも同じで、ひとつの国ながら、それぞれがいいライバル関係にあるといえる。

 そんな一国の中の異なるリーグを見たいと思いつつ、体力上の問題から断念し、グラスゴー・レンジャースVSダンディーをTVの生中継で観戦した。この試合は本当に生で見たかったのだが、まさかここまで意義ある試合だったとは知らなかった。TVを見ながら後悔することとなる。

 試合は自力の差が出て後半一気に3得点を挙げたレンジャースの圧勝に終わる。やはりレンジャース強しかと思ってそのままTVを見ていると、なんといきなり表彰式が始まるではないか。そう。この試合の結果により、レンジャースがスコティッシュ・プレミアリーグの優勝を決めたのだ。何と言うことだ、こんな好ゲームの生観戦を見のがすとは。

 試合終了後も全く帰宅しようとしない観客が待っているのは、優勝カップを掲げる至福の瞬間を見んがためである。考えてみれば日本のプロ野球でこういった至福の瞬間とは監督の胴上げ。それはそれで選手、コーチングスタッフの喜びが爆発した瞬間としてほほえましい光景ではある。Jでチェアマンもしくは協会の会長からのカップ授与&場内のウィニングランが最大の見せ場でしょうか?でもなぜか独善的な印象はぬぐえなかった。

 しかし、今日私が見た光景は一味違う感慨があるのだ。Bank of Scottland(日本でいうスコットランドの日銀か?)がスポンサードしたこのリーグの優勝カップにも、当然その名前が冠されている。レンジャースの面々は、どれも誇らしげである。もちろん、サポーター達も同じだ。そして、センターサークルで優勝カップの授与がまさに行われようとしている。

 そのときである。普通最初のカップ授与者がカップを掲げると一気に喜びを爆発させると思いきや、次々と選手がカップを掲げていくのだ。もちろんサポーター達もそのカップを掲げるたびに雄叫びをあげていく。トーンは落ちない。選手が入れ替わりカップを掲げ、その度に歓声が沸く。選手が終わればスタッフ、マネージャーがカップを掲げる。雄叫びは鳴り止まない。そして一番最後にカップを掲げたのが監督。そのときの歓声はこの日最大のものであった。最大級の賞賛だ。

 その後記念撮影が行われ、誇らしげにカップを「チャンピオン」とかかれた看板の前に置いている。選手、監督もみんな子供のようにはしゃいでいる。スタジアムにはQueenの"We are the champion"が流れ、観客も歌っている。

 こんな至福の瞬間が、英国にはサッカー関連だけでたくさんある。イングランド、スコットランドの両プレミアにとどまらず、イングランドだけでもプロリーグが4部まであり、それぞれに優勝、欧州リーグ出場、昇格、降格に一喜一憂している。Jリーグが発足してもう8年が経過しているが、このような多くの至福の瞬間を味わえる日が日本にも来るのだろうか?少なくとも今日私が見た限りでは、イングランドは永遠に追いつくことのできない深くて遠い存在に思えてしまう。


母国の深遠 Part2 Hall of Fame by ゼミ長・桑原

 前日の興奮の一戦(チェルシーVSリヴァプール)から一夜明け、さて今日は何をしようかと迷ってしまう。個人的な話になって恐縮だが、ロンドンは新婚旅行のときに訪れ、一番の思い出の残っている場所。ちょっとした観光地は全てチェック済み。再訪すれば違った面が見られるかと思いきや、あのときはどうだったとどうしても比較し、一人旅の寂しさを味わってしまうもの。

