勉強机の上に、古いアルバムが載っている。
古びた感じの表紙には、今は亡き王国の紋章が箔押しされている。
そのページをぱらりとめくると、日常生活には向かないドレス姿の紳士や淑女が大勢並んだ写真がある。その写真は小さすぎて、人物たちの表情はあまり見てとれない。
ぱらぱらとめくると、やがて家族の写真が増えてくる。
厳格そうな顔をした、巻き毛の壮年男性。頭には、輝かしい王冠が載っている。その隣には、母によく似た人がはかなげな微笑みを浮かべて坐っていた。
母によく似ているが、母はこんなにけぶるような表情はしない。うまく言えないが、目に宿る光が違うのだ。
写真は色々とあったが、その2人を中心にしている事は見て取れた。よくよく注意してみると、皺がほとんどないパーガンや、写真でしか見たことのない祖父、若いころの祖母も見て取れる。
やがて写真に映る人数が2人から3人に増えた。
白金に髪を持つ、男の子。その身なりから王子だとすぐわかる。
もともといた2人に囲まれ、どんどんと大きくなっていった。
そして、それからまた人数が増える。
今度は女の子。
その乳児を抱いた母親の横で、その手元を覗き込んでいる少年の顔。輝くような笑顔で、自分の妹を見つめている。
「兄妹かぁ」
レイがアルバムを眺めながらつぶやいた。
そのアルバムは、ずいぶん前に祖母と母が見せてくれたものだ。滅びたサンクキングダムから逃れた後、かつての縁者を頼り集めて作ったものらしい。
結婚した頃に祖母が母に譲り、それを家に保管していたものだ。
一人っ子の彼には、兄妹に対する愛着や執着というものがどうにも理解しがたいものだった。
肉親の情と言われれば多少はわかるが、自分は庇護される対象なのでやはり根本的には違うのかもしれない。
「母さまを取られちゃったみたいな感じなのかなぁ」
ぼんやりとそう思う。
それに、父とゼクスの過去はあまりにも有名だ。
世間には父がガンダムパイロットと知られていないが、それでもこの2人に関する因縁の様なものだけで創作物があふれている。
それは映像化商品しかり、書籍しかり、さらには大小様々なネット上のコミュニティまで。
父がガンダムパイロットとわかった後に、その資料(?)をみて、何とも言えない気持ちになった。
混乱、当惑、驚愕。色々ありすぎて覚えてもいないが、大体には目を通していた。
今回、ゼクスが帰ってきたことで疑問に思っていたことが抑えきれなくなった。
ノインを案内した後、こっそりと父に聞いてみた。
「父さまと伯父様って、仲が悪かったの?」
「・・・いや」
「じゃぁ、・・・・・・・キライだった?」
「・・・・・いや」
「それじゃ、どうして何回も戦って、最後はあんな風に戦うことになっちゃうの?」
歴史の裏側を、資料は語ってくれない。
そのとき、何があったかは資料や証言から枠だけは見えてくる。けれど、この二人の衝突は戦場だからとか、立場だからとか以上にぶつかっているという情報がある。
たとえば、南極。
ガンダムを失ってしまった父を探し出し、破壊された機体まで修復して戦った南極。ガンダムがなくなれば、父はただのテロリスト。それにわざわざ武器を与えて一騎打ちなど、意味がわからない。
それに、2度目のサンクキングダム崩壊の際の戦闘。包囲を破った後に、なぜか二機が戦闘したという記録がある。
そして、最後の戦闘行為。
2人は憎み合っていたのだろうか?
