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1999年10月24日 しまなみ海道'99閉幕 〜ラスト2日で全橋踏破!?〜 <その2>
1999年10月21日 <ニュース速報>イノシシ捕獲される
1999年10月20日 しまなみ海道'99閉幕 〜ラスト2日で全橋踏破!?〜 <その1>
1999年10月11日 伯方島にイノシシ現る −これもしまなみ効果?−
1999年6月?日 祝・瀬戸内しまなみ海道開通



しまなみ海道'99閉幕 〜ラスト2日で全橋踏破!?〜 <その2>
16日・北へ 〜車と自転車でらくちんの旅・最後に犯した一つの過ち〜

(1999年10月24日掲載)

 10月16日午前11時、うちの軽自動車を借りて折り畳み自転車を乗せ、まずまっすぐに向島に向かいました。目的はもちろん尾道大橋のスタンプです。尾道大橋の自転車道は細くて通りにくいので(すれ違うときは自転車を持ち上げなければならないくらい)、渡船に乗るようガイドブックには書かれており、スタンプも渡船乗り場に置かれていたのでそちらへ向かいました。無事一つ目のスタンプを押し、せっかくだから車を置いて渡船で尾道に渡りました。人100円、自転車プラス10円、所要時間数分間。自動車が2台しか乗らない小さな船に、学生や、買い物に行く老婦人、小さな子どもを自転車の後ろに乗せた若いお母さんが乗っているのを見て、向島の住民には橋が架かっても無くてはならない大切な足なんだなぁとしみじみ感じました。尾道駅前のイベント会場辺りをぶらつき、開通記念スピード宝くじ2枚買って2枚ともはずれて、「世の中うまい話ってないなぁ」と思いながら商店街をぶらつき、そんでまた渡船にゆられて向島へ帰りました。自転車を車にしまい込み、ホームページに載せる写真を撮るため向島の南側にある高見山に登りました。もちろん車で。ここからは因島大橋が真下に見えるのですが、橋が架かっている向きと視線が同一の方向なので橋の見え方としてはいまいちなのと、展望台の北側にテレビ局のアンテナ塔がそびえ立っていて尾道水道まで見えないので、ちょっと期待はずれでした。ですが、「しまなみ」を感じられる絶景ポイントの一つであることには違いありません。
 この日北へ向かった理由の一は、因島アメニティ公園会場「BEGIN」のライブがあったからです。この日はしばらく暑い日が続いたあと急に寒くなった日で、吹きっさらしの中での野外ライブとてもとても寒いライブでした。(BEGINが寒かった訳じゃないですよ、お客さんもたくさん来てたし。念のため。)4時から始まったライブは5時半くらいまで続き、曇り空のせいもあってライブ終了後はかなり暗くなって体も冷え切っていました。それでも因島大橋のスタンプを押すため自転車道入り口の近くに車を止め、歩いて行きました。橋にかかる手前にスタンプが設置されていたので橋を渡ることなく渡橋スタンプをゲットしました(これはインチキか?)。しまなみ海道の歩行者・自転車道自転車にやさしくできているようで、緩やかな上り坂が長々と続くので、階段があればあっという間に着いてしまう距離をくねくねくねくねと無駄に歩かされました。
 続いて生口橋です。とりあえず車で生口島まで渡っておいてから、今度は自転車でいきました。あたりはすっかり暗くなっていて、借りた自転車にはライトがついていなかったので、原付バイクに何度もぶつかられそうになりながら、「危ない!」と怒鳴られながら、ひやひやしながら行きました。ここも因島大橋と同様橋の手前にスタンプがあったので当然渡りませんでした。で、スタンプを押そうと思ってカバンの中の台紙を探したのですが暗くてよく見えず、ひょっとして車に置き忘れてきたのかもしれないと思い、備え付けの台紙に押して帰りました。
 ところがこれが失敗だったのです。というのは、持っていた台紙はじゃばらになっていて7つのスタンプを一枚に押せるものでした。つまりじゃばらの台紙に一つ空白ができてしまうのです(生口橋のスタンプだけ別紙になってしまう)。押しているときは暗くて寒かったので早く引き上げたいという一心で、全然問題に思っていませんでした。しかし家に帰って台紙を眺めていると、ここに一つだけ空白ができることが不快きわまりなく感じられてきたのです。実際にはたいした問題では全然ないのです。しょーもないくだらないあほくさい幼稚なことだと頭では十分わかっています。でも、どうしようもないやり場のないこのもどかしい感じ、わかっていただけるでしょうか。僕の「収集癖」が顔を出してしまっては仕方がないことなのです。
 そして翌日もう一度生口橋へと向かうことを決意するのでした。

