実りの秋と言うが、厳しい冬が始まる前の、この恵みに満ちた季節がなければ、生き物は冬を越す事ができない。
――が、そんな豊穣の季節にもかかわらず、山川家の食卓は逼迫していた。
今、山川家には紅葉、大地、空太の三(姉)兄弟しかいない。両親はと言うと、世話になった親戚が亡くなったとかで、新潟の方へ二人して出かけている。そして、母親不在の場合に、問題になってくるのはやはり食事のようで――。
「大地ぃ、ご飯まだなのぉ?」
長女の紅葉はクシャクシャのシャツを着て、二階から下りて来た。帰宅してそのままの服装で眠っていたらしい。
「昨日の昼から何も食べてないのよう。なんとかしな、・・・・ふぁいよ〜」
と、ぼさぼさの髪の毛を手櫛で押さえながら、紅葉はデカイ欠伸をする。
「いーい、シャワーから出てくるまでに何か準備しておいてよね・・・・」
そう言いながら、紅葉はそのままバスルームヘ行ってしまった。長女が去って行った後の台所に、今度は次男の空太がお腹を押さえて入って来た。
「兄ちゃん、昼メシまだ〜?」
空太は食卓に着くと、炊飯ランプの点灯していない炊飯機を見て
「あれ、ご飯炊いてないの!?」
と、情けない声を上げた。 その声に、今まで黙々と作業していた大地が振り向く。
「米――、ないんだ」
「えーっ!? こんな時に・・・・!」
表情を強張らせて、空太は立ち上がった。その拍子に倒れた椅子がガタンと、虚しい音をたてる。
「じゃあ兄ちゃんそこで何してんだよ!」
「何って、インスタントで野菜ラーメンでも作ろうかと思って、野菜切ってるのさ」
大地は答えた。何故かエプロンがよく似合う(この格好は封鬼のメンバーには見せられない!)。
「・・・・な、何か残り物は?」
「変な匂いしてたから全部捨てた」
「・・・・冷凍食品は?」
「タイ焼きしかなかったよ」
大地の言葉に、空太は悲痛な面持ちを浮かべる。
「何だよ、その顔は」
「――ねえ、何か頼もうよ」
それしかない! ――しかし、空太の提案を
「金がない」
と、大地はあっさり蹴った。
「姉ちゃんは?」
「・・・・出すと思うか?」
「思わない」
「じゃあ、決まりだな」
その会話の間にも、手を動かして野菜を切り終えていた大地は、インスタントラーメンを三袋取り出した。
まず、切った野菜を沸いた湯の中へ入れる。野菜が柔らかくなったら、麺を入れて味付けをする。味付けは多少濃い目にする事にしている。完全に麺が茹で上がる前に器に移し、刻みネギを入れ、コショウ少々、冷蔵庫の隅に残っていたベーコンをのせると出来上がりである。 とりあえず、大地は空太と自分の食べる分を三袋分で作る事にした。――二人でラーメンをすすっていると、バスルームのドアが開く音が聞こえた。紅葉が出てきたらしい。
シャワーだけとは言え、相変わらず早風呂だ。
汁まで残らずすすった大地は箸を置いて立ち上がる。彼は紅葉の食べるラーメンを手際よく作る。しばらくすると台所に紅葉が現われた。
その間に空太はいなくなっている。――奥の部屋からテレビゲームの音が聞こえてきた。
「はあー、さっぱりした」
狭い台所じゅうに、シャワーを浴びたばかりの紅葉のいい香りが広がる。
「んん〜、いい匂い。――見た目に貧乏臭いけど、美味しそうねえ」
紅葉は大地の差し出したラーメンの匂いを、目を閉じて嗅ぐ。
「――一言多いよ、姉ちゃん」
大地はそう言ったが、もはや紅葉の耳にその言葉は届いていないようである。彼女はすぐに手を合わせて
「いっただっきまーす」
と、言うと物凄い勢いでラーメンを食べ始めた。
数分後――
「ごちそうさまでしたあ!」
きれいに空っぽになった器を勢いよく食卓に置いて、紅葉は満足そうに立ち上がった。
「おいしかったわよ。――はい」
紅葉は流しで待っていた大地に器を渡し、ウインクする。 「悪いけど、片付けお願いね」
「ったく、だからここで待ってるんだろ。――ちゃんとやっとくよ」
「ごめんね、大地」
と、紅葉は大地を拝む。
「はいはい」
「私、これから会社だから。――あー、そうそう。今日からしばらく帰って来ないかも」
台所を出て行きかけた紅葉は、そう言って振り返り
「本当にもー、デバッグが終わんないったらありゃしのよぉ」
と、悪態を吐いた。
「また徹夜?」
「そうよ。納期迫ってるんだから」
「ホント、よくやるよ。――最近、化粧が濃くなったのは肌荒れ隠してるんだろ?」
「えっ、分かる!?」
紅葉は弟の顔を睨んだ。
「まあね。若いうちはいいけど、歳取ったら大変だよ」
「よ・け・い・な・お・世・話・で・す!」
大地の言葉に、紅葉は口を尖らせて台所を出て行った。
それにしても――、『野菜』ラーメンを作っておいてよかった。きっと会社に行ったら、ろくな物を食べていないに違いないのだ。時折、姉の食生活に不安を感じる大地ではあったが、勤めている会社が会社だけに仕方ないのかもしれなかった。
食器を洗いながら、そんな事を考えてみる。
――片付けが終わると、大地は武道場に向かった。
武道場は居住区と中庭一つを挟んだ向かいにある。中庭に面した縁側の廊下から、飛び石が武道場へとつながっているのだ。
武道場の引き戸を開けると、中には独特の木の香りが充満していた。子供の頃から、大地はこの香りが好きだった。
昔はよく三人一緒にこの武道場で稽古をしたものだ。紅葉は剣道を、空太は柔道を、そして大地は空手をそれぞれ習った。今でも公に武道を続けているのは空太だけであが、大地もたまにはこうやって誰もいない時に、一人で稽古する事があった。
それは、父親の幸彦が大地に道場を継いで欲しいと思っているからでもある・・・・。
ただ――何故大地が道場や学校の空手部に入って稽古をやっていないのかと訊ねるならば、それは彼に言わせれば、別に大勢の中で稽古しなくても、一人で十分だからである。そして、たまに相手になってくれる父親がいればいいのである。
さて、大地は引き戸を閉めると、雑念を捨て、武道場の真ん中に陣取っていきなり瞑想を始めた。
大地の瞑想は立ったままだ。
やってみると分かるのだが、目を閉じて立ったままじっとしているのは至難の業である。たいていは数分でフラフラしてしまうだろう。それを大地はいとも簡単にやってのけている。
まだ九月の上旬である。――道場の中の気温は高く、流れ落ちる汗は板張りの床に吸い込まれていく。
そして――、静から動への移行は一瞬だった。大地がすうっと深く息を吸った瞬間
「兄ちゃーん! ハンコ知らなーい!?」
空太の呼ぶ声に、彼は慌てて武道場を飛び山した・・・・。
――山川 大地、十六歳。長男。
ただ今、両親のいない山川家を仕切っているのは、生意気盛りの次男、空太でもなく、ましてやどこか一般人と神経がずれている長女の紅葉でもなく――、何かつかみどころのない泰然自若(?)の長男、大地なのであった・・・・。
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