T-C

明     ―原案・秀―

 

 

 いつもより乱暴に亜由美は教室のドアを開けた。

 ――茶番!

 その言葉がいまだに彼女の耳から離れない。ほとんど八つ当り的に亜由美は思った。

 ――っもう! 茶番、茶番って書かないでよね!!

 (す、すいません)

 「あらあら、何だか荒れてるわね〜」

 のっけからそう言われて、亜由美はますますくさった。

 「そうですよ。私だって一生懸・・・・!」

 そう言いかけて、ハッと彼女は立ち止まる。

 今日は封鬼委員会の定期会議。大地はともかく、今日くらいは雫が来てるだろうと思っていたのだが――。

 「麗子先輩!」

 驚く亜由美に、麗子は手を挙げる。

 「やっほ」

 「寺子屋先輩も――」

 「やぁ。元気にしてたかい?」

 三年生二人が、そして雫も教室に来ていた。封鬼委員会メンバー全員が揃ったわけである。

 それだけで亜由美の機嫌は完全によくなってしまった。

 「はい。――今日はどうしたんですか?」

 「まあ、座れよ。亜由美くん」

 立ったままの亜由美に座長席から、大地が声をかける。

 麗子と寺子屋ははあくまでゲストだ。

 亜由美はそそくさと自分の席についた。それを見て、すぐに麗子が口を開く。

 「亜由美ちゃん、エンジェル様って知ってる?」

 彼女はどこかで聞いたような事を言った。

 「何か、最近天使がブームになってるみたいなのよ」

 ねぇ? と、麗子は寺子屋を仰ぐ。

 「そうなんだ。うちのクラスでも言っててね。何だか一種の新興宗教みたいで僕は嫌なんだけどなぁ・・・・」

 「何言ってるんですか、先輩。私なんか久しぶりに学校来たのに、みんな天使だエンジェル様だって、もう学校中その信者ばっかりですよ・・・・!」

 腕を組んで雫は言う。その表情は険しい。

 あぁ、全員揃ってる――。

 とりあえず、亜由美は神様に(?)感謝した。

 「そうですよ」

 座長が深刻そうに言った。「確か三日前ですか・・・・? 何かグラウンドに出てきたそうじゃないですか」

 「あ、そうそう。私見たわ。あれ――、グラウンドに天使が降りてきたのよ。凄い騒ぎになって一日中収まんなかったわねぇ」

 麗子は手を合わす。

 「いや、それなら僕も見たよ。あれは確かに天使だったね・・・・」

 「寺子屋さん、そもそも天使ってのは何なんですか?」

 ――大地のその質問がいけなかった。

 寺子屋が待ってましたと言わんばかりに眼鏡を上げた。亜由美にはそう見えた。

 「天使ってのは一神教が生んだ思想なんだ。ここでは神の意志を代行する者と考えていいんじゃないかな。ヨハネの黙示録には七十八万にも昇る天使の名が記されているそうだよ」

