僕の伯父さま


おやすみ

 大きな屋敷の広い応接間に、今では身内といえる人間が集まっていた。
 その屋敷の構成家族である3人の正面のソファに座っているのは、ノインだ。
 彼女を送ってきたサリィは、ヒイロの要請で上階で意識を失っているゼクスを診ている。五飛は、再びゼクスが錯乱した時用に彼女の後ろについているはずだ。
10数年ぶりに顔を合わせたノインは、記憶にあるより少し痩せてはいるようだが女性らしい柔らかさは増していた。その表情が、彼らの間にちょこんと座っている少年にくぎ付けになって動かない。
出会ったころのヒイロを幼くしたようなその容姿。ただ、瞳だけがリリーナと同じナイルブルーに輝いている。
 瞬きを忘れていたノインの耳に、リリーナの弾むような声が響く。
「レイ。この方は、ルクレツィア・ノイン。ノインさん。わたくしとヒイロの古い友人で、お兄さまの大切な方なのよ。サンクキングダムにいた頃には、わたくしの近衛をしてくださっていたの」
その好奇心は母親譲りなのだろうか。両親の旧友であり、ゼクスのパートナーと紹介された自分にきらきらしいまでの瞳をまっすぐに向けてくる。
「はじめまして!レイ・D・ユイです。・・・・えっと」
 遠慮がちに戸惑い、口ごもるヒイロの子供版の姿に思わず口元がほころぶ。
「ノインでいい」
「はい!ノインさん」
 清々しいまでの素直さ全開のレイの言動が、容姿がヒイロに酷似しているだけに違和感というか新鮮な驚きに笑いの衝動がこみ上げてきてしまう。
 思わず口元を押さえてしまうノインに、ヒイロがほんの少し不機嫌そうに視線を向ける。
「ノイン・・・・」
 半ば咎めるようなその様子も横に座っているレイのきょとんとした様相と相まって、何とも言えない対比を産んでいるのだ。
「す、すまない・・・、だが!!」
 肩を震わせるノインに、リリーナの笑いが重なる。
「リリーナ・・・」
「仕方ないわ、ヒイロ。だって、今までだってみんなそうだったでしょう?」
 非難がましいヒイロの言葉を一笑に伏し、戸惑いを表情に浮かべてリリーナを見上げているレイの頭を撫でる。
「レイがあまりにもヒイロに似ているけれど、似ていなくてみんな戸惑っているの」
「?」
 10歳にはやや難解な説明ではあるが、言わんとすることはわかったらしい。レイが大人しく頷く。
 同じようなやり取りは幼いころから繰り返されてはいたが、ここ最近はなかったので少し忘れていた感覚だったのだ。
 もっとも、デュオだけは何回あってもげらげらと馬鹿笑いしながらぐりんぐりんと頭をかき乱されることが繰り返されていたが。




