あなたのいない世界で

10

『ラ・ティルト!!』
 こぉぉお!!!
 いきなり青い光が床から突き上げた。
 アメリアの視界を、光が一杯に埋め尽くす。
 いきなりの事態にアメリアの思考が追いつかない。が、それを無視して目の前が戦場になっていく。
『アストラル・ヴァイン!』
 ぶん
 鈍い音を立て、ゼルガディスの放った刃が紅い軌跡を描く。だが、その切っ先はなにも触れる事はなかった。
「いきなりですねぇ」
 苦笑いを含んだゼロスの声が、上から聞こえる。はっと振り仰ぐと、そこにはいつもの杖を振りかぶった黒尽くめの姿がある。
「っくぅ!!」
 ゼルガディスが慌てて腕を交差させるのと同時に、それが振り下ろされる。
 だが、予想された衝撃はなかった。ただその杖が触れた瞬間、ゼルガディスの手から乾いた音を立てて剣が落ちた。
「…………?ゼルガディスさん?」
 いきなりの反応に、やっと落ちついたアメリアが声をかける。だが、ゼルガディスは全く反応しない。
 アメリアの目の前で、いきなりその体が浮かびあがった。
 入れ替わりのように、ゼロスがふわりと床に降り立つ。
「まったく。相変わらず諦めの悪い人ですねぇ」
 床に下りたゼロスが、ゆっくりと二人の視界に入る。そしてちょうど、二人の間でとまった。
 まるでゼルガディスなど見えないかのように、アメリアに向き直る。
「やれやれ。それにしてもアメリアさんは、好奇心旺盛なのは相変わらずですねぇ。"好奇心は猫をも殺す"って格言が確かありましたよね」
 苦笑を閃かせた魔族の言葉に、アメリアは眉をひそめた。それではまるで、知ってしまう事で嫌な事が引き起こるようだ。
 だが今は、それ以上に気にかかる事があった。
「ゼルガディスさんに何をしたんですか!!」
「別に、これ以上の危害は加えませんよ。僕としてもつまらないですから」
「?どういう事ですか?」
 ゼロスを警戒しながら、ゆっくりとゼルガディスの横に移動する。そっと、浮いているゼルガディスの顔を見上げた。
 その瞳は軽く閉じられ、何の反応もみられない。ゆっくりと胸が上下しているので、ただ眠っているだけと分かった。
 それにほっと息をつきながら、視線を元に戻す。まったく表情を変えていない、ゼロスの姿に顔を顰めた。
「ゼルガディスさんをどうするつもりです?」
 静かな突き詰めるようなアメリアの言葉に、ゼロスは軽く肩をすくめた。
「何度も言いますけど、別にどうこうするつもりはありません。今のところはね。それより・……、知りたいですか?5年前、どうしてあなたが記憶を失ったのか?」
 ゼロスの囁くような問いかけに、アメリアは肌が粟立つのを感じた。声や調子がおかしかったのではない。いうならば、巫女の直感だ。
 それに頷いてはならないという。
 けれど、聞きたいという想いは止められない。
 直感と理性とに挟まれるアメリアを見つめ、ゼロスは細い目をさらに細めた。
 すっと手に持った杖を横に滑らせる。それにあわせて、宙吊りだったゼルガディスの体がゆっくりと寝台の上に降ろされた。
「ゼルガディスさん!」
 自分の葛藤を一時投げ出し、アメリアはゼルガディスに駆け寄った。二人の姿を見ながら、ゼロスは意地悪く笑みを浮かべた。
「全部、ゼルガディスさんならご存知ですよ。………もっとも、人は誰しも知らない方が幸せと言う事もあるでしょう」
 それだけ言い捨てると、すぅっと闇に溶けていく。
 もう一度ゼロスに視線を戻し、アメリアは息を吸い込んだ。
「どういうことですか?!」
 向けられた真っ直ぐな視線に、ゼロスは意地悪そうに微笑み返す。
「知ってどうなります?あなたはこのまま、大国の王女として幸せな一生を過ごす。それでいいじゃありませんか?」
 ゼロスの言葉に、アメリアはそっと半眼を伏せた。返事を待たずに、ゼロスの姿が完全に消えてしまう。
 重苦しい沈黙が部屋に舞い降りた。
 アメリアは、自分の指を白くなるほど握り締める。