 「にしても――、日本みたいな無神論国家で天使もないじゃないですか?」

 と、雫がもっともらしく言うと、麗子もそれに続けた。

 「そうねぇ。やっぱり天使って言ったらキリスト教の国じゃないのかしら」

 「いや、日本に天使がいたって別におかしくはない」

 寺子屋がそう言うと

 「それは、世界共通のものって事ですよね?」

 と、大地がさも分かったように相槌を打った。しかし、寺子屋は顔をしかめて言う。

 「そう言う事じゃなくて――、いいかい? 少し突っ込んだ解釈を言うけどね、キリスト教ってのは要するに一神教、つまり唯一神信仰な訳だ」

 「そうよ」

 当たり前だ。

 「そう。それなら日本にだって唯一神信仰はある。まぁ宗教としては確立されてないけど、武家の神様――、八幡様がそうなんだよ」

 「八幡様ってあの、南無八幡大菩薩って言う・・・・?」

 麗子が意外そうに聞いた。

 「麗ちゃん、それは日本に渡ってきた時に、仏教に併合されてそう言う名称が付いたんだよ」

 寺子屋は平然と答えた。

 「どうして八幡様が唯一神と結びつくんですか?」

 釈然としない様子で雫が首を傾ける。

 「そうだなあ・・・・。八幡様の宮司は元々秦氏だったんだよ。ほら――」

 寺子屋は立ち上がって、黒板に『秦』と書いた。

 「――こう言う字を書く」

 「その秦って言うのが重要なんですよね?」

 どう重要なのか分かっていない大地がまた口を挟んだ。

 「あぁ。秦と言うこの姓は中国からの渡来人、もしくはその子孫である可能性が非常に高いよな? これは歴史学的に分かるだろう?」

 「だからぁ、その渡来人の名字と唯一神信仰とがどう関係あるのよ・・・・!」

 「結論を急がないでくれよ。――中国はいろんな宗教がごちゃ混ぜになってる所だ。道教、儒教、仏教、回教、拝火教、ラマ仏教、そしてキリスト教・・・・と」

 「あ、それじゃあ、その秦氏が日本に持ち込んだキリスト教が八幡様信仰に変わったって事ですか?」

 「――さすが滝。その通りだよ。日本に持ち込まれた際に神道の解釈が加わって今の八幡様になったって言う学説があるんだよな」

 とりあえすそこで締めくくった寺子屋だが

 「つまり日本の中で天使の概念は生きてるって事ね」

 と言う、麗子の呟きも聞き逃さない。

 「あぁ。呼び方こそ仏教、神道風にアレンジされて護法童子って言うのに変わりはしたけどね」

 「でも寺子屋さん、それはその・・・・、天使とはちょっと違うんじゃないですか――?」

 大地は思った事をそのまま口にした。

 「何か中途半端ですよ」

 「もっとちゃんとした唯一神信仰は伝わらなかったんですか?」

 亜由美も聞いてみる。

 「うーん、それじゃあこう言うのはどうかな?」

 教授は受講者を見回した。

 「イエス=キリストが来日したって言う伝説がある!」

 「えぇ――!?」

 「寺子屋さぁん、それはないですよ!」

 「大地が信じるかどうかは別にしてだ――、青森県三戸郡に新郷村と言う所がある。この新郷村は、元々は戸来村と言っていたんだ。この戸来と言うのはヘブライがなまったものだと言われているが、ここにはキリストが死んだ場所としての墓場があるんだ。えーと、確か十来塚と十代塚と言う塚があって十来塚の方にはキリスト、十代塚の方は聖母マリアと、キリストの弟の髪が埋葬されていると言われている」

 寺子屋の話に、麗子は息をついた。

 「何だかとんでもない話になってきたわね」

 「そうだなぁ。この辺で止めとこうか?」

 寺子屋も少々喋り過ぎたと反省したらしい。しかし――

 「まだあるんなら、私は聞きたいです」

 と、言う亜由美の言葉に寺子屋は再び眼鏡を上げた。心なしか、嬉しそうである。

 「そうね。先輩、私も聞いてみたいです」

 珍しく雫も寺子屋に言った。

 「そうかぁ。それならそうだな・・・・。竹内文書って言う古伝をまとめた文書があるんだけど、これには記紀神話中の神様から、ヤーウェ、アダムとイブ、ノア、キリスト、孔子、釈迦、マホメットと、バラエティ豊かな顔触れが出てくる。更にはキリストたち宗教家がこの日本で修業して、その教えを本国に持ち帰ったと書かれているんだ」

 「・・・・はぁ。もうめちゃくちゃねえ」

 「そう言うなよ、麗ちゃん。これからがおもしろい所なんだから。えっと――、戸来村に伝わる民謡で『ナーニヤード・・・・ナニヤドナサレノ・・・・ナニヤドデサイ』って言うのがある。これがヘブライ語になってて『御前に聖名を讃えまつる』と言う意味になるのさ」