(しかし・・・・)
 笑いの発作を鎮め、まじまじと正面に座る3人を見る。
 誰が見ても、親子とわかるその3人。こんな姿をゼクスが見たら・・・・・。と、そこまで思い立って、ふと思い出す
「そういえば、ゼクスは?」
 先にこちらに来ている可能性を考えてはいたが、着いた早々昏倒していると聞いて息が止まるかと思った。火星から帰る際に、ほぼ不眠不休でシャトルを操縦していたせいなのだろうか?(自動操縦では遅すぎると、ゼクスがあえて手動で動かしていたのだ)
それとも、火星圏での無理が、今頃になって大きく表れたのだろうか?
そんな驚愕をよそに、一緒に来たサリィにヒイロが淡々とその診察を依頼していた。
 心配そうなノインに視線を向け、ヒイロが心配ないという風に頭を振る。
「・・・・・・ゼクスなら、上で寝ている。疲れが少し出ているようだが、問題ない」
「そうか」
 ほっと息をつくノインは気付いていなかった。
 ものすごい不信というか不満というか不安というか、とにかく様々な戸惑いを一緒にしてどういう顔をしたらいいのか分からなくなった表情をしたレイが、ヒイロを見つめていた事に。
 素早くそれに気づいたヒイロが、さりげない仕草でレイの頬をむにゅっとつまんだ。アヒル口になったレイが、無言で非難の目を向けるがヒイロは涼しい顔でそれを受け流す。
 そのさりげなさが、ノインに不審を抱かせずにすむ結果となった。
 安堵するノインに、喜色満面といった様子のリリーナが話を進める。
「お兄さまが目を覚ましたら、大事なお話をしなくてはなりませんね。ノインさんも今は移動は控えた方がよろしいでしょう?しばらくこちらにお兄さまと一緒にいらしたら?それとも、しばらくは二人だけの方がよろしいかしら?もしそうなら、近くの別荘を手配しますわ。何人か、家のことをする人間がいた方がいいでしょうし、やることはたくさんですけど、ノインさんはただゆっくりしていてくださいね」
「いえ、あの・・」
 矢継ぎ早なリリーナの提案を、何と言ってさえぎろうか口ごもるノインとリリーナの話の内容に、男二人が少々首をかしげる。
「ノインさんと伯父様は、うちで一緒に暮らすの?」
 リリーナに顔を向けたレイに、リリーナは慈母のような微笑みを向ける。もっとも、そのほほ笑みは彼女の強情な内面を知っているものにとってみれば、そのほほ笑みは強固な意志の表れのも見えるのだが。
「それは、これからのお兄さま次第ね。でも、少なくともノインさんはしばらくは近くにいてもらわないと」
「・・・・そうか」
 二人のやり取りに、静かにヒイロが頷いた。何事かを察したのかもしれないが、その乏しい表情からはうかがえない。けれど、余計な詮索をされない分、気は楽ではあるが。
「とりあえず・・・・・、お兄さまに落ち着いてもらわなくては始まらないのですね」
 軽く両手を合わせるリリーナの発言に、ノインは今のゼクスの状態を悟った。
(・・・・・・・やはり、すこし錯乱したのか・・・・)
 実際は少しどころではないのだが、そこは愛情フィルターであろう。
 その時、階上から扉の開閉する音が聞こえた。
 詩うかな開閉音だから、ゼクスではないだろう。視線を階段に向けると、案の定サリィと五飛が下りてくる。二人とも、表情がやや疲れて見えるのは気のせいだろうか。
「サリィ!ゼクスは?」
 心配そうに立ち上がるノインを片手で制しながら、サリィは眉間のしわをほぐすかのように指をあてている。
 先ほどまでのゼクスの様子を思い出し、ため息がこぼれそうなのをこらえた。



 ベッド上に横になっている男と直接会うのは初めてだった。
 記憶にある姿よりそれなりに年齢を重ねてはいるが、その精悍さは変わらない。黙っていれば、確かに王子様だ。
しかし、その薄い唇から洩れてくる言葉にはめまいを覚えた。
 端正な表情を苦しそうにゆがめながら
「私のリリーナが・・!」
 とか
「子供だとぅぅぅぅ・・・」
とか
「ヒイロ・・・・・コロス!」
 とか、聞いているだけでうんざりするくらい何があったのか想像がついた。後ろに立っている五飛が何とも言えないため息をついたのが聞こえた。
 かつて自分を苦しめた戦士のなれの果て(?)にいささか気分がささくれ立っているようだ。
「五飛?」
「何でもない。・・・どうなんだ?」
 眉間のしわを隠そうともせず、五飛が顎でゼクスを指す。
「心配ないわ。睡眠不足の上に、・・・・・・・なにかショックでも受けたのね。しばらくぐっすり眠れば・・・・・正気に戻ると思うわ」
 なにげにひどいことをさらさらと言ってのけ、視線をゼクスに戻す。
「まったく、ノインがこんな時なのに・・・・。どっちにしろ、こんな状態だと話どころじゃないわね。しばらくはここで休ませるようにヒイロに・・・・」
 とサリィが言った瞬間、目の前の男が跳ね起きた。
 まさに鬼気迫る表情といった感じで、両手を振り上げる。
「ヒイローーーー!!」
「きゃぁぁぁああ!!!」
「ぬっ!!」
 
