あなたのいない世界で

1

あなたのいない世界

そんなもの、考えたこともなかった

でも、それはいつか現実にやって来る

こうして一緒にいる今でも、
 ふと、そんな想いが突き抜ける。




 大陸屈指の大国、白魔術都市セイルーン。
 その都市自体が大きな魔方陣を形成している、人々の心の拠り所。そんな平和な場所にも裏通りと言うのは存在する。
 薄暗く人気の無い道を歩きながら、ふとゼルガディスは後ろを振り返った。
 細い隙間からのぞく、白亜の城。
 穢れることの無いその外壁に,少し前に共に旅をした少女の面影が重なる。
(アメリア=ウィル=テスラ=セイルーン)
 セイルーン王家の第二王女。
 本来ならば,自分とは何の接点も見出せないような少女。
 旅で別れてからも、ちょくちょく彼女に連絡していた。自分が生きている証拠。それが欲しいとだけ,彼女は言った。本当なら,そんなことするつもりはなかった。
 でも、なぜか自分はそれを送りつづけている。
 負けたのかもしれない。あの恐れを知らない,ひたむきで真っ直ぐな瞳に。なぜか、嫌な気はしなかった。

 などとぼんやりともの思いにふけっていると、ふいに頭上に影がさした。
 嫌な予感が背筋を駆けぬける。
 一つ息を吐き,ばっと顔を上げる。
「っあ」
「・・・・・・・・・・」
 ふわふわと、白いドレス姿で浮いている少女をみつけ、あからさまに溜息をついた。ここに来ていることは隠していたはずだが,少し長居をし過ぎたようだ。
 ぺろり,と舌を出した少女が、ゆっくりとゼルガディスの前に降り立つ。
「ばれちゃいましたか」
 裏通りに相応しくない、ひらひらのドレスを翻した少女が悪びれる風も無くにっこりと微笑む。そんな少女に、ゼルガディスは大きく溜息をついた。
「セイルーンのお姫様が、何をやってるんだ」
 呆れまくったその声に,アメリアの頬が小さく膨らむ。
「なにって、ゼルガディスさんを御迎えにきたんです。来てることも教えてくれないような人ですから、どうせこのまま行ってしまうつもりだったんでしょう?」
 図星なだけに反論できない。
 黙りこんでそっぽを向いたゼルガディスに,アメリアはにっこりと微笑んだ。
「さささ、ゼルガディスさん!せっかくですからウチに泊まってって下さいよ!父さんも久しぶりに会いたいって言ってましたし!お話ししたいことも沢山あるんですから!」
「お、おい、アメリア」
 ぐいぐいと自分を引っ張るアメリアに,ゼルガディスは少し抵抗の色を見せる。すると、強引に引っ張っていたアメリアがずいっとゼルガディスを見上げてきた。
「いやですか?」
 大きな瞳をうるうるさせて見上げられたゼルガディスは、ぐぅっと言葉を飲んだ。本当は行きたくない。
 ただでさえ世間一般では後ろ指を挿される存在なのだ。そんな人間には、王宮だのなんだのは、はっきりいって肩身が狭いを通り越して、窒息しそうな気になる。
 それが表情に出ていたのか、じぃっと見つめていたアメリアの目がさらに潤んだ。
「せっかく、久しぶりに会えたのに・・・・・・・・}
 駄目押しだった。
 かつての二つ名などどぶの底に沈めてしまったらしい。あたふたとゼルガディスが慰めにかかる。
「そ、そんなことは言ってない!・・・・・・・・・・分かった。行く」
 しかめっ面で告げられた言葉に,アメリアの顔がぱぁっと輝いた。それこそ、夕立の後の太陽のように。
「じゃ、早速帰りましょう!今日は沢山お話ししましょうね!!」
「・・・・あぁ」
 苦笑いで答えて,ぽんっとアメリアの頭に手を置いた。くすぐったそうにアメリアが微笑み返す。
 ほわ〜っとした空気の中、はっとゼルガディスが気がついた。
 数少ない裏通りの住人達が、呆然と自分達を見つめていることに。それはそうだろう。いきなり上からドレス姿の幼い少女が降ってきたと思ったら、自分達と同じような裏の人間とほわほわ会話しているのだから。
 しかも、少女の顔には見覚えがあるのだろう。しきりに首を傾げている者もいる。
「おい、アメリア」
「はい、ゼルガディスさん」
 少女もその様子を察したらしい。同時に頷くと,声を揃えて呪文を唱えた。
『レイ・ウィング』
 
