魂の島
マザー・テレサが「愛の反対語は無関心」と言ったということを聞いたことがあるが、私たちは自分に直接関係のないことは知ろうとしないし、関わろうとしないことが多いように思える。私自身、「らい予防法」が廃止になるまでほとんどの知識も関心もなかった。関わりを持ち取材を進めるうちに、差別者であった今までの自分が変わっていくのが分かる。知らないことは偏見と差別を生む。しかし、知識を持てば全て解決する問題ではない。半世紀以上差別され続けた人たちがどのように考え、どのように闘い、どのように生活したか。彼らの立場に立ってみてはじめて少し理解できることである。
取材を進めていくにつれ、政府の行った対応(知ろうとしなかった自分)に腹が立ち怒りを覚える。ハンセン病は完全に治癒する病気であるにもかかわらず隔離され続けた。今、入園者の平均年齢が71歳になり「らい予防法」が廃止になったが、あまりにも遅すぎた。1941年にアメリカで薬ができ、日本でも1948年頃には投与され、ほとんどの人が完治した。なのになぜもっと早く「らい予防法」を廃止にできなかったのか。せめて40年前には廃止すべきであった。1956年のローマ会議「らい患者の救済と社会復帰のための国際会議」(51カ国参加)で日本は非難され、それ以後は法律は「空洞化」されるが法律は残った。なぜか?
おそらく後20年たつとほとんどの入園患者は死亡し、施設等もなくなると思われる。ここでも日本人的な「全てを水に流す」。時間が経てば忘却し解決するだろう的な方法を取っているように思える。一生を隔離され続け、偏見と差別を受け続けた人たちの人生を思うと切なくやりきれない思いがする。彼らが何をしたのか。ただ病気に感染しただけであり、そのため治癒しても後遺症に悩まされている。しかも年老いてしまっている。若かった頃は自分の人生を、周りを恨み悶々としたであろう人たちの気持ちもが痛いようにわかる。しかし、現在の入園者の人たちは年を取ったせいもあると思われるが、自分の人生を淡々とみているように思え、なお一層やるせない思いがする。
突然の訪問者に対して快く協力していただいた曽我野自治会長さんや園関係者の人たち、また、差別を受けて悲惨な目にあった自分の過去は話したくないであろうと思われるが、快く取材に応じていただき感謝しています。
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