ヒイロとゼクスが予期せぬ再会を果たしていたその頃。
プリベンターJAP地区支部に、一人の女性が訪ねてきていた。
すらりとした姿に男装に近いラフな格好ではあるが、女性的な丸さのおかげで決して男には見えない。癖のある肩より長い髪を、後ろでゆるく縛っている。
厳重なセキュリティに守られたそこの受け付けに現れた彼女は、自分の名を告げ面会希望の旨を受け付けに伝える。一般人の来訪や、まして面会の希望などめったにない機関のため、そのことを面会を希望された相手に伝えるのにひどく時間がかかった。
その間、彼女は受け付けの椅子に腰かけてじっと空を見上げていた。
澄み切った、蒼い空。
どこからも爆炎も黒煙も見えない静かな空。
そこを横切るのは飛行タイプのMSでもなく輸送艇でもなく、白い翼をもった海鳥たち。
静かで平和な情景に、知らず吐息がこぼれる。
地球圏を離れて早十数年。
ここまで静かで、安らぎの満ちたこの星にいるのは生まれてから初めてかもしれない。彼女の記憶の中の地球は、いつも戦争という暗闇とともにあった。
だから、今目の前にある平和が、まるで夢のように思えて足元が落ち着かない気持ちになる。
(せっかくの平和だというのに、私はつくづく心配性だな)
自嘲気味な笑みが口元に浮かぶ。ついこの間まで、ある意味戦場のような緊張感の中で生きてきたせいかもしれない。
人類にとって未開の地であるあの場所は、一瞬の気の緩みが死へとつながる。もっとも、そこにあるのは純然たる生存への戦い。戦う相手との命のやり取りではない分、そこには健常なる喜びがあった。
新しいものを創り上げる喜び。
ゼロからの確立。
けれど・・・・・・。
「ノイン!」
物思いに沈みかけた思考が、はじけるように目覚める。
声の方向に目をやりながら、慌てて立ち上がる。そこにある、昔と変わらない同僚の姿をみとめ、自然と笑みが浮かぶ。
「サリィ」
足早に近づいてきたサリィが、目の前で立ち止まる。その笑顔に、少しだけ皮肉が交じったような見慣れた笑顔。
「・・・・まったく、いきなり姿を消したと思ったら、突然帰ってくるなんて」
「・・・・すまない」
ちっとも申し訳なく思ってなさそうな顔でノインが詫びる。その顔を見て、サリィがため息をつく。
「そんな顔で言われてもね。神出鬼没は一緒にいた男の影響かしらね」
皮肉交じりの言葉に、ノインが笑みをこぼす。
「それに慣れているサリィも、だろう?」
変わらない問答の切り返しに、サリィは軽く肩をすくめて応えて見せた。そして改めて、手を差し出す。
「積もる話は中で聞くわ。・・・・・・・・とりあえず、お帰りなさい」
「・・・・・・・・・・あぁ、ただいま」
握った手は、暖かかった。
施設内のサリィの個人オフィスで、ソファに身を預ける。筋力に衰えはないとはいえ、さすがに久しぶりの地球の重力化で体を重く感じていたようだ。
黙っていても、目の前にノインの好きだったフレーバーの紅茶が出てくる。
自分の分にはコーヒーを入れ、サリィもソファに深く腰掛ける。
「ところで、今日は一人なの?一緒に消えた相手は?」
常に彼女が気にしていた相手が、側にいないことにサリィが首をかしげる。
「別れたの?」
「ぶふっ!!」
サリィの言葉に、思わずむせかえる。その姿に、呆れたようにタオルをさしだされた。
真っ赤になって顔を拭うノインに、サリィが皮肉ではなくあきれた声を出す。
「な〜に?いまどきの小学生だってこんな事で慌てないわよ」
いまどきの小学生は恐ろしいという思いや、それと自分は関係ないじゃないかとか、今までいた場所が場所だけにそういう生々しい感覚とは無縁だったとか、色々と浮かんだ言い訳をのみこんで、タオルを畳む。
「・・・・・すまない」
赤い顔のまま、仏頂面になった。