 「その学説を信じるならば・・・・、日本にキリストはいたかも知れないんですね?」

 「まぁ、あくまでこれは異端とされている学説だよ」

 「文雄くんが博識なのは知ってたけれど、まさかここまでとは思わなかったわ」

 と、麗子が呆れ顔で寺子屋を見上げる。

 「先輩――」

 雫に呼ばれて、寺子屋は彼女の方に向いた。

 「改めて聞きますが、日本独自の天使と言うのはいないんですか?」

 「日本独自の、か。――天使とは違うけど、天鳥船神はそれに近いかな」

 「何です? それ」

 「大地は知らないよなぁ。大鳥船神は死者の魂を導く神様だよ」

 「それ、天使なんスか?」

 「まぁ、それに近い存在だな。――あとはヤタガラスくらいしか思い浮かばないな」

 寺子屋は首を傾げた。

 「ヤタガラスは神武天皇の東征の時に道を案内した鳥ですよね?」

 と言う雫に、寺子屋は答える。

 「うーん、そんな感じかな。正確には加茂建角身命が天照大神の命を受けて化身した鳥の事なんだ。神武天皇が東征で戦局が厳しくなって熊野の山中を迂回したら迷ってしまうんだけど、その時ヤタガラスが先導して大和へと導き、結果、勝利をもたらしたって言う話だよ」

 「そう言われると天使っぽく聞こえますね」

 「あぁ。――結構有名な話だから触り程度ならみんな知ってるだろ?」

 「・・・・はい。寺子屋先輩って、色々知ってるんですね。日本の古代史だけで、どんな本読んでるんですか?」

 「亜由美ちゃん、聞かない方がいいわよ」

 麗子が口を挟む。「聞いたって分かんないんだから」

 「ひどいなぁ。麗ちゃんが思ってる程じゃないよ。・・・・そうだな、正史だったら古事記、日本書紀、風土記。偽史だったらさっき言った竹内文書、九鬼文書、宮下文書、上記、秀真伝、東日流三都誌とかぐらいかな?」

 ――確かに、分からない。

 「後半はさっぱりです、先輩」

 と、雫が尊敬した顔で言うと

 「何言ってる。僕なんか最初から全然分からない」

 大地が両手を上げた。――きっとさっきのヤタガラスの話も分からなかったに違いない。

 「馬鹿ね、それは大地が勉強不足だからでしょ」

 「僕は歴史はダメなんだよ」

 「あの・・・・、また話は変わるんですけど」

 亜由美はおずおずと手を挙げた。

 「今、生徒のほとんどが、その――、天使にはまってますよね?」

 「校長はいつもと変わりがなかったけどな」

 「あれは『メタル校長』って言うくらいだもん。・・・・ちょっとやそっとじゃ変わらないわよ」

 ――順風高校の校長はかなり頑固な上に、自己陶酔者ときている。まぁ、人は悪くないのだが扱いにくい。

 「それで?」

 「それで、私たち封鬼委員なわけですし――」

 「分かった。つまりあれだな。いざって時に、僕らでどうにかできるのかってことだな?」

 「はい」

 確かに、それは誰もが思っていた事だった。亜由美は各々の顔を伺う。

 ――最初に口を開いたのは麗子だった。

 「大丈夫よ。相手の霊格にもよるけど、それを何とかするのが封鬼委員会の仕事じゃない・・・・!」

 委員長の答えは、答えのようで答えになっていない。

 「そうそう。いざって時は逃げればいいのさ」

 更に次期委員長が気楽に続けた。

 「――そんなわけないでしょ。もう!」 

 雫がその次期委員長を睨む。「変な事言ってると亜由美ちゃんに嫌われ――」

 「あ! 私もう帰んないと!」

 雫の爆弾発言に、亜由美は慌てて立ち上がった。勢い余って、椅子が倒れる。

 「あら本当。もうこんな時間だわ」

 麗子が時計を見て驚いた。

 今日はちょっと落ち着き過ぎたらしい。久しぶりに委員会に顔を出したから、ま、それも仕方がないのかも知れない。

 「お疲れ様。亜由美ちゃん」

 「亜由美さん、気を付けて帰ってね」

 亜由美はしまったと、思ったがもう遅い。

 雫はウインクする。その表情がごめんね――と、言いながらも笑っていた。

 どうやら彼女に体よくからかわれたらしい。雫は大人びた性格をしてるようで、子供じみた事が好きなのだ。

 そして何故か、雫は亜由美が大地の事を好きなのを知っているのだ(ばればれ?)・・・・。

 「す、すいません。用事があるの忘れてました・・・・」

 亜由美は言った。

 「――それじゃあ、失礼します」

 まぁ、用事――画家である父の個展に顔を出すのである――があるのは嘘ではなかったが、彼女は会議の続きに後ろ髪を引かれながらも帰る事にした・・・・。

 