<さらにつづく>




<ニュース速報>イノシシ捕獲される
(1999年10月21日掲載)

 伯方町役場にお勤めのMさんから寄せられた情報によると、10月19日現在、伯方島で捕獲されたイノシシが1頭、伯方町役場にて保護されているとのこと。このイノシシは足を怪我している模様。私はついについにあのイノシシとご対面できるのではないかと胸を躍らせた。
 翌20日、愛媛新聞に写真入りでこのニュースが報じられた。新聞によると、18日、イノシシがいるとの通報を受けた伯方署パトカー警察船を出し、泳いで逃げているところを岩場へ追いつめ生け捕りにしたそうである。捕まったイノシシは体長約1メートルメス幼獣で、後ろ足を骨折していた。このイノシシは既に愛媛県砥部町にあるとべ動物園へ送られたということだった。
 ここ数日伯方島で話題になっていたこのイノシシだが、伯方島だけではなく大三島でも目撃されていたらしく、15日には大三島・宗方地区の畑の水槽で死骸が発見されていたらしい。他にも岩城村の赤穂根島今治市沖の小島などでも、過去にイノシシ目撃のうわさがあったらしい。生口島では農作物に被害が出るため猟友会が駆除しているそうだ。先日生口島に行った際、「動物注意」という標識にイノシシの絵が描かれていた。
 さて、前回イノシシ情報をこのページに掲載した際、実際にこの目で見るまで納得できないと書いたが、今こうして新聞を手にして認めざるを得なくなった伯方島にイノシシはいたのだ。そして奴らは泳ぐのだ。なぜか私は敗北感を感じてしまうのだった。
 ただ新聞でコメントしているイノシシの生態に詳しい某大学教授は、「泳いで渡る」説「人間が島に放す」説「渡橋」説と3つを挙げていたが、挙げた説の数では私の勝利であった。(前回のコラム参照)
 ところで、先日伯方島から泳いで別の島へ渡るイノシシの目撃情報があったが、今回捕獲されたイノシシは、他のイノシシに伯方島に置き去りにされたのだろうか。そうだとしたら、何ともお気の毒な話である。しかも捕まってとべ動物園へ送られてしまうとは・・・。ま、砥部にお嫁に行く(メスだし)と思えば『瀬戸の花イノブタ嫁』のとおりに・・・ならんな。



しまなみ海道'99閉幕 〜ラスト2日で全橋踏破!?〜 <その1>
(1999年10月20日掲載)