「まぁ、いいわ。どうせ地球にいるんでしょ?あなたが彼から遠くに離れるはずもないものね」
決めつけられてやや腹がたつが、それがまた図星なので黙っておく。
「それで?今までどうしてたの?」
「あ?あぁ・・・・。じつは、今まで・・・」
「あ、火星にいたことは知ってるから」
先を制され、言葉もなく口が開く。
「なぜ・・?」
「うん?ヒイロがそう言ってたわよ。あなたとゼクスは火星にいるって。そうなんでしょ?」
「そうなんだが・・・・」
結構な覚悟を決めて、すべてを振り切ってひっそりと生きてきたつもりだったのに。あっさりとその生存、詳細を知られていたなんて。
相手がヒイロでは仕方がない気もするが、なんだかとても切なくなった。
「まさか、それを伝えに来たわけじゃないんでしょ?」
サリィの言葉に正気に戻る。
彼女の眼は、それ以上の何かをノインの中に見たらしい。
女の勘、というより、短い間でもパートナーとしていくつかの修羅場をくぐったが故の確信だった。
饒舌なサリィの誘導に、ノインがほぅっ吐息をつく。
たしかに、ここに一人で来たのには理由はある。
ゼクスの望む、家族との対面を邪魔したくないと思ったのも一つ。そしてもう一つの理由・・・・。
「・・・・・・・・実は・・・・」
その頃
宇宙港から降りたリリーナは、いつも通り五飛の護衛で車に乗り込んだ。予定よりやや早くコロニーでの会議が終わったのだ。シャトルは予定通りのものに乗るはずだったのだが、レディが「早く帰りたいだろう」とプライベートな小型シャトルを用意してくれていたのだ。
それを伝えられた時、なぜかレディの表情が軟らかかった気がする。
(・・・・・・・・マリーとの喧嘩が終わったのかしら?)
などとのんきに思い出しながら、横に流れる景色を眺める。リリーナの隣に座っている五飛の端末が小さく着信を告げた。それにざっと目を通し、隣の彼女に気づかれない程度に目を見開く。
呼吸も仕草も、隣でいるリリーナに全く気取られないあたり、流石といえる。
「・・・・・リリーナ」
「はい?」
珍しく声をかけてきた五飛に、リリーナが振り返る。メールの画面を彼女に示した。
「支部の方にノインが来ているらしい」
車の駆動音がいやに大きく聞こえた。
「まぁ」
そしてプリベンター支部。
椅子に座ったノインが、顔をしかめて手に持ったバインダーを眺めているサリィの言葉を待っている。
恐ろしいほどの静寂。
(こんなことなら五飛やヒイロの反対なんか無視してBGM用の端末を入れておけばよかったわ)
痛いほどの沈黙と、もはや半眼に近いノインの視線、さらに結果のはさまれたバインダーに挟まれ、思わず嘆息する。
それをどう取ったのか、ノインの表情が一瞬崩れる。
「や、やっぱり・・・・、なのか・・・?」
彼女にしては珍しい、すがるような視線に慌てて首を振る。
「ち、違うわよ!って、違わないけど!いや、違うのかしら・・・・・?とにかく、あなたが思ってることとは違わないけど、やっぱり違ってて」
「さ、サリィ?」
「ああん、もう!もう、はっきり言うわよ!!」
自分でも何を言っているのか分からなくなって、サリィは勢いよくバインダーをテーブルに叩きつけた。
「あなたは病気じゃないわ!火星での活動の影響での急激な老化現象や、生体異常反応でもない!むしろ正常な人間の活動内容よ!そして、低重力圏での影響も見られないし、いたって健康体よ」
「・・・・・・では?」
首をかしげるノインの鈍さに、ぎりっと眦が上がる。
「おめでたよ!今言った通り、胎児もあなたもいたって健康!」
サリィの言葉に、ゆっくりとノインの目が開かれる。ようやく言われた内容を理解し、けれどどういう表情をすればいいのか分からない。
ここに一人で来た理由は、女性特有の悩みだった。
