保多織(ぼたおり)はいつまでも丈夫なことから「多年を保つ」という意味で命名されました。

 1689(元禄2)年高松藩主・松平頼重公が産業開発と幕府への貢献のため、命を受けた京都出身の織物師・北川伊兵衛常吉によって創られた一種独特の絹織物に始まります。

 高松藩の保護を受け、幕府への献上品として使われたことから、江戸時代は上級武士にしか着用が許されませんでした。独特の技法は北川家が六代にわたり、一子相伝の秘法として受け継がれました。明治維新後、北川家と血縁関係にあった岩部家初代・岩部恒次郎氏が、絹から綿中心に切り替え、同時に機械化も進め、その用途を広げてまいりました。地場産業としてピークを迎えたのは1960年前後で、保多織を作る織物会社が県内に数社ありましたが、現在では 岩部保多織本舗一軒のみとなりました。
初代、岩部恒次郎がそれまで絹で織られていた保多織に綿を用いてから、その特徴である肌ざわりのよさ、優れた吸水性は実生活の中で活かされるようになりました。
保多織独自の肌ざわりの良さと風合いをより多くの人に知ってもらうため、香川県指定の伝統工芸士・岩部家4代目・岩部卓雄さんは、伝統を守りつつ、常に新しいことに挑戦されています。

保多織とは平織りの変形で、肌ざわりの良さと通気性や吸水性にすぐれた織物です。
 縦糸と横糸を1本ずつ交差させる平織りに対して、
保多織は3回平織りで打ち込んで、4本目を浮かせる
織り方です。糸を浮かせることで生じたすき間が空気を
含むため、夏はさらっとした肌ざわりで、冬は逆に肌に
触れたときの冷たさをあまり感じないという特徴があり
ます。そうして織りあがった布には美しいワッフル状の
凹凸ができ、一見ざっくりしているようですが、じつは
かなりしっかりと動きにくいという特徴もあります。
また保多織には表と裏があります。4本目を浮かせておるため、横糸が浮いて見える方が表になります。 
違う色の糸で織った場合、表と裏では全く違った風合い
になり、色も違って見えます。 実際に裏のほうが好きだということで、わざと裏使いをすることもあります。

一見ざらついた肌ざわりか?と思われますがいえいえどうしてさらっとしてソフトな肌触りです。
当方山福製綿鰍ナ無農薬綿(讃州綿)を中綿に入れ赤ちゃんのおくるみを作ったところ、赤ちゃんが、気持ち良さそうによく寝てくれたというお客様の声も届いています。