僕の伯父さま


宣戦布告




草木も眠る丑三つ時・・・・・
 というには少し、いやかなり遅い時間。
 すでに東の空は群青に染まり始め、いま少し経てば朝焼けに燃える空が拝める。そんな時間。
「ふふふふふ。あれしきの事でこの私があきらめると思うなよ」
 闇に隠れるにはいささか明るすぎる髪をした男が、口元に暗い笑みを浮かべながら屋敷の中を歩いている。灯の落ちた屋敷は、音が響きそうなものだが彼は足音すら立てていない。
 誰かに目撃され、通報されれば一発で拘束されるに違いない。
 だがそこは、パパラッチ対策のため外部からは容易に伺えないようにしている場所だ。この家の主の仕事なので、ぬかりがあろうはずもない。
 彼の目的は、この屋敷の3階にある主寝室。そこには、彼が命がけで守ろうと決めた宝物がある。
 かわいくて美しくて聡明で利発で快濶で行動派で優しくてけなげで無邪気で努力家で(以下エンドレス)
 そんな完璧な・・・・大切なたった一人残された家族。
 彼女が大切だからこそ、彼女が望む未来を手に入れるためにあえて彼女の側を離れた。
 旅立った先の環境は、やはり苛酷なものだった。
 戦場には何もないから、多少の苦難なら耐えられると思っていた。だがそこは、想像のはるか上をいっていた。
 水も、空気も、どんな宝玉よりも貴重なもの。
 その環境に立って初めて、コロニー居住者たちの死と隣り合わせの生活を実感した。
 今まで地球にいた彼からしてみれば、水や空気は当り前にあるものだった。むしろ、火をいかに使うかの方に重点を置いていた。
 
 思考がそれた。
 
 そんな苦労を苦労とは思わず日夜マーズテラフォーミングに尽力したのは、かわいく聡明で(以下略)な妹が、平和を築くためにそのフロンティアが必要だと判断していたからだ。
(それなのに!!!!)
 帰ってきたら、彼女は大人になっていた。
 母によく似て美しく凛々しく、そして父に似て芯の強い女性になっていた。
 それは火星で彼が想像していたのよりもさらに上をいく変化だった。
 けれど、その横に不要なものがくっついている。
(ヒイロ・ユイめ!!)
 思い出しただけで、血管が切れそうなほどの怒りがこみ上げる。
 自分は、ヒイロのことを認めていた。
 何度も刃を交わし、最後の最後に彼の前に現れてくれた・・・・最高の好敵手。
 彼がいたからこそ、自分は己の生きる道を定めることができたのだと、思っている。
 
 思い返してみれば・・・・たしかにリリーナの陰にはヒイロがいた。
 南極のときなんか、接近戦を繰り広げている2機の間にシャトルで割り込むという無茶までして。
 それに、サンクキングダムが攻め込まれた時。あの戦場に最後まで立っていたのはヒイロだ。
 さらにあの最終決戦の時、リリーナが会いに来た時ごく自然にヒイロがそばにいた。
 あの時は、リリーナのまぶしさに目がくらんで考えもしなかったが・・・、もしや。
(リリーナのストーカーだったのか!!)

      激しく違う

        むしろリリーナのほうがストー(げふげふ)

 少し冷静に考えれば違うことなど明白。デュオなどにいわせれば
『お嬢さんがヒイロにぞっこんで、いろんなところを追っかけまわしてたって・・・・・言っても無駄か』
 ってなものである。

