「へえ〜、壮観だな・・・・」 ステージに上がった寺子屋は思わず息を付いた。 しかしそこは落ち着いたもので、真っすぐステージの中央にいる聖美に向かって、彼は歩きだす。 すぐにマモネルは寺子屋に気付いた。 「そこの冷静なお主よ――」 「僕の事、でしょうか?」 寺子屋は一度振り返った後、自分で自分を指して聞いた。 「そうだ。お主、楽園に臨むを拒みしか?」 「いえ、そう言うわけではないのですが」 「なれば何故皆と違い一人落ち着いているのだ?」 聖美――いや、マモネルは寺子屋に向き直った。喧騒の中で、ステージのみが取り残されたように静まり返る。 「僕は自分が納得しないと行動しない性格でして」 「――何か腑に落ちない事でもあると?」 マモネルは寺子屋に問う。 「ええ。それと言うのも、どうして楽園に臨むのかと言う事でして」 「簡単な事だ。人間とは現世利益だけでなく、死後も安泰を求める貪欲な生物だからだ」 マモネルはその貪欲な生物を前にして、天啓を下すように言った。 「そうですね。まるであなたのようだ」 「何だと!?」 平然とした寺子屋のその言葉に、マモネルの表情が怒りに染まった。 「おっと、失礼しました。マモネル様」 「貴様・・・・、何故私の名前を知っている?」 そしてマモネルの表情に初めて微かな困惑が見えた。が、それはまだすぐに消える――。 「いや・・・・、さる筋からの情報ですよ。申し遅れましたが僕は寺子屋 文雄と言う者です。今日はぜひともあなたと話をしたくてここに参りました」 「話だと?」 「そうです。卒業を控えたこの時期に授業がなくなると単位がもらえずに困るのです。受験もありますし、早く学校を元通りにして頂けるようにお願いに参りました」 頭を下げる寺子屋を見下して 「できぬ相談だな」 と、マモネルは言った。 「何故です?」 寺子屋は続ける。「あなたがここからいなくなればいいだけの事でしょう?」 「偉大なる主の為、そうはいかぬ」 「おや、その偉大なる主とは誰の事でしょうか?」 「・・・・テトラグラマトンの示すお方、Y・H・V・Hことヤーウェに決まっておる」 「なる程。――それを誰かに誓えますか?」 「大天使メタトロンの名の元に」 それを聞いて寺子屋は満足そうに微笑む。 「おやおや、ユダヤ系だったんですか・・・・!」 「な、何故それが分かるっ!?」 「簡単な事ですよ・・・・」 そして、寺子屋はさらりと答えた。 つまり、天使と言う以上は主上を持っている。 その主上がヤーウェと言うのは、つまりはキリスト教かユダヤ教のどちらかに属すと言う事である。そして、大天使メタトロンが第一に出てきたと言う事でそれはユダヤ教を指す事になる。 何故なら、メタトロンはユダヤ教特有の天使だからである。 しかし、寺子屋の説明を聞いてマモネルは強がる。 「だ、だからと言って私がユダヤの天使と知れたところで、どうする事もできないだろう・・・・!」 「ところがそうでもないんですよ」 ここで寺子屋は眼鏡を上げる。「どうして僕が正気を保っているか本当に分かってないんですか?」 「それがどうした!」 「僕は陰陽道しか信仰していない。そしてそれが効してあなたに魅了されなかった。――逆を言ってみればあなたにも術を施す事ができると言う事なんですよ」 「だからそれとユダヤとどう関係があると言うのだ!?」 いらつくマモネルとは逆に、寺子屋はステージに上がった時と変わらぬ面持ちをたたえている。 「陰陽道には言霊と言うものがあるのですよ。これがある以上、本性を曝すのは愚かな行為でしかないのです」 ――両者の言葉は二転三転しながら、寺子屋の言う通り、言霊を紡ぎだしているのかも知れない。 「それがどうした。