 静かに眠るゼルガディスを見下ろしながら、アメリアは固く目を閉じた。
 確かに、自分は有数の大国セイルーンの第二王女。これから先の人生は全て保証されているも同然かも知れない。
 しかし、5年前までがないのは不安でしょうがない。
 どうやって自分は生きてきたのか?
 何を目指していたのか?
 今までの全てがない。そしてそれは、将来のヴィジョンを想像するのを妨げる。
 生きてきた地盤がないものだから、自分に自信が持てないのだ。
 欲しかった。
 "自分が生きている理由"が。
 だから、どうして今生きているのか知りたいと思う。
 誰を、どう思っていたのか。
 どう、思われていたのか。
 今の自分を手に入れるために。
 アメリアはそっと立ち上がると、優しくゼルガディスの頬に手を添えた。
「………私は、何を望んでいましたか?」
 静寂だけが、アメリアに返った。


 
 アメリアが出ていってしまって数時間。
 ゼルガディスはゆっくりと瞼を上げた。
「―――――――――くそ」
 容易くゼロスに手玉にとられた自分に嫌気がさす。右手を持ち上げ、自分の首筋を押さえた。
 5年前に刻まれた、契約の刻印。
 これがある限り、彼の位置はゼロスにすぐわかり、ある程度の制限を許してしまう。
「――――アメリアになにか言ったのか。ゼロス?」
 ゼルガディスの声に、ゆらりと扉付近の空気が揺れた。瞬きする間に、黒尽くめのゼロスが現われる。
 なにも言わずに、ゼルガディスは上半身を起こした。薄笑いを浮かべたままのゼロスを、半眼で睨みつける。
「そう睨まないで下さいよ。僕は別に、大した事はなにも言ってませんから」
「……それで?何を言ったんだ?」
 ゼロスの言葉を無視して、ゼルガディスの目が細くなる。ゼロスは嘘は言わないが、本当のところを言わないだけだと知っているからだ。
「ゼルガディスさんならご存知ですよ、と言っただけです」
 さらりと言われた言葉に、目を見開く。
「なんだと?」
「ああ、明日からアメリアさんに質問攻めにされるかもしれませんねぇ。言い訳、考えておいた方が良いんじゃないですか?」
「ふざけるな!そんな事に付き合えるか!―――ここを出る!」
「そうはいっても、僕が結界をとかない限りこの国から出られませんよ?」
「なら、すぐに解け!」
「分かってませんねぇ」
 激昂しかけのゼルガディスに向かって、ゼロスは物分りの悪い子供を見る目で首を振った。
「僕は、あなたから、アメリアさんに話してもらいたいんですよ。本当の事を」
「――――!!!」
 ゼルガディスは無言のまま、手近にあった花瓶をゼロスに投げつけた。しかし、水も花もそのままに、それは空中で止まってしまう。
「もちろん、これは僕の希望ですからね。絶対にそうしろ、とは言いません。それは5年前に契約したでしょう?」
 ことん、と小さく音を立て、花瓶が元あった位置に戻される。
「とりあえず、これは僕からあなたへのプレゼントですよ」
「プレゼントだと?」
「ええ。しばらくはセイルーンでゆっくりしてください。この5年、休む暇もなかったでしょう?」
「誰のせいだ、誰の」
 ゼルガディスの冷たい声を無視し、ゼロスはにこやかに言い切った。
「だから、これは休暇って事で。もちろん、僕も姿をみせませんから。じゃ、そういうことで」
「あ、おい!」
 言いたい事だけ言うと、ゼロスはそのまま姿を隠した。
 怒りをぶつける相手が消えてしまい、残されたゼルガディスは1人唇を噛んだ。
「何が休暇だ。ふざけやがって」
 明日からの生活を思い、彼は大きく息をついた。


 白い簡素なドレスがひらひらと揺れている。
 その日から、城内を必死で探し人を求めて駆け回るアメリアの姿が、城中の人間に目撃されていた。
 息を切らせて一生懸命走る姿は、5年前のアメリアを彷彿とさせて人々の笑顔を誘っていた。しかし、走っている当人は真剣そのものだった。
 あらゆる場所で、見かけた人に、探し人を見なかったか尋ねる。
「全身白尽くめの怪しい人、見ませんでしたか?」
 探し方は変わらないらしい・・・…。
 しかし、毎日が掴まらない日々が続いた。
 
