許されざる 13
13.姉
人々が発する熱気が、狭い部屋にこもって頬をくすぐる。
自由にならない手足が恨めしい。
すぐ側に現れるいくつかの気配。
大切な人が、目の間に近づいているのが分かる。
『………』
彼女が、何かを口にする。
それに答えて、近くの者達が反応を返す。
彼女が首を振る。
批難の気配がたちこめる。
近くにいた者が、嘲弄にのどを震わせた。
次の瞬間、小さな部屋が吹き飛んだ。
そこのある建物ごと。
『――――――――!!』
誰かが何かを口にする。
同時に熱波が押し寄せた。
異臭が聴覚に侵入する。
悲鳴が騒音となって聴覚に突き刺さり、それを越える轟音が地を揺るがす。
逃げ惑う人々が口々に罵り声を上げる。
彼女に、彼に、加害者に。
その中で、彼女だけは微動だにしていない。
彼には気配だけでわかる。
『―――……?』
もう一度、近くにいる者が彼女に向って言葉を発した。
今度は彼女に反応がない。
じっと、動くことが叶わない彼を見つめる。
―ヤメロ、ヤメロ、ヤメテクレ!!
やがて、ゆっくりと、だがきっぱりと首を振った。
刹那、その場所から炎が吹き上げた。
彼女を包み込み、空高くまで舞い上がる。
悲鳴を上げる間さえなく、彼女は炎に消えていく。
『――――――――――――!!!』
自分が何かを叫んでいた。
それが何かは分からない。
いや、覚えていない。
彼女の名前かも知れないし、獣のようなうめき声だったのかもしれない。
心が、狂気に溢れた衝動を生み出す。
それが、彼の力を解放した。
初めて、それがある事を知ったときだった。
寝台からゼルガディスが跳ね起きた。額に浮かんだ汗を乱暴に手でぬぐう。
夢、あまりにもリアルな夢だった。今でも人の声や、炎の匂い、悲鳴を意識が残している。両手の平にかいた汗を見下ろして、ゼルガディスは軽くかぶりを振った。
「なんだ、今のは?」
昨日あった出来事のような、生々しい感覚だった。汗に濡れた髪をかきあげて、大きく息を吐く。
じっと心を落ち付けていると、徐々に今までの記憶が蘇ってきた。
はっとして顔を上げる。
そこは、小さな部屋だった。白いカーテンが風に揺れ、壁にはタンスや調度品が並べられている。ごく普通の家のごく普通の部屋だった。
「………ここは?」
竜族の隠れ場所で、結界を破ったことまでは覚えている。だが、その後の記憶がない。アメリアの姿を見たような気もしたが、それは夢の名残かもしれなかった。
ゆっくりと半身を起こし、寝台に腰かける。寝台の横には、彼のマントとブロードソードが無造作に置いてあった。
剣帯に手をかけ、ブロードソードを止める。かちゃっと小さな音を立てそれを付けた時、ふいに扉が開かれた。
「あら、気が付いたのね」
現れたのは、何とも形容しがたい格好をした長身の女だった。
「!!!」
その姿を目にした途端、がたたたたっと派手な音をたててゼルガディスが下がった。壁際にへばりつき、口をパクパクと動かす。
さすがのクールな魔剣士も、寝起きにナーガの姿はきつかったらしい。
「なによ、失礼ね。命の恩人に向かって」
ゼルガディスの態度が気になったらしいナーガが、顔を顰めながらつかつかと部屋に入ってきた。
「い、命の恩人?」
「そうよ!川で気絶していたあなたをここまで運んで、しかも回復呪文までかけてあげたのよ!この白蛇のナーガに感謝することね!おーっほっほっほっほっほ!!!」
脳天貫く高笑い。なんだか聞いた事が無いわけでもない、ような気もした。
片耳を抑えたゼルガディスが、やや釈然としないものを感じつつとりあえず頭を下げた。
「それはすまなかったな。礼を言う」
だが、ナーガはまだ不機嫌な顔のまま、つつっとゼルガディスに近寄る。
「はぁ?御礼なんてモノはねぇ、心がこもってるだけじゃ駄目なのよ!?」
とか言いながら、ずいっと手を差し出した。あまりにも直接的な催促に、一瞬ゼルガディスが唖然とする。だが、さすがはリナと旅をしたことがあるだけに、その辺の立ち直りは早かった。
「謝礼の催促か。悪いがそんなに持ち合わせが無いんでね、あまり払えないんだが」
大嘘である。アメリアの金銭感覚が常人とは少し違うことから、全ての資金は彼が管理していた。だから、懐はそこそこ潤っている。
さっきマントを確認してみたが、特に変化は見られなかった。つまり、彼女は自分がいくら持っているか知らないはずだ。案の定、ナーガはあからさまに顔を顰めている。
「っち、貧乏人なんか助けるもんじゃないわね」
「聞こえてるぞ」
「きにしないで。そうね、なら金貨50でいいわ」
「無理だ」
きっぱりとゼルガディスが答えた。これも嘘である。が。ナーガはぐっと顔を顰めた。
