With me


「ヒ、ヒイロ君・・・・・…?」
 ルシアが、戸惑ったように声をあげた。
 一人屋上に出ていたルシアは、唐突に目の前に現れた少年の名を呼んだ。
 ヒイロの存在は、女子の間では結構有名だった。
 いつも静かに物思いにふけっている様子は、物語に出てきても可笑しくは無かった。
 その彼が、目の前にいる。
 ルシアの頬が赤いのは、泣いたせいばかりではないだろう。
 だから、次の瞬間流れた彼の言葉に、ルシアは息を飲んだ。
「責めを負うのは、リリーナではなく、この俺だ」
「……………え?」
 驚愕に、それしか言葉が出てこない。
 ヒイロは、感情を押さえた瞳で、ルシアの瞳を見つめた。
「サンクキングダムに流れてきた兵達を亡命させる。それだけがリリーナの望みだった。しかし、当時のサンクキングダムは微妙な立場にあった。多くの支持を集め始めたサンクキングダムとリリーナは、次第にロームフェラーに疎まれるようになっていた。常に暗殺のための兵が潜入し、混乱の火種を探られていた。だからこそ、サンクキングダムには戦力が必要になった」
 ルシアは呆然とヒイロの言葉を聞いていた。普段無口な彼が、ここまで喋るのは、奇跡と言っても良かった。
 ヒイロは、どこまでも真っ直ぐな視線をルシアに向けたまま、当時の状況を語る。
「人の意識を完全平和に向けさせるために、もっと時間が必要だとリリーナは言った。俺は、その時間を手に入れるために自衛が必要だと言った。リリーナは、それを受け入れた」
「それじゃあ、父がサンクキングダムで戦ったのは…・・・・・・…」
 震える声で、ルシアはヒイロに尋ねる。真っ直ぐな瞳が、心に痛い。
 ぎゅっと、胸元を握り締めて、言葉を紡ぐ。
「あなたの提案のせいなの?」
「ああ」
 ぱしぃぃぃぃん!!
 頬を打つ音が、静まり返った屋上に響いた。
 
 ルシアの頬に、新たにいく筋もの涙が伝った。
「どうして……!!あなたが勝手にやれば良かったじゃないの!!なぜ父が、亡命してまで戦わなければならなかったの?!!」
 少し赤くなった頬を気にした様子もなく、ヒイロは再びルシアに目を向けた。相変わらず、何の感情も読み取れ無い瞳のまま、淡々と言葉を紡ぐ。
「確かに、兵を保有することは俺の提案だった。しかし、サンクキングダムで戦った者達は、皆自分の意思で戦っていた。誰も強制はしていない。」
 その言葉に、ルシアが小さく息を飲んだ。
 すっと、ヒイロは半眼を伏せた。当時を思い出すように・・。
「ロームフェラに追われ、サンクキングダムに逃げ込んだ兵達の存在は、そのままサンクキングダムに攻め入る口実となる。それを察知して、逃れてきた兵達は玉砕を覚悟していた。彼らは、その時選んだ。サンクキングダムのために戦うことを」
 もう一度、ルシアの瞳を真っ直ぐに見つめる。
 彼女の瞳には、戸惑いと驚愕に揺れていた。
「………なぜ彼らが、サンクキングダムを守ろうとしたのか、考えたことはあるのか?それは、本当にリリーナを守るためだけだったと思っているのか?それならば、お前にリリーナのことを責める資格はない。リリーナは、それを知っているからこそ、今も尚、平和のために心を砕いている」
 厳しいヒイロの言葉に、ルシアは悔しさに唇をかんだ。揺らぐことのない、強い意志の宿った瞳を睨み返す。
「じゃあ、あなたには父の戦った理由がわかるとでも言うの?!!!」
 激しい怒りを含んだ視線を正面から受けながら、ヒイロはほんの少しだけ、口元を弛めて、ルシアを見つめた。
「『ルシア=ヴィルサム。あの子に、戦争の無い世界を見せてやる』それが、ガルス=ヴィルサムの口癖だ」
 
