僕の伯父さま


再会

 リリーナにメールを打ち、その端末を閉じる。
 そして未だに寝台に張り付いているレイに声をかけた。
「レイ、ゼクスはしばらく起きない。・・・・部屋に行っていろ」
「でも・・・・」
 名残惜しそうに、ゼクスの顔を振り返る。
 目を離したら消えてしまうかもしれないという不安と、先ほどの誤解をきちんと解きたいという思いでそこを離れたくないのだ。
 それを知った上で、ヒイロは一つ息をつく。
「ゼクスはどこにも行かない。それに、学校から出された課題は終わったのか?」
「っう!」
 ひきつる顔に、真実が見える。
「課題を終わらせて来い」
 珍しく有無を言わせぬ父親としての空気が、否やを許さない。
「は〜い」
 その迫力に、しぶしぶとその部屋を後にする。扉を閉める寸前、振り返った。 細くなる視界の向こうに、ゼクスに近づいていく父親の背中が見える。
「大丈夫かな・・・」
 つぶやきは、扉を閉じる音にかき消されてしまった。



「・・・・・・・・いい加減、起きたらどうだ。ゼクス」
 ヒイロの言葉が響いた瞬間、ゼクスがむくりと体を起こした。目は坐ってはいるが、先ほどとは違い理性の光も見て取れる。
「少しは目が覚めたか?」
「おかげさまで、な」
 こぶのできた頭を撫でながら、半眼のままゼクスがヒイロを振り返る。
 昔とあまり変わらない容姿だが、トレードマークだったプラチナブロンドの長髪はばっさり切られている。
 まぁ、年齢が年齢なので長髪というのは厳しかったのかもしれない。
 睡眠不足と衝撃で混乱した頭は、数時間とはいえゆっくりと体を休めたことで落ち着きを取り戻していた。頭痛がひどくなっていて、なおかつ身に覚えのないこぶが頭にできているのは不可解ではあったが。
 だが、そんな事よりも、彼の心にこびりつくこの嫌な感覚は無くなってくれてはいない。
「だが、この悪夢は覚めてはくれていないようだな」
 ゼクスの記憶にある頃よりも身長と手足が伸び、少年から青年へと成長しているかつてのライバル。
 自身が『強き戦士』と認めた男。
 そう、彼を認めてはいた。認めてはいたのだが。
「・・・・・・・・・リリーナは?」
 あえて本当に聞きたい質問を飲み込み、本来の目的を確認する。
「・・・・・・コロニーで仕事だ。次のシャトルで帰ってくる予定だと・・・」
「・・・仕事。そうか、仕事か・・・」
「あぁ」
 言葉少ななヒイロの応答に、沈黙が下りる。
 その沈黙が、ゼクスに周囲を見渡す余裕を与えた。
 暖かな寝具。柔らかな、それでいて古く荘厳な家具。そのどれもが清潔で、安心感が満ちてくる。
 ここには家庭がある。
 そう、いつの間にか大人になってしまっていた彼の妹の・・・・・夫。
 ぎゅぅぅぅぅううう。
 シーツを握りしめる手に力が入り、糊のきいたシーツが見る間に洗濯機で脱水された直後のようになっていく。
「ゼクス?」
 ただならぬ様子に、ヒイロが一歩ゼクスに近づく。その一歩が、彼の心を止めていた何かを破壊した。
 固く握られていた拳が開き、一瞬にしてそれがヒイロの首元に伸びる。
「!!」
「・・・・・それで、貴様は・・・」
「・・・買い物だ」
「そうではなく!・・・・・ここにいるということは」
「・・・・・・住んでいるからな」
「・・・護衛として?」
「・・・・本気で言っているのか?」
「私はいつも本気だ」
「そうだったな」
 間の抜けた応答。だが、至近距離でにらみ合う二人は至極真面目だった。
 確信に触れそうで、避けている応答。対応しているヒイロは無表情ではあったが、内心ため息をつきそうだった。
 ゼクスの視線が小さく泳ぐ。言葉を探すようにアイスブルーの瞳を一度閉じ、唇を湿らせる。
 脳裏によみがえるのは、リリーナと同じ瞳をもったヒイロとよく似た容姿を持つ子供。
「それで、さっきいたのは・・・・」
「・・・・・・レイか。・・・あれは俺たちの・・・」
 ヒイロの言葉がゼクスの耳朶を震わせる。その音に全神経を集中し、ヒイロの襟元の腕が知らず硬くなった。
「・・・こ」


 ばたぁぁぁあん!!!