 やはりここは私らしくサッカーでその寂しさを紛らわそうと、サッカーがらみのイベントを探してみると、意外とあるものだ。
 ・ブラッドフォードVSウィンブルドンの観戦
 ・シェフィールド・ウェンズディVSリーズの観戦
 ・グラスゴー・レンジャースVSダンディー・ユナイテッドの観戦
と生観戦する機会は意外と多い。Jリーグで同日開催に慣れている日本人には奇異に思われるかもしれないが、考えてみれば何も試合数、開催日まで横並びにしなければいけない理由ってあまりないのだ。でもこの3試合、ロンドンから少々遠い。一番近いシェフィールドでも3時間ほどかかってしまう。しかもすっかりと時差ぼけが直ってしまい、当日9時半に起床するともうそんな遠隔地に行くパワーがない(そのあたりはPart3参照)。外はどんよりとした曇り空で雨も時々ぱらつくあいにくの空模様。

 しかし何もしないのも癪に障るし何かサッカーがらみで楽しめるものはないかと考えていたら、ひとつひらめいた。The F.A. Premier League "Hall of Fame"チェルシーのメガストアの格安セールで購入したガイドブックに何気なく載っていた広告記事が私の心をつかんだのだ。「これだ。これしかない。」はずれても自分ひとりだから損はないし、悔いもないだろう。場所もウェストミンスターにあり、ビックベンや大観覧車も見ることができる。さっそく午前11時出かけてみることにした。

 The F.A. Premier League "Hall of Fame"地下鉄サークルラインのウェストミンスター駅を出、ウェストミンスター橋を渡ってすぐで徒歩4分程度か。ビックベンなどを見ながら歩けばあっという間だ。アクエリアムのあるビルの裏手なので迷いようがない。

 中に入るとまるでディズニーランドのアトラクションのようにリアルな人形がサッカーの発祥、発展について語りかけてくれる。なかなか凝ったつくりだ。しかしなんといっても興味をひくのがその映像資料の充実振り。W杯、リーグ戦、FAカップ、欧州カップなどの重要な試合の名場面やミュンヘンの悲劇などを当時の放送のまま再現されている。エリック・カントナ、ルート・グーリットからジャンフランコ・ゾラやアラン・シェラーなど新旧の名選手の等身大の蝋人形もある。しかもそのそばでは自由にその各選手の名プレーの再現フィルムが楽しむことができる設備があり、とても充実している。

 プレミアリーグは発足は、実はJリーグとそんなに変わらない1992年。もちろんそれ以前の歴史の差は歴然としているとはいえ、この充実振りは何だろう? Jリーグも本当に観客をスタジアムに呼び戻したいのなら、いっそのこと名前も体制も一新するという手もあるが、サッカーミュージアムを設立し、観光客に訪れてもらうぐらいの努力をしてしかるべきではないだろうか。何もその歴史の浅さを恥じる必要はない。トヨタカップの歴史だけでも十分人をひきつけるだけのものはあるはずだ。私もときどきあのミシェル・プラティニの「幻のゴール」とその後の抗議が見たくなる。

 結局私はその博物館で2時間費やすことになり、休日のひと時を楽しく過ごさせてくれた。(無料のサッカーゲームコーナーもあり素晴らしく楽しめた)ここは日本のサッカーフリークなら必ず訪れるべき新たな「聖地」である。かくいう私もいろいろ見のがしたブースがあったことに気がついた。名選手と擬似記念撮影のできるサービスもこっ恥ずかしくて利用できなかったが、今にして思えばもったいないことをした。充実したグッズ販売店もあった。英国滞在中にもう一度じっくりとチェックしたいところである。「母国」のフットボールは深い。


2000年4月29日(土)15:00 快晴 チェルシーVSリバプール(ロンドン・スタンフォードブリッジ) by ゼミ長・桑原

 初の海外サッカー生観戦、単独行動。しかも今晩のBBCTVの「Match of the day」という2時間番組(解説はご存知・元名古屋のガリー・リネカー(英国風発音))で取り上げられる屈指の好カード。これでサッカー狂の私の気持ちが高ぶらないはずがない。サッカー観戦の基本と言うことでキックオフ1時間前に着くようにホテルを出発する。

