贖罪の時(6) 了-1
邂逅


 --------翌日。
 完全に日が昇った後に、神殿の使用の許可が下りた。
 場所は、スィーイードの神像のある廟で、その神像の前には祭壇が設けられている。
 その祭壇に、今ゼルガディス、フィリア、アメリアの3人が立っている。
 ゼルガディスは、血縁者として。
 フィリアは、邪なる者を退ける結界を張るために。
 アメリアは、魂を導く巫女として。
 昨日、ゼルガディスが部屋を出る時に、フィリアがアメリアを呼び止めてこのための呪文を教えていたらしい。
 そして祭壇の周囲には、リナ、ガウリィ、ジャベル、レイス、ルーシャ、ヴァル、フィリオネル、さらにセイルーンの重臣の内、代表者の4人がいる。
 レゾの死について、大っぴらに公表されたくない、というゼルガディスの希望があって、部外者の立ち入りは禁じられたのだ。
 フィリアが、祭壇の前に進み出た。
「では、これから赤法師の呼び出しを行いたいと思います。まず、私がこの祭壇の周囲に竜族の結界を張ります。それにより、祭壇に他の霊からのノイズが混じる事を防止します。ただ、この結界によって、祭壇の中の音は聞こえなくなりますけど、姿は見えるので安心してください」
 祭壇の下にいる者達が頷いた。
 今回,彼らの目的は,ゼルガディスの血によって,赤法師が呼び出せるか、という事なので、会話には興味がない。なによりも、その会話をゼルガディスが聞かせたがらない事も、彼の仲間は知っていた。
「次に、ゼルガディスさんが呪文を唱えながら、血で魔方陣を描きます。そして、その魔方陣の力を使って、アメリアさんが赤法師さんの霊を呼び寄せます。以上です。何か質問は?」
 明るく尋ねるフィリアに、ジャベルがしおらしく手を上げた。どうも、昨日フィリアが素手で机を叩き割ったのが効いている様だ。
「はい、ジャベルさん」
「血縁者以外の者の血で呼び出せる可能性は、無いのか?」
 もっともな質問だった。ある事象を証明するためには、そのアンチ状態での立証もされなければならない。しかし……・、
「竜族が研究しなかったと思いますか?ちなみに、それをやった場合、その血の提供者は、俗にいう悪霊に取り憑かれちゃったそうです」
 ざーーーーーーーーー。
 その言葉の内容に、全員の顔から血の気が引いた。あまりに明るく言いきられたものだから、なおさらに寒気が走る。
「だぁぁぁ!もういいから、さっさとやって頂戴!!!」
 結構お化けが苦手らしいリナが、自分の肩を抱きながら叫んだ。
 その言葉に、フィリアがにっこりと頷く。
「はい、では、はじめましょうか?」
 アメリアとゼルガディスが、一瞬だけ顔を見合わせ、ほんの少しだけ、微笑んだ。
 いよいよ、始まる。

「では、フィリア=ウル=コプト。結界、やらせていただきます!」
 すとん、と祭壇から飛び降りると、くるりと振りかえる。そして、何やらぶつぶつと呟くと、そっと、その祭壇の縁に手をかけた。
 刹那、祭壇がまばゆい光に包まれる。
 その光に全員が目をすがめた一瞬の後、祭壇は、薄い半透明の膜のようなものに包まれていた。
 ゼルガディスの口が、何かを言っている様に動くが、音は全く聞こえない。フィリアが、両手で大きく丸をつくった。ゼルガディスが頷く。
 そして、今度はゼルガディスの番になる。

 静かな、静かな空間に、ゼルガディスとアメリアはいた。
 こちらの音が向こうに伝わらないという事は、その逆も当然伝わらない。
 その空間の中で、二人は無言だった。ただ、アメリアは緊張の面持ちでゼルガディスを見つめ、ゼルガディスは自分の気持ちの整理に精一杯だった。
―レゾに、会う。
―会って何を聞く?
―聞けるのか、俺に?
 迷った気持ちのまま、懐から薄い刃のナイフを取り出す。
「アストラル・ヴァイン」
 岩でできた肌は、普通の刃を通さない。
 赤く輝き出した刃を、そっとその掌に押し当てる。
―全ては、会ってからだ!
 目を閉じて、一気に引く。
 ずきん、と痛みと同時に、掌に生暖かい感触が来る。ゆっくりと瞼を上げると、血が、掌を伝い、肘まで流れているのが見えた。
 すっ、と、その掌を正面に向ける。
 我に流れる、赤き命の源よ。
 我が命の連なりの証たる、その流れ。
 その根源たるものの声を呼び、姿をここへ導かん。
 描け、そは彼を導く道とならん
 滴っていた血が、意志を持つかのように宙へと流れ出した。
 そして、見る見るうちに複雑な文様を持つ魔方陣へと変わって行く。
 だらだらと流れていた血は、いつのまにか床に届く前に全てが宙へと流れて行く。かなりの量を流し、魔方陣が完成した途端、それは再び床に滴り出す。
 貧血が起きそうなほどの血の量で描かれた魔方陣を見届けて、ゼルガディスは傷口を魔術でふさいだ。半ば治りかけた傷口を、舌でなぞる。
 そして、緊張でやや青ざめているアメリアにわずかに頷いて見せた。
 アメリアが、頷き返した。
 そして、最後はアメリアの番になる。