 次の言葉を紡ぐ瞬間、大音声を響かせて部屋の扉が開放された。
「お兄さま!!!」
「リリーナ!!」
「ぐっ!」
 扉の向こうに現れた人物の声に、ゼクスが思わず両腕をひねる。不意に喉がしまり、ヒイロが思わずうめき声を漏らした。
 その場面に、3者3様に顔色が変わる。
 扉の前に立ちすくんだリリーナが、いち早く動き出した。子女にあるまじき足音を立てて、二人に駆け寄ると顔色の変ったヒイロをゼクスの腕から解放する。
「ヒイロに何をするのですか?!!」
 気の抜けた一瞬を突かれたせいで、大の男が女性一人の手に振り払われた。少しぐったりしてされるがままのヒイロを抱きしめて、きりっとゼクスを睨みつける。
「いくらお兄さまでも、わたくしのヒイロに何かしたら許しません!」
 苦労に苦労を重ね守り慈しみ、やっとの思いで再会した最愛の妹の手ひどい歓迎に、呆然としていたゼクスの脳に火が蘇る。
「わたくしのヒイロとは、一体どういうことだ!リリーナ!!」
 頭の痛みも吹き飛んで、寝台から飛び起きる。リリーナの体を揺さぶらんばかりの勢いだが、彼女も負けじと肩を張る。
「言葉のとおりですわ!ヒイロはわたくしの大切な家族です!」
「か、かかかか家族だと?!それを言うなら、この私だってお前の家族なんだぞ!」
「兄と夫なら、わたくしは夫をとります!当然でしょう!!」
「お・・・おぉぉおおぉぉっとだと・・・」
「そうです!ヒイロは、わたくしの夫!伴侶!!husband!!主人なのです!!」
 

るーらーららら〜♪

 脳裏に幼いころのリリーナの姿がよみがえる。
 母の腕に抱かれた、産まれたばかりのしわくちゃの乳児。
 まだ男か女かもわからない、力加減を誤ればすぐにその息が止まってしまう最弱の存在。
 壊してしまうのが怖くて、そっと差し出した指をリリーナの小さな柔らかな手がつかむ。
 大きく潤んだ碧緑の瞳が、ゼクスいやミリアルドの目を見つめ―――――にっこりとほほ笑んだ。
 世にいう新生児微笑。
 

 ずっきゅぅぅぅぅうううん

 その瞬間、自分の人生はこの小さな存在を守るためにこそあるのだと知った。

 それなのに!!


 避けていた事実を、リリーナの口から告げられ、さらに追い打ちがごとく連呼され、ゼクスの中で何かが切れる音が響いた。
 鬼のような表情で、血涙でも流しそうな勢いだ。
「け、けけ結婚なんて、私は許した覚えはないぞ!!」
「許しを乞うた覚えがないから当然です!そもそも、どこにいるのか連絡さえよこさない人に結婚の許可をいただく必要性がありますか?!」
「そんなもの、どうにかすれば取れたはずだ!」
「誰にも黙って行方をくらませた人の言うことですか?!!」
「だからといって勝手に結婚をしていいはずがなかろう!」
「わたくしは子供ではないのです!結婚くらい、自分の意思で決めます!!」
「あまつさえ、あんな大きな子供まで・・・・」
 自分の言葉で傷ついて、言葉がそこでとまる。先ほどの子供・・・。ずいぶんと大きかったような気がする。
「レイに会ったのですか?」
 見開かれ、少し嬉しそうなリリーナの表情に疑問がストレートに出てしまう。
「幾つなんだ?」
「今年で10歳です」
 するりと応える言葉に、つい逆算してしまう。
 あの子が10歳ということは、産まれたのは10年前ということで・・・。
 ということはその時リリーナは19歳?下手をすると妊娠したのはそのさらに前・・・・?

