彼の幸せ by 味けずり
満天の星空――。
フル・ムーンじゃないものの、黄身色の月はクレッセントで、ダークブルーの夜空に冴え冴えと照っている。 私は屋根の上に腰を下ろしてその美しい星の瞬きにうっとりとする。時折吹く風は春のやさしいそよ風。自慢の黒髪がふわりとそよぐのも気持ちよかった。 に、しても――。 私はついに我慢できなくなって毅然と立ち上がった。 この明るさって何!? 煌く闇夜は、地上からの無遠慮な光に染められている。せっかくの銀世界も暗くなくては台無しだ。 私は光源、つまり辺り一面に広がる街を睨み付けた。今に始まった事じゃないとは言え、今日の私はちょっと違う。ここだけの話、八つ当たりできる物が欲しかったのである・・・・! 一際明るい頭上の一等星に掲げるように左手のステッキを振り上げ、私は目を閉じると、呪文を唱えた。 「――エイッ!」 と、一振り。と同時に、街の灯かりが――下品に光るイルミネーション、路地の街灯、幸せそうな家々の窓からもれる光の全てが、きれいさっぱり消え失せる。そして 「わぁ・・・・」 私は思わず感嘆の声を上げた。こんなに映えた星空って何年、いや、何十年ぶり? そうして、私はやっと落ち着いて屋根の上に腰を下ろして寝そべることができた。 ――あぁ。やっぱり傷心を癒すには夜空の星々の輝きを眺めるのが一番なのね・・・・。
その日も、どれくらい、そうしていたのだろう。傷心であろうとなかろうと、私は夜空を眺めているのが好きなのだ。特にその日は流れ星に出会えた事で、ついつい私は星々の煌きに時間を忘れていた。 ――! そのせいで街の一角が殊更に明るい事に私はなかなか気が付かなかった。いや、明るいと言うよりは・・・・。 「大変!」 飛び起きる。お気に入りの懐中時計を見ると、予定の時刻を半刻も過ぎていた。 暗闇の中、大きな柱のように立ち上がった紅い炎が、その家をまさに食らおうとしていた。暗黒色の煙が星の光を次々に遮る。――火事だ。 私はステッキを仕舞うと、屋根を蹴って夜空へ飛び出した。
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