私にはヤーウェの、メタトロンのご加護があるのだぞ――!」 しかしマモネルの答えはあくまで単純だ。 「そうですか。・・・・では、そのメタトロンがあなたの味方ではないと言ったらどうしますか?」 「そんな馬鹿な事があるわけがなかろう。あのお方は小ヤーウェの別称通り、絶対的なお方なのだ!」 「ところが、そのメタトロンは天使ではないかも知れないのですよ――」 「ふざけた事を言うな!!」 聖美の顔が怒りに歪んだ。 「あなた方天使の名前に共通する事柄と言うのをご存じですか?」 「・・・・呼び名こそ色々あれど、唯一神にお仕えしていると言う事か!」 マモネルの言葉を受けとめて、寺子屋は口を開く。 「それもありますが・・・・、名前と言う事に限定するなら、名前の最後に『 el』が付くのですよ」「確かにそうだが――! しかしそんな事は然したる問題ではなかろう」 「ところが、それが大有りなんですよ。何故彼には――、メタトロンには『 el』がないのか・・・・。先程おっしゃった別称の通り、メタトロンはヤーウェに匹敵する力を持っているからかも知れません。しかし、考えようによってはそれは危険な事なのです」寺子屋はマモネルを射すような目付きで見る。 「唯一神は絶対無二であるものです。――と言う事はどうなるのか・・・・。答えは簡単です。メタトロンはヤーウェに背く者であるにもかかわらず、その力の強大さ故に天籍を持つにいたっただけなのです・・・・!」 「――そんなふざけた話が信じられるか!!」 マモネルは頭を振って叫んだ。しかし目の前の人間はやはり平然として続ける。 「信じる、信じないの問題ではありません。しかし、宗教上ある神はある悪魔であると言うだけの事なんです」 「悪魔だと・・・・!? あのお方が、あのパンデモニウムの主と同胞であるはずがない! ――そうか・・・・、貴様は悪魔だな!? 私を惑わせる為に神が遣わした試練に違いないないない・・・・っ!」 そこで、寺子屋は意外そうな顔をして言い放った。 「悪魔だって――? それはあなたの方でしょう?」 「・・・・!?」 頭から冷や水をかけられたような顔をして、マモネルは硬直した。 「悪魔は、あなたの方だ・・・・」 「な・・・・、わ、私が悪魔と言うのか・・・・!?」 絞り出すような声で寺子屋に、――いや、自分にマモネルは問いかける。 そんなはずはない、と――。 「あなたは七つの大罪をご存じのはすだ」 「あ、当たり前だ。傲慢、嫉妬、怠惰、好色、大食、憤怒、強欲の七つだろう・・・・」 何故かマモネルが言いよどむ。 「どうかしましたか?」 「強欲の象徴たる悪魔の名は確か・・・・」 いまだに悪夢から覚めやらぬマモネルの、その言葉を聞いて満足そうに寺子屋は答える。 「そう、やっと気付きましたか・・・・。マモンですよ」 「マモン、・・・・か」 「――先程の言霊と言うのをご存じでしょうか?」 「よくは分からないが、何となくは分かったような気がする」 「あなたの場合はその言霊の一種の、名前と言う呪にかかってしまったのですよ」 「まさか、私があの貪欲で醜悪な悪魔と同類だと言うのか・・・・!」 「いえ、酷似しているだけですよ。――それよりあなたは天使の大罪、その中でも最も重い罪が何だか分かりますか?」 寺子屋の言葉はマモネルの苦悩を取り込みながらも続けられる。そしてマモネルは彼の間いに、恐る恐る答える。 「神に背く事か?」 「はは・・・・。あなたにとってはそうなのかも知れない」 「私にとって、とはどう言う意味だ?」 「あなたは不幸にもご自分を理解していらっしゃらないと言う事ですよ」 「自分を理解していない・・・・?」 「そうです」 寺子屋はまた眼鏡を上げた。 |