 二人が空に消えたあと,その場にいた者ほとんどが呆然と空を見上げていた。
「…うちの王女様ってのは、自分の国ながらよくわからんなぁ」
  


 アメリアに見つかってしまったゼルガディスは、彼女に連れられてセイルーンの王城へとやってきていた。
 さすがに王宮に空から入るわけにもいかず、アメリアの顔で正面から入った。あいかわらず胡散臭いものを見るような目を向けられたが、王女の客という事で最低限の礼儀は守られてる。
「ゼルガディスさん,こっちです,こっち」
 広い廊下をパタパタと歩きながら,アメリア直々にゼルガディスを案内している。やがて、一つの扉に辿りついた。
「お泊まりになる間はこの部屋を使ってください。なにか足りない物があったらすぐに用意させますんで,すぐに言ってくださいね」
 にこにこと、上機嫌を隠そうともしないでアメリアが扉を開いた。
 小さなきしみをたてて開いた扉の先には、豪華な客室が広がっていた。ごく一般的な四人家族が暮らせそうな広さと部屋数。調度品も一流のものが揃えられている。
「お、おい,アメリア!"お泊まりの間は"って,俺は明日にでも発ちたいんだが」
 相変わらずの部屋の豪勢さにやや引きながら、アメリアに顔を向ける。告げられた言葉の内容に,アメリアの上機嫌顔が一変し、瞳を潤ませ始めた。
「え〜〜。そんなこと言わずに,一週間くらい居て下さいよぉ」
「し、しかしな」
 アメリアに甘いと、他人が見ていてもはっきり分かるゼルガディス。幸か不幸か彼自身は、単に押しに負けていると思っているが。
「おいしいご飯も用意してますし・・・」
「リナ達じゃあるまいし・・・」
「王家専用の古書類も検索してもかいまいませんし・・・」
「ぐ・・・・・」
「それに、また新しく古文書が手に入ったんです」
「・・・・・・わかった。しばらく居る」
「ほんとですか?!」
 物で釣ることに成功したアメリアが、ぱぁっと顔を輝かせた。嬉しそうに両手を打ち合わせると,くるりと身を翻した。
「すぐに父さんに言ってきますね!」
「あ、おい、アメリア!あんまり急ぐと・・・・・・」
「きゃん!」
「・・・・・・・・・転んだな」
 長いドレスの裾を踏んづけて、見事にひっくり返ったアメリア。やれやれと溜息をつくと,ゼルガディスがひょいっとそれを抱き上げた。少女の軽い身体が、ゼルガディスの腕一本に支えられる。ぶひゅっと、アメリアの顔に朱が上った。
「す、すいません!ありがとうございます」
「あまり急ぐな。見てる方が心臓に悪い」
 真っ赤になって謝るアメリアに,ゼルガディスが苦笑をひらめかせた。そっと彼女の身体を解放する。パタパタと服を慌てて払うと,ぺこりと頭を下げて再び身を翻した。
 飛び跳ねるようなその後ろ姿を見送って、ゼルガディスはどさっとソファに身を預けた。微笑が浮かぶ顔を片手で覆う。
「やれやれ。・・・・・・・・・まぁ、たまにはいいか」
 どうせあの親子にかかってしまえば、そうやすやすと出立はできないだろう。なら、少しは羽を伸ばすのも良い機会だろう。
「・・・・・たまには、な」
 呟いて,目を閉じた。
 どうせ夕食までは時間がある。それまで少し眠ることにしよう。ホンの少しの休息の時間。


 −−それが、あんなに長く続くとは思っていなかった。


 街中でアメリアに見つけられて早1週間。強引な親子の強引な引き止めにより、ゼルガディスは予定よりも長く王宮に留まっていた。しかし、それもそろそろ限界だった。
 ゆっくりすればするほど、心の中で何かが急かし、駆りたてる。
 彼女の側に居ればいるほど、焦りが生まれる。それを自覚しているのかいないのか、ゼルガディスは溜息が多くなっていた。
 アメリアも、それには気付いていた。
 だから、彼がそろそろ暇を請いたいと言った時、強く引き止めることはなかった。いつもどおリの元気一杯の笑顔で、それを承諾した。
「それじゃあ、明日の朝に発たれるんですね?今度来るときは、お土産くらいもって来てくださいよ」
「ああ、拉致される前に買っとくよ」
 お互いに軽口を叩きながら、その夜は別れた。心の内にある想いなぞ、欠片も見せずに二人は笑い合う.それが、お互いに負担をかけない最良の方法だと信じているから。
 そして、それが、いつまで続くのかという不安を押し込めたまま。
 
