生と死を見つめて・・・の巻

今回は、まじめに行きますよ。
しかも、重々しく・・・

 記にも書きましたが、先日、私が会社に入社して以来、また、同じスキー部の先輩として
日ごろから、お世話になった方が亡くなられました。
死因は「癌」だったようです。48歳実に早い死です。
私も、告別式に参列し、別れの挨拶を済ませて来ました。
遺影を見ると泣きそうになり、いろんな思いが込み上げてきました。
会社の中での会話や、スキー部としてのスキーツアーでの出来事。
走馬灯のように、駆け抜け熱い思いだけが残されていく・・・・

また、親族の方や、代表者の挨拶(故人のお兄さんでした。)などを見たり、聞いたりすると、
私の時は、また、両親の場合はどうなるだろう。などと、いろんな事を考えてしまった。
そして、涙が溢れ出そうになる。

人間の今の平均寿命は、80歳程度である。
ある学説に依ると、人間の限界寿命は180歳くらいになるのだそうだ。
(どんな学説だったかは、忘れたが、脳の成長と・・・何とかかんとか・・・)
まぁ、事実、江戸時代から寿命は格段に延びた。
100年後寿命はもっと延びているのかもしれない。
そんな事は横に置いておいて、話を元に戻そう。

我がスキー部の顧問だった方も、三年前に亡くなられた。49歳だった・・・・
その方にもよくしてもらっており、通夜にも出かけた。
耐えきれず熱いものが、私の切れ長の美しい瞳からも流れ落ちたのを記憶している。
そんな思いが蘇り、再びシンクロし始める。

人の命とは、かくも儚い物なのか。
ただ、平凡に暮らしている自分。死期は確実に近づいているのに・・・・
誰しもが、平等に持つものの一つが「死」である。
早いか、遅いかはあるだろう。しかし、今、私が思うのは、早いか・遅いかではなく、
その平等に訪れるが来た時に、後悔するかしないかだ。

その人が幸せだったかどうかは、本人にしかわからない。
私の好きなミュージシャンは歌う。
「幸せはなるものではない。感じるものだ。」と。
せめて、故人がその幸せを感じていた事を願うばかりだ。

そう思った時に、今の自分でいいのか疑問が残る。
決して、胸を張って、後悔しないとも言えない。
きっと、後悔の連続・津波となって押し寄せてくるだろう。
では、今の自分に何が出来るのだろうか・・・・・
故人に代わり、精一杯生きる事か?後悔しない自分を作る事か?
きっと、その答えは、当分の間見つける事は出来ないだろう。もしかすると、「死」の間際まで。

出棺の時、式場が駅の近くと言う事もあり、プラットホームで楽しげな家族を見かけた。
方や、こちらでは悲痛な思いを胸に泣き伏せぶ人がいる。
プラットホームでは、これからの家族の小旅行に胸を躍らす人がいる。
しかし、こうして地球は回っているのだ。そしてこうして生きている。
故人や先輩方の、道しるべを学ぶと共に、私も後世に何かを残そうと思った。
人はこうして生きてきたのだから・・・・

私はこの「かとみっく・わーるど」を精進させるべく努力している。
もし、何の前触れもなく、更新が1ヶ月以上続いたならば、
それは、私の身に何かが起こった時だ。入院か、死か・・・・・

今日、家にメールが来た。
先月、生まれた子供の写真を送ってきてくれた。
実にかわいい。親に似なくてよかったね。
そして、かなりあ三等兵の子供は、今日が1歳の誕生日だと聞いた。
身近に起こる、「生と死」であった・・・・
そして、今日、偶然にも若い姉ちゃんのパンチラを拝見。(故意ではありません。)
身近に起こる、「幸せと不幸」であった・・・・

ご冥福を心よりお祈りします。
故人の御霊が安らかに眠る事を・・・

遺言:俺の出棺の時は、新日 佐々木 健介選手の
     入場曲「テイク・ザ・ドリーム」10カウントにしてくれ!


      


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