それなのに、母とは結婚した。
レイの言葉に、ヒイロは一度視線を遠くにやった。昔を思い出しているのか、その表情からは何も読み取れない。
「あの頃・・・・・・・・」
ヒイロがゆっくりと口を開いた。
「ゼクスは、ゼクスのやり方で平和を探していた。俺も、俺のやるべきことを探していた。最初、俺たちはその迷いの答えを戦う中で見出そうとした。その戦いの中、なぜかいつもお互いが目の前にいただけだ」
「・・・・それって、単に戦場で会う機会が多かったから戦っただけってこと?」
レイの言葉に、ヒイロが視線を戻す。
「少し違うかもしれん。・・・・俺たちは迷うところが似ていた。そして、迷った結果に最後にした選択が違った」
ヒイロの大きな手がレイの頭を包む。
「だからこそ、あいつはホワイトファングを利用し、トレーズがそれに応えた。俺たちはそれに相容れなかったから、戦闘になった」
ヒイロの言葉に、レイが唸る。
なんとなくわかるのだが、抽象的すぎて理解ができない。
頭をひねるレイに、ヒイロは柔らかい笑みを向けた。
「俺たちは、別に憎しみ合っていたわけじゃない。・・・・・むしろ、人としては認めているつもりだ」
ヒイロの言葉に、はじめてレイが息をついた。けれど、新しい疑問が首をもたげてくる。
「じゃあ、・・・・伯父さまは父さまのことキライ・・・・なの?」
遠慮がちではあるがドストレートな子供の問いに、一瞬無表情で言葉に詰まる。
「そうだな・・・・。・・・レイ。お前は男相手に、
『俺のことが好きか?』
と聞くことはあるか?」
「ない」
ヒイロの質問に、肌が粟立つのを感じつつ即答する。そんな場面を一瞬でも騒々しそうになって、血が引く。
そのレイの表情にうなづきながら、頭に置いていた手を離す。
「・・・そういうことだ。あいつの心は知らん」
「・・・・・そぅ」
しゅんと、首を垂れる。身内が喧嘩しているのを見たことがないレイにとって、今回の騒動は驚きとともに理解しがたいものなのだろう。
落ち込んでしまった息子に、ヒイロはもう一度微笑みかけた。
「心配ない。ゼクスは・・・・すこし疲れているだけだ。それに、地球には10年以上帰っていなかったんだ。昔と違うことが多くて少し混乱しているだけだろう」
「混乱?」
「・・・子供だと思っていたリリーナが大人になっていて驚いているんだ。慣れれば落ち着く」
「本当に?」
「あぁ。ゼクスも良い大人なんだから、心配するな」
半ば自分に言い聞かせるように、ヒイロは頷いて見せた。
「わかった!ありがとう、父さま!!」
ほっとしたように息を吐き、軽く頷いた。
そういう会話をして、部屋に戻った。
とりあえず、父はゼクスを嫌ってないということは納得できた。しかしゼクスに関しては・・・・。
「でもなぁ・・・・」
今日見たゼクスの鬼気迫る表情に、父がウソをついていたのではないかという疑念がわいてくる。
少なくともゼクスの方は、ヒイロのことを完全に敵視している。
父の言葉を信じるならば、だんだんと慣れていくということだろうか。
「おとなって複雑だ」
小さくつぶやく。
はっきり言って、レイの家ほど複雑な大人模様の家は地球圏広といえどもそうそうあるものではないのだが。
アルバムを閉じたとき、扉をノックする音が聞こえた。返事をするとパーガンが姿を現した。
「レイ様。もうそろそろお休みになりませんと、明日起きられませんぞ」
明かりがついていたので起きてる事がばれてしまったらしい。
「はーい」
素直に返事をして、寝台に向かう。
温かい布団の潜り込むと、ぽんぽんとパーガンがシーツを整えてくれた。
スタンドライトの明かりに照らされて、パーガンの顔のしわがより深く見える。アルバムにあったつやつやのパーガンが不思議と重なった。
