〜記憶の散策         文・上山 環三

 

 美帆と付き合う前、私には憧れている先輩がいた。憧れてい

たと言うと変に勘ぐられそうだが、文字通り、私はその人に恋

愛感情ではなく、演劇部の先輩として憧れを抱いていた。

 理恵先輩・・・。

 その頃の私は演劇のことしか頭になく、寝ても覚めても舞台

のことばかり考えていた。

 そんな私の中にするりと彼女は入り込んできた。何なんだろ

う、気づいたら彼女は私の隣にいた。

 「あの・・・」

 彼女が立ち止まった。

 「何か?」

 私は彼女の視線を追う。その先には更に上へと上がる階段が

あった。薄暗い。

 「ここは――?」

 彼女の声が微かに震えていた。その目が階段の先へ釘付けに

なっている。

 私は感情の高まりを無理矢理押さえつけ、なんとか平静を保

っていた。

 「あぁ、この先は屋上ですよ。ほら、よくこの上でも発声練

習してたじゃないですか」

 「・・・」

 私は彼女の脇を摺り抜け、階段へ足をかける。「応援団と張

り合ったりしてましたよ」

 私は振り返って、彼女を促す。

 彼女は体を堅くしたまま動かない。

 「行ってみませんか?」

 「――」

 「美帆さん?」

 「ダメ」

 「?」

 「足が・・・足が動かない・・・」

 「大丈夫ですよ」

 私は手を伸ばした。その手を彼女の冷たい手がつかむ。ひん

やりとした感触が伝わってきた。

 「さぁ、深呼吸して、落ち着いて・・・」

 「あ、頭が・・・いたい・・・!」

 しかしすぐに彼女は手を放し、その場にうずくまる。

 焦燥感が私の中に生まれていた。

 「大丈夫だ。大丈夫。――落ち着いて美帆さん!」

 彼女を抱え起こして、私はその背中をさする。彼女は壊れた

ロボットのようにブルブルと震え始めていた。

 「いやぁ・・・!」

 絶叫がこだまする。

 「いやっ!いや!いやいやいやぁ――!」

 「美帆さん――!聞いてくれ!」

 彼女は暴れ出す。私はそれを必死で押え込む。

 「大丈夫だ!落ち着いて――っ」

 「はあっはあっはあっ・・・」

 「病気を・・・、病気を治すんじゃないのか・・・!」

 ビクッと彼女の体が震えたのが分かった。息が荒い。しかし

暴れる気配はなくなった。

 「・・・そうだ。落ち着いて、僕がついてる・・・」

 「菊池君」すがり付くような視線が私の方に向けられる。私

は彼女の目をまっすぐに見てうなずいた。彼女の体は温かかっ

た。

 「行こう」

 私は言った。

 

 

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