1.ハンセン病(らい病)とは
らい菌による慢性感染病。らい菌は1873年(明治6年)ノルウェーのハンセンによって発見された。結核菌に類似。らい菌は身体の低温部の末梢神経で徐々に繁殖する。らい菌は非常に感染力の弱い菌で、感染しても免疫があるため発病することはほとんどない。
らい病の病状は人目に付きやすい顔面や手足や皮膚を侵すため、患者の姿が醜悪になるため恐れられた。
2.「ハンセン病」史
(1)エジブト病とも呼ばれ古くは「聖書」にも記述されており、日本では「日本書紀」 にも登場している。
昔は遺伝する病気と思われていたため、家に「らい病」の者が出ると村八分の対象とな った。そのため患者を人目に付きにくい家の片隅に隠した。しかし、隠し通せなくなる と患者は家から出て「乞食生活」をした(手足が不自由なうえ顔面に障害があるため)。
1873年(明治6年)ハンセンが「らい菌」を発見
1907年(明治40年)「らい予防ニ関スル件」が公布(旧「らい予防法」)
全国に療養所設立。浮浪らい患者を収容。この目的は「予防」よりも、外国人の目に触れては「日本の恥」という意識より
1916年(大正5年)の法律改正で懲戒検束規定加わる
1931年、(昭和6年)「らい予防法」成立。満州事変以後、日本の軍国主義化が進められ、優秀な戦士を戦場に送るため「祖国浄化」の大義名分のもと、強制収容した。
1941年(昭和16年)アメリカでプロミンが開発される。「らい菌」に絶大な効果がある
1946年(昭和21年)日本でも合成される。日本のらい病患者は無菌状態になり、不治の病から治癒された。
1948年(昭和23年)「優生保護法」(優生上の見地から遺伝病を防ぐ目的の法律)患者の優生手術、人工中絶が認められる規定
1953年(昭和28年)新「らい予防法」 以前の強制収容政策を受け継ぐ
この法律に対して「全患協」は抗議集会・ハンストなどの激しい抗議運動を展開した。
1956年(昭和31年)ローマ会議「らい患者の救済と社会復帰のための国際会議」51カ国参加で日本の政策は非難される。それ以後は「空洞化」される。しかし、法律は残る。
1996年(平成8年)「らい予防法」廃止。「優生保護法」も改正
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現在日本には13カ所の国立療養所があり、入園者は約5500人。平均年齢72歳
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