 部屋に帰ったゼルガディスは、自分の身の回りのものを無表情にまとめ始めた.とは言っても、元々荷物の少ない身なので、あっという間にそれは済んでしまう。そうして、手持ち無沙汰になってしまう。
 きぃっと、小さな音を立ててテラスへの扉を開いた。下にある内庭に、春の花の蕾が見える。明日の朝には満開に花開いていることだろう。
(このまま、黙って行ってしまうか)
 ぼんやりとそんなことを考え、苦笑を刻んだ顔を軽く振った。
 そんなことをすれば、あの王女は泣くだろう。いや、別れを言う為と称して自分を追いかけてきかねない。とにかく、普通の王女様と思ってていると、度肝を抜かれること間違いはない。
 何度か一緒に旅をしてきた今でさえも、驚く事が多いのだから。
 小さく笑みをこぼして、ゼルガディスはくるりと身体を回した。背中を手摺に預け、空を見上げる.濃紺の空にガラスを撒いたように星が光っている。明るい夜空だった。
「明日は晴れるな」
 青空の下の、彼女の笑顔を思い出してゼルガディスはもう一度笑みをこぼした。
「土産、何がいいか聞いておくかな」
 それは,再会の約束の印.

・ ・・・・・・・そうなるはずだった。


 同じ頃、アメリアも空を眺めていた。
 テラスから屋根へと魔術を使って昇り、一番高い塔の上に座り込んでいる。星空の光を受けて白い肌が、青白く見えた。それはあたかも、生気のない死人のような顔色にも見せる。
 白い夜着に上着を羽織り、それに顔をうずめる様にして空を見上げていた。
 明日にはゼルガディスは旅立ってしまう。ずっと、ここ数日彼が苛立っていたのは分かっていたから、彼が『行きたい』と言った時、なにも言わなかった。
 自分のわがままに答えてくれていたことは、痛いほどよく分かっていたから。
 いつもいつも、彼は自分のわがままを笑って許してくれる。それがただの友情なのか、それとも単に彼が押しに弱いだけなのか(一番可能性が高そうだが)。
 どちらにしても、結局はそれだけの事なのだ。
 だから、ずっとここにいて欲しいと思う自分の気持ちも、わがままに過ぎない。この小さな国に、彼の思いをつなぎとめておく事はできない。
『人の体に戻る事』
 それはきっと、彼の"存在意義"。
 自分と出会う前から確立していた、彼の"アイデンティティ"
 もし自分が『王女』でなかったら。意味のない仮定を繰り返し、その度に心が重く沈んでいく。
 たとえどんなに望んでも、この身に染み込んだ祖国への愛は消えない。義務感は根強く、既にそれは自分自身の"存在意義"なのかもしれない。
 肌寒くなってきた夜の空気を感じ、アメリアは羽織っていた上着をかき寄せた。
 そろそろ眠らないと、明日ゼルガディスを見送る時刻に起きられないかもしれない。
 アメリアはゆっくりと腰をあげた。
 その瞬間、

 ふら

 目の前が一瞬真っ暗になる。
 立っていられなくなって、アメリアはその場に座り込んだ。
「………また?」
 そう。最近、体の調子がおかしい事に彼女は気づいていた。ずっと体がだるく、微熱が続いている。ただ大した熱ではないから、誰にも言ってない。
 けれど、最近はよく目の前が真っ暗になる。おそらく、これが噂に聞く貧血というものなのだろう。しばらくすれば落ち着くが、まるで自分が弱くなってしまったかのようで悔しかった。
 それに、自分の具合が悪いと知れれば、政務に支障をきたす。
 ぎゅっと唇をかみ締めて、アメリアはゆっくりと体を起こした。
 とにかく、今日はしっかり休まなければ、と考える。もし彼の前で、今と同じように倒れてしまったら。
 鋭い彼には、きっと隠し切れない。
 肩から落ちかけた上着を掻きあわせると、アメリアは今度はゆっくりと起きあがった。

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