「10代で子供を産んだのか?!!!」

 絶叫に近い悲鳴のような声に、リリーナが思わず肩をすくめてしまう。そのすきに、ゼクスはヒイロの首を再度掴んだ。
 兄妹げんかの勢いに口を挟めず眺めていたヒイロは、完全に虚を突かれた形になった。
 無理に引き起こされた正面に、怒りに満ちたゼクスの表情があった。
「貴様―――!!!私のリリーナになんてことを!!!」
「やめてください、お兄さま!」
「止めるなリリーナ!!わたしは、こいつを一人の男として認めていたのだ!それなのに、貴様は何も知らないリリーナをけ、けけけけが、汚したというのか!!」
「げ、下世話な想像をしないでください!」
「何が下世話だ!!本当のことだろう!!」
「わたくしだって、いつまでも子供ではありません!」
「子供を産んだ時は、誰が見ても子供みたいな年ではないか!!」
「お兄さまがOZの将校になったのと同じ年齢ですわ!」
「子を産むのと将校になるのとは違う話だ!」
「大人か子供かという話なのでしたら、たいして変わりません!!」
「屁理屈を言うんじゃない!」
「お兄さまこそ、理不尽も大概にしてください!!」
 面と向かって言葉を挟むのさえ憚られる言葉の応酬に、ヒイロは大きくため息を吐いた。
 不毛
 その一言に尽きる。
 世の兄妹げんかというのは、こうも激しくこっぱずかしいものなのだろうか。とりあえず二人を落ち着かせないことにも、話しが進まないようだ。
「ゼクス・・・・」
 何といって説得すべきか。一瞬言葉に迷った刹那、ゼクスの矛先が再びヒイロに変わる。
「とにかく!私は貴様との結婚なんて許さないからな!!」
「許さないも何も・・・」
 もうすでに結婚しているし、子供だって10歳なんだが・・・。
 だが、何かに燃えたぎっているライトニングは聞いちゃいねぇ。
「ヒイロ・ユイ!リリーナが欲しくば、この私を倒してから行けィ!!!」
「寝台に上がるな。人を指差すな。行儀の悪い」
 寝台の高みからずびしぃっと指差すゼクスに、氷点下並みに冷たい言葉をかける。だが、彼の炎には焼け石に水のごとく、まったく効果がない。
「お兄さま!!ヒイロと争うだなんて、今更どうしてそんなことが必要なのですか」
 昔同じような言葉を、リリーナがゼクスにかけたことがあった。しかし、あの時より今の法がまったくもって理にかなって聞こえるのは皮肉なものだ。
「止めるなリリーナ!・・・・不器用な兄と笑わば笑え・・・。だが!!!」
 寝台横に置いてあった外套をつかむと、バサッと翻し羽織った。
 あっけにとられる二人の隙をつき、寝台を飛び降り扉の前に立つ。
「おにいさま!!」
 リリーナの声に、ゼクスが体ごと振り返った。
「これは私には必要な・・・っが!!!」
 立ち止り何事かを言おうとしたゼクスの言葉が、不意に開いた扉によって途切れる。
 ちょうどあいた扉の角がクリーンヒットしたらしい。


「何事だ、騒がしい」
 呆れた表情を隠そうともせず、扉を開け放った人物−五飛―が呆れたように溜息がてら言葉を落とした。
 その横には、あまりにもの騒ぎに出てきたらしいレイが付いている。彼の表情は五飛とは違い、まさしく動揺そのものだった。
 あまりにも騒がしい部屋の様子に、リリーナを送ってきた五飛を呼んできたのだ。
「・・・・五飛か。・・・・・・すまない、助かった」
 珍しく素直に謝辞を述べ、床に転がるゼクスに近づく。



ぴんぽーん



 玄関のインターホンが間抜けに響く。
 
 新たな来客が、やってきたようだ。

 まだまだ嵐は続く様相である。




←back   next→