NOTE BOOK
2004/9〜2005/4

2005/4.10
さくらが満開だ。
家の近くには、ソメイヨシノの古木がかなりある。昨年は異常気象で花と葉が混じって盛りがなく、いつの間にかさくらの季節が終わってしまっていた。今年は花の付きがよくて、こんもりと薄桃色に咲き誇っている。写真は26年間見続けているさくらだ。当初はもっと勢いがあって若かった。今は貫禄充分。このさくらの木の下を通って出かけるのも、この季節のちょっとした楽しみだ。

今日は、風が強くて家の周りは一日中、花吹雪だった。
弘法大師が幼少の頃、悟りを開くために山頂近くの断がいから飛び降りたという我拝師山(がはいしざん)も山桜色に染められ、季節の移り変わりを教えてくれる。

もう少しすると、家の庭に春告鳥のウグイスがやってきて、道路にはキジが往来する。えっ!?どんな田舎っかて?イノシシも出没する田舎です。
2005/3.20

         さとうゆうじ展 re. より
「集合のイメージ」と題した高松市美術館のコレクション展を観てきた。20世紀以降の美術では、ピカソ・ブラックらキュビストがおこなった「コラージュ」やシュルレアリズム作家の「アッサンブラージュ」で、平面、立体を問わず様々なものを用いて、オブジェ作品が生み出された。
今回はその手法を取り入れた作品の展示だった。田窪恭治・草間弥生・桂ゆき・タイガー立石・宮島達男・ウォーホール・村上隆さんらの作品は、あまりにも有名で今までに観たことのあるものが殆どだった。でも、手法などをあらためてじっくりみるとヒントになるおもしろいものが一気にみれ、参考になった。まあ、私の場合はすぐ実行しないので忘れることが多いけど・・・。

市民ギャラリーでは、「さとうゆうじ展」をしており素焼きの裸体の作品は、いいなと思った。素朴でかわいくて、色気がある。黒い柱に付けられた素焼きの作品・石のオブジェも、集合のイメージだなと思いながら鑑賞させていただいた。さとうゆうじさんは、店舗のデザインもされており幅広い活動をされている方だった。
2005/3.5
2月吉日に悩んだ末、車を購入した。9年間乗った愛着のあるラシーンに決別(かなり大げさ?)をしてプロボックスに乗り換えた。
ラシーンは、走らない無駄のある4WDで一般向きではなくて、2000年に生産中止になっている。独特の形がお気に入りだったので、生産しているならラシーン2号を購入していたと思う。
プロボックスは、商用車が石を投げれば当たるほど走っている。乗用車モデルは、今のところあまり見かけないけど、というのはやはり装備の面で見劣りするらしい。外観も内装の機能デザインもシンプルでアナログっぽいし、後部席も昔の硬いシートのようだ。けどそこが、好きなところ。また、パワーウインドウやワイヤレスドアロックまでオプションだったので驚いた。エアロパーツを付けたので一見してプロボックスとは判りにくくなったところに自己満足していのだけど・・・。
2005/2.12
友人がたまたまTVに出たからと連絡をくれ、そいじゃあ「笑わしてもらおうかな」と、ビデオを借りて見た。(残念ながら友人は芸を披露していなかった)彼女の育った三野町には、古い建物が結構残っているらしくて、1935年に建築された木造瓦葺のレトロな簡易郵便局が紹介されていた。1950年までは、呉服屋だったそうだ。近くの本門寺という大きな寺で「大坊市」というのが開かれていたので、県外の上得意さんも結構あったらしい。
興味津々、早速行って見ると、普通の家屋のなかに栄枯盛衰を物語るように静かに建っていた。重く厚みのあるドアを開けると、漆くいの壁・磨きぬかれた木のカウンター・飾り模様のある高い天井が目に飛び込んできた。昔にタイムスリップしたようだ。
回顧主義じゃないけれど合理的な現代建築より、こういう趣きのある建物に惹かれてしまう。完璧な人間よりも味のある人間に惹かれるのと同じだ。
2005/1.30
1月22日に、久しぶりに通教仲間と天王寺で集まった。卒業制作でお世話になった先生やOB・1期生と2期生、そして現役生で「にんにくや」で盛り上がった。うわさ通り、店内は、ガーリックの香りがする。
飲み放題コースを注文したが、色々選べてレパートリーが多い。私は、ガーリックトーストが気に入った。癖になりそうな濃厚な甘みのあるペ−ストがしっとりとパンに染み込んでいて美味しい。明石だこのニンニクマリネもプリプリしててお薦め。目玉は、ニンニクの丸上げかな?この店で、これを食べないと来た意味がないらしい(?)残念ながら、私は食しなかったので感想はなし。