「ねぇ、パーガン」
「はい、なんでございましょう?」
「伯父さまと父さまって・・・・」
途中まで聞きかけて、どう質問していいか分からず言葉に詰まる。そんな様子を察し、パーガンがさらに顔のしわを深くした。
「あのお二人は、・・・そうですね、言葉ではなかなか説明しにくうございますな。言うなれば、ライバルであり理解者であり、同じ理想を求める同志でもありました」
「同志?・・・・でも、じゃあ、なんであんな・・・怒ってるの?」
レイの言葉に、パーガンは初めて声をあげて笑った。
「・・・・それは難しいですな。強いて言えば、リリーナ様とヒイロ様が大人になっておいでで混乱しておられるのでしょう。大丈夫、もともとは聡明なお方です。ヒイロ様たちときちんとお話になれば誤解も解けるでしょう」
「・・・ふ〜ん」
やっぱり、『混乱』なのか。
考えてみれば家族や顔見知りと会わずに10年以上・・・。しかも情報網が確立されていない僻地にいたのだ。いくらリリーナが有名とはいえ、あちらにまで詳細が届いていたとは考えにくい。
「10年かぁ・・・。僕は、それだけ経つと・・・・」
自分のことに置き換えて考えてみる。
自分が今から10年後。20歳だ・・・・・。何をしているのか、想像できない。
両親は40前。・・・・・二人はあまり変わってない気がする。
「難しいなぁ」
「そうですね。たとえば、レイ様が寄宿舎なりにお入りになって、3年ほどして帰ってきたら兄妹が増えていた・・・とすれば如何です?」
パーガンの言葉に、なぜかリアルにそれが想像できた。
「・・・っう!なんだか分からないけど、なんだかもやもやする」
苦虫をかみつぶしたような表情のレイに、小さく笑い寝台わきから離れる。
「そのようなものですよ。・・・・・もう、電気を消しましょう。これ以上遅くなると、本当に明日起きられなくなります」
簡単に勉強机の上を整え、スタンドライトの電源に指をかける。
「うん。お休みパーガン」
「おやすみなさいませ」
軽い音とともに、部屋が闇に包まれた。
ついで扉が開閉され、パーガンが出ていく。
静かになった部屋の中で、レイはゆっくりと眼を閉じた。
その日
すこし夢見が悪かったのは、誰にも内緒である。
地下にある通信施設。
目の前にあるモニターに、金髪の青年の姿が映されている。
少し前まで真剣に話を聞いていたのだが、話を聞き終わるや否や背を向けて肩を小刻みに震わせている。
「・・・・・・・・・カトル」
普通にしてても仏頂面に見える顔をさらに仏頂面にしたヒイロが、非難を込めた声を出す。
五飛には同情され、サリィには面白がられ、カトルにはこれだ。それに、これを苦労だととらえているのは身内の中ではヒイロのみ。
もはやため息しかつけない。
『すみません』
まだ肩を震わせたカトルが、口元を手で隠したまま振り返る。
目元に浮かんだ涙をさりげなく拭うと、口調と表情を改めた。その切り替えの早さは、なんというか流石としか言いようがない。
『それにしても、今さら大変だね。結婚して、子供までいるのにね・・・。あぁ、既成事実があるから余計に怒り狂ったのかな』
あははは、と軽く笑い声を立てるカトルに、正直めまいを覚えた。
わかっている。
五飛にしてもサリィにしてもカトルにしても他人事なのだ。
ため息をつき、腕を組む。
「・・・サリィが、カトルなら何か考えが浮かぶかもしれないと言っていたんだが・・・」
ヒイロの言葉に、カトルが首をかしげる。
『まぁ、ヒイロや五飛はこういうこと苦手でしょうからね。・・・とはいっても、僕もそんなにそういう場面に遭遇したことはないですけどね』
そんなにってことは、少しはあるのか?というか、自分の時はどうだったんだ?
