「開かれた開かずの間」 by
上山 環三
校門を乗り越えるや否や、亜由美の背筋に冷たいものが走った。 霊気だ。――複数いる。 校舎の方からビンビン飛んでくる霊気を、全身で拾いながら亜由美は全力で走った。 遥! どこにいるの!? グラウンドを突っ切り、校舎へ駆け込む。上履きに履きかえる余裕はない。霊気は一段と浪く、重くなり、亜由美に心理的プレッシャーを与える。 剥き出しの憎悪が廊下に充満している! 根源を探る。――職員室の方からだ!! 走りながら亜由美は頼みの護符を出した。即席だから効力は弱いが仕方ない。 次の角を曲がると職員室。ブレーキをかけ深呼吸。臨戦体制に入る。腕時計で時刻を確かめると、八時四十分を過ぎたところだった。 職員室の前の廊下に、それはいた。 「・・・・一、二、三・・・・七つ・・・・!」 俗悪な低級霊が職員室の中に入ろうとして、もがいていた。あれが『開かずの間』に封印されていた雑霊なのだろうか? それにしても何故? 亜由美は廊下の端からジッと目を凝らした。 ――結界!? 職員室は結界で守られている? 「まさか・・・・!」 思わず彼女は息を飲んだ。考えるより、行動に移す。亜由美は廊下の窓から身軽に外へ飛び出し、職員室の裏手に回った。そこは駐車場だ。そしてその駐車場から職員室の中が見える・・・・! 「遥っ!」 いた! 桐咲 遥がいた。そして―― 「あ――」 それは、予想もしていない光景だった。 部屋の中心で結界を創り、支えている『彼女』がいた。必死に、『彼女』は遥のいる空間を守っていた。 「遥!」 二度目の呼び掛けに、やっと遥は気が付いた。声は聞こえないが、唇が亜由美の名を読んだ。 「窓を開けて!」 亜由美は間髪入れず叫んだ。『彼女』の結界は、限界に近付きつつあるように見えた。はっきりと頷いた遥が立ち上がる。と、『彼女』が遥の動きに気が付き、二人はそこで何か言葉を交わした。 「――大丈夫よ! いいから私を中に入れて!」 遥は再度頷いた。『彼女』は、何とも言えない視線を亜由美に送って、諦めたようだった。 「中に入ったらすぐに閉めるのよ」 亜由美は遥に念を押す。職員室が一つの結界なのである。外からの攻撃には耐えても、中から穴を空けるような事をしたのでは結界は壊れてしまう。しかし、今はこれしかない。 『彼女』が職員室の入り口に力を集中する。――一時的に駐車場側の結界が消えた。その瞬間に遥か窓を開けた。亜由美が職員室に飛び込む。窓を閉めた遥が振り返った。 「友子!」 『彼女』は遥の呼び掛けに呼応して再び結界を広げた。 「守護符、散開!」 亜由美も護符を放つ。護符はそれぞれが結界の角に張りつき、結界を補強する。そして、やっと亜由美は額の汗を拭う。その場凌ぎの時間稼ぎだが、しばらくは結界が破られる事はないだろう。 と――、ドサッと言う音が聞こえた。それまで職員室を支えていた『彼女』がその必要がなくなった途端に倒れたのだ。 「友子!」 遥が駆け寄る。「大丈夫!?」 『彼女』が弱々しく頷いているのが見える。 「・・・・さ、これからが正念場よ」 亜由美は努めて明るく言った。 「・・・・ありがとう。亜由美」 「いいのよ、遥。――それより、彼女は・・・・?」 「うん。・・・・大丈夫。・・・・ちょっと、力を使い過ぎたみたいだけど」 「そう」 それ以上は何も言えない。口を開くと、遥を傷付けるような言葉しか出てこないような気がした。 「亜由美、これからどうするの」 ドアを引っ掻く音が不気味に響く。・・・・どうやらのんびりはしていられないらしい。 再び、亜由美は時計を見た。――八時五十四分。 麗子先輩はまだ・・・・!? その時になって麗子とちゃんと打ち合わせしなかった事を亜由美は後悔した。しかし、彼女を待っていたのでは目の前の二人は救えなかっただろう・・・・。 「入り口のドアを封印するわ」 「亜由美?」 「駐車場から逃げるのよ」 護符を出す。指でなぞって念をこめる。 「守護符よ、悪しき者の侵入を防ぎ給え――」 と、まさにその時だった。男性の怒鳴り声が聞こえたかと思うと、廊下の霊がさざめくのが分かった。キシャーッと、言う不気味な声が響く。 ドアの向こうで、誰かが雑霊と戦っている!? 「亜由美くん、そこにいるんだなっ!?」 「えっ? は、はい・・・・!」 いきなり名前を呼ばれて、亜由美は戸惑いながらも返事した。 「待ってろよ! 今、コイツらを――」 一瞬、大気が震える。「斬魔減殺――つっ!!」 「!?」 何が起きたのかは分からない。しかし、悪霊の気配は遠退いた。 「今のうちだ!」 その声に、亜由美はドアを蹴るように開け、二人を促して職員室から飛び出す。 廊下に出ると、そこには亜由美の知らない男子生徒が立っていて 「大丈夫かい?」 と、三人に声をかけた。 「はい。えと・・・・」 「僕は山川 大地」 彼は――、大地はごく手短に自己紹介した。「麗子さんから電話があってね。