〜記憶の散策         文・上山 環三

 

 太いコンクリートの柱にマジックで書かれた落書きが目に入っ

た。アイドルグループ宛てのファンレター(?)らしい。いつの

時代でもこういう物はあるのだろう。崩れた字体が妙に時代を主

張しているように思える。

 私はそのまま廊下を右に折れ、教室に向かった。

 二年四組の教室だ。その位置が変わっていないことについつい

感心してしまう。

 「担任の先生、覚えてますか?」

 「・・・いいえ」

 「和田先生って言うんだけど、四月の初めに会った時が臨月だ

って・・・」

 全くタフな先生だった。

 と――その時、彼女が顔をしかめて座り込んだ。ひどい頭痛が

彼女を襲ったらしい。私は慌ててコートのポケットから鎮痛剤を

取り出し、彼女に飲ませる。

 ややあって、彼女の頭痛は治まった。

 「すみません・・・」

 彼女はしかし、まだ痛むのか苦しそうに詫びた。

 私は全く意に介していない様に言う。

 「何言ってるんです。患者が医者に謝ることはないですよ。そ

れより、やはり病気の原因はこの学校にあるようですね」

 「・・・」

 「どうでしょう、何か心当たりでもあれば言ってみて下さい」

 「・・・分かりません」

 彼女は一言暗い声でそう言った。その視線に落ち着きがない。

唇が乾くのか、彼女はしきりにそこを舐めていた。

 そう言えば彼女は出産したばかりらしい。出産直後の女性はよ

く精神的に滅入るが、彼女の場合それは当てはまらないだろう。

 彼女の夫はいわゆる旧家のお坊ちゃまらしく、多少世話好きの

姑のことを考慮しても家庭環境は悪くなく、なかなか玉の輿と言

っても過言ではない。

 こちとら三十にもなって独身であるのとは大きな違いだ。ま、

私の場合職業柄多くの女性の相手をすることはあっても、そこで

恋仲になると言うことはなかった。――一方的に惚れられたと言

うのはあったが。

 彼女とは高校を卒業し、進路を違える時まで付き合っていたが

十三年も経つとこうも立場が変わるのかと思うと、何とも不思議

な気分になってしまう。

 

 

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