などとは聞かず、ヒイロは黙って先を促す。
『でも、こういうことなら、口のうまいデュオとかにも相談した方がいいんじゃないかな?』
カトルの提案に、ヒイロは軽く首を振った。
「絶対に面白がって見に来るだけだ」
『それもそうだね』
断言するヒイロに苦笑を返しながら、カトルは顎に手をあてて少し考え込む。
やはり、無理か。
頭の中に、昔のゼクスとはあまりに違う今のゼクスの姿が思い起こされる。
未だかつて見たことがないほどの形相。ああいうのを鬼の様な、とでもいうのだろうか。
もはや正気さえ疑うような状態だ。
やはり、あの超シスコン暴走兄貴を止めるには実力行使しかないのだろうか。
頭の中にいくつかの物騒な計画が浮かんでくるのを止められない。そのために必要な道具の調達方法まで考えが至った時、カトルが軽快な音を立てて両手を打ち合わせた。
『そうだ!前に姉さん達に無理やり見せられたあれに同じような状況があった!』
画面の中のカトルが、ふふふと笑う。
その笑顔が、かつての記憶を揺り起こす。
(人選を誤ったか・・・・・?)
『大丈夫だと思うよ。僕を信じてください』
ヒイロの、声にならない言葉を読み取ったかのようなカトルの応答にわからない程度に身をすくませる。
『とりあえず、それをまとめた資料を送りますね。詳しい話はそれからの方がいいでしょう。大丈夫ですよ、すぐに送れますから。ちょっと待っていてくださいね』
笑顔でそれだけ言うと、通信が切れた。
カトルは自信満々だったが、なんとなく不安を覚えるのはなぜだろう。
なにぶん彼らはガンダムパイロット。
戦闘、戦略、工作に関しては右に倣う者のない専門家ではあるが、世間一般の諸事万端に関してはやはり少しづつ(?)ずれているところがある。
一番ずれていないのはデュオなのだろうが、ズレてなさ過ぎて今回のことは伏せておきたかった。なにせ、世間一般にありそうな揉め事ではあるが、世間一般とは違うも目方をしているのは明らかなのだから。
ピ と軽い電子音が響き、カトルから何がしかの情報が送られてきている事に気付いた。
届く端からそれを開いていく。
どうやら動画のようだ。
「・・・・これは?」
『届きましたか?』
再び現れたカトルが、にこにこと手を振っている。
『なんとなくですけど、似てるでしょう?参考になるかと思って』
「・・・・だが、これは」
動画を見ながら、ヒイロの頬に一筋の汗が流れる。
『大丈夫!・・・・僕の言うところまで早送りにしてもらえますか?そこを参考にして、彼を説得する方法を思いついたので』
言われたとおりの時間にカーソルを移動する。
≪・・・おにいちゃ・・・!どう・・・わかってくれ・・・の?!≫
≪・・・・・・の骨・・、・・・・れるか!!!!≫
二人の間に音声が流れる。
その内容は、確かに今回の状況に酷似している。酷似してはいるが・・・・・。
『あ、ここです!ここですよ、ヒイロ!!』
静止した画像の横に、カトル策と思われる作戦の内容が記載されていた。
その内容を読むヒイロに、カトルが言葉をかぶせてくる。
『その通りに彼に言ってください。きっと折れると思うよ』
つらつらと読む内容に、正直頭痛を覚えた。
「カトル・・・・・」
『なんだいヒイロ?』
「これを、俺に言えというのか?」
『そうだよ。他にも同じようなのが色々あったけど、総合的にみるとこれが一番効果的なんだ』
「しかし、カトル・・・・・」
反論を重ねようとするヒイロに、カトルが笑顔を返す。
ニコニコとほほ笑む背後に、こころなし黒いオーラが見える気がした。
今のカトルには逆らってはいけない・・・・
『まぁ、これは任務だとでも思って!』
「む・・・」
『健闘を祈ってるよ、ヒイロ』
「了解した・・・・・・・・・」
未だかつてないほど眉間にしわを刻んだヒイロが低い声で答える。
それを受け、カトルは満足そうに頷くと通信を切った。
≪・・・で・・・のこと・・・(泣)≫
≪・・・にい・ん・・!!(泣)≫
静かな空間に、動画の音声だけが小さく響く。
空々しいまでの台詞の大仰さに、ため息が漏れた。
その動画は 真夜中の人魚姫 とかいうタイトルの、いわいる昼ドラといわれるジャンルのものだということをヒイロは、そして幸か不幸かカトルも知らない。
知らないのは返って幸せなのかもしれなかった。