 ―いいですか。一瞬でも気を抜くと、赤法師以外の方が流れ込んできます。そうすると、結界の中は魂で溢れ,中にいるあなた達に危険が及ぶかもしれません。それでも、やりますか?
 フィリアが心配そうに聞いてきたのは、昨日の夜。最後の注意を受けていた時だった。
 けれど、彼女は引くわけにはいかなかった。いや、引きたくなかった。
 一番そばにいたかった。
 何か手助けがしたかった。
 だからこそ、アメリアは、今この場所にいる。
 目の前に輝く、赤い魔方陣を見つめて、アメリアは祈る様に手を組んだ。
 目の前にあるのは、ゼルガディスの命でつづられた魔方陣。
 失敗する訳には、いかなかった。

 命でつづられし、深紅の道よ。
 我はこの道を通れるものを導かん。
 道を築きし者の名は、ゼルガディス。
 彼が望みし者の名は、レゾ。
 混沌につつまれし、静寂の淵。
 我が導きに答えんことを、乞い願う
 瞬間、アメリアの意識の中に、様々な者の意識が触れる。
 透けるような銀髪の、温和そうに微笑む青年。
 黒髪の、ゼルガディスに似た、けれどもすごい美人の女性。
 意識に引っかかる人達ではあったが、望む人ではない。
 さらに、どこか影を持った物静かな剣士。
 ゆったりと微笑む、優しそうな女性。
 そして、赤い法衣。
(いた!!こっちです!あなたがここに来るんです)
 意識の奥底で、必死にその赤い影に呼びかける。反応が来る。分かる。
 ゆっくりとその意識が近づいてくる。その、あまりにもの強さに、アメリアは何度も気が遠くなりかけた。
 が、唇をかみ締めて、ぐっとこらえる。
 さらに近づいてくる。だんだん、その姿がはっきりしてくる様に思えたのだが、赤い影に包まれてはっきりとは分からない。
 その影が、閉じた瞼の裏いっぱいに広がった、と思った瞬間、全身から力が抜けた。
 体の芯から、何かが抜き取られた様に感じがして、その場にがくん、と座り込んだ。そっと、まぶたを押し開くと、赤い魔方陣に重なる様に、赤い、赤い法衣が見えた。
 その前には、静かにそれを見上げるゼルガディス。
 そして、彼は望んでいたものと、再会した。

        
 祭壇の外では、ジャベルが息を飲んで目の前の光景を見つめていた。レイスもまた、目の前の光景を呆然と見つめていた。
 二人とも、レゾの死を聞かされていながらも、心のどこかで信じられなかったのかもしれない。何せ、彼の力は嫌というほど見ていたのだから。
 しかし、目の前にいる赤い青年は間違えようも無く、
「赤法師、レゾ」
 呟いたのはどちらであったか。いや、両方かもしれない。
 その呟きを聞きつけて、セイルーンの重臣達がざわり、と空気を乱す。これで、ゼルガディスに対するセイルーン自体の対応も、変わらざるを得なくなるだろう。
 それを小気味良い思いで想像しながら、リナは結界に視線を戻した。
 彼らにとって、問題はこれからだった。
「ゼルガディスは、大丈夫かなぁ?」
 心配そうなガウリィの言葉に、リナもフィリアも、完璧なる返事など持ち合わせてはいなかった。
 ただ一つ、言えることは、
「信じるしかないわよ、ゼルを」
 全員の視線の先には、2年前と全く変わらない、固く瞳を閉じた20代半ばの青年が、ふんわりと微笑んでいる。