「うぅ、じゃぁ金貨40……」
「無理」
「…………金貨30」
「オーバー」
「…………25」
「払えん」
「………じゃ、じゃあ、せめて10くらいは」
「もう一声」
「……………」
ナーガが俯いてプルプルと震えだした。堪え切れ無くなったように、頭をがしがしとかきむしる。
「じょぉっだんじゃないわ!!これ以上負けたら、この宿屋の食費と酒代のつけが払えないじゃない?!!」
(………んなもんあったんかい)
声には出さず、半眼で突っ込むゼルガディス。が、にやっと口元を歪めると、ぴっと指を一本たてた。
「いいだろう。そのつけで謝礼はチャラでどうだ?」
ゼルガディスの言葉に、ナーガがものすごい視線で彼を睨みつけた。
「馬鹿言わないでよ!つけの中にはあんたの宿代だってはいってんのよ!」
「なら、俺の分だけ払って出て行くまでだ」
きわめて冷静なゼルガディスの言葉に、ナーガが言葉を飲み込んだ。しばらく考えこんでいたが、諦めたように頷く。
「わかったわ。それでいいわよ」
投げやりな言葉に、ゼルガディスは人の悪い笑顔を浮かべた。
「交渉成立だな」
そして、ばさりとマントを身に付ける。ごそごそとマントの裏に手を突っ込んだ。リナのマントと同じように、貴重品は隠し持っているのだ。悔しそうにナーガがそれを見つめている。
「っく。あんな所に隠してるなんて………」
(……物色しやがったな)
冷や汗を浮かべながら、言われた通りに払わなくてよかったと安堵するゼルガディス。ごそごそと漁っている内に、指先に振れた物を引っ張り出した。
「あーーーーーーーーーーーーー!!!!」
ゼルガディスが取り出した物を見た瞬間、ナーガが宿を震わせるほどの絶叫を上げた。きーんと耳鳴りのする耳を抑えた拍子に、手の中のものがからん、と床に落ちた。
慌ててそれを拾おうと身を屈めたが、一瞬ナーガが早かった。ひったくるようにそれを拾い上げると、じっとそれを見つめる。そして、それとゼルガディスを交互に見比べた。
「なんだ?」
その様子に怪訝な声をあげると、ナーガがものすごい形相でゼルガディスに詰め寄った。
「ちょっと!これ、どこで手に入れたの?!正直に答えないと氷付けにするわよ!!」
手の中の物を付きつけながら、ナーガがヒステリックにわめいた。それは、以前別れる時に貰った、アメリアのブレスレットの片割れだった。結局、二人で一つづつ持ち歩いているのだ。
「貰いものだ」
不機嫌にいい切ると、アミュレットを奪い返すべく手を伸ばす。が、寸での所で避けられた。
「嘘はばれないようにつきなさいよ!こんな物がほいほい人手に渡るはず無いじゃない?!どこで盗ったの?!」
まるっきり犯罪者に対する態度である。さすがにこの態度にはゼルガディスも我慢できなかった。
「人聞きの悪い事を言うな!人の物にいちゃもんをつけるのもいい加減にしろ!それを俺がどこでどうやって手に入れようがあんたには関係無いだろうが!!」
思わず怒鳴り付けると、ナーガも負けじと怒鳴り返してきた。
「関係あるわよ!これはセイルーン王家の、しかもごく限られた者にしか身に着けることが許されていないのよ!?これはアメリアの物だわ!どうしてあなたがそれを持っているのよ?!」
その言葉に、はた、とゼルガディスの中で冷静な部分が働きだす。
「ちょっと待て。なんであんたがそんな事を知ってるんだ?」
ぎくり、とあからさまにナーガが身をひいた。
「え、えーと、それはね……」
何か言い募ろうとする彼女を無視して、ゼルガディスが片手を顎に当て考え込む。
「ナーガ……、ナーガ。…………どこかで聞いた事があるな」
「あ、あたしの事はいいから。問題はね、あなたがどうしてこれを持っているかであって………」
ゼルガディスが思い出すのを妨害するように、ナーガがアミュレットをちらちらと振って見せた。が、ゼルガディスにはその声も聞こえていない。集中すると、周りが見えなくなるタイプらしい。
何かやばいと思ったのか、ナーガはアミュレットを持ったままゼルガディスに気付かれないようにそろ〜っと扉に向かい始めた。
一歩、一歩、ゆっくりと。
手を伸ばせば扉に届く所で、ふいに後ろから声がかかった。
「グレイシア王女」
「なによ?」
振りかえって、ゼルガディスの呆然とした顔が目に入った。慌てて両手で口を覆うが、既に時遅し。
「まさかとは思ったが………。グレイシア=ウィル=ナーガ=セイルーン。セイルーンの第一王女か……」
苦虫を噛み潰したようなゼルガディスに対し、ナーガはひたすらに首をぶんぶんと振っていた。
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