 1999年10月17日日曜日をもって、瀬戸内海大橋完成記念イベント「しまなみ海道'99」が閉幕しました。5月1日からの期間中しまなみ海道を訪れた人々は、目標の600万人を大きく上回る延べ940万人(10月13日現在)と、大盛況のうちに幕を閉じることがでました。17日、広島・愛媛両県の各イベント会場では閉幕イベントが行われ、閉会を惜しむ声が聞かれる中(僕は聞いてないけど新聞に書いていた)、このしまなみ海道に一つのピリオドが打たれたことになります。しかし、勝負はこれから始まるのです。このまま単なる島民のための生活橋に落ち着いてしまわないために。
 ところで、延べ940万人がイベントや観光施設に訪れたということですが、期間中ずっと伯方島で過ごしていた僕もけっこうあちこちに足を運びました。今治みなと会場オープニング前夜祭「近藤等則ライブ」に始まり、多々羅しまなみ村会場では「ルクプルライブ」「フーリューズライブ」「嘉門達夫ライブ」因島アメニティ公園会場では「ビギンライブ」無料のライブにはこまめにかけつけました。橋の通行料がもちろん必要なのですが、チケットを買ってライブに行ったと思えば安いものです。他にも帰省していた親戚や友達と一緒に、大島:亀老山展望台(行ったことが無いという人は必ず連れていったので、5・6回は登った)・バラ公園、大三島:大山祗神社立石展望台鼻栗瀬戸展望台、生口島:平山郁夫美術館、向島:洋らんセンター高見山展望台レトロタウン(兼吉バス停)、と主な観光施設はだいたい行きました。花火大会は伯方夏祭りの他、因島水軍花火大会サマーフェスタinかみうら(大三島)に行きました。「延べ940万人のうち僕一人で50人は稼いでるんとちゃうか」と言われ、「確かに」と自認するほどあちこちに行ったような気がします。
 基本的に出歩くのが好きな僕は他に一緒に行く人がいなくても一人で出かけて行きました。その中でも最後にして最大のものが、渡橋記念スタンプを集めるためイベント期間ラスト2日で自転車をこぎまくったことでした。7つの橋の歩行者・自転車道の途中にオリジナルスタンプが用意されていて、7つ全て集めると「渡橋認定証」をもらえるという企画がこの10月17日をもって締め切られるので、これはなんとしてでも集めなければと思い立ったわけです。その時点で手元には以前行った多々良大橋のスタンプが一つだけ、あと6つ残っていました。
 「スタンプ集め」。くだらないことです。とてつもなくくだらないことだと思います。しかしひとたび僕の収集癖に火がついてしまうと、それを集められないでいる状態というのは落ち着かなく気持ち悪くて仕方がないのです。特に期限があるなんて言われると、是が非でも手に入れなくてはと思っちゃうんです。それで10月16日昼前、従兄弟に折り畳み自転車を借りて出発したのでした。

<つづく>




伯方島にイノシシ現る −これもしまなみ効果?−
(1999年10月11日掲載)

 島内放送「オフトーク」で、北浦でイノシシを見た人がいるので外出時は気をつけるようにと流れたのは数日前のことだ。伯方島でイノシシ!?翌日島中がこの話題で持ちきりになった。
「イノシシが4匹よう、どがんして歩きょんかねえ、会(お)うたらびっくりするよねえ。」
 そう、これまで伯方島ではイノシシの生息は確認されていないのだ。初めはデマじゃないのかと誰しも耳を疑ったのだが、日毎に目撃者が増え、出没箇所も「伊方」「有津越え」「木浦」へと広がってゆき、いよいよ現実味を帯びてきた(私はこれを書いている時点ではまだ会っていないので2:8で信じていない)。目撃情報によると全部で4頭いて、その中には瓜坊(イノシシの子ども)もいるそうだ。(『子連れイノシシ』・・・。つぶやいてみたがかっこよくもなんともない。)見かけた人が急いで漁師用の網を取りに帰ったのだがその間に逃げられたという話も聞いた。いずれにせよ今、伯方島はイノシシ一色なのだ!(ちょっと大げさかな)
 ばったり出くわしたときどうするかということも考えておく必要はあるが、それよりも問題は「なぜ伯方島に突然イノシシが現れたのか」ということである。ここでその謎について推理してみたいと思う。

 ・イノシシを空輸しているとき、うっかり伯方島上空で落とした。(うっかりしすぎ)
 ・木の根っこを掘っていたイノシシだが、夢中になって深く掘って出てきたところが伯方島。(掘りすぎ)
 ・瓜坊が海に落ちてしまい、それを追って飛び込んだ母親共々流されて伯方島へ。(流されすぎ)
 ・犬とネコが交配してできた子どもがイノシシに似ていた。(見境なさ過ぎ)
 ・中国山地の森の中で罠にかかっていたイノシシを助けてあげたのが伯方島の人で恩返しにやってきた。(おとぎ話読み過ぎ)
 ・しまなみ海道開通で陸続きになったことをどこで知ったか橋を渡って伯方島へ。(これか・・・?)

