思ひ出 <サッカー少年>・・・ の巻
私の小学校5・6年の頃を語ってみたいと思う。
ただ、ちょっと思い出しただけなんだけどね。
昭和57年付近のお話です。
私の小学校高学年の時代はと言うと、サッカーブーム真っ盛りの頃だった。 その火付け役は、今でも続いている漫画「キャプテン翼」である。 皆が皆、「大空 翼」や、「岬 太郎」にあこがれ、日々、サッカーの毎日だった。 その私も例に漏れる事無く、クラスでサッカーチームを作り、毎日、学校が終わると、 真っ直ぐに家に帰り、スパイクとボールを持つと、再び学校へと向かう。 私の家から、学校までは1.5Kmほど離れていて、小学生にしてみれば、かなりの距離であった。 しかし、私はその苦しみをもろともせず、ただひたすらに学校まで通うのだ。 当時は、まだ、サッカースクルールなどと言うものは存在しておらず(都会にはあったのかもしれないが) クラスのみんなとサッカーを練習し、他のクラスなどと試合をする。 それだけで、面白かったのだ。 当然、サッカーにはポジションがある。 と言う事は、 誰かが「大空 翼」であり、誰かが「若林 健造」 (こんな漢字だったけ?)なのだ。 私は、あまり団体競技には向いていなかった為か、バックスを守っていた。 と、言う事は彼しかおるまい。「石崎くん」である。 むろん、小学生なのに、スライディングまでこなすバックスだった。 成功する確立は、1/3程度だったが・・・ 我がチームは、夏が来てサッカーシーズンから外れても、尚、サッカーを続けていた。 時には、隣の小学校にも遠征に行ったし、中学生(多分1年生)とも試合をした。 もちろん、シュートの時は、ドライブシュートだの、タイガーショットだのと叫びながら打つ。 パスと時もそうだ、「行くぞ、岬くん!!」である。 暗黙の了解と言えば、そうなのだが、当時何故、翼と小次郎が同じチームなのかは定かではない。 時には、ダブルスカイアタック(ん〜名前を忘れてる)の練習もしたような気がする。 所詮は無理なので、一度きりだったのような気がするが。 もしも、当時、サッカースクールがあったなら、多分、参加していただろう。 そうなると、中学の時はサッカー部に入り・・・・・ きっと、今とは違う生き方になっていたはずだ。 今の状態に満足していないのではないが、改めて考えてみると不思議なものだ。 まぁ、今ではみんな大人(当たり前)になっており、たまに会うメンバーもいれば、 もう、10年以上会ってない者のいる。 唯一つ、当時、若林くんとなり、我がチームの守護神だった彼は、 今は高校の物理の先生となった。 今でも、若林くんと言えば、非常に喜ぶだろう。(実際、喜んでる) そんな小学生だった私も今では・・・・ あぁ〜 翼くんは今ごろ何してんだろう〜 |