作:上山 環三    

 

 セミの声は僕の耳に届いていなくても、当然、ずっと続いている。

 成虫の寿命は大体一週間と言われているから、今日から一週間経てば、今鳴いているセミとは別のセミが鳴いている事になるのだろうか。その短い期間の中で交尾し、子孫を残し、力尽きたセミ達はこの青空の下で死んでいく。

 ――呆気ないな・・・・。

 仰向けに転がっているセミの骸を、黒い輪を作ってアリが取り囲んでいたりするのだ。

 そのアリ達は今、僕の足元で零れたアイスに群がっていた。

 精が出るなぁ・・・・。

 僕は思う。

 まるであの頃の僕みたいだ。

 ――あの頃の僕。――あの頃の僕は、何だか必死に生きていたように思う。いやもちろん、今だってそれなりに生きてはいるけど、あの頃の僕は今とは比べようもない。

 よく、一日が二十四時間では足りないと言うが、確かにそうだった。生活の密度が、今とは全然違ったように思う。

 それは、祥子がいたからできた生活だった。

 そう。まるで一昔前のバブル景気みたいな生活。

 僕の生活は彼女中心に回転し、今までの天動説みたいな生活は嘘のように変化した。

 そして、勢いづいた好況の波が、また別の好況の波を呼び、感覚を狂わせ麻痺させる。

 何もかもがうまくいっていた。

 そう思い込んでいた。

 ガリレオも言ったではないか。『それでも地球は回っている』と――。

 しかし、バブルはいつか弾ける。呆気ないほど簡単に。

 

 

 祥子が僕の前から姿を消したのは、付き合い初めてから一年が過ぎようとしていたある日だった。

 太陽を失った地球に、地動説は適用されない。基準を失えば、それはまた元に戻る。いや、むしろ以前より酷くなった。そういうものだった。

 もちろん、これは今だから言える事で、彼女を失った直後の僕には、たとえそれが奥菜 恵の慰めであったとしても効き目はなかっただろう。

 彼女の事を、僕はまだ引きずっているのかもしれない。

 ――そう、忘れられるはずがないのだ。

 何も言わず、何も残さずに突然消え去った彼女――。

 それはあの日のタ立みたいだった。

 

 

 葉書には何月何日に結婚して、新婚旅行へはどこそこへ行きますと言う、至極ありふれた事しか書かれていなかった。

 なるほど。こちらも宛名とそう大して変わりはないわけか。

 ――祥子が僕の前から姿を消した理由の一つは、彼女の行方を探して訪ねた病院で分かった。

 彼女の弟、昇が通っていた病院だ。

 僕がそこを訪れたのは随分と時間が流れてからだったが、幸い、一人の看護婦が覚えていてくれた。

 昇は亡くなっていた。

 病状が急変したと言う事だった。

 その年一番の猛暑の日、午後から集中治療室に入り、日が沈みかけた頃に亡くなったそうだ。

 祥子が看取った事も同じ看護婦から聞き出せた。

 その後、彼女は遠縁の親戚を訪ねてこの町を出て行った。弟の葬式を慌ただしく済ませて――。

 僕はもっと早くにここを訪れるべきだったのかもしれない。

 最後に、その看護婦は僕の誤りを笑顔で訂正してくれた。

 「昇くんは確か、祥子さんのお子さんですよ」

 

 

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