あなたのいない世界で

2

 翌日
 空は雲一つない快晴だった.透き通るような青空の下、アメリアとゼルガディスは向かい合っていた.色とりどりの花が咲き乱れる中、二人だけで立っている。
 フィリオネルは執務があるとかで、この場には来ていない.あるいは、娘の気持ちに気を利かせたのかもしれない。
 セイルーンの内庭には、今彼と彼女二人だけだった.
「ホンとは、街の方まで送りたいんですけど・・・・・・・・・・」
 アメリアが申し訳なさそうに俯いた.この後に、どうしても外せない会議が入っているらしい。どうせ、二人の姿をあまり人の目にいれたくない、セイルーンの重臣の誰かの差し金だろうが.
 ゼルガディスにとっては有り難かった.彼女の姿は、城下ではかなり目立つ.となると,一緒に歩く彼の姿も必然的に人の目を引いてしまうだろう.
「ここで十分だ。お姫様がそうそう外に出るもんじゃない」
「お姫様はやめてください」
 ぷぅっと、アメリアが頬を膨らませた.アメリアは「お姫様」と言われる事をひどく嫌う.ゼルガディスが笑いながら、膨らんだ頬を指で突ついた。
「すまんすまん。で、土産は何がいい?」
 何気なく切り出されたゼルガディスの言葉に、アメリアが大きく目を見開いた.そして、それの意味を悟った瞬間、花のように顔を綻ばせた。
「なんでもいいです!ゼルガディスさんが持って来てくださるのなら、なんでも!!」
 嬉しそうなアメリアの言葉に,ゼルガディスはわざと困ったような顔を作った。
「なんでも・・・・・は、一番困るな」
「じゃ、めいっぱい困って下さい.私,待ってますから」
 くすくす笑うアメリアに、ゼルがディスは苦笑を返した。ぽんぽんと、アメリアの頭を軽く叩く.
「りょーかい。またな・・・・・」
「はい、また・・・・・・・・」
 会いましょう、と、アメリアが言いかけた時、その小さな体が小さく揺れた。
「アメリア?」
 心配そうなゼルガディスの声に、アメリアはぐっと足を止めた。
 (ここで倒れるわけにはいかない。ゼルガディスさんの前じゃ、倒れられない。また、私が…止めてしまう)
 顔を顰めていたアメリアが慌てて笑顔をつくる。
「あ、なんでもないです。最近ちょくちょくあるんです.でも、すぐに治ります、から」
 言っている内に、どんどん顔色が悪くなっていく。無理に作った笑顔が崩れて、その額に小さな汗の玉が浮かんでいく。
「アメリア?馬鹿な!なんでもないわけが・・・・・・・・!!」
「だい、じょうぶ、・・・・・・」
 言いかけた唇が震えて、ふらりとその体が揺れた。慌ててゼルガディスがそれを支える彼の胸に倒れこんだ瞬間,アメリアは意識を手放した。
 その額に手を当てると、その熱さに思わず息を飲む.

 むせ返るような花の芳香の中、ゼルガディスはアメリアを抱き上げた.
 

 
 アメリアが倒れた事をしるや、セイルーンは半狂乱的パニックに襲われた。それはそうだろう。今まで病気はおろか、怪我さえ滅多にしなかった元気印の少女が倒れたのだ。すぐさま高位の神官達が駆けつけ、アメリアを診はじめた。
 倒れたアメリアを連れて駆けこんで来たゼルガディスは、そのまま手近にあった椅子に座りこんでいた。そして、彼女が診察を受けているはずの神殿の一室を睨みつづけていた。どの位の時が流れているのか,すでに知覚していない。
 ただ、手の中に残った彼女の重みを確かめるかのように拳を握り占めている。一週間前と比べて、わずかに軽くなっていたような気がして。それに気づかなかった自分に腹が立って。
 どれくらいの時が過ぎたころか、自分が来た方とは逆方向から獣のような叫び声がこだましてきた。
「アぁぁメぇぇリぃアぁぁああああああ!!!」
 地響きが起きそうなほどの勢いで駆けつけてくるそれは、追いすがる重臣を振り切るように扉の前に駆けてきた。扉の前に座りこんでいるゼルガディスにも気付かないまま、がんがんと扉を殴りつける。
「アメリア!アメリア!!」
「殿下、どうか落ちついて。落ちついてくださいませ」
 近くで宥める人の声を無視して、さらにフィリオネルが声を荒げる。溺愛している娘が倒れたのだ。いつもとは打って変わって、人の声が聞こえなくなっている。
「アメリア!!入るぞ!!」
 有無を言わさず扉を開けようとした瞬間、それは向こうから開かれた。沈痛な面持ちをした神官長が、その表情だけでその場の空気を止めた。
 誰もが呼吸さえ忘れて立ち尽くしたその時、一人ずっと黙っていたゼルガディスが立ち上がった。
「・・・・・・・・・アメリアは?」
 押し出すようなその声に、全員の視線が神官長に注がれた。その視線を受け止めて、彼は大きく息をついた。
「殿下・・・・・・・・。こちらへおいで下さいませ」
 神官長が、フィリオネルにだけ声をかけた。他のものは付いてくるな、という事らしい。フィリオネルが軽く頷いて部屋に踏みこみかけ、気が付いたように後ろを振り返った。
「ゼルガディス殿も来てくださらぬか?」
 ざわり、と空気が揺れた。
 部外者の、しかも何者か分からぬ男を王女の側に入れる事への不満。
 が、それを無視してゼルガディスはさっさとフィリオネルと後に続いた。周囲の空気を気にかけるほど、彼もまた心に余裕はなかったのだ。
 不満を隠そうともしない人々の視線の先で、神殿の扉は閉じられた。


