「・・・・あれ、何だったんだろう・・・・」 いまだにやり切れない気持ちのままで聖美は自宅に戻った。 母親が遅い帰宅に心配そうな顔を見せる。最近、親を見る事にすら嫌悪感を覚える第二次反抗期の真っ最中である聖美は、型通りのあいさつだけをして自分の部屋にさっさとこもってしまった。 ――バタン、とドアを閉めれば、そこは自分だけの空間なのである。 「あ〜、止めた止めた。考え過ぎは私の悪い癖・・・・、と!」 荷物を置くと、彼女は机に着いた。――とは言っても、別に勉強を始めるわけではない。教科書が開かれる為のスペースには立派なパソコンが陣取っている(機種までは分からないが、どうやらかなりのこだわりを持っているようだ)。 聖美はパソコンをたち上げた。インターネットは彼女の日課である。自分だけの空間の中で、自分だけの世界に浸る。まさしく至福の一時ではないか。 クラスではクラス委員長。家に帰ると両親の期待を一身に受け――いや、何が不満だと言うわけではないが――時々、そんな現実が嫌になる。 あぁ、浮き世を忘れて電子の世界へ――。 「・・・・?」 聖美は眉をひそめた。画面がおかしい。 何コレ・・・・!? 画面にいつもの見慣れた画像が映っていなかった。 わけの分からない記号が猛烈な勢いで無秩序に打ち込まれているのだ。 その記号は次第にアルファベット中心となり、何やら言葉らしくなっていく・・・・? 「やだ、ウイルス・・・・!?」 慌ててキーボードを鳴らすが、変化はない。いや、むしろ余計に凄まじい勢いで文字が現れる。 これではどうしようもない。 聖美が途方にくれて、成り行きを見届けようと思い始めた頃、画面にようやく見慣れた文字が現れる。 そしてそれは、文章を作り上げていった。
《テトラグラマトンの元に汝、我を召喚せり。 我の名はマモネル( Mammonel)金銭を司る御使いである。 汝、我に望みしは何か? 富を求めしか? 名声を求めしか? 楽園に辿り着きしを望みしか? 》
「・・・・な、何・・・・??」 あまりの事態に、聖美はパソコンの前で呆気に取られていた。 もちろん、キーを叩いても無駄のようである。 「ど、どっかのマニアックなページにでも間違ってアクセスしちゃったのかな・・・・!?」 口に手をあて、思わず彼女は眩いた。 すると、その声に反応したかのように、文字が書き替えられていく・・・・!
《そうではない。突然で驚いたかも知れぬが 我は汝の声によってここに遣わされたのである。 》
「え――!?」 何コレ! どうして答えが返ってくるの・・・・! 「わ・・・・、私はあんたなんか呼んだ覚えは・・・・」 と、言葉が聖美の口から漏れた。 やっぱりどっかの変なページに!?
《しかし汝であろう? 先刻、召喚の儀を施せし者は?》
聖美の言葉に、画面の文字――マモネルは応えた。 間違いない。文字は彼女の言葉に反応している。 ――スゴイ・・・・! けど――。 右手で頭を押さえ、しかし、それでも聖美は続ける。 「召喚の儀って言われても・・・・!」 それはインターネットと言う、山の物とも海の物とも分からない、電子世界の向こうに住んでいる相手と対時する上で、彼女が無意識に学んだ経験なのかも知れない。 「あっ!」 そして――、彼女の思考はようやく行き着いた。 「それってもしかして、今日のエンジェル様の事・・・・!?」 そうとしか考えられない・・・・! やはりあの光は本物(?)だったのだ。
《ほう。ここではエンジェル様と言うのか? いかにも。そのエンジェル様とやらで 我がここに遣わされたのである。 》
「じゃあ、あなたは天使って事? 本当にそんなのがいるの?」
《現実にここに臨んでおる。 》
答えは瞬時に返ってくる。疑う余地はないように思えた。 そして天使の存在を容認した時点で、新たな疑問がわく。 「な、何の為に・・・・?」 そう、どうして聖美の所に現れたのか・・・・!?