にんにくや集合の前に、大学にも立ち寄った。お世話になった先生方にお会いしたり、顔見知りの人たちがスクーリングを受けていて懐かしかった。たまたま、ダリ版画展が大学芸術情報センターで開催されていたので、観ることができラッキーだった。
2005/1.10
淡路島の淡路夢舞台まで遠出のドライブを楽しんだ。通教の工芸演習でお世話になった長谷川政弘先生の作品を観るためだ。近年、蓮をテーマに作品を創っている先生で世界で活躍している。淡路夢舞台の円形フォーラムの作品は水面から空に向かってコンタクトを送っているような大きな蓮と、直径10センチ前後の蓮が円く群れに形成されおり、葉と水面の揺れから癒しの音が聞こえてきそうな空間を創っていた。会期は2月15日(火)まで。
同場所にある「奇跡の星の植物館」も白と緑と水でプロデュースされ美しかった。
また、薫寿堂(津名郡一宮町)でお香の手作り体験をしてきた。
昨日から、部屋中がローズマリーの香りでいっぱいだ。
2004/12.26
クリスマスは日本ではイベントの定番だけど、ホントは何の日?
もともと収穫を感謝する冬至のお祝いに家族や友人同士が集まって楽しく会食して、厳しい冬に備えて体力を蓄えるものだったようで、その後イエスキリストがベツレヘムの馬小屋で誕生した日を祝うという宗教的な意味合いが加わって今の形となったそうだ。 キリストが本当に25日に生まれたという事実も定かではなくて、いろいろ宗教的・政治的な背景があるらしい。
クリスマスの語源はラテン語の「クリストゥス、マッセ」、「キリストのミサ」という意味。
我が家では、クリスマスはケーキを食べる日。今年のデコレーションはイチゴじゃなくて、主人の作ったキウイで。お味のほうはって?・・・ケーキ屋にはなれませ〜ん。・・・・ザンネ〜ン。
2004/12.19
17日(金)に神戸ルミナリエに行ってきた。阪神・淡路大震災で犠牲になられた方々の鎮魂の意と街の再生・復興への希望と勇気を込めて、震災の年1995年に始まり、今回は10年目となる。それゆえに、美しさと感動がひときわ心を打つ。今年のテーマは「神戸、光の都」だ。震災の記憶をやさしく包み込み、未来へと続く力強い輝きだ。旧居留区のフロントーネ(光の玄関)からガレリア(光の回廊)を通り抜け東遊園地のスバッリエーラ(光の壁掛け)まで人の流れとともに進んで行く。スバッリエーラは大きな円形で幻想的なイルミネーションが360度から私たちを包み、一瞬人混みにいることを忘れてさせてくれる。
フロントーネの点灯から見ようと思うと1時間前くらいから寒い中並ぶ覚悟がいるが、その苦労も直ぐに光の美しさに魅了され疲れも吹っ飛んでしまう。
2004/11.23
金刀比羅宮の奥書院特別公開展を観に行った。125年ぶりの一般公開だ。江戸時代、金刀比羅宮は金光院金毘羅大権現と称され、神仏同体を信仰するお寺であった。そのなごりで、表書院の応挙の障壁画「遊鶴図」「遊虎図」などの間から、僧侶が生活していた低い天井の居間や茶室を通り、奥書院へ入る。目玉は、伊藤若冲筆の「百花図」と、岸岱(がんたい)筆の「郡蝶図」だ。金箔が経年により剥げていたが、昔の光り輝いていた〈上段の間〉を想像し、その頃の空気をゆっくり感じながら、岸岱筆の〈菖蒲の間〉と〈柳の間〉に進む。「百花図」「郡蝶図」も素晴らしかったが、岸岱による存在感のある菖蒲やうねる柳や、空間に舞う白鷺の美しさに圧倒された。
もちろん、表書院の丸山応挙の「遊虎図」も独特の虎の表情が足を止めさせた。応挙は、見たこともない虎を、虎の毛皮と猫をモデルに描いたという。かえって、まるみを帯びた体や顔が応挙の世界を創りだしているようだ。会期は12月12日まで。見る価値あるかも。
2004/11.11
         24週目 推定体重800グラムの赤ちゃん 今年5月11日、友人に女の子が生まれた。今日でちょうど6ヶ月になる。近頃は、病院に行くたびにエコー写真で体内の赤ちゃんを撮ってくれるらしい。
はるかむかしは、3,4ヶ月のときに1枚エコー写真をもらったな。
友人のお腹の中で、だんだんと大きくなっていった赤ちゃんの写真は、まるでバーチャル体験だ。神秘的な世界を覗き込むようでワクワクする。そして、科学音痴のわたしはどんどん顔や手足が赤ちゃんらしくなり、指をすったり志村けんのアイ〜ンのポーズをしている体内の姿が見えること自体、とても不思議で感動もんだ。きっと、親子でたくさんのエコー写真を見るたびに、同じ幸せを感じるんだろうな。

