――亜由美は闇の中でもがいていた。
ともすると体が沈みそうになる暗闇の渕で、必死に浮き上がろうとしている。しかし、その体は闇の重力に捕らえられ、足掻けば足掻くほど、息もできないような濃厚な闇の中へと沈んでいく――。 気が狂いそうな静けさ。動く物はどこにもいない。ただ、自分の心臓だけが死へのタイムリミットを刻んでいる。 もう、首から下は闇に飲み込まれてしまった。どうする事もできない。途方もない無力感に押しつぶされるように、亜由美の体はズブズブと下降する・・・・。 そして視界は奪われる。何重にも折り重なる闇が、彼女の意識を侵食し始める。 その闇の中に、男がいた。男は闇を手足のように使い、亜由美を翻弄する。亜由美の中の光を、食い潰そうと襲い掛かる。 もはや限界だった。 押し寄せる重圧に、疲弊し、ぼろぼろになり、もう、抵抗する気力さえも無くなりかけようとしたその時―― 闇が割れた。亜由美の目の前で、それは、天空が真っ二つに別れるように二つに裂けた。 ――助かった。 そう思った瞬間、亀裂から新たな闇が流れ込んでくる。あっという間もないうちに、亜由美はその流れに飲み込まれる。 闇を飲み込んだ最初の闇は、膨張を続ける。 亜由美を押し流す第二の闇は、彼女をその暗闇の深淵から押し上げようとする・・・・。 何・・・・? どうして、同じ闇なのに・・・・!? やがて、亜由美の視界に白い点が――、それは次第に大きくなり、点は降り注ぐ光と化す。 眩しい・・・・! と、亜由美は闇の中から自分を押し上げようとする力を感じ、思わず自分を包む闇のヴェールに目をやる。 ――雫さんっ・・・・!? 次の瞬間、亜由美は光の下へ舞い下りていた。
「――はっ!」 胸を押さえて、亜由美は飛び起きた。 「・・・・よかった。・・・・気が付いたのね」 心配そうな声が耳に入った。「大丈夫? 随分とうなされてたみたいだけど・・・・」 夢――。 少し頭痛がした。亜由美は額に手をやって、はじめて自分が包帯をしている事に気付いた。 「パパが少しオーバーに包帯を巻いたの・・・・。たいした事はないみたいだから安心して」 ひんやりとした雫の声がした。「・・・・どうかした?」 亜由美が自分をじっと見つめているのに気が付いて、雫は小首を傾げた。 「ここは私の家。病院をだから心配はいらないわよ」 「いえ・・・・」 まだ、夢に捕らわれているのか、亜由美はうまく言葉を発する事ができない。それほど、意味深な夢だった・・・・。 二人がそれぞれに黙り込んで、沈黙ができる。 次の瞬間、 「神降さん」 「雫さん」 と、二人は同時に口を開いて互いに目を合わせる。 「あの、助けてくれてありがとうございます・・・・」 亜由美は先に礼をいう。とは言うものの、彼女は雫がどうやって自分を助けてくれたのか、よく覚えていない。 「危なかったわね。偶然神降さんを見つけてなかったら、どうなっていたか・・・・」 「ハイ、すみません」 雫は薗田の後を付ける亜由美を見つけ、密かに後を追っていたのである。そして 「やっぱり薗田ね・・・・!」 と、憎々しげに言った。 殺風景な部屋の中の、質素なヘッドの上に亜由美はいた。雫が言ったように、ここは(彼女の家であり)病院で、その病室にいるのであろう。 「薗田?」 その、亜由美の戸惑うような声に、雫は説明する。 「薗田 俊雄。きょ、南雲くんの、家庭教師なの」 「家庭、教師・・・・」 「そう」 雫は小さく頷いた。その瞳に、はっきりと敵愾心が覗える。 「恭介が変わったのは薗田が来てからなの。今までなんとかして奴の尻尾をつかもうとしたんだけど、うまく逃げられて・・・・」 家庭教師・・・・? 家庭教師がどうして・・・・!? 「でもこれで分かったわ。あいつは吸精鬼よ!」 と、雫は断言した。 「吸精鬼・・・・、ですか?」 亜由美はその言葉を繰り返す。 「そうよ」 雫は息巻いた。説明するまでもないと思うが、吸精鬼は人の精気を吸って生きる妖怪の類である。 「間違いないわ」 更に雫はそう付け加え 「神降さん、力を貸して! 恭介を奴から救いたいの・・・・!」 と、眼鏡の奥の目を細めた。 |
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