そろそろ着くと思うんだけど・・・・」 時計は九時をまわっていた。 「おっと、ぐずってる暇はないんだ。早く外に出よう」 大地は言う。「ここは場所が悪い」 そして、四人は駆け出した。途中、いきりたった雑霊が何度か襲ってきたが、大地の敵ではなかった。場所が悪いと言いながらも 「雑魚はスッ込んでろ!」 と、彼は雑霊を見事に退ける。 校舎から脱出するのにさほど時間はかからなかった。 三人は息を切らして校舎から転がり出ると、そのまま校庭のアスファルトの上に座り込んだ。一人、大地だけがしつこく追ってくる雑霊を殴り飛ばす。 「あの、先輩でいいですよねっ!?」 亜由美はその大地の背中に向かって声をかける。 「そうだけど!」 と、振り向かずに大地は答えた。 「あいつら、どうするんですか!?」 「『開かずの間』にもう一度封印するんだ!」 大地の操る拳法――実はこれが破魔拳である――で、悪霊を一時的に撃退する事はできるだろう。しかし、根本的な解決にはならないと、亜由美は冷静に分析していた。 何故なら、悪霊をどんなに粉砕したところで、彼らは数週間もすると、また復活するからだ。大地の攻撃が、一時凌ぎにはなっても、解決にはつながらないと言う事に、既に亜由美は気付いている。 封鬼委員会では大地が悪霊を弱体化し、麗子が封印すると言う手順をこれまではとっていた。 一般霊と違って、悪霊は成仏しにくい。大体、存在意義からして、まともでない奴らばかりなのである。相当な修業を積んだ拝み師、と言うのならともかく、彼らは高校生なのだ。洗霊回帰などと言って、あの世に送り返すのは無理な話であった。 ――従って、やっかいな悪霊はそのほとんどが封印される事になる。封魔術にはさまざまなバリエーションがあるが、それらの術は手続きさえ間違えなければ、まず正確に発動する。一概には言えないが、修業云々ではないのである。こうして、封鬼委員会は学校の中に様々な悪霊を封印してきた。 しかし、今は頼みの麗子がいない。 大地は焦っていた。彼は自分が守っている三人の少女を視界の端で見る。一人は多少心得があるようだが・・・・。封印すると言った手前、大地はなかなか現われない麗子に舌打ちした。 「――私がやります」 と、亜由美は、大地の困りはてた顔を見て立ち上がった。 「えっ? ・・・・しかし・・・・!」 大地は渋る。封鬼委員として、それはできなかった。 亜由美は視線を遥に移す。不安そうな彼女は亜由美に訊ねる。 「亜由美・・・・大丈夫なの?」 「うん。いくつか修羅場をくぐってきたけど、今日はまだましな方」 大地の反対をかわす為に、亜由美は笑みを浮かべる。それでも、彼女の力を知らない大地は何か言いたげだった。 「山川先輩、二人を頼みます」 「亜由美くん・・・・!」 「大丈夫です」 亜由美はそう言って再び気丈な笑みを浮かべると、背中に大地の視線を感じながらも、クラウンドヘ向かった。 そうして、再び全身で霊気を探る。――それを捕まえておいて、亜由美はゆっくり手繰り寄せる。 その先に悪霊はいた。 ――さぁ! 私はここよ。集まっておいで!! 亜由美はゆっくりと語り掛ける。チャンスを伺っていた悪霊たちは、その呼び掛けにビクッと震えた。 ――ばかナ奴ガイル。ぐらうんどダ。 中庭からグラウンドを見ていた遥は、亜由美の周りが歪んで見えるのに言葉を失った。雑霊が彼女の周りに群がっているのが分かったからである。今更ながら寒気が走る。 亜由美の周りに集まってきた霊は、彼女をどうしてくれようかと舌なめずりしている。目の前の無力な少女をいたぶり尽くすと言う目的が彼らを支配し、狂喜させているのだ。 それ故に、少女のさり気ない行動に彼らは気付かない。 ――全部で七つ! 自らの気の中に全ての雑霊を取り込んでしまう。亜由美は静かに息を止めた。繭のなかにいる蛹のように。そして、蛹かにから蝶への移行は一瞬だった。 「守護符散開!」 繭を突き破って、守護符は蝶の羽のように四方へ飛ぶ。そして更に――。 「結界創造!」 悪霊は少女が何をしているのか、まだ認識していない。ただ、自分たちが無視されている事に業を煮やした一匹が、ついに小柄な少女に食らいかかった。 「悪霊退散ッ!!」 亜由美は一気に勝負に出た。 悪霊は下からの光の放出を食らって、慌てふためいた。少女の足元にはいつのまにか小さな封魔陣が描かれた紙切れがあった。光はさらに強くなり・・・・悪霊は、錯乱状態に陥る。あるものは少女に再度襲いかかろうとして光の直射を浴び、大火傷を負った、別のものは一目散に逃げ出そうとした。しかし、それらは皆、見えない壁――少女の張った結界に行く手を阻まれた。 「封魔捕縛!」 次の瞬間、亜由美のその一言で光は渦になり、悪霊を捕らえる。 「引!」 渦は小さな竜巻となり、悪霊と共に紙切れに吸い込まれていった・・・・。 |
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