順風高校封鬼委員会 T−B

 「ホルマリン漬けの復讐」

 

 「クロノ、クロノー!」

 ご飯――食堂で余ったものを分けてもらった――を入れたプラスチックの器を手に、高畑 妙子は面倒を見ている犬の名を呼んだ。

 「クロノ、おいでー!」

 妙子は体育館の裏にいた。

 残暑の西日が、陰鬱な陰の部分を斜めに切り取って地面を照らしている。ツクツクホウシの泣き声に混じって、彼女の声は辺りに響いた。

 鉄筋の階段の下に作られたベニヤ板の小屋を、妙子は覗いた。そこは、もぬけのからだった。

 もっとも、クロノが犬小屋でおとなしく待っているなどと言う事はありえない。大抵、そこら辺で誰かを相手に駆けずりまわっているのだ。

 しかし――、今日は周囲に誰もいない。

 「クロノー!」

 再度、大声で妙子はその名を呼んでみる。が、どこからも応えはない。いつもなら黒い小さな目を輝かして、駆け付けてくるのに・・・・。

 「どこ行ったのかしら・・・・」

 ――クロノは野良犬だった。妙子が夏休みの登校日に拾ったのだ。彼女の家はアパートで、そこで飼う事はできなかったから、学校の人目に付きにくい体育館の裏で飼う事にしたのだった。犬小屋はクラスの男子に頼み込んで、倉庫から取ってきた廃材で作ってもらった。彼らも結構乗り気で作ってくれたので、それなりに立派な小屋ができた。

 そして、妙子は二学期が始まるまでの間も、ほとんど毎日、学校へ来てクロノの世話をしてきたのだった。

 クロノは飲み込みがよくて、妙子が教えたしつけや芸を、すぐに覚えた。元々動物が好きだった彼女は、それでクロノを気に入ってしまったのである。

 妙子は器を小屋の横に置くと、気を取り直してクロノを探す事にした。

 クロノが学校で飼われていると言うのは、もう随分と広まっている。クロノはオスの雑種で、名前の通り、その小柄な体は真っ黒だった。とぼけた童顔(?)がうけてか女子生徒の間では結構人気者になっている。

 妙子は校舎の方へも行ってみたが、クロノの姿は見当たらない。彼女の胸に不安が過ぎる。

 まさか、先生たちに学校から追い出されたとか――!?

 いやいや、先生の方も大目に見てはくれているようで、それはないと思うのだが・・・・。

 校舎をグルリと一周し妙子は犬小屋の前に戻って来た。 クロノが行きそうな所は一通り探したが、どこにもいない。

 「クロノ・・・・、どこ行っちゃったのよ」

 諦めきれない妙子は、近くの植え込みの奥を探し始めた。しかし、こんな所にいるのなら彼女が名前を呼んだ時点で、クロノは飛び出してくるはずなのだ。

 「クロノォ!」

 出て来ないと許さないんだから! と、妙子は半ば自棄っぱちに植え込みを掻き分けながら、強い調子で飼い犬の名を呼んでみる。

 ――その時、彼女は鼻を突く、濃い、澱んだ匂いを臭いだ。 

 この匂いは・・・・。

 嫌悪感が一気に沸き上がる。

 匂いのする方を見た時、妙子はひゅっと息を飲んだ。

 瞬間、蒸れた血液の匂いを吸い込んで、吐きそうになる。

 クロノはそこに転がっていた。

 小さな黒い瞳は極限まで見開かれ、口から泡を溢れさせ、腹部を天に向けて、妙子の飼い犬は死んでいた。

 しかし、彼女の目に焼き付いたのはそんなディテールの部分ではなく――熟れたザクロのように赤い中身をさらけ出している、その、切り裂かれた腹部だった。

 

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