 チェルシーのホームスタジアムであるスタンフォードブリッジは、ロンドン南西部にあり、高級住宅、ブティックが建ち並ぶリッチな地域。交通手段は地下鉄ディスクリスト・ラインのフルハム・ブロードウェイ駅を左に出て徒歩3〜4分。交通は至極便利で、このあたりは日本のスタジアムを建設する際に見習うべきである。案の定、駅を出ると騎馬警察が立ち並ぶものものしい警備。とはいえ、チェルシーのサポーターばかりだからなんも問題起こらないだろうと思うが後々にこれが私の観戦スタイルに多大なる影響を与えるとは、まだ知る余地もない。

 スタジアムへの道すがら、お約束のオフィシャル・マッチ・マガジンを3ポンド(約530円)で購入。なかなかの分量と内容で、これをホームの試合毎に発行するというのもすごい話である。なにせB5サイズでフルカラー67ページ。内容盛りだくさん。スタジアムに着くと、大勢のサポーターがスタジアムの周りを囲んでいる。まだ開門していないのかなと思い、周りを散策するが、一向に減りそうにない。もうここで待ってもしょうがないと思い、チケットに書いてある入り口へ行くとここで事情が全てが判明。スタジアム内はアルコール類の持込が禁止されているのだ。酒好きの(ほとんどの)サポーターにはそんなこと我慢できないので、外で飲みまくってテンションを上げきってから入場するというわけ。それもある意味では一理ありますね。だってなんか飲もうという気になれない。みんなちょー真剣に見ているから。私は飲むよりはじっくりと雰囲気を味わいたいので、今日は素面で結構と指定席に向かう。なんてこった。前から3列目。しかも監督席まで見えるじゃないか。しかもピッチまでものすごく近い!見やすい!これが本場のスタジアムだ。

 一人で内心ガッツポーズをしていると試合前のアップが始まる。GKのデフーイに拍手していると、スタジアムの係員が顔色を変えて飛んできた。以下はそのときの会話(翻訳バージョン)
係員「君は英語話せるのか?」
私「はい」
係員「君は団体で観戦するの?それとも一人?」
私「チケットは自分のために確保した。誰も同行者はいないよ」
係員「OK.。ここ、実はリバプールのサポーター席なんだよ」
私「・・・(絶句)」
係員「チェルシーのプレーに拍手などしたら大変危険だ。やめなさい」
あせった私「チェルシーのレプリカはどうしたらいい?(上着の中に来ていた)」
係員「そのままでいい。とにかく気をつけて」
 言われてみれば周りはカールスバーグのロゴ入りレプリカが多かった。しかも試合前からビールを飲みまくっていた。やばい、危険すぎる。

 私はこういうときの危機管理能力が人一倍働くタイプである。別の係員にトイレの場所を聞き、大便の部屋に入ってレプリカを脱ぐ。せっかくゾラ&CLロゴ&FAカップファイナルモデルとプレミアものなのだがしょうがない。そしてこういうときに身を助けてくれるのが浦和レッズである。私はレッズのチケットホルダーをこちらで財布代わりに使用している。色的にはリバプールだ。本当はチェルシーの応援したいんだけど、命には変えられない。席に戻るとすっかりリバプールファンの日本人観光客に変身。横にいたリバプールファンが怪訝そうに見ていた。

教訓
 海外で試合観戦するときは必ずしもホーム側に座れるとは限らない。身の安全を確保するために前もって確認すべし。

 今日はチェルシーにとっては欧州チャンピオンズリーグの出場権確保のためには絶対負けられない試合。しかもキャプテンのワイズが出場400試合を達成し、サポーターが試合前から大盛り上がり。かたや少数のリバプールファンも元来のガラの悪さを最大限に発揮し、下劣な応援を繰り返す。機は熟した。両雄激突である。