 そんなこんなですでに一週間。
 無駄にだだっ広い(とアメリアは思っている)城の中。たった一人の人間を探し出そうとするにしても、みつからないにもほどがある。
 セイルーン王家の広大な庭の片隅。
 巨大な広葉樹の森の広がるそこで、アメリアは乱れていた息を整えた。ひときわ大きな木の幹に手を掛け、何度も深呼吸を繰り返す。
 既に日は西に傾き、やわらかなオレンジの光が緑の中に煌いている。
「……さけられてるのかなぁ」
 呟いて、その場に腰を下ろした。柔かな緑の芝生が、ふんわりとした芳香を漂わせる。
「…………ふぅ」
 なんだか体中から力が抜けて、アメリアは小さく息を吐いた。疲れに、ふっと天を見上げる。
 視界の隅になにか揺れた。
 白い、何かが木の葉の間にひらひらしている。
「ん?」
 良く良く目を凝らすと、木の枝から細いものが数本突き出ている。
「まさか…」
 とか思いつつ、呪文を唱えるアメリア。ふわりと風のフィールドが体を包み、ゆっくりと舞い上がる。そっと木の枝を潜り抜けると、目の前に人の体が現われた。
 太い幹の上で、微妙なバランスを取ったまま器用に眠り込んでいる。
「…………いた」
 必死で探していた人物が、こんな場所で見つかりアメリアはがっくりと肩の力を抜いた。ゆっくりと同じ幹の上に舞い降りる。
 早速起こそうと肩に手を掛けたが、眠っているゼルガディスの顔を見て思わず手を止める。どこか憔悴したように見える、その寝顔。
 頭元に腰を下ろし、そっとその髪に触れる。金属でできた細い糸。石でできた肌は、血の色を透かさず青いまま。
 静かに手を戻し、アメリアはそのままぼんやりとゼルガディスを見つめた。
 じっとその顔を見ていると、不思議と穏やかな気持ちになれる。いつもは険しさしか浮かんでいないその顔に、今は優しささえうかがえる。
 向かい合うといつも睨み付けてくる瞳は、今は見えない。だからかもしれない。恐れもなにもなく、その髪に触れたいと思ったのは。
 深く眠り込んでいる彼を起こさないように、そっと手を伸ばす。
 しゃら
 金属でできた髪は、想像していたよりも遥かに繊細な手触りで、アメリアは知らずため息をついた。その瞬間、
「……ん」
 ゼルガディスがわずかに身じろぎした。固く閉じられていた瞳が、薄く明けられる。
 いきなりの事に、驚いたアメリアが髪に触れたまま固まる。探しに探した人物だが、寝顔をじっと見ていたなど恥ずかしくて頭が真っ白になる。
 アメリアはばっと身を翻すと、そのまま空に体を躍らせる。
 着地の瞬間衝撃を和らげ、慌てて上を見上げる。視線の先で、ゼルガディスがゆっくりと体を起こすのが見えた。
「か、隠れなきゃ!」
 冷静に考えれば、隠れる必要などない。しかし、アメリアはその時妙に焦っていた。そう、奇妙なほどに。
「えーと…。寝たふり!!」
 ぽふっと、芝生の上に丸くなると、固く目を閉じた。ばくばくする心臓を隠すかのように、胸の上で手を握る。
(どーかばれませんよーに。でも、今度こそちゃんとお話できますよ−に)
 祈る言葉は、支離滅裂だった。


 ふわり、と側に誰かが降りてくる気配がした。かさり、と芝生を踏む音に、アメリアは僅かに身を固くする。だが、なんとか、自然に見えるようにゆっくりと息をする。
 しばらく動かなかったその気配が、ゆっくりと自分に向かってくる。
 自分の真横でその音が止まった時、アメリアは思わず息を止めてしまっていた。
「……ここで寝ると、風邪を引くぞ」
 囁くような声が聞こえ、肩が優しく揺すられる。
「う、うん」
 あるいは、起きるチャンスだったかもしれない。けれど、心と体はそれを拒否した。真っ赤になった顔を隠すように、もぞもぞと丸くなる。
「…おい」
 呆れたような声が聞こえたが、それでも起きあがる事はできなかった。
「ふぅ」
 溜め息が、耳元で聞こえた。どきんと高鳴る心臓。それと同時に、自分の体が浮かびあがる。
(え?えー?)
 ゼルガディスが、自分を横抱きにそっと抱え上げたのだ。
 そっと、薄く目をあけて見る。飛び込んできたのは、至近距離のゼルガディスの顔。今まで見た事もない、優しい目をしてアメリアを見下ろしている。
 その向こうに広がるのは、"青い"空。
(青?)
 今は夕方の筈。そして空は、茜色に輝いていたはず。
 それなのに、ゼルガディスの向こうに見えるのは、どこまでも突き抜けて行きそうな蒼天。
 涙が、溢れた。


 アメリアの頬を伝う涙に気付き、ゼルガディスは僅かに顔を顰めた。
「辛い夢でも見ているのか」
 肩を抱いていた手を伸ばし、そっとその頬を拭う。微かに脳裏に浮かぶ、5年前の情景。
『・・・・・また外に連れてってくださいね、ゼルガディスさん』
 あの最後の時に二人で見上げた青い空。
 もう二度と帰れない、あの時。
「………青い空を、もう一度……か」
 自嘲気味に呟いて、ゼルガディスは歩きだした。
 東の空は既に藍色に染まり、西は紅に染まっていた。





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