 いろいろ考えてみたが一番あり得るのが最後の「橋を渡って・・・」ということになる。万が一これが本当だとしても謎はさらに深まる。四国側から来たにしろ本州側から来たにしろ手前の島々での目撃情報があっても良さそうなものだが、話題にはなっていない途中の島には魅力がなくて、まさに猪突猛進で伯方島まで一気にやってきたのであろうか(伯方島が彼らにとってどう魅力的なのかは不明)。もちろんその前に今治、尾道といった市街地を誰にも目撃されずに橋までたどり着くことは困難に近い。イノシシに「橋を渡る」という概念なんてないだろうから、歩いていたらいつの間にか渡っていたということになるだろうが、その偶然は我々が宝くじに当たるよりもまれなことではないか。橋の入口は人間でも初めての者にとってはわかりにくい。「渡橋説」は上に挙げた中ではもっとも有力な説ではありそうだが、まだまだ偶然ではすまされない説明のつかない点がいくつも残っている。

 などと考えながらこのコラムを書いている最中、新たな情報が入ってきた。
 なんと、伯方島から泳いで別の島に渡っているイノシシを舟の上から見た人がいるというのだ。もう一つ、しまなみ海道沿いで二つとなりの島、生口島には野生のイノブタが多くいるそうだ。つまり、生口島のイノブタ泳いで伯方島にきて、数日の滞在の後、生口島に帰ったかあるいは別の新たな島に渡ったということになる。ほんまかいな。
 話によると、イノシシは泳ぐことができるらしい。まあ、「池・湖に落ちて泳いだ」とか「川を泳いで渡った」程度ならまだ納得ができる。しかしたとえ泳ぐことができたとしても海を泳いで別の島に渡ることなどできるのだろうか。隣の島までちょっとやそっとの距離ではない。生口島と伯方島を最短距離で渡ろうとすると、伯方島側は最初に目撃された北浦になる。でもこれだけで納得していいのか。子連れのイノシシが海を泳いで渡って隣の島に行って、数日してまた別の島へと去っていった(あるいは帰っていった)。やっぱり自分の目で確認するまでは、納得しかねる話だ。

 ところで、以前、犬が海を泳いで渡って主人に会いに行くという感動ものの映画があったが、これを機にしまなみ沿線で映画を誘致してはどうだろうか。

 『瀬戸の花イノブタ嫁』  瀬戸を泳いで渡って嫁いだイノブタだったが、姑のいじめに耐えられなくなり瓜坊を連れて生まれ故郷の島に帰る。しかしそこではもう受け入れてもらえない(イノブタの世界のしきたり)。居場所がなくなり子連れイノブタは島から島へと転々と泳ぎ渡り、落ち着く場所を探し求める。だが、時がたつに連れて分かれた夫への思いがつのるばかり。そんな中、瓜坊が泳ぎ疲れと慣れない島での生活によるストレスで倒れる。母親は夫のいる島へ帰ることを決意する。病気の瓜坊を背中に乗せ、急流を必死で泳ぐ(ここがお涙ちょうだいの一番の見せ所)。島に帰ると、対岸では(なぜか)夫の家族が待っている。姑もすっかり改心していて快く迎えてくれる。で、エンディングは一家で泳いで旅行に行ってきまーす。
 くだらん。

 くだらんついでに・・・
 『イノブタ親子、およいで隣の島に渡りきったら100万円!』(途中で瓜坊が流されたら失格)

 そして私はイノシシにもお目にかかることなく、「イノブタが泳いで島から島へ渡る」ということに納得ができず、悶々とした日々を送るのであった。    



祝・瀬戸内しまなみ海道開通
(1999年6月頃〜10月頃まで伯方島トップページに掲載)