 キックオフ直後からペースをつかんだのは、この試合にかける意気込みの強いチェルシー。サポーターも怒涛の声援を送る。そしてその声援が一気に実を結ぶ。開始早々3分、ゾラからイベリアの怪人ジョージ・ウェアへのパスが通り、ウェアがそのままゴール左隅に流し込んでチェルシーが先制。「Yeahhhhhhhh〜!!」ゴール裏のサポーターが一斉に立ち上がり雄叫びを上げる。(添付のGeorge Wearはまさにその瞬間の写真。後ろのサポーターが雄叫びを上げる)この歓声を聞いた瞬間、鳥肌が立つ。こんな経験いままでないぞ。あの日本代表のフランスW杯予選のとき以上かもしれない。私もあのときカザフスタン戦のときに国立にいたが、こっちの方がいっちゃってる。

 その後もチェルシーはたたみかけるように攻勢に出て、追加点をあげる。ゾラ、ウェアのコンビで崩したあとウェアの見事なアシストで追加点(得点者不明)。またまた大歓声である。私も叫びたいよ、いいな〜あっちの席の奴ら。ところがここからリバプールサポーターが切れてしまった。応援と言うよりも罵声。とにかく敵味方関係なく汚い言葉をかける。しまいには後ろに座っていた興奮した親父にニードロップを食らう始末。北村さん、因果応報だよ。君にフランスW杯、フランスVSイタリアのPK戦の時に食らわしたニードロップはロンドンでお返しを食らった。あんまり痛くはなかったが後ろの親父と二人で思わず失笑。謝ってはくれたがまたすぐに大興奮状態。後ろからつばが飛ぶ飛ぶ。何を言っていたかはとても書けません。知らない単語を連発していたし。考えてみりゃそういう単語って日本の英語教育では習わないわな。前半はこのまま終了。リバプールサポは心なしか元気がなく、タバコをふかしまくって愚痴をこぼしている。

 後半キックオフ。今度はリバプールが反撃に出る。チェコ代表のパトリック・バーガーのゲームメークでFWのマイケル・オーエン、へスキーの快速コンビが縦横にピッチを駆け巡る。しかしチェルシーのフランス代表センターバックコンビ、デサィーとルブーフが鉄壁の守りを見せ、なかなか得点の機会をうかがえない。

 またその間隙を縫ってゾラとウェアが効果的にカウンター攻撃に出る。とにかくこの二人を見ていると楽しくてしょうがない。さぞかしリバプールのサポーターは歯がゆい思いをしたに違いない。そして追い討ちをかけるようにチェルシーサポーターから「ケ・セラセラ」が歌われる。「そんなにがんばってもなるようにしかならないのさ」とばかりに。

 リバプールも選手をどんどん交代させ、反撃に出るが今ひとつかみ合わない。レドナップ、ファウラーなどおなじみの選手も今ひとつである。今日の試合で一番笑わせてもらったのがファウラーへのチェルシーサポからの大ブーイング。その理由は・・・ここでは触れないことにしましょう。

 私も弱い「レッズ」を応援するのには慣れてしまったようで(笑)、周りのおやじに負けずおとらず、罵声を浴びせつづける。日本語と英語ちゃんぽんだ。となりに座っていたインド人グループがびびって私を見ている・・・。

 試合はそのまま2−0でチェルシーの快勝。心配された暴動騒ぎもない。意外と試合が終われば冷静に対応している。このあたりはJとそんなに変わらない。ただ警察官の数が異常に多いことを見れば、油断できないということか。試合後の渋滞も思いのほかスムーズに流れ、あっという間にロンドンの中心街へ。実にスムーズでした。

 今Jリーグは存亡の危機にあると私は思っています。減りつづける観客数。魅力のないカードの増加など問題は山積しています。今回この試合を観戦して思ったことは、とにかくいわゆるサポーターが一緒にせーのでどんちゃか歌ってもだめってこと。私たちのような熟練した観戦者がリバプールやチェルシーのサポーターのようにキレまくってあじることが必要な気がしました。だめなプレーには各自がぼろかすに叫ぶ。ゴールしたら腹のそこから雄叫びを上げる。そういうことが魅力ある観戦スタイルになり、Jに振り返ってくれるような気がします。あのJのなんのメリハリのない高校野球のような応援、もうそろそろ考え直してもいいんじゃないでしょうか?