6ヶ月になった赤ちゃんは、下の前歯が2本生えて少しだけお座りもできるようになった。
2004/10.24
数年前から、隣町の公民館へ油彩画のアドバイスに行っている。メンバーは、大先輩が多くてなごやかな雰囲気の中にも、内に秘めたパワーは凄くて感心する。デッサン力はさておき、それぞれ自分の絵になっている。私は、全体のバランスや形・色のまとめかたなどをアドバイスするが、手を加えることはあまりしない。わたしの好みの絵になるからだ。時々、他の教室の展覧会などに行くと、先生が手を加えているとよくわかる。そして、生徒の絵がどれも同じに見える。わたしは、へたくそ(?)でも、アピールするものがあれば、おもしろくて惹かれる作品ができると思っている。近頃、小倉遊亀さんや片岡球子さんのように、大胆かつ無邪気で純粋な絵に惹かれ描きたいと思う。
かたちにこだわらず(本当はこだわっている)自由に自分流に描ければいい。そして、生き方もそうしたい。
2004/10.14
高松市立美術館へ「THEドラえもん展」を観に行った。ドラえもん世代の美術・映像・写真・グラフィック・音楽などの分野で活躍するアーティストたち30人が「わたしのドラえもん」をテーマに制作した作品展だ。奈良美智さんや村上隆さんの作品も良かったが、杉山知之さんの「ドラファクトリー」が、アンディ・ウォホールがコカ・コーラやマリリン・モンローでその時代を表現したように、ドラえもんで現代の画一化の危機感をかわいい映像の裏で現しているようでおもしろかった。「助けて〜、ドラえもん」という作品は、電話でドラえもんに悩み事を相談する空いていたので、仕事・金運・夢など、全コース相談してみた。とりあえずアドバイスは、参考にしようと思う(笑)
ちなみに、「わたしのドラえもん」をちょこっと創ってみた。タイトルは「タヌキじゃないよ、ネコだから!」かな。
2004/09.29
我が家の「草畑」となった庭の片隅にピンクのハーブ系の花に混じって露草を発見。まさしく雨模様の中、可憐な花はツユを含み青さを増している。
古来、露草で染めた色を露草色と言って花の色素を水で溶かして布を染めたところから「移し色」とも言われるらしい。万葉集にも「月草」と呼ばれ露草を染めた色は、退色しやすいところから心変わりする表現に使われているようだ。
(色のHPより)
 月草の うつろい易く思へかも我が思ふ人の 言も告げ来ぬ
意味は、「う〜ん!???」分からん、誰か教えて!!
2004/09.18
6月の教育実習でいっしょだった、彼女たちとランチをした。大学は愛知・兵庫・高知とそれぞれだ。年齢は、わたしの娘と同じくらい。こうやって、母のようなわたしを誘ってくれるのはとてもうれしい。やはり、みんな教職への道は厳しいらしい。彼女たちとは、2・3週間同じ時間を過ごしただけなのに、なぜか仲間意識がある。彼女たちは、真面目で就職だけでなく色々なことに前向きである。その頃の自分と比べると、目的意識をきちんと持っていてガンバレと応援したくなる。自分のことは、さておき素敵な先生になってほしい。
明日は、実習でお世話になった中学校で「東華祭」があり、みんなは行く予定。わたしは、仕事で行くことができない。かわいい、生徒の笑顔が見れないのがとても残念だ。
2004/09.14
久しぶりに、夕方散歩をした。今日は晴れているので、家から遠くに瀬戸大橋が見える。もちろん、かすみがかった瀬戸内海の島々も・・・。
近くの田んぼでは、もう稲刈りも始まっている。忙しくバタバタしている間に、猛暑も終わり風景は秋に近付いていた。
今日の、西に沈む夕日は燃えるように紅かった。
バロックアート 2004/09.07
このHPのタイトル[BAROQE ART]のBAROQE(バロック)という言葉を聞いたことありますか?17世紀のイタリアなどで、ルネサンス後、栄えた美術や建築をバロックといいます。語源は、ポルトガル語BARRCO「歪んだ真珠」で、曲線の多い装飾過多の芸術は、「不規則・風変わり・不均等」と、少し小馬鹿にしたニュアンスも含まれているようです。ルネサンスが、秩序ある完成された世界とするなら、バロックは世界を混沌と見なし、その断片を躍動的に表現しました。また、レンブランドの光と闇の劇的な表現には引き込まれるものがあります。精神的に働きかける有効な手段として、人間の感覚に直接的に訴えることを芸術家たちは目指したようです。以前は、バロック時代の派手派手主義が嫌いでしたが、よ〜く鑑賞しているうちに、その作品の生々しい感情表現がかなりイケテルと感じてきました。宗教画と、毛嫌いしていたアンドレア・ポッツォの「イエズズ会の伝道の寓意」の虚構の世界を現実のように見せる絵や彫刻は、一度はナマで観たいなと思っています。と、いうことで個性の強い不安感のある絵を描く私は、その精神に惚れこんで、BAROQUEをいただきました。