《先程の言葉通り、汝の望み、叶えんがため。 》
「どんな事でも・・・・?」
《我にできる事であれば・・・・。 》
それを聞いて、聖美の思考は一時停止する。 私が呼び出した天使――。私の望みを・・・・、できる事なら何でも叶えてくれる・・・・? 「ちょっと待って――、今考えるから」 お金なんてすぐになくなっちゃうしぃ、名声なんて望んでも仕方ないし――、楽園に行くって事は要するに死んじゃうってこと!? そんなの絶対嫌だし・・・・。 聖美は考えを巡らせる。様々な願い事が彼女の頭の中をぐるぐると回って――。 あっ、そうだ! 「ねぇ――、私の守護霊みたいなのになるって言うのはどうかな・・・・?」 聖美は画面に聞いた。遠慮がちに、しかしその思い付きの答えにかなり期待しながら。
《我に汝の守護をなせと? 》
「そう。私が死ぬまでってのはどう?」 聖美は言う。
《それを本心から願うなら、受諾しよう。 》
画面に現れる返答を見て 「えぇ。じゃ、それにするわ」 と、彼女は満足そうに頷いた。 「それで? 私はどうすればいいの・・・・?」
《うむ。今より現れる図形をそのままに 汚れなき紙に写すのだ。 》
何かもっと難しそうな事を想像していた聖美は、返ってきた答えに拍子抜けしながらも尋ねる。 「プリンター使ってもいい?」 そう聞きながら、彼女はプリントアウトの準備をしていた。
《紙さえ汚れなければ問題なかろう。 》
――ふぅん、そうなんだ。 そして、すぐにそれは写し出された。聖美が見た事もない図形がそこに印刷されていた。 「それから? これをどうするの?」
《平らな所に置き、中央に汝の血を少し落とすのだ。 》
「えっ?」 やっとそれらしくなってきた。けど、そんなのは嫌。 「血って・・・・、そんなことしたら痛いじゃないの!」 聖美は唇を尖らせた。
《しかしそれをせねば汝の守護に就く事はできぬ。 》
聖美のわがままに、マモネルの答えは素っ気ない。 「他に方法はないの?」 と、彼女は渋った。
《今の段階ではそれが最良である。 》
それで、聖美も渋々ながら諦めた。 「仕方ないっか・・・・」 と、口を閉ざす。 最良と言うには、これが一番いい方法なんだろう。不満はあったが、文字通り仕方がなかった。 聖美はカッターナイフを引き出しから取り出した。そしてプリントアウトされた紙を広げ、その刃を出す。 刃先を指先にあてて止まる。どうやら、まだ躊跨しているらしい。 しばらくしてふっ切れたらしく、目を閉じて聖美は力を入れる。眉間にしわが寄り――と、同時に指先にも同様に力が込められる――。 「っ!」 プツッと、赤い点が現れた。 それはすぐに白い紙の上に滴り落ちる。次の瞬間、変化は起きた。 図形が、紙が眩い程の光を放ったのである。 聖美はあっ、と顔を反らす。しかし、光はすぐに収まってしまった。 再び紙に目をやった時、そこに真紅の跡はなかった。 それが契約の成立した事を示すのかどうか、聖美には分からない。確認しようとしてパソコンの画面に 「これでよかったの?」 尋ねると――、その答えは別の所から返ってきた。 「お疲れ様でした。新たなる主よ」 画面からマモネルの言葉は消えていた。代わりに・・・・ 「我はテトラグラマトンを崇拝すると共に、新たなる主を敬いしことを改めて崇高なる大天使メタトロンに誓います」 その言葉は聖美の頭に直接響いてきた! 辺りを見回しても、部屋の中にマモネルの姿はない。 どうやら聖美を守護をなすべく、契約は完了したらしい。 ――なるほどぉ。 「分かったから、この傷、何とかならないかしら?」 聖美は先程切った人差し指を立ててみせる。 「了解しました」 相変わらず小気味いいくらいにすぐ、返事は返ってくる。 そして傷は瞬く間に癒えた。痕すらも残っていない。 「へぇー。たいしたものね」 聖美はそれを見て満足そうに微笑んだ。 「・・・・でも、何かちょっと疲れちゃったわ」 「傷を癒す為に、エーテル体が少々減少したせいでしょう」 「ふーん」 聖美は指先をまじまじと見つめた。 よく分かんないけど、『MP(マジックパワー)』みたいなものかな・・・・? その時、階下から母親の声が聞こえてきた。聖美を呼んでいる。どうやら夕食の準備ができたらしい。 「――まぁいいわ」 聖美は付けっ放しだったパソコンの電源を切って、べッドに潜り込んだ。そしてそこにいるであろう(?)マモネルに向かって言う。 「じゃあ私寝るから。・・・・しばらく起こさないでね」 「かしこまりました」 マモネルが返事をすると、十分もしないうちに寝息が聞こえてきた。 |