 

 立ち去る亜由美を見送ってから、雫は寺子屋に尋ねる・・・・。

 「本当に、何とかなると思いますか?」

 質問を受けた寺子屋に視線が集まる。一瞬、考え込んで彼は顔を上げた。

 「どうだろうなぁ? これは多分、今までで初めてのケースだと思うよ。実は会議の前にデータバンクから過去の記録を調べたんだけど、今回みたいな事件の例はなかった」

 ちらりとパソコンを見て、寺子屋は言うと、麗子も頷いた。

 「そうね。天使なんて封鬼委員会創設以来、初めてじゃないかしら」

 雫は更に突っ込んでみる。

 「相手はキリスト教ですよね? 陰陽道に始まる私たちの術は通じるものなんでしょうか?」

 「キリスト教とは限らないよ。ユダヤ教にもイスラム教にも天使は出てくるんだし・・・・」

 寺子屋はわざとずれた答えを返して

 「どちらにしろ、畑違いなのは変わらないよなぁ」

 と、結んだ。

 「で、どうなのよ。効くの? 効かないの?」

 「それはやっぱり相手次第じゃないかなぁ」

 寺子屋は言葉を濁した。

 「霊格の問題って事?」

 「いや、それもあるだろうけど、僕は信仰心の問題だと思うよ」

 「もう! 分かりやすく説明してよ」

 「――いいかい、麗ちゃん。宗教って言うのは詰まる所、教義ではなく、いかにその宗教そのものをどこまで信仰できるかにあると思うんだ。つまり宗教を信じている者は、何か他の物を捨て去っている状況にあると思うんだ」

 「他の物・・・・?」

 「それは他の宗教への信仰心だよ。だから彼らは余計に信仰している宗教に対して盲目的になってしまう。時にはそれがエスカレートして宗教弾圧、宗教戦争へと発展していく。――それだけに狂信者とはその他の物を一切受け付けなくなってしまうものなんだ。結果として、他の集団からの力の介在は閉ざされてしまう。だから宗教が違うと除霊方法も封魔方法も違ってくるんだ」

 「それは分かってるけど・・・・」

 「つまり天使には陰陽道は通用しないって事ですか?」

 「本来、天使とは神の意志を伝えるものだ。つまり、神の最も忠実な下僕なわけだ。・・・・僕は天使を神の意志が具現化したものだと考えている。だからこそ忠実であり、信ずるべき対象を持っている。その確固たる信仰心が揺らぎでもしない限り、陰陽道は通じないだろうね」

 と、寺子屋は軽い為息を吐いた。

 「今のところ、なす術はないってことですか」

 「そう言う事になるけど・・・・」

 「それは困るわ」

 「麗ちゃん・・・・! 困るって言われても――」

 「悪いけど、できるだけ早く対処方法を見付けてちょうだい。残念ながらそれをできるのは今の封鬼委員会には文雄くんしかいないみたいね。今日の話を聞いていてよーくそれが分かったわ」

そう言われては反論の余地はない。しかし今日は久しぶりに気分よく講釈できたと思ったのに、最後にとんでもない宿題ができたものである。

 「仕方ないなぁ。ま、努力はしてみるよ」

 寺子屋のその一言で会議はお開きになった。

 一同はそれぞれ帰る準備をする。

 「あれ・・・・? 寺子屋さん、帰らないんですか?」 

 と、一向に教室を出ようとしない寺子屋を見て、大地は怪訝そうに聞いた。

 「ここ、閉めるんですけど」

 「何言ってるんだよ。僕を残そうとしてるのは君らの方だろ?」

 どうやら彼は今課せられたばかりの宿題に、これから取り掛かるらしい。

 呆れる大地が、家でやって下さいよ、と言うと

 「馬鹿だな――。家に帰ると学校の勉強をしないといけないじゃないか・・・・!」

 と言う返事が返ってきた・・・・。

 

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