こればかりはゼクスに相談するわけにもいかないし、かといって地球圏での戸籍も怪しい自分が頼れる医療機関を他に思いつけなかった。
てっきり低重力の影響か、ストレスか何かだと思っていた。そして、もしかしたら、万が一でもその可能性もあるかもしれないと思ってサリィを頼ったのだ。
妊娠の可能性と同時に思いついたのは、コロニー植民時代初期の妊娠出生率の低さ。未開の地での子の成し方は、それもまた未開発なのだ。こればかりは、有志を募って実験というわけにはいかないのだから。
知らず手が下腹部に触れる。
「おめ・・でた・・?」
その手に、サリィがそっと手を重ねる。
「そうよ。・・・・・おめでとう」
柔らかな彼女の声に、ノインが表情を和らげた。
「・・・・・・・ありが」
「ノインさん!!!」
応えようとした刹那、後ろの扉が勢い良く開いた。息がとまるほどの驚きとともに振り返ると、自分の記憶の中の彼女よりずいぶん大人びたリリーナがいた。
少女から女性へと成長した彼女の表情が、なんだかやけにきらきらと輝いて見える。
「リリーナ様!」
慌てて立ち上がるノインに、リリーナが駆け寄りその両手を握った。
「嬉しいわ!ノインさんがお義姉さまになるなんて、なんて素敵なんでしょう!」
「え?」
胸元でノインの手を握りながら、笑顔満面で身を乗り出す。まったく脈絡の見えないリリーナの発言に、サリィの表情が水でもぶっかけられたような表情になっている。そして、自分も全く同じような表情をしている事は、間違いない。
そんな彼女の様子をくみ取り、わずかにリリーナが頭を下げる。
「ごめんなさい。立ち聞きするつもりはなかったのですけど、サリィさんの声が聞こえてきて・・・・。でも、本当に嬉しいわ!お兄さまも地球に帰られているんでしょう?わたくしにお義姉さまができて、レイにもいとこができるのね!」
相手はゼクスと信じて疑いもしないらしい。まぁ、無理もないだろうが。さらに言うなら、その思い込みは外れてもいない。 それよりも、さらりと今何か衝撃的なことを言わなかったか?
ノインに口を挟む余地すら与えず、リリーナがぶんぶんと両手を振る。
「結婚式も挙げないといけませんわね!お腹が大きくなる前の方がいいでしょう?つわりがないなら、今のうちの方が動きやすいでしょうし!わたくしにもお手伝いさせてください!」
「あ、あの、リリーナ様・・・・?こ、このことは・・・」
「みんなも招待しましょう!デュオ君に頼めば、きっと皆さんを運んできてくださるわ!式場は、色々候補を上げますから選んでくださいます?お料理やお花の手配はパーガンにたのみますね。衣装は・・・・、新しく縫うと時間がかかるので既成品でもかまわないかしら?」
「え、・・・・はい。ではなくて!ゼクスはまだ・・・!」
「そうね、お兄さまの分の準備は・・・。まぁ、男性は衣装さえ整えば問題ないですから、後でゆっくり捕まえましょう。楽しみだわ!!すぐにとりかからなくては!」
「リリーナ様」
意を決したノインの声に、やっとリリーナの動きが止まる。
「どうかなさいました、ノインさん?」
きらきらきら 天性のカリスマオーラというか、お姫様オーラに一瞬首を振りたくなる。
が、それを咳払い一つで抑え込む。
「リリーナ様。大変ありがたいのですが、 式とかそういうこと以前に・・・」
と続けようとした言葉が、またもやリリーナによってさえぎられる。
両手を合わせると、うんうんと頷く。
「そうですわね!まずはお兄さまを探して、早くこのことを伝えて差し上げなくては!一緒に来られているのでしょう?」
身をひるがえそうとする彼女の腕をはっしと捕まえた。こんなに落ち着きのない性格だっただろうか?と思いつつ、首を振る。
「そ、そうではなく。・・・・・・ゼクスは」