 ぎりぎりぎりぎり

 かみしめた奥歯が不快な音を奏でる。
「とりあえず、邪魔者は排除せねばいかんな」
 ぎりっと両手に持ったロープをひっぱる。
 とりあえず拘束して、リリーナの傍から引き離す。
 そのまま適当な場所に捨ててきてやる。
 MSごと海に沈んでも死ななかった男だ。
 重石でもつけてマリアナ海溝に沈めてくれる。
「それはごめんこうむる」
「ぬっ!!!」
 いきなり背後から聞こえてきた低い声に、心臓が止まりそうになって飛び退く。
 体ごと振り返ると、そこにはあきれたような目をしたヒイロが立っている。
「人の背後に気配を消して立つとは、貴様!!」
「貴様が言うな」
 至極まっとうなヒイロの言葉も、今のゼクスには届かない。
「卑怯者め!この私が地球にいなのをいいことにリリーナを誑かしおって!」
「・・・・・そんな覚えはない」
「純粋なリリーナのことだ。何も分からずに貴様の言葉にだまされたのだろう!」
「・・・・いや、だから」
「あまつさえ、子供だと!私は貴様を認めていたのに、見損なったぞヒイロ・ユイ!」
「・・いやだから、人の話を・・・・」
「問答無用!貴様のその悪行!私はすべてわかっている!貴様の魔の手から私の可愛いリリーナを救うのは私しかいない!!」
「・・・・はぁ(諦め)」
 一人エキサイトしていくゼクスに、ヒイロは説明を諦めた。半眼で、身振り手振りを交えて熱弁するゼクスを見つめる。
 ちなみに二人の会話は、他の人に気づかれないようにほとんどささやき声である。そのため、二人の距離は数歩分しか離れておらず薄闇の中でもお互いの表情がはっきりと見て取れた。
 ヒイロの視線は、その闇の中でもはっきりとわかるほどに熱を持っていない。
 その冷めた視線に全く気付かず、ゼクスがずびしぃっと彼を指さした。
「ヒイロ・ユイ!!」
「・・・人を指さすな」
 ヒイロの何度目かもわからない指摘をまたもや無視し、ゼクスがロープを投げ捨てる。
「貴様に決闘を申し込む!!」
「・・・・・・・・・・良いだろう」
 半ば以上投げやりになっていたヒイロは、一瞬の逡巡ののち頷いた。作戦上都合が(げふげふ)
 どうせ受けないと、あの手この手で付きまとうに違いない。
 それならばいっそ、最もわかりやすい方法で白黒をつけた方が早い。
 そう判断したのだ。
「それで、決闘の方法は?」
「決まっている。われらの決闘といえば・・・」
「わかっているとは思うが、MSはない」
「も、あ?わ、た・・・・。ととと当然だ。わ、わかっている」
 ヒイロの指摘に、ゼクスの指先が激しく震える。
(・・・・・忘れていたんだな)
 しばらく指が空をさまよい、最終的に本人の眉間にあてられた。
 思考すること数十秒。
「そうだ、リリーナのそばにいる男は、私よりも強く、賢く、忍耐強くなくてはならない!さらにリリーナより前に出ず、その影となり支えられる実行力が必要だ」
 ぶつぶつと言いながら一人うんうんと頷く。
「よし!勝負だヒイロ・ユイ!!」
「だから、方法は・・・」
 言いかけたヒイロを無視し、ゼクスが身を翻す。
 そして、その先にある柱に向かって声をかけた。
「パーガン!手配を頼む!!」
 その声に、柱の陰から音もなく滑り出てくる一人の老人。
 ピースクラフトに2代続けて仕えている忠実なる執事だ。
 影のように潜んでいたその存在が出てきても、ヒイロもゼクスも驚きはしない。それくらい察知できなければ、戦場では生き残れないのだ。
「・・・よろしいのですか?」
 ゼクスともヒイロにとも言わず、パーガンが尋ねる。
 二人とも、まったく同時に頷くのを見て、老練なる執事はため息とともに了解の意を表した。
「それではお二人とも。今少しお静かに、お部屋にお戻りくださいませ」
 きらり、と眉に隠れた目が光った気がした。
 老いてなおカクシャクとした執事の強い言葉に、流石のゼクスもぐっと息をのみ素直にうなづいた。あるいは、昔の思い出の一つや二つ、蘇ったのかもしれない。
 地球に帰ってきて初めて、ゼクスが他人の言うことを素直に聞いた瞬間だった。
(・・・・リリーナのこともパーガンから伝えさせればよかったか)
 とかなんとかヒイロが想起したかどうかは謎である。