 二人が通されたのは、小さなつくりの書斎だった。当然、そこにはアメリアの姿はない。あからさまに顔を顰める二人に、神官長は椅子を勧め、自分もそこにある椅子に腰かけた。
 重い沈黙が、その場に下りる。
 それを破ったのは、またしても部外者たるゼルガディスだった。
「・・・・・・・・なにがあった?」
 冷静とも取れるその言葉に、神官は重々しく口を開いた。
「・・・・・申し訳ありません」
 深く、フィリオネルに向かって頭を下げた。ぴくり、と二人の体が緊張する。カタカタと小刻みに震える自分の体を抑えつけ、フィリオネルが声を絞りだす。
「どういうことじゃ?」
 促され、神官がぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「・・・・・アメリア様は、・・・・・病魔に、冒されております。・・・・いつからか、断定は出来ませんが・・・・・・」
 そこまで言って。言葉を詰まらせたように俯いた。まるで、じわじわと空気を抜かれているような錯覚が、その部屋を支配した。誰も言葉を発せないまま、数十秒の時が流れて行く。
「・・・・・・治る、のか?」
 ホンの小さなフィリオネルの呟きは、いやに大きくその場に響いた。神官が、ゆっくりと、だがはっきりと首を振った。・・・・・・・・横に。
 部屋から、音というものが消え去った。 

 何回も確認した。
 抑える神官達を薙ぎ払って、検査した結果をかたっぱしから調べ直した。
 血液。体温。脈拍。あらゆるものを。
 憎んでいた奴から叩き込まれた医の知識が、否応なく答えを叩き出す。
 何度読み返しても。
 何回調べ直しても。
 違う答えは見つからない。
 彼女は病魔に冒されている。
 決して治らない病に。
 そしてそれは、すでに別の場所にも広がっていた・・・・・。


 神官長が重苦しい宣告を彼ら二人に告げたあと、ゼルガディスは彼女に会っていない。調べ直したデータも、検体は他人にとらせた。会ってどんな顔をすればいいのか分からない。いや、どんな顔をしてしまうか分からなかった。
 しかし、もう一人は即座に彼女に会いにいった。倒れた娘を気遣って会わねば、他国の者達が彼等の不仲を疑うかもしれない。
 国のトップに立つ者のさだめ。
 悲しいかな、彼らは親子である前に、大国の中央に位置する者達なのだ。部屋の中でどんな会話が行われたのか、ゼルガディスは知らない。けれど、部屋から出て来た時のフィリオネルの顔は忘れられない。
 憔悴し、覇気を出し尽くしてしまったような空ろな表情。いつもの彼からは信じられないほど、その姿は小さく見えた。
 恐らくは、娘の前で無理に笑っていたのだろう。彼女に病気を悟られないように。
 それから、すでに3日が過ぎた。
 フィリオネルは、職務の合間を見ては彼女に会いにいき、そして憔悴して出てきた。どうも彼女が、そろそろ職に戻りたい、と言いはじめているらしい。
 はっきりいって、彼女の体を考えれば無理な話だ。安静にしていれば、まだ"もつ"のだから。しかし、その理由を知らない彼女は、無理にでも元の立場に戻ろうとするだろう。
 けれど、誰も彼女にその事を告げられない。この国の人間達は彼女を愛しすぎている。だからこそ、残酷なその言葉を口にできないのだ。
「あなたは、不治の病に冒されているのだ」
 と。
 そして、彼等はそれを他人に押し付けようと考えた。旅の途中で転がりこんできた、傭兵風の男に。彼女が、『仲間』と誇らしげに言う、胡散臭そうな旅の男に。
 自分勝手ななすりつけ。自分がいやだから、他人にさせる。
 しかし、それは当然の事かもしれない。誰が、愛しく思う人に死を宣告できよう。まして、彼らは幼いころからの彼女を見ていたのだ。
 ただひとつ、彼らは男の気持ちを考えはしなかった。あるいは、無意識に考えを閉ざしてたのかもしれない。