 ごぃぃいいいん


「・・・・・・・・五飛」
「・・・・・なんだ」
「・・・・・それ、どうしたの」
「・・・・・・ここにあった」
 五飛の握っているもの。ヒイロがさんざん酷使したおかげでもはや本来の用途に戻れなくなってしまった、哀れなフライパンだった。
 再び寝台に沈んだゼクスを見下ろし、まったく同じタイミングで目を見合わせた。
「ぐっすり眠れば、正気に戻るのか・・・・・?」
「・・・・おそらく、・・・・いえ、たぶん」
「・・・・・・・すでに正気だったりしてな」
「・・・・・やめてよ。私もちょっとそう思ってるんだから」
 そう言いながら、持ってきた薬の中からアンプルを一本取り出した。
 それは、健康な人に打てば3日は目覚めない強力な睡眠導入剤。だが、ここまで神経が高ぶっているゼクスにはちょうどよかろう。
 サリィはためらうことなくそれをゼクスに投与した。
「・・・・これでしばらくは静かね」
 さわやかな笑顔のサリィに五飛が疑惑に満ちた顔を向ける。
「・・・・効くのか」
「・・・たぶんね。効かなかったら、またそれの出番でしょ」
 二人の視線が落ちた先には、物言わぬひしゃげたフライパンが佇んでいた。



「サリィ?」
 難しい顔をして黙り込んでしまったサリィに、ノインが表情を硬くして声をかける。
「あ?あぁ、大丈夫よ。とりあえず、今日はこのまま静かに眠るようにしておいたから。放っておけば大丈夫よ」 
 特に、と付け加えてヒイロたち一家に視線を移す。
「いい!静かに、よ!」
 彼女の言わんとしている事を悟ったヒイロが、頷いて返す。
「了解した。ノインには別室を用意しよう。今日はそこで休んで、明日はここから一番近い保養地の別荘を用意しておく。しばらくは動けないのだから、身の回りを任せる者もいた方がいいだろう」
 ヒイロの提案に、リリーナが頷く。さすがにノインも、二人に押されると否とはいえない。なによりゼクスが心配でもあったし、自分自身不安でもあったからだ。
「そうね。ノインさんも今日は疲れたでしょう?ゆっくりなさって、お兄さまとは明日話しましょう。レイ、ノインさんを客室にご案内して」
「はーい」
 リリーナの言葉に、レイがポンとソファから飛び降りた。そして、ノインの先に立ち歩き始める。
「どうぞ。こっちです」
 小さな紳士の誘導に、再び湧き上がる笑いの衝動を抑え微笑みでとどめて頷いた。
「よろしく頼む」



 階上に消える二人を見送り、残った4人が顔を見合わせた。その表情は一人を除き、疲れが見て取れた。
「では、わたくしはノインさんが明日から過ごす別荘を準備するようパーガンに伝えてきます。お二人はゆっくりしていってくださいね」
 ただひとり疲れの見えなかったリリーナが優雅に頭を下げると、そのまま踵を返した。執務室にいるパーガンに明日からのことを相談に行ったのだろう。
 彼女が去った後、サリィは同情に満ちた視線をヒイロに向けた。
「・・・・あなたも大変ねぇ。まさか10年もたってまで、義理のお兄さんと争うことになるなんて。どうやって説得するの?」
 先ほどまでのうんざりした表情に加え、どことなく物見高い苦笑いを加えたサリィの言葉にヒイロの眉間のしわが深まる。
 どうやって、等と言われたところでヒイロに何か答えがあるはずもない。元来、無口無愛想無鉄砲の3拍子人間なのだ。そうそう相手をうまく言いくるめられるわけがない。
 しかも、今のゼクスはややまともとは言えない。
 あの戦争の時の方がもっと理知的に会話ができていた。今のゼクスは、肉親の愛情(妄執)に凝り固まった、ただのシスコンでしかないのだ。
 感情のままに生きることは正しいことだが、あれは感情が暴走している。
 黙り込んでしまったヒイロに、五飛が同感だというように頷く。こういった状況は、この二人に打開策が浮かぶはずもない。
 黙り込む二人に、サリィは軽く肩をすくめた。
「カトルにでも聞いてみたら?あなたたち二人が顔を並べてるより、意見が出るんじゃない?」
 サリィの言葉に目を合わせる二人。
確かにカトルは五人の中で一番人当たりが良い。・・・のだが、なんとなく不安になるのはなぜだろうか。


とりあえず、今夜は静かに過ごせるようだった・・・。


 明日から・・・・・勝負!・・・?



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