 1999年5月1日、ついに瀬戸内しまなみ海道(西瀬戸自動車道・今治−尾道ルート)が全通しました。この日開通したのは尾道大橋と並んで自動車専用道路として作られた新尾道大橋、世界一長い斜張橋で県境に架かる多々羅大橋、世界初の3連吊り橋の来島海峡大橋です。ルート上にある伯方島は、大三島との間に大三島橋が1979(昭和54年)に、大島との間に伯方・大島大橋が1988(昭和63年)に開通していました。このしまなみ海道が全通したことにより、伯方島から車で本州側尾道・福山へは約1時間で、四国側今治には約30分で行くことができます。松山・今治・尾道・福山・広島へ向かう高速バス路線も運行が始まりました。これは島に暮らす人々にとっては画期的・革命的な出来事といえるでしょう。
 開通日がゴールデンウィークにあわせられていたので、私も伯方島で開通の日を迎えることができました。1日の午前から開通式典が催され、皇太子ご夫妻を含め関係者約900人が出席しました。海道沿いの各地にイベント会場が設けられ、ゴールデンウィーク中は過去にないほど賑わいました。そして誰も予想していなかったのが、大渋滞だったでしょう。全ての橋が架かったとはいえ生口島と大島の島内の自動車専用道路はまだ完成しておらず、この二つの島では一般道を使用することになります。当然のことながら一般道には信号もありますし最高速度も速くて時速50kmです。料金所や信号ごとに渋滞ができ、ピーク時には20kmちかくになっていたそうです。伯方・大島大橋と大三島橋もその例外ではなく、びっしりと車がつまって動いていない状態を初めて見ることができました。しかも観光に来ている人たちに混じって私のようなあちこち出かけるのが好きな島民までが渋滞に加わるものだからもう手に負えません。尾道から高速バスに乗った友人は本来なら伯方島まで1時間10分で着くところを8時間かかったと言っていました。私も5月2日に来島大橋を渡って今治まで行ったのですが、30分でいけるところ3時間かかりました。翌3日の朝日新聞には「瀬戸内ノロノロ海道」と見出しを付けられる始末です。これほどまでに渋滞するのはきっとこのゴールデンウィークが最初で最後だろうと思っていましたが、1ヶ月過ぎても週末は断続的に渋滞しているようです。。
 これだけ混雑したことは全国のみなさんが注目してくれたという点で喜ばしいことではあるのですが、その裏では救急車が橋を渡れず救急挺で患者を搬送していたという事実もありました。
 本四公団によると、5月1日の開通から5日までの通行量は新尾道大橋約9万6千台多々羅大橋約7万5千台来島海峡大橋約9万台で、予想の約1.6倍3.2倍だったそうです。
 新聞等で「瀬戸内新時代始まる」とか、「投資効果、先が見えず」などいろいろ言われていますが、島の住民にこそこの橋の開通の価値があると言えるのではないでしょうか。決して無駄遣いではなく公共投資として十二分に意味があったと思います。また、至る所でこの橋の効果をどう活かしていくか単なる橋桁の島にならないためにどうするべきかといった議論がなされています。特に伯方島は耕三寺のある生口島や大山祗神社のある大三島と違って観光資源に乏しい島です。叶浦地区の海岸を埋め立てて新たに何かを作っているようですが、人を集める場所を作るのであれば中途半端な規模のものをやみくもに作るのではなく、何か規模の大きいもの、「世界一」とか「日本一」でないまでにしても「中・四国初」といったようなものでないと観光客を自信を持って迎えることはできないし、ましてやリピーターを増やすことはできないでしょう。むしろ逆に「なにもないけど・・・」っていうのを売りにするのもいいかもしれませんね。しかしそれには優れた企画力と広報力がなければ実現は難しいことはいうまでもありません。島を出ている私ごときがなにをぬかすかと言われるかもしれませんが、私も伯方島で生まれ育った場所として島をこよなく愛しています。でも、まあしばらくはこの開通を素直によろこべばいいのではないでしょうか。長年待ち望んでいた念願の橋なのですから。
 しまなみ海道のルートからはずれている岩城村、生名村、弓削町、関前村といった近隣の島々はこの開通によって定期航路が減便になるなどむしろ迷惑を被ってしまっています。今後できるだけ早くこれらの島々をつなぐ横のラインが完成する事を祈っています。


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