 神殿を統率する立場にいる者達が彼に懇願に訪れた。つまりは、彼女の事を知っているごく一部の者たちだ。
 最初、ゼルガディスはその全てを扉の前で追い返した。彼自身、アメリアにそんな事を伝えられるはずはないのだ。
 大切な、大切な少女。
 それを、この者達は傷つけろと言う。
 憤慨して、怒鳴りつけて、しつこい若者達は魔法で吹き飛ばして。
 ゼルガディスは一人、部屋にこもった。
 酒気に逃げようとしても、その味はどれも苦く、とても飲める気がしなかった。彼女を癒す方法を求めて、セイルーンの門外不出の本まで読み漁った。けれど、なにも見つからなかった。


 7日目の朝、また彼に来客が来た。追い返そうと扉を開けた彼の前には、最期に見た時よりさらに憔悴したフィリオネルの姿があった。
「フィルさん・・・・・・」
「少し、いいかの。ゼルガディス殿」
 常からは考えられないような低い声で、フィリオネルはゼルガディスをうかがった。軽く頷いて、ゼルガディスが扉を開く。
 肩を落としたフィリオネルが滑り込むと同時に、彼は扉をしめた。風の呪文を唱え、外に音が漏れないように結界をしく。
 そうしたところで、フィリオネルに椅子を勧め、彼もその正面に腰を下ろした。
 沈黙が、残酷な苦しさをはらんでその場を支配した。
 そうしている間、ゼルガディスは外面に出さないでフィリオネルの姿に驚愕していた。体からは何の覇気もなく、うつろにさえ思える瞳にはかつての強い光は見て取れない。以前は山のように見えた体も、今では砂場に子供が作った小さな砂山のようだ。愛している娘の死の宣告に、彼自身が死んでしまったようだった。
 やがて、フィリオネルが小さく口を開いた。
「・・・・・・・・あの娘は、自分の体の事を知らん」
 絞り出すような声に、ゼルガディスは軽く頷いた。それを皮きりのように、フィリオネルの口からだくだくと言葉が溢れ出す。
「まだ16!たったの16なのに!!普通の娘らしい楽しみも知らず、わしの補佐として王宮に閉じ込められ、外に出れば命を狙われる事もあった!それでも正義に憧れ、世界を愛し、自由な心を持って育ってきたのに!それなのに、今度はその命が病気で失われるなど!」
 ことん、と小さな音がして、フィリオネルの前に琥珀色の液体の入ったグラスが置かれた。ゼルガディスが目の前で、もう一つのグラスを持っている。フィリオネルは小さく感謝の言葉をもらして、それを一気に煽った。すぐにからになったグラスに、次が満たされる。
「・・・儂は、あの娘になにもしてやる事が出来ん」
 苦渋に満ちた声。ゼルガディスは頷きも否定もせずに、グラスに口をつけた。苦味に満ちた熱さが、咽を転がり落ちる。
 目の前で項垂れているフィリオネルに、彼はかけるべき言葉を見つけられなかった。
 彼自身、彼女から逃げていたのだから。なにもできないと項垂れるフィリオネルに比べて、ゼルガディスはまだ何もしていない。会いに行ってもいないのだ。
 そんな自分に、フィリオネルにかけられる言葉があるだろうか。
 ゼルガディスは、強めの酒を半ば流し込むように自分に飲み干した。
 フィリオネルの言葉が続く。
「・・・・・こんな事を頼むのは筋違いじゃとわかっておる。御主の気持ちも聞かずに、こんな事を頼むわしを許してくれとは言わん。しかし、そこを押してどうか頼む。・・・・・・御主は医にも通じ、あの娘と生死を分け合う旅をした仲だと聞いた。御主が傍にいれば、あの娘も心安らごう。これはセイルーンの王太子としての願いではない。自分の娘に、なに一つしてやれぬ愚かな親の願いだ。どうか、アメリアの傍にいてやってくれ」
 セイルーンの事実上の為政者が深く頭を下げた。どこの誰とも知らぬ旅の傭兵風情に。しかも、世間一般で忌み嫌われている合成獣の指名手配の男に。
 ゼルガディスは、空になったグラスを机に静かに置いた。ことり、という音がしても、フィリオネルは頭を下げつづけていた。
 その強さが、彼の中で何かを固めた。
 一度、強く瞼を閉じる。
 少女の笑顔が鮮明に浮かんだ。いつも正面から自分に向かってきた、大切な少女。
 「愛しい」と思う自分の想いに気付いたのは,この瞬間だったのかもしれない。いや、受け入れられただけだろう。
 自分は、臆病なのだから。
「俺にも、何も出来ないかもしれない。それでも、あいつの傍に居たいと思う。許可をいただけるか?フィルさん」
 ゼルガディスの言葉に、フィリオネルは無言で頭を下げた。


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