広 瀬 邸
(広瀬公園)

自宅より徒歩にて5分の所にあります
幕末から明治初年のころ
別子銅山が興廃の岐路に立ったとき
その危機を救い
別子銅山を再建した広瀬宰平(さいへい)の邸宅とその庭園で
3ヘクタールに及ぶ優雅な庭園です

広瀬宰平銅像



明治31年宰平が古希を迎えるにあたり住友家より寄贈されるも
第二次世界大戦の軍需物資として昭和18年に献納されました。
東京芸術大学に残っていた木型原型から
広瀬家が復元し平成15年に完成、新居浜市に寄贈されました。





主要建物配置図
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1 主屋 {重要文化財}

明治10年に市内久保田町に建てた主屋を
明治20年に現在地に移築した
西側に明治33年頃増築の料理場を設ける
二階「望煙楼(ぼうえんろう)」は宰平の漢詩にちなむ
洋式便器、暖炉、避雷針など
洋風の導入が見られる


玄関

入ったところ

玄関の土間

居間に有る暖炉
奧西の料理場

二階の様子

望煙楼からの眺め

二階の様式便器




湯殿


2 新座敷 {重要文化財}

別子開坑200年祭の接待館として
明治22年に建築された
住友出入りの大工棟梁、八木甚兵衛の手になる
15畳敷きの新座敷
10畳の次の間
北西に茶室
南西に廊下を介して湯殿・雲隠を設ける



3 離れ {重要文化財}


北より望む



釜屋
明治22年に移築された
1階は釜屋、風呂場などが付属し
2階は縁と床を備える「志翠楼(しすい)」や隠し部屋などが在る


4 新土蔵・西座敷脇屋 {附指定}

明治21年の竣工であるが
昭和初期に大規模な改修が行われた
西座敷は戦後、西条市に移築された


5 金物蔵・米倉 {重要文化財}
明治20年に久保田より移築
江戸時代末期の建築で
米倉には天保10年の祈祷札が残されている



6 門番所 {重要文化財}

明治23年頃の建築
久保田時代の「御部屋(養母の部屋」を移築したとの説もあるが
詳細は不明


7 乾蔵 {重要文化財}

明治20年に久保田より移築
江戸末の建築


8 醤油蔵

昭和6年の建築
邸内で最も新しい


9 人力車小屋 {附指定}

明治30年代以前の建築


10 表門 {重要文化財}

明治23年頃の建築


11 裏門 {附指定}

明治23年以前の建築


12 指月庵(しげつ)

明治21年竣工の茶室
命名は遠藤石山


13 潺潺亭(せんせん)
東屋
明治23年頃竣工



14 凌雲塔(りょううんとう)

明治30年竣工の銅製三重の塔
別子の銅にて大阪で製作された
銘文は遠藤石山


15 靖献堂(せいけんどう)

広瀬家持仏堂
大正11年に竣工
13年に開同式が行われた


16 廣脇神社

大正5年建設
元は亀池南西岸の唐津神社に合祀されていた


17 煉瓦書庫(れんが)・馨原文庫(けいげん)


大正12年に竣工
読書を奨励した広瀬満生(宰平長男)が
地方人士の知識開発のため建てたと言われる


18 北煉瓦塀

明治23年以前の竣工
透かしの意匠を持つ


19 東煉瓦塀

明治23年頃竣工


20 西煉瓦塀

明治24年頃竣工


21 南煉瓦塀

大正5年竣工
108m.余りの長さがある


:袈裟形手水鉢

高さ85センチ、直径85センチあり
京都大徳寺の塔頭高桐院に有る有名な
袈裟形手水鉢と同じであるが
同院のものより10センチ高い
重量4トンの巨石を台座とし
竹製縁側の下は水溜となっている