尾崎放哉
小豆島の句
尾崎放哉と山頭火は自由律句の代表的な俳人である。
「動」の山頭火、「静」の放哉。
山好きの山頭火、海好きの放哉。
海の見えるところで死ぬことを望んでいた放哉は小豆島の南郷庵で乞食坊主のような生活を送り、病魔に体をむしばまれ、句作のみが生の証であり、死の直前まで病床で句作。
小豆島での句は常に「死」と対決するのではなく、受け入れているように思えた。
この放哉が流転の末に、私の住んでいる小豆島でしかも私と同世代の42歳で終焉を迎えたことが撮影の動機となりました。
この撮影を通して私は「生」があるから「死」があるのではなく、「死」があるから「生」があることを実感することができました。
写真 1.目の前魚がとんで見せる島の夕陽に来ている 2.いつしかついて来た犬と浜辺に居る
3.爪切ったゆびが十本ある 4.ここから浪音きこえぬほどの海の青さの
5.何本もマッチの棒を消し海風に話す 6.山に登れば淋しい村がみんな見える
7.風音ばかりのなかの水汲む 8.海風に筒抜けられて居るいつも一人
9.水を呑んでは小便しに出る雑草 10.追っかけて追い付いた風の中
11.迷って来たまんまの犬で居る 12.墓地からもどって来ても一人
13.久し振りの雨の雨だれの音 14.風吹きくたびれて居る青草
15.障子をあけて置く海も暮れきる 16.火の無い火鉢が見えて居る寝床だ
17.咳をしても一人 18.入れものが無い両手で受ける
19.恋心四十にして穂芒 20.墓のうらに廻る
21.月夜の葦が折れとる 22.あすは元旦が来る仏とわたくし
23.肉がやせて来る太い骨である 24.壁の新聞の女はいつも泣いて居る
25.渚白い足出し 26.窓まで這って来た顔出して青草
27.やせたからだを窓に置き船の汽笛 28.すつかり病人になって柳の糸が吹かれる
29.どつさりと春の終りの雪ふり 30.春の山のうしろから烟が出だした
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