『久しいですね、ゼルガディス』
 二年前と同じ声、同じ姿で問いかけてくる。
 それなのに、どこかがおかしい。なにかの違和感を感じる。
『どうしました、ゼルガディス?』
 そうだ、身を包む空気がおかしい。何故彼は、こんなにも赤い気配を見にまとっているのだ。
「……その気配は、どうした?」
 驚くほどすんなりと、声が出た。
 レゾが、袖を顔に近づけて自嘲気味に口元を歪めた。
『分かりましたか・・・・・…。どうも、私の負の感情は魔王に気にいられたようで、魂となった今も解放してくれないんですよ』
 神も、助けては下さらないようですしね。
 小さく呟かれた言葉に、ゼルガディスは「ふぅん」と答えただけだった。
 神も、たかが人間一人のために、魔王の分身に喧嘩を売ろうとは思わないのだろう。その事に対し、やや不満はあったものの、神に文句を言っても仕方がない。
 顔にかかる髪をはねのけて、本題に入る。
「俺には、何かの枷がつけられているらしい。それが俺の力を押さえつけていた。レゾ、お前は俺に言ったよな?『強くなりたいか』と。その時に気がつかなかったか?俺に枷がはめられていると」
 言外に、その枷をはずしていれば、この姿になる必要はなかったのでは無いか、という非難を込めてゼルガディスはレゾを見上げた。
 レゾが、苦しそうに、顔を歪めた。
 そして、一つ息をつく動作をすると、心の内を吐き出すように、声を出す。
「その枷をはめたのは、私です。正確には、邪妖精との合成が枷なのです・・・・・・・…」
 頭の芯を鈍器で殴られたような衝撃がゼルガディスを襲った。
 クラリ、とからだがゆれる。
「・・・・・…何故、そんな事を?」
 絞り出すような声に、レゾが顔を歪めた。
「…あなたの力は大きすぎたのです。そして、あなたの心はそれを制御するに足るほど、穏やかではなかった」
 過去の自分を思い返して、ゼルガディスは頷いた。しかし、それでも納得はいかない。
「だからと言って、この姿にする必要はあったのか?!!」
 憤りに、声が荒くなる。レゾが、片手で顔を覆った。
「私が傍にいる事で、いくらか抑える事はできていました。けれど、私の心は徐々に魔王に蝕まれていました。あのままでは、あなたの傍でその力を抑制する事すら叶わなくなりそうでした。私は、それを感じとって、あなたの本来のキャパシティの上に、更に小さなキャパシティをはめ込む事で抑えようと考えました。それによって、私が傍で見ている時よりも比較的自由に呪文を使えるようになるし、あなたが暴走する事も無いだろう、と」
「そんな、勝手な事を!!どうして、その時俺に・・・・・…!!」
「言って、あなたは納得しましたか?!力を抑えると分かって、私の傍にいましたか?!!」
「少なくとも、あんたを憎みはしなかったさ!!!」
 血を吐くようなお互いの叫びに、二人は黙り込んだ。
 やがて、再びレゾが口を開いた。
「最初は、邪妖精を組みこむだけのつもりでした。そうすれば、あなたの姿は少々エルフに近くなるだけの予定だったからです。……似合ったでしょうに」
 レゾの最後の台詞に、ぐらりと体が傾いだ。視界の隅で、アメリアが呆然としているのが見えたが、この際無視する。
 昔から、レゾは彼を飾り立てては良く遊んでいた。
 見える訳ではなかったので、どうもゼルガディスのリアクションで遊んでいたようだった。その数々の思い出が頭をよぎり、ゼルガディスは大きく溜息をついた。