言葉を紡ごうとして、それが出てこない。正直、何をどうすればいいのか考え付かない。
リリーナの乱入で驚きでいっぱいだったが、それ以前にまだサリィに伝えられたことを受け止めきれていないのだ。
ゼクスに伝えたい。けれど、迷惑ではないのか?これから先も、彼は過酷な環境に身を置くだろう。そうすると、自分の今の状況は足手まといでしかない。もしかしたら、彼はそんな自分を疎ましく思うかもしれない。
そんな思いがあふれてくる。
言葉を詰まらせるノインを見ていたリリーナが、表情を曇らせた。
「もしかして・・・・・ノインさん。ここへはお一人で?」
「・・・・・・・・はい」
小さな肯定の声を聞いた瞬間、リリーナの拳が握られる。
「・・・・・・なんてこと・・・・」
きゅっと、その柳眉が逆立つ。
「・・・リリーナ様?」
その機嫌の急転直下ぶりに、ノインが不安げにリリーナの顔を覗き込んだ。それを払いのけるように、顔を上げる。
「お兄さまったらまた逃げたのですね!!!」
「「はぁ?」」
あまりにも突拍子のない発言に、それまで黙っていたサリィでさえ声が出る。ノインとまったく同じタイミングで、声がそろった。
「お兄さまったら朴念仁にもほどがあるわ!昔っからノインさんの前からすぐにいなくなって!!許せませんわ!!」
いやそれ違うし−−−!!
喉まで出かかった言葉が詰まる。 あの自分にも他人にも厳しい男は、少し融通の利かないところがあった。責任や使命を果たすために、自らの情を封じようとする傾向が。
さすがに今回は逃げ出さないとは思うが、あの不器用な男が未だに不器用のままだったらいろいろと面倒かもしれない。
それに加え、サリィはちらりと横を見た。
言葉に詰まっているノインの考えている事に加え、彼女の性格にも思い至っていた。不器用な男にひたすら黙してついて行く。ついて行くことが自信にとって最上だと。
だからこそ、自覚もなく言葉に詰まるのだ。彼に妊娠を告げることを。
脈絡のない発想だけど、たまに確信に近づくからリリーナは恐ろしい。まぁ、半分ぐらいは思い込みの暴走にすぎないのだけれど。
「あのねぇ、リリーナさん・・・。こういうことは二人の問題なんだから。あんまり外野がとやかく言うものじゃないのよ」
「ですが!」
「人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られちゃうわよ?」
茶化し半分のサリィの言葉に、むぅっと考え込む。
納得できるけど、承諾しかねるといったところか。なにせ10数年ぶりの兄の話が、相変わらずの甲斐性なしっぷりだったから、ついつい燃え上ってしまうのだ。
「・・・・では、お兄さまをとっ捕まえてノインさんの前には連れてきますわ。それから先は・・・・」
物騒な物言いになっているリリーナに、内心冷や汗が出る。昔から、彼女の暴走の行動力だけは半端ないことを知っているのだ。
「せっかくですが、リリーナ様・・・。ゼクスとはしばらく別行動を・・・」
その時、彼女の携帯端末の呼び出し音が鳴り響く。
「あら?ヒイロからメールだなんて、珍し・・・」
知らせに目を通すなり、くるりと身をひるがえした。
「あ、あの・・・・!」
「サリィさん!ノインさんをよろしくお願いしますね。あとで、我が家まで送ってください!大切なお体なんですから!」
ノインの声を振り切り、足早に部屋を出ていく。
まさに嵐のごとく、一方的な風にさらされた気分で取り残された。
サリィが軽く、ノインの肩をたたいた。ふたり、顔を見合わせる。そこには鏡に写したかのように同じ表情をした姿があった。
まさに、呆然自失。
思い込んだら猪突猛進。
ピースクラフトの血筋は、どこまで行っても変わらないらしい。
リリーナの携帯端末には 『ゼクスが来ている』 とだけ表示されていた。