 翌朝

 地上にいる者たちの気持ちなど関係なしに、空は朝から冴え冴えと晴れ渡っていた。
 食堂には、いつも通り家族がそろって朝食を食べている。
 いつも通りの朝、にも見える。
 ただ、良く見るといつもと違うことも見えてくる。
 食事前に母が目を通していたのは会議の資料ではなく、白いドレスを着たモデルが載っている雑誌やカタログだった。しかもいつもより格段に機嫌がよく、楽しそうにしている。
 反対に父親の方は、いつもよりさらに厳しい顔をしている。あまり親しくない人間からすれば、いつも通り無表情に見えるかもしれない。が、家族にはわかる。
 眉間のしわがいつもより深く、言葉もいつもよりはるかに少ない。というよりもない。
 両極端な両親の様子に関わらず、やや寝不足気味なレイはあくびをかみ殺した。
 三者三様とも言うが、ここまで不揃いなのも珍しい。
 そんな静寂を、これまたまったく気にもせず自然に滑りこんでくる人物がいた。もはやそれは年の功というより、その家族との付き合いの長さゆえの芸当であろう。
「リリーナ様。本日のご予定のことで五飛さまから連絡が入ってございます」
 パーガンが保留中の端末をのせたトレイを差し出した。
「まぁ、ありがとう」
 その端末を受け取り、耳にあてる。
「はい・・・・・・・。いえ、でも今日は・・・・・・・。・・・・・そうですか。・・・・わかりました。では、午後からということですわね。えぇ、では」
 小さな電子音を残し、端末をトレイに戻す。
「今日の仕事、予定が変わったの?」
 話の流れから、レイがリリーナに尋ねる。
「えぇ。午前に会議が予定されてたのだけれど、案件がどうしても揃わないから来週へ変更になったようなの。だから、今日は午前は空いてしまったわね」
 リリーナの言葉に、ほんのわずかだがヒイロの眉が動く。
 彼の脳裏には、その会議を延長させるために暗躍しそうな女性の顔が1,2・・・3人ほど浮かんでいた。そしてその考えがあながち外れていないだろうことも、確信できる。
「じゃぁ、今日はみんな家にいるんだね」
 レイの声が弾む。
 今日は、レイの学校も休日なのだ。
 明らかな作為を感じるが、今それをどうこう言っても始まるまい。
 人知れずため息をつくヒイロの耳に、階上の扉が開く音が聞こえた。
「レイ。ノインが起きた。食事ができていると伝えてきてくれ」
「うん」
 素直に頷き階段を上る背中を見送り、リリーナが振り返った。ヒイロも階段から視線を戻す。
「そういえば、ヒイロ。お兄さまは・・?」
「ゼクスなら・・・」
「ふはははははは!!」
 ヒイロが答えかけた瞬間、階段の踊り場からテンション高すぎな笑い声が響いた。
 言わずもがな、迷惑兄さんである。
 その上に、いきなりの衝撃に凍りついたような二人が見えた。食事に降りてきたノインと、案内しているレイだ。
 そんな2人を知ってか知らずか。ゼクスは大仰な身振りで話を続ける。
「よくぞ逃げなかったなヒイロ・ユイ!しかし、貴様の命運も今日までだ!今日、この私が貴様に引導を渡してくれるわ!!」
 ずびしぃっと指を指しながらポーズを決める。朝も早からテンションマックス暴走中である。
「だから指を指すなと・・・」
 対するヒイロは全く変わらず、冷めた様子で指された指の先から身をずらす。
「おにいさま、まだそんな事を!」
 反対に、ゼクスのテンションにつられてリリーナが立ち上がる。眉を曇らせた彼女が言葉を継ごうとしたのをヒイロが手で制した。
「いや、いい。同意の上だ」
「ヒイロ?」
 不思議そうな彼女に頷きだけ返し、視線をゼクスへと戻す。
「それで、勝負の方法は?」
 ヒイロの問いに、ゼクスが不敵な笑みを浮かべながら指を鳴らした。
 その音にパーガンが何かの紙を持って、ヒイロに渡す。
「これは・・・・!」
 二人して覗き込んだ紙を見、その視線がパーガンに移動する。
 いつも表情のあまり変わらないパーガンのかすかにゆがんだ眉と、重々しくうなずく顔を見てまた紙に視線を戻す。
「ゼクス!いったい、何を・・・」
 階下の沈黙に、階上にいたノインの時間が動きだす。階段を駆け下り、踊り場にいるゼクスに向かった。
 ノインは彼が疲れて寝ているとしか聞いていないのだ。話が全く見えず、困惑が表情いっぱいに溢れている。
 しかし、ゼクスはノインを一瞥すると苦悩を表に出したまま目をつむった。
「止めるなノイン!!これは私にとって必要なことなのだ!!」
「なんのこと・・・?それよりも話したいことが・・」
「私にはこんなことしかできないのだ!!!」
 ノインの言葉をさえぎる。何となく自分に酔っているようにしか見えない。
 いつの間にか取り戻していた自分のコートをばさりと羽おると、階段を駆け上がっていく。
「うわっ!!」
 唖然としているレイの横を駆け抜け、そのまま廊下を疾走していく。
 あまりにものスピードに、誰も反応できない。流石らいとにんぐ(いや違うし)
「ゼクス!」
 ノインの言葉をBGMに、けたたましく割れるガラスの音が響いた。
「あーーーー!!まどーーーーー!!!」
 その背中を見送っていたレイの悲鳴が、現場を見なくても何が起こったのか正確に伝えてくれた。
 もはやため息すら出てこない。
「なぜ玄関から出ないのです、ゼクス・・・・」
 唖然とするノインを尻目に、紙を見ていた夫婦は目を合わせた。



 リリーナの瞳に危険な光が宿る。勝気で、自信にあふれたあの光だ。
「わたくしのために争うなんて!」
「・・・・嬉しそうに言うことなのか?」



 紙にある決闘の内容は、まるで遠足の予定表のようだった。
 その勝負方法、およそ20。
 タイムスケジュールまで組んであるのはパーガンの仕事だろうが・・・・

 それにしても、ゼクスの暴走は一体何なのだろう。
 このぶっ飛び方は、火星という特殊な環境下におかれた人間がみせる一種の防衛本能の様なものなのだろうか。
 

「火星・・・・・・・・恐ろしいところだ」
「違うぞヒイロ。ゼクスが特別なだけだ」


 事情を聴いたノインが、ヒイロとともにため息をついた。
 ピースクラフトにひっかきまわされる彼らの苦労は終わらない。

 

←back  next→