 レゾが、再び苦しそうに顔を歪めた。
「そして、あなたを邪妖精と組み合せようとした瞬間、私の中で魔王が囁きました。『自由にできる力を手に入れれば、この子はお前から離れるだろう。お前の力なぞ、必要とはしなくなる。お前は、再び、一人になる』と」
 そこまで言って、レゾは両手で顔を覆った。
「怖かった。憎まれてでもいいから、傍にいて欲しかった。そんな想いが突き上げてきました。そして、私は、その思いの命ずるまま、あなたに石人形も合成したのです。許される事で無いのはわかっています。けれど、私はあの後何年生きていれば良かったのでしょう?何人もの人間が、私を置いて旅立って行く。私だけが止まったまま。それに耐えられるほど、私は強くは無かった・・・・・・・…」
 消え入りそうな声で、それだけをいうとそのまま黙り込んだ。
 ゼルガディスの胸の中には、いい知れぬほどの喪失感がただよっていた。
 目の前で告白をする男は、彼の知っているレゾで、そして知らなかったレゾだった。彼が何年生きていたのか、正確には知らない。けれど、普通の人間の何倍かは、確実に生きていた。だからこそ抱える恐怖、寂寥感、喪失感。痛いほどに伝わってきたからこそ、もう、彼を責める事などできそうに無かった。
 軽く腕を組んで、もう一度レゾを見上げた。まだ、彼は俯いたままだ。
「俺の体を治す方法は?」
 レゾが苦しそうに、首を振る。
『あなたのキャパシティを押さえている邪妖精と石人形を同時に消滅させなければなりません。しかし、それをするには何か、大きな力を解き放つ必要があります。しかし・・・・・…』
 レゾの答えに、ゼルガディスは息をついた。
 ラグナ・ブレードを放った瞬間、自分の姿に人間の時の姿がダブって見えたらしいが、それ以上の力を放たない限り元には戻れない、という事だろうか。しかし、世界の破滅と両天秤にかけることなど、彼は望んでいなかった。
 別の方法を探すしかない。
 もう一つ、気になる事があった。だから、そっと、片手をレゾの方にむける。レゾが、その気配に気付いて顔を上げた。
「何故、目を閉じている?もう、魔王の束縛は無いはずだろう」
 ゼルガディスの問いに、レゾは軽く首を傾げた。
「…私は、この世界を破壊しかけました。多くの人を死に追いやりました。この身が解放されたからといって、罪が消えたとは思えません。私は、この世界を見ることが許されるとは、思えません。もう、あきらめてます」
 淋しく微笑むレゾに、ゼルガディスの中で何かが切れた。
「ふざけるな!!!!あんたはそのために色々とあがいたんだろう?!!多くの人を犠牲にしても手に入れたかったものなんだろう?!!それを諦めるだと?!そんな事、できる訳ないじゃないか!!!逃げてるだけじゃ無いのか?!!そうだ!あんたは俺からも逃げたんだ!!」
 溢れる激情に、涙がつうと零れ落ちる。13の時以来初めて泣いていた。が、ゼルガディスは感情が爆発していて、自分が泣いていることに気がついていない。
 そして、ずっと心の中に溜め込んでいたものが溢れ出す。
「勝手に生きて、勝手に死んで!!俺には憎むべき躯も残さずに!!俺の体を戻すぐらいしてから、死んだら良かったんだ!!どうして、…どうして!!」
 どうして、俺が離れるなんて、思ったんだ!馬鹿やろう!!
 声にならない叫び。
 がくんと、その場に膝をついた。ふわり、とレゾがその上にかぶさった。そっと、震える肩を抱きしめられる。幼い頃に、されたように。
『すいません』
 繰り返し囁かれる言葉に。ゼルガディスは徐々に落ち着きを取り戻して行った。
 吐き出された感情は、ゼルガディスの心を、解放する。

 どれくらい泣いたのか、落ち着きを取り戻したゼルガディスはゆっくりと立ちあがった。その時、はじめて自分の周囲が黒い霧で包まれていた事を知った。恐らく、取り乱した自分を他人の目から隠すために、アメリアが放ってくれたのだろう。
 その心遣いに感謝しつつ、ゼルガディスはレゾに真っ直ぐに視線を向けた。
 泣いているうちに、心は決まった。
 やり方は知っている。
 すっと、傷口が治りかけている掌を、レゾに、いや、正確には魔方陣にむけた。
 そして、静かに呪文をつむぎ出す。
 我が血により開かれた道よ。
 我はここに乞い願う。
 道に招かれし者、我が血とともに我にきたらん。
 その魂、我れとともに在れ
 描かれし道よ、我が内にその力を封せん
 血で描かれた魔方陣が、ぐにゃりと歪む。そして、そのまま治りかけていたゼルガディスの傷口から体内へと戻って行く。
 当然ながら、魔方陣とだぶる形で存在していたレゾも、ゼルガディスに引き寄せられる。
『ゼルガディス!何を?!!』
 動揺にゆれるレゾの声を聞きながら、ゼルガディスはその瞳を閉じた。
 声は、いまやゼルガディスのうちから聞こえてきている。そう、彼は自分の体の中にレゾを引きこんだのだ。
 目的は、ただ一つ。
 自分の心と、半ばだぶるレゾの意識に、そっと呼びかける。
「さぁ、世界を見に行こう」
 驚愕に、レゾの意識が凍りついた。


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