 ルシアの脳裏に、父の言葉が蘇る。
 戦争に行く前に、自分を強く抱きしめて力強く囁いた、あの言葉。
『世界を平和にするために、戦ってくるよ』
 ならばなぜ、戦うのか。
 そう問う自分を、困ったように見つめ、父は旅だって逝ってしまった。
 望んでいた事は一つだけ。
 ああ。そうか。
 自分の愛するものを、守るため。
 平和な世界で、生きていくため。
 父は、そのために戦い、死んでいった。
 それまで、彼女は父が戦う理由など、知らなかった。
 ただ、命令を受けたから行くのだと、思っていた。
 けれど…………。

「………守りたかったのは、私達・・・・・…?」
 呆然としたルシアの言葉に、ヒイロは軽く頷いた。

 戦う理由。
 一時、それを見失った自分。
 それを持たない兵は、ただの兵器にしか過ぎない。
 彼らは、決して兵器、ではなかった。
 リリーナに、戦う理由を見出した。
 自分の意思でサンクキングダムのMSに乗り、平和を夢見て戦っていた。
 その先にある、誰かの幸せ。
 その望みを知っているからこそ、リリーナは平和を強く求める。
 その思いを、託された事を知っているから。

 ルシアが、困惑したように視線をさまよわせた。
「ヒイロ君。あなたは一体・・・・・…?」
 何者なのか?
 ただの一般人にしては、当時の国情に詳しすぎる。
 が、ヒイロは何も答えずに、来た時と同じように静かに屋上を後にした。
 一人残ったルシアは、今まで自分を苛んでいた喪失の痛みが和らいでいることを自覚していた。
 そして、彼女の心には、純粋な真っ直ぐな瞳が消える事の無い平和への象徴として残る。
 父の、言葉とともに・・・・・・・…。



 覚醒の瞬間の不快感がリリーナを襲う。
 重い瞼が疎ましい。
 それを推して、ゆっくりと瞼を押し上げる。
 最初に目に入ったのはやわらかな光。
 清潔なシーツの感触が、彼女を現実に引き寄せる。
「わたくし、は…・・・・・…」
 講演をしていて、そこで、サンクキングダムで死んだ人の娘という方に、…………。
 はっきりと、目が覚めた。
 がばり、と身を起こして周囲に視線を走らせる。カーテンで仕切られた向こうに、人の気配がある。
「すいません。すぐに先ほどの彼女を連れて来てくださいませんか?」
 そこにいるのが、恐らく保健婦か自分の秘書かと思い、声をかける。が、その気配は一向に動こうとしない。
 人違いをしたのかもしれない。そう思った時、唐突にカーテンの隙間から人影が滑りこんできた。
「ヒイロ…・・・・・…」
 呆然と、相手の名を呼んだ。
 目の前にいるのは,二ヶ月前に彼女を救い出し,そのまま姿を消した少年だった。何度も会いたいと願っていた相手だった。
「ヒイロ」
 また夢かもしれない。でも、覚めるまでは側にいて欲しい。そう思って、恐る恐るその人物に手を伸ばした。
 腕に、触れる。
 感覚がある。
「ヒイロ?」
 まだ確信が持てなくて、囁く様にその名を口にのせる。

 ふ、とヒイロが見をかがめた。
 目線をリリーナの正面に持ってくる。
「どうかしたのか?」
 すっと、その手を頬に伸ばす。
「え?」
 その時、彼女は初めて気がついた。自分が、泣いていた、という事に。
 慌ててその涙を隠そうと身をよじるが、いかんせん、目覚めたばかりで思うように身体が動かせない。
 ヒイロが、泣いているリリーナの頭を自分の肩に引き寄せた。
「泣ける時に泣いておけ。少しは気が楽になる」
 愛想のあの字も無い言葉。だが、リリーナには何よりも嬉しい言葉だった。
 素直にヒイロの肩に持たれかかる。
 途端に、押さえていた衝動が突き上げてくる。
 ―多くの人々の希望。
 ―死んで行った者達の願い。
 ―戦いの中、彼女に希望を見出した者。
 わずか10数歳の少女には重すぎるものだった。
 噛んだ唇から嗚咽が漏れる。知らずに押さえていた思いがあふれ出る。
 彼女は、ここでは少女でしかなかった。

 泣いて、泣いて、自分がこんなに弱いものだと痛感した。
 そして、自分に肩を貸している少年を見上げる。
 彼は強い人だ、と思った。誰よりも、何よりも、大切なものを守る力を持っている。
 ずっと、その力に憧れていた。
 少し動かす視線の先に、その人はいる。
 なによりも、大切で